「寄居駅」付近の今昔。
(現在)。「荒川」・景勝地「玉淀」。
(1880年代)。
寄居駅の南、「秩父往還」沿いに集落(寄居宿)。
「荒川」を鉄橋で渡りますが、撮れませんでした。
3年前、「荒川」を遡上したときに「寄居駅」(秩父鉄道)で下車し、そこから荒川沿いを歩きました。その時の記録。
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2021年4月24日(土)。晴れ。秩父鉄道・寄居駅南口から東武東上線・玉淀駅へ向かい、そこから「荒川」へ。
宮沢賢治歌碑。
毛虫焼くまひるの火立つこれやこの秩父寄居のましろきそらに
つくづくと『粋なもやうの博多帯』荒川ぎしの片岩のいろ
「正喜橋」。
佐々紅華作曲の「寄居小唄」の歌曲碑。
寄居小唄 金子虹作詞 佐々紅華作曲
色はうす紅 玉淀さくら 霞む日ごとの 水かがみ
まわる日傘に ほろほろと さても愛しい 花が散る
よりい良いとこ 秩父の山が 雪のけはいの 品のよさ
娘まけるな 紅つけて シャンとすませよ ミスよりい
城は鉢形 御城下町に 昔 ならした 意地もある
思いきるまい 心なら せめて二度咲け 山つつじ
「埼玉県立自然公園 玉淀」碑。
「玉淀」の名称は昭和6年4月29日に命名され、玉は埼玉の玉で美しいの意味であり、淀は水のよどんだところという意味があります。すなわち埼玉県にある美しい玉のような淀んだ地という意味で、昭和10年に県指定名勝として文化財指定を受けています。
対岸は、「鉢形城」址。
「八高線」踏切。
「八高線・荒川橋梁」が左手奥に。
・・・さて、今回。
しばらく荒川の右岸沿い、「鉢形城」跡付近を通過し、南下します。
雨脚も強くなったり弱くなったりする中、
丘陵地帯を進む。
「折原駅」。
駅舎はなく、簡易な待合室があるのみで、乗車駅証明書発行機が設置されている。入口付近に簡易Suica改札機がある。
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森の中を進んでいきます。
「竹沢駅」。撤去された線路。
※以前は相対式ホーム2面2線を有し、両ホームは跨線橋で連絡していたが、2016年10月15日に上下線ホームが片側一つになった。
JR東日本によると、1日平均乗車人員は31人で、乗車人員を把握出来る埼玉県内の駅の中では最も少ない。これは、周辺住民の多くが東武東上線の東武竹沢駅を利用していることが大きな要因となっている(東上線運行本数は八高線と比べて遥かに多く、現状では利便性に格段の開きがある。
「小川町駅」に近づきます。
「小川町駅」。
再び「東武東上線」との乗換駅になります。
秩父山系の山々は京都の東山や北山を思わせ、中央の槻川は加茂川、比叡山には都幾山が対比され、全国に「小京都」と云われるところは多いが、この町ほど町の輪郭や寺社から名所まで、よく似ている町はないと云われています。駅名は古くからの町名をとり、命名されたものと思われます。
(この項「」HPより)
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昭和30年2月11日、比企郡小川町、大河村、竹沢村、八和田村の1町3か村を合併し、昭和31年1月1日、寄居町大字西古里と鷹巣の各一部を編入して、現在の小川町が誕生しました。当町は、埼玉県の中央部よりやや西に位置し、面積は60.36平方キロメートルです。
周囲を緑豊かな外秩父の山々に囲まれ、市街地の中央に槻川が流れる小川町は、歴史を誇る小川和紙や小川絹をはじめ、建具、酒造などの伝統産業で古くから栄えた町です。また、歴史を秘めて佇む史跡や往時の面影を留める町並みなど、その風情から、いつしか「武蔵の小京都」と呼ばれるようになりました。
小川町和紙体験学習センター
この項、「」HPより)
廃線跡。気動車の「気」。左手は、「県立小川高校」。
小川町の町並み。
山並みがしばらく続く。
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