![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6b/62/0d158a09153d88a9d7df75e8446618ce.jpg)
正面右手に大きな「イオンモールむさし村山」。ここは、日産自動車村山工場の跡地の一部。
(13:14)旧道はその敷地で途切れてしまうので、「残堀川」に架かる「伊奈平橋」方向へ進みます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/53/cb/192a08ce3d6aec0a46fc4ad8dda57165.jpg)
「残堀川」。
狭山丘陵西端付近にある狭山池(東京都西多摩郡瑞穂町箱根ヶ崎)に源を発し、立川断層に沿って南東に流れ、武蔵村山市の旧日産村山工場の敷地(注:現在は「イオンモールむさし村山」等になっている)に突きあたってから南に流れを変える。ここから下流は河道付替工事による人工の流路である。立川市一番町付近で玉川上水を乗り越え、国営昭和記念公園の西辺に添いながら昭島市に入る。東向きに曲がって同公園の敷地に入り立川市域に再び入る。公園内で再び南に向きを変え、立川市富士見町3丁目でほぼ直角に曲がり、立川市柴崎町で多摩川に合流する。
元々は狭山丘陵の小河川の水を集めて南東に流れ、矢川に注いでいたと考えられている。
・・・1963年(昭和38年)氾濫対策として、玉川上水を越える形に変え、1982年(昭和57年)「残堀川流域整備計画」が策定され、その計画に沿って河川改修工事が施工された。
しかしそれ以降は年間を通じて、降雨時およびその直後を除くと水流の殆ど見られない「瀬切れ」を頻繁におこすようになり、場所によってはその名の如く「堀だけが残る川」となってしまった。・・・
(以上「Wikipedia」参照)
うどん屋の手前から旧道が復活。左折し「上砂橋」を渡る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/9b/5a0b006a40b45d9fca2d59021b11d303.jpg)
渡って右の道へ。![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/75/62/f61528dbe63d281d19f3f8fcadbce80d.jpg)
(13:22)しばらく進むと、「榎」交差点で分かれた「江戸街道」に合流、西へ向かいます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7f/3f/78540d28e937a9442c87f4338bf3f91f.jpg)
畑地が広がります。
珍しく桑畑があります。![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/65/a619539fedd2d31a8e85a71ca1e76b4c.jpg)
梅。![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4e/a4/c228fef24f51890c9815e513e408d77e.jpg)
西の方には奥多摩の山々が。
この道はまっすぐ進むと「IHI」の工場の先で広大な「米軍横田基地」のために分断されてしまいます。そういえば、先ほどから頭上はヘリコプター行き交いたび、けっこうな騒音が。
(13:47)先達の案内に従い、「グリーンタウン南」信号で「武蔵村山高校」に向けて右折します。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/44/5a/1f2a9aa638cc5045b5042848f70937e2.jpg)
(13:52)その手前で道路を横切って直線で進む遊歩道。水道道(みち)?
西方向。
東方向。
「野山北公園自転車道線」。
実は「軽便鉄道」の跡のようです。
昭和の初めに「山口貯水池」の建設のための砂利の運搬用に敷設された12.6km。羽村市の多摩川から引かれていました。
大正時代にすでに設置されていた、羽村から「村山貯水池」までの水道管上を利用して敷設されました。この水道管は現在も使われています。武蔵村山市内を横断している鉄道跡が「野山北公園自転車道線」として残されています。特に鉄道遺跡はないようですが、当時のトンネルが4カ所残されています。また、横田基地の西側、羽村市内にも鉄道跡が「神明緑道」として残っているとのこと。地下には多摩川から村山貯水池や山口貯水池に水を送る導管(東京水道)が埋め込まれています。
唯一鉄道が通っていない「武蔵村山市」市内。これはぜひ行ってみなければなりません。でも、どう行けばいいのか?
バス停の脇には明治4年建立の「道標」。![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/57/2d/96c5e4cd6ca1771eb6b89e485ad90b47.jpg)
「右青梅道」「左羽村道」。当初の位置とは異なるようです。
正面の「ジョイフル本田瑞穂店」に向かって進む。
「一本榎」が見えてきます。
(14:10)榎の脇に「江戸街道」という標識。![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/1e/b65a04392a0913269428d07a7d2a2486.jpg)
「庚申塔」。![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0f/c2/8f25ba27fcf65475d42d851a4a76e96e.jpg)
かなり大きなホームセンター。
この地域は「瑞穂町」。
(14:18)「新青梅街道」に合流し、「瑞穂石畑」交差点を斜めに突っ切ります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3f/a6/c3765b85416254e19f2d2568efd75fc2.jpg)
来た道を振り返る。
「箱根ヶ崎」に向かって進みます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/59/b4/2218da3e5c5cb5b82b2d0b74f31fd3ff.jpg)
この付近の今昔。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/44/bc62c7018f5d78830c7a89d7a77ebeba.png)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5a/b2/15e32f499758d6d39f2a5eaed06674ec.png)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/57/21/646e706eaac37b64e041600a6e588ef7.png)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3f/94/cd88beb4a5746ab7f8f434405098ff73.png)
1880年代のようす。「至函根崎村道」が旧道か。流れは「残堀川」。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/1b/b705c3d186c059e19c470c450b69882a.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/68/36/ba1c79a1e1ccddc0a440ac0267981f44.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/41/f8/bb4010b858ce168658aa4b1b2d5ae792.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/08/fb/438094c7b22e78a861a46bd2831a3b2f.jpg)
2010年代のようす。↑が「瑞穂石畑」交差点。交差点手前の旧道ははっきりしない。
(13:14)旧道はその敷地で途切れてしまうので、「残堀川」に架かる「伊奈平橋」方向へ進みます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/53/cb/192a08ce3d6aec0a46fc4ad8dda57165.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/ee/c9db5275e80edf427c94f6433f6120f2.jpg)
狭山丘陵西端付近にある狭山池(東京都西多摩郡瑞穂町箱根ヶ崎)に源を発し、立川断層に沿って南東に流れ、武蔵村山市の旧日産村山工場の敷地(注:現在は「イオンモールむさし村山」等になっている)に突きあたってから南に流れを変える。ここから下流は河道付替工事による人工の流路である。立川市一番町付近で玉川上水を乗り越え、国営昭和記念公園の西辺に添いながら昭島市に入る。東向きに曲がって同公園の敷地に入り立川市域に再び入る。公園内で再び南に向きを変え、立川市富士見町3丁目でほぼ直角に曲がり、立川市柴崎町で多摩川に合流する。
元々は狭山丘陵の小河川の水を集めて南東に流れ、矢川に注いでいたと考えられている。
・・・1963年(昭和38年)氾濫対策として、玉川上水を越える形に変え、1982年(昭和57年)「残堀川流域整備計画」が策定され、その計画に沿って河川改修工事が施工された。
しかしそれ以降は年間を通じて、降雨時およびその直後を除くと水流の殆ど見られない「瀬切れ」を頻繁におこすようになり、場所によってはその名の如く「堀だけが残る川」となってしまった。・・・
(以上「Wikipedia」参照)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/5a/0f2298cc4401273531224221f7dee706.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/37/86/13959fb97cf14de8335e61d826a21de8.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/9b/5a0b006a40b45d9fca2d59021b11d303.jpg)
渡って右の道へ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/75/62/f61528dbe63d281d19f3f8fcadbce80d.jpg)
(13:22)しばらく進むと、「榎」交差点で分かれた「江戸街道」に合流、西へ向かいます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7f/3f/78540d28e937a9442c87f4338bf3f91f.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/f9/0ab6733997efa4b302ae8c4c07e49ee5.jpg)
珍しく桑畑があります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/65/a619539fedd2d31a8e85a71ca1e76b4c.jpg)
梅。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4e/a4/c228fef24f51890c9815e513e408d77e.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4c/b1/fa21b89dd7a832f5dedc1156a0438646.jpg)
この道はまっすぐ進むと「IHI」の工場の先で広大な「米軍横田基地」のために分断されてしまいます。そういえば、先ほどから頭上はヘリコプター行き交いたび、けっこうな騒音が。
(13:47)先達の案内に従い、「グリーンタウン南」信号で「武蔵村山高校」に向けて右折します。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/44/5a/1f2a9aa638cc5045b5042848f70937e2.jpg)
(13:52)その手前で道路を横切って直線で進む遊歩道。水道道(みち)?
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0c/53/269383d07dcbbfb103a7b9bb7cee49a5.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/08/4f/daf18f984d1116a4ee2b4dfd2f3d5201.jpg)
「野山北公園自転車道線」。
実は「軽便鉄道」の跡のようです。
昭和の初めに「山口貯水池」の建設のための砂利の運搬用に敷設された12.6km。羽村市の多摩川から引かれていました。
大正時代にすでに設置されていた、羽村から「村山貯水池」までの水道管上を利用して敷設されました。この水道管は現在も使われています。武蔵村山市内を横断している鉄道跡が「野山北公園自転車道線」として残されています。特に鉄道遺跡はないようですが、当時のトンネルが4カ所残されています。また、横田基地の西側、羽村市内にも鉄道跡が「神明緑道」として残っているとのこと。地下には多摩川から村山貯水池や山口貯水池に水を送る導管(東京水道)が埋め込まれています。
唯一鉄道が通っていない「武蔵村山市」市内。これはぜひ行ってみなければなりません。でも、どう行けばいいのか?
バス停の脇には明治4年建立の「道標」。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/57/2d/96c5e4cd6ca1771eb6b89e485ad90b47.jpg)
「右青梅道」「左羽村道」。当初の位置とは異なるようです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/28/a4/3edfd1f59d3790093eb32965d6c1405c.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/36/25/458dae9964d496fc6fce9142c05657e2.jpg)
(14:10)榎の脇に「江戸街道」という標識。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/1e/b65a04392a0913269428d07a7d2a2486.jpg)
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(14:18)「新青梅街道」に合流し、「瑞穂石畑」交差点を斜めに突っ切ります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3f/a6/c3765b85416254e19f2d2568efd75fc2.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/68/263cbe07140011921c324e8172e9c9e0.jpg)
「箱根ヶ崎」に向かって進みます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/2b/bc6bb70e35cf23ae8a2a39fdc0ec8a62.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/59/b4/2218da3e5c5cb5b82b2d0b74f31fd3ff.jpg)
この付近の今昔。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/44/bc62c7018f5d78830c7a89d7a77ebeba.png)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5a/b2/15e32f499758d6d39f2a5eaed06674ec.png)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/57/21/646e706eaac37b64e041600a6e588ef7.png)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3f/94/cd88beb4a5746ab7f8f434405098ff73.png)
1880年代のようす。「至函根崎村道」が旧道か。流れは「残堀川」。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/1b/b705c3d186c059e19c470c450b69882a.jpg)
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/08/fb/438094c7b22e78a861a46bd2831a3b2f.jpg)
2010年代のようす。↑が「瑞穂石畑」交差点。交差点手前の旧道ははっきりしない。
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