首相、核兵器輸送「120%あり得ない」 予算委で強調
どこかの誰かの不出馬宣言よりもおとなしい「120%あり得ない」。
しかし、あれだけ大見得を切って、結局、出馬した方が、知事の座に。そして今は、市長の座。こうした表現がかなり眉唾物であることは、すでに国民は見抜いているはず。
だいたい、「核兵器」であることを公言して、輸送すること(輸送を依頼すること)は絶対にあり得ない。それは核保有国の常識ではないか。敵の攻撃の対象になるのは当然だし、まして、他国に公然と核兵器の輸送を委ねることはありうるはずはないのだ。
だから、「核兵器(ということを明らかにして)の輸送依頼はあり得ない」というのは、まさに「正しい」。
しかし、そう、かつて米軍の艦隊が日本に寄港したときに核搭載疑惑が起こり、世論の寄港反対の声が大きくなった。
その時、「非核三原則」をもとにして米軍・米政府に迫っても「搭載しているか、いないかは明らかにしない」、という米政府の立場に対して暗黙の了解をしていたのが、かつての自民党政権だった。
沖縄返還の際にも沖縄に核配備がされていたか(されるか)どうかについて、核持ち込み・配備に暗黙の了解を与えていたのではなかったか。
そして今、国民の多くが感じていることは、日本は核武装する能力を有しつつも(「国是」としている)「非核三原則」によって辛うじてその方向に進んでこなかった歴史が、アベ自公政権によっていとも簡単にくつがえされるかもしれない、という危機感ではないか。
「米国の核兵器を輸送すること」はあり得なくても、「核兵器製造」という切り札は持ち続け、将来的には自国での配備・輸送を企図しているのではないかということ。広島で「非核三原則」に触れなかったことも意味ありげである。
こうして、アベ自公政権は再び、三度、国民の目を欺き、安保法制とあいまって国を危うい方向に導こうとしている。
でも、そういう手法(まやかし)がいつまで通じるのか、アベも「馬鹿」のいわれをとことんと考えた方がいい。
安倍官房副長官時代 核容認発言
○(「先制攻撃はできないでしょう」と司会の田原総一郎に問われて)
「いやいや、違うんです。先制攻撃はしませんよ。しかし、先制攻撃を完全には否定はしていないのですけれども、要するに『攻撃に着手したのは攻撃』と見なすんです。(日本に向けて)撃ちますよという時には、一応ここで攻撃を、『座して死を待つべきではない」といってですね、この基地をたたくことはできるんです。撃たれたら撃ち返すということが、初めて抑止力になります」
○(「大陸間弾道弾を作ってもいいのか」と問われて)
「大陸間弾道弾はですね、憲法上は問題ではない、憲法上は原子爆弾だって問題ではないですからね、憲法上は。小型であればですね」
○(「それは個人的見解か」と念を押されて)
「それは私の見解ではなくてですね、大陸間弾道弾、戦略ミサイルで都市を狙うというのはダメですよ。日本に撃ってくるミサイルを撃つということは、これはできます。その時に、例えばこれは、日本は非核三原則がありますからやりませんけども、戦術核を使うということは昭和35年(1960年)の岸総理答弁で『違憲ではない』という答弁がされています。それは違憲ではないのですが、日本人はちょっとそこを誤解しているんです。ただこれ(戦術核の使用)はやりませんけどもね。ただ、これは法律論と政策論で別ですから。できることを全部やるわけではないですから」
・先制攻撃もできる。
・核も小型ならいい。
(以上、2002年の発言)
アベの腹は見えている。近々「憲法9条」改悪を見据えた、今回の違憲(憲法9条を捨て去る)の「安保法制」ごり押し。
自公政権下の閣僚・自公議員は、こうしたアベの企みにただただ追随するのみ。
どこかの誰かの不出馬宣言よりもおとなしい「120%あり得ない」。
しかし、あれだけ大見得を切って、結局、出馬した方が、知事の座に。そして今は、市長の座。こうした表現がかなり眉唾物であることは、すでに国民は見抜いているはず。
だいたい、「核兵器」であることを公言して、輸送すること(輸送を依頼すること)は絶対にあり得ない。それは核保有国の常識ではないか。敵の攻撃の対象になるのは当然だし、まして、他国に公然と核兵器の輸送を委ねることはありうるはずはないのだ。
だから、「核兵器(ということを明らかにして)の輸送依頼はあり得ない」というのは、まさに「正しい」。
しかし、そう、かつて米軍の艦隊が日本に寄港したときに核搭載疑惑が起こり、世論の寄港反対の声が大きくなった。
その時、「非核三原則」をもとにして米軍・米政府に迫っても「搭載しているか、いないかは明らかにしない」、という米政府の立場に対して暗黙の了解をしていたのが、かつての自民党政権だった。
沖縄返還の際にも沖縄に核配備がされていたか(されるか)どうかについて、核持ち込み・配備に暗黙の了解を与えていたのではなかったか。
そして今、国民の多くが感じていることは、日本は核武装する能力を有しつつも(「国是」としている)「非核三原則」によって辛うじてその方向に進んでこなかった歴史が、アベ自公政権によっていとも簡単にくつがえされるかもしれない、という危機感ではないか。
「米国の核兵器を輸送すること」はあり得なくても、「核兵器製造」という切り札は持ち続け、将来的には自国での配備・輸送を企図しているのではないかということ。広島で「非核三原則」に触れなかったことも意味ありげである。
こうして、アベ自公政権は再び、三度、国民の目を欺き、安保法制とあいまって国を危うい方向に導こうとしている。
でも、そういう手法(まやかし)がいつまで通じるのか、アベも「馬鹿」のいわれをとことんと考えた方がいい。
安倍官房副長官時代 核容認発言
○(「先制攻撃はできないでしょう」と司会の田原総一郎に問われて)
「いやいや、違うんです。先制攻撃はしませんよ。しかし、先制攻撃を完全には否定はしていないのですけれども、要するに『攻撃に着手したのは攻撃』と見なすんです。(日本に向けて)撃ちますよという時には、一応ここで攻撃を、『座して死を待つべきではない」といってですね、この基地をたたくことはできるんです。撃たれたら撃ち返すということが、初めて抑止力になります」
○(「大陸間弾道弾を作ってもいいのか」と問われて)
「大陸間弾道弾はですね、憲法上は問題ではない、憲法上は原子爆弾だって問題ではないですからね、憲法上は。小型であればですね」
○(「それは個人的見解か」と念を押されて)
「それは私の見解ではなくてですね、大陸間弾道弾、戦略ミサイルで都市を狙うというのはダメですよ。日本に撃ってくるミサイルを撃つということは、これはできます。その時に、例えばこれは、日本は非核三原則がありますからやりませんけども、戦術核を使うということは昭和35年(1960年)の岸総理答弁で『違憲ではない』という答弁がされています。それは違憲ではないのですが、日本人はちょっとそこを誤解しているんです。ただこれ(戦術核の使用)はやりませんけどもね。ただ、これは法律論と政策論で別ですから。できることを全部やるわけではないですから」
・先制攻撃もできる。
・核も小型ならいい。
(以上、2002年の発言)
アベの腹は見えている。近々「憲法9条」改悪を見据えた、今回の違憲(憲法9条を捨て去る)の「安保法制」ごり押し。
自公政権下の閣僚・自公議員は、こうしたアベの企みにただただ追随するのみ。
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