おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

東武野田線「川間駅」~流鉄「流山駅」。その2。海から40㎞。野田橋。中州。庄内古川・中川。(「江戸川」を歩く。第2回目。)

2022-03-17 21:25:56 | 江戸川を歩く

       この付近では、道路も住宅も土手に接近しています。そのせいか、自転車や歩行者も多くなっています。

「海から40㎞」標識。

菜の花畑。

「野田橋」に近づきます。

野田橋。「海から39.5㎞」。

千葉県野田市と埼玉県松伏町を結ぶ。  

        

左手に「キッコーマンフードテック中野台工場」。

①しょうゆ、つゆ、たれ、ソース及びその他調味料の製造及び販売
②農産、水産、畜産加工品等の食料品及び飼料の製造及び販売

左手奥にある森の中まで工場が続いています。

この先、芝生養生中。

対岸は埼玉県吉川市。

独特な河川敷のようす。

所々に砂州が。

木々が生い茂る中洲。          

この付近の今昔。

                     1880年代のようす。

      左に流れる「庄内川(古)」が江戸川と接している。

                     2010年代のようす。庄内古川は河川敷に。

現在の中川の流路は、その上流部は明治時代以前の庄内古川(幸手市高須賀より上流は島川)と、下流部は古利根川利根川東遷事業以前の利根川本流で東京湾へ注ぐ河口部は現在の旧中川)とを、松伏町大川戸から松伏町下赤岩まで大正昭和に開削された河道で接続して造られた。それ以前は古利根川が亀有付近で分流した河道のうち、江戸川区西葛西付近の河口へ向かう河道を中川と呼んだ(西へ向かうもうひとつの河道は現在の古隅田川)。

この水系整備により、島川・庄内古川より東京湾河口までが中川として扱われ、合わせて古利根川、元荒川、綾瀬川なども中川水系とされた。

なお庄内古川は、江戸時代以前の渡良瀬川権現堂川より下流の流路を流れた。渡良瀬川の下流は古くは太日川と呼ばれた。太日川は江戸時代に整備され現在の野田市関宿・幸手市西関宿から南流する江戸川となり、庄内古川とは吉川市付近で合流した。

(この項、「Wikipedia」参照

※合流地点は、ちょうど写真付近。

この先もしばらく木々が茂る中州が幅広で長く形成されていることと、「庄内古川」と「江戸川」との接点と関連があるのでしょうか?

キッコーマン関連工場。

「海から38.0㎞」。

中州(灌木帯)が続く。

「キッコーマン」関連工場脇の土手。

対岸には野球場が何面も。

遠くに野田の街並み。

「海から37.0㎞」。


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