おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

川井駅~「奥多摩むかし道」~滝のり沢バス停。その2。(「青梅街道」をゆく。第4日目。)

2018-05-29 20:24:36 | 青梅街道
                                    (10:18)「白丸ダム」。

「花折トンネル」手前を左に曲がると、「白丸ダム」。立ち寄ってみます。

このダムは東京都交通局の発電用のダムです。見下ろす。

白丸ダム
 高さ30.3mの重力式コンクリートダムで、東京都交通局の発電用ダムである。同局の水力発電所・多摩川第三発電所および白丸発電所に送水し、合計最大1万7,500kWの電力を発電する。ダム湖(人造湖)の名は白丸湖(しろまるこ)という。
 1963年(昭和38年)、東京都交通局が白丸狭窄地帯と呼ばれる多摩川断崖の谷に建設した。貯えた水は下流の御岳にある多摩川第三発電所に送水し、最大16,400kWの電力を発電させる。
 2001年(平成13)、「魚ののぼりやすい川づくり推進モデル事業」の一環として国土交通省によって魚道が新設された。魚道落差27m、魚道延長332m(トンネル区間125m)魚道幅2mという都内最大規模のもの。
 また、白丸ダム直下に白丸発電所が建設され、観光のための放流水を利用して1,100kWの電力を発電できるようにした。
 上流には小河内ダム(奥多摩湖)があり、その直下にも東京都交通局の多摩川第一発電所がある。白丸ダムが東京都交通局による発電用ダムであるのに対し、小河内ダムは上水道用水確保を主目的とした東京都水道局のダムである。(以上、「Wikipedia」参照)

案内板。東京湾の河口から79.2㎞の地点にあたる。

 資料館のおじさんと立ち話。ついでに「魚道」を見るならと案内されたのがここ。遙か下まで目がくらむようならせん階段。かなり躊躇。


「魚道」の解説板で済ませます。

 遡上する魚も大変そうです。ちなみに、白丸ダムを遡上する魚には、ヤマメ、アユ、ニジマス、ウグイ、イワナなどがいるそうです。

 (10:29)はるか眼下の白丸貯水池(白丸湖)にはカヌー・カヤックがけっこう水面に。エメラルドグリーンの湖面が映えています。


御岳ひぐらし日記」HPより。
 フェリーグライドインストラクターの工藤が、カヤックのこと、ツーリングのこと、御岳渓谷の日々の出来事、奥多摩の観光情報などを綴ります。

 奥多摩湖は知っているけれども白丸湖なんて知らないっていう人がほとんどでしょう。カヌーを漕いでいる人でも知らない人が多いですから。
 大きな地図では見つからないかもしれませんが、白丸湖は青梅線奥多摩駅のひとつ手前、白丸駅の直下にあります。
 白丸ダムという小さなダムで多摩川をせき止めて出来た貯水池なのです。縦に長いため、おおざっぱな地図では多摩川と見分けがつきません。
・・・
 「白丸湖」の特徴は、多摩川を堰き止めて出来た湖ですので縦に長く(1km弱)横幅は狭い(最も広い場所で100m位)ことです。
 上流は多摩川なので緩やかな流れの練習に最適です。最上流に氷川発電所の放水口があり、条件によっては強い流れを楽しむことが出来ます。
 湖水の綺麗さは東京にある湖とは思えないほど。上流にダム湖がある川としては異例なほど水が澄んでいます。ダム湖の底の冷たい水が流れ込むため、水温はとても低いです。夏でもサウナの水風呂よりちょっと冷たいぐらいです。

 ※「じゃらん」では「白丸湖カヤック体験ツアー 1日コースのプラン」を募集しています。

 しばらく国道歩きが続きます。「白丸駅入口」で右の坂道を進みます。踏切を越えて行きます。
(10:42)「白丸散策マップ」。

 目指すは、「数馬の切り通し」。駅入口の階段で小休止ながら、電車を待っている地元の方に確認。次の駅が終点の奥多摩。「けっこう歩きますよ。」と。

左、正面奥に尖った山。「天地山」。

川合玉堂さんの歌 名に負える天地岳は人知らず 奥多摩槍と言わば知らまし


(10:49)「十一面観音堂」の前を通ります。

 (10:53)車道から右の小道(旧道)に入ります。その先に岩を開削して街道を通した「数馬の切通し」があります。


                            




南側(出口)から。この先、道は途切れます。

 この地は江戸時代のはじめまで上部の山越が唯一の道でしたが元禄の頃に切り通しが開鑿され、その後の改修によって奥地との物流交流が可能になった。
 岩盤に火を焚いて水をかけツルハシと石鑿で切り開いたもので、向かい側に宝暦年間の供養碑が、下の国道脇に大正末期の隧道がある。

     

 その昔、奥多摩地方の交通は、東西関係には支障が多く南北につながる尾根筋交通を主としていました。このため、小河内方面及び多摩川南岸の住民は五日市方面と、日原から大丹波にわたる地帯は秩父方面との交通が重要でありました。元禄年間、この数馬の切通しの完成によって、初めて東部方面との関係が密接となりました。
 数馬峡は氷川~白丸間の交通の難所。初めゴンザス尾根の根岩( ネーヤ) 越えで行き来していた。
 江戸中期に関係の村々の出資で、白丸トンネルの上の硬い岩塊を砕いて切り通しを造り、峡谷沿いに街道の真上辺りを海沢に出る小道を造った。その後改良を重ね、ほぼ今の川沿いに通れる青梅街道になったのは大正末期といいます。

              

(11:06)再び元の道に戻って国道に出ます。眼下にはカヤックの姿。

 「白丸トンネル」を振り返る。上部に「数馬の切り通し」がある。断崖絶壁。また、現トンネルの右手には解説板にあった大正時代に開削された旧隧道(トンネル)があります。
 旧道が「切り通し」を抜けた後、どのルートをたどったのかよく分からない。

                       

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