結城駅北口。
5月3日(祝)。晴れ。今回は、「薬師寺南」交差点まで。そこから自治医大駅まで向かうことに。
案内板。
結城市マンホール。
市の花ユリをデザインしたカラー版
駅前にある与謝蕪村句碑。
秋のくれ 仏に化る 狸かな
きつね火や 五助新田の 麦の雨
猿どのの 夜寒訪ゆく 兎かな
解説板。
駅前の散策に。右手に「蛸屋總本店」創業は元禄11年(1698年)。
この先も見世蔵など古い建物が多く存在します。
磯田邸。
築島邸。
「つむぎみそ」という暖簾が。
茨城県西域の平坦な関東平野にある結城(ゆうき)市。古代より穀(梶、かじ)の木・楮(こうぞ)が生育し、“ふさ(麻)”・“ゆう(木綿)”の産地として“総(ふさ)の国のゆうき”と称され、かつて下総国最北端の結城郡でした。鎌倉期に結城氏の城下町となり、江戸初期からは水野氏の結城藩(一部は初期の天領・下総山川藩を経て天領・旗本領)となっています。米・とうもろこし・干瓢・白菜・レタス等の農作物や結城うどん・すだれ麩・ゆでまんじゅう・味噌・清酒等が特産品・名物で、多くの寺社や蔵造りの街並みなど古い歴史に彩られた市内には老舗の飲食店・食品店などが残っています。
1832年創業、伝統的な製法で味噌を作り続ける 秋葉糀味噌醸造
結城駅から徒歩15分ほどの場所にある 秋葉糀味噌醸造。1832年(天保3年)に創業された味噌醸造を行うお店です。現在も昔ながらの伝統的製法で味噌を作り続けていらっしゃいます。出張味噌作り教室等も行っており、味噌作り文化を守る活動もされています。
という、秋葉糀味噌醸造さんの外観。暖簾に「つむぎみそ」とあり、看板メニューつむぎみその名前でも知られているようです。
(この項、「」HPより)
「小西見世蔵」明治初期。土蔵造・二階建・瓦葺
小西株式会社は、もと小西金物店と称し、創業は明治8(1875)年、小西酒酒造から分家して小西銅鉄店を興したものです。現在の店舗(見世蔵)もその時に建設されたと伝えられており、棟札や墨書など創建時期を確定する獅資料は残されていませんが、形式や部材の古さがそのことを裏付けています。
見世蔵は切妻・平入りの二階建て・桟瓦葺きで、1階の店舗(現在は事務室)部分正面は、西側約2間を腰つきの張り出し窓とし、他は引き違いのガラス戸としています。2階東側の書斎と西側の座敷には、それぞれ幅の違う引き違いの窓があり、戸袋はつけておりません。1階の店舗部分はやや改造が目立つものの、主要な構造部材や2階内部は創建時の状態をよく留めています。
屋根は近年に葺き替えられておりますが、それ以前は一般の町家と変わらず、関東の見世蔵特有の箱棟や影盛も省略されていたことが知られています。軒を出桁造りにしていないことや2階の階高が低いことなどと併せて、結城に現存する多くの見世蔵の中でも最も古い形式を伝える貴重な遺構です。
「武勇」。
株式会社武勇
株式会社武勇を営む保阪家は、江戸時代末期頃に越後国(新県県)から結城に移り住んで以来、代々酒造業を営んできました。
店舗である見世蔵は、二階建て・桟瓦葺きで、間口7間の前面に約半間の下屋庇が付き、東側は寄棟造り、西側は切妻造りです。1階は左寄りにガラス戸を建てて出入り口とし、その右を格子窓とします。出入り口以外は腰を石積みにしています。
2階は、中央左寄りに小さな格子窓があるだけで、軒も鉢巻を廻した単純な造りです。一部改装されてはいますが、建設時期は幕末と推定され、結城の見世蔵の中でも、最も古い遺構として貴重な存在です。
この他、敷地内には脇蔵や製品蔵、仕込み蔵、旧釜場蔵、煉瓦造りの煙突など、明治期から大正期に建設された建物が現存しています。一部は使用方法が変わり、改装・改造されたものもありますが、いずれも現役で使用されており、結城の酒造りを今に伝える、貴重な建物群です。
※5月11日、近所の(「木町」交差点付近)、別の酒造会社である「結城酒造」で火災が発生し酒蔵2棟が全焼しました。
11日、茨城県結城市の「結城酒造」で火事があり、国の登録有形文化財となっている酒蔵2棟が全焼しました。 警察や消防によりますと、11日午後2時45分ごろ、茨城県結城市の酒造会社「結城酒造」で「ボイラーから出火した」と119番通報がありました。消防車など10台で消火活動を行い、およそ4時間半後の午後7時12分にほぼ消し止められました。けが人はいませんでした。 この結城酒造は創業1594年の400年以上続く老舗で、酒蔵2棟と煙突が国の登録有形文化財となっていますが、このうち、1800年代に建てられた酒蔵の「安政蔵」と「新蔵」の2棟が全焼したということです。
(「日テレニュース・2022年5月11日放送」より)
結城を訪問してわずか1週間後のできごとでした。支援の動きが広がっているそうです。
11日、茨城県結城市の酒造会社で国の登録有形文化財となっている江戸時代の酒蔵などが全焼した火事から一夜明け、地元では酒造会社を応援したいと酒を買い求める人が相次ぐなど、支援の動きが広がっています。
11日午後、結城市の「結城酒造」から火が出て、江戸時代に建てられ、国の登録有形文化財となっていた2棟の酒蔵が全焼するなど、およそ1100平方メートルが焼けました。
大正時代から結城酒造と取り引きがあるという酒店には、11日夜から、酒を卸している全国の飲食店から酒造会社を心配する声が次々と届いているということです。
また、12日は朝早くから、地元の人が「応援したい」などとして次々と結城酒造の酒を買い求めに来ていました。
このうち70代の女性は、ふだんから結城酒造の酒を飲んでいるということで「お酒がおいしいだけでなく、酒蔵でコンサートを開くなどいろいろな取り組みをしている会社です。今は大変だと思いますが、早く再建してほしいですし、頑張ってほしいです」と話していました。
酒店の池田真社長は「地元だけでなく全国のお客様から、心配の声や何かできることがないかと問い合わせをいただいており、今は在庫がほとんどない状況です。地元のみんなで、復活を支えるために頑張っていきたいと思います」と話していました。
結城商工会議所の奥澤武治会頭は「地元だけでなく東京などにもファンが多く、結城市のまちおこしにも大変貢献していただいてきた。再興に向けてわれわれも協力していきたい」と話していました。
また、国の登録有形文化財となっている江戸時代の酒蔵などが全焼したことについては「この地域で最も古い酒蔵で、われわれも誇りに思っていたので残念でなりません」と話していました。
結城市では、地域の活性化につなげようと市内の歴史的な建物を会場に大型連休の期間などに、毎年、音楽祭「結いのおと」が開かれていて、結城酒造も会場の一つになっていました。
この音楽祭の実行委員長の野口純一さんによりますと、結城酒造には8年前から建物を会場として借りていて、ことしは今回の火事で全焼した国の登録有形文化財の新蔵の中でコンサートを行ったということです。
野口さんのもとには11日夜から、過去に出演したミュージシャンなどから「何かできることがあったら協力したい」といった声が届いているということです。
野口さんは「結城のまちの歴史や文化を市の外の人たちにも体験をしてもらうのが音楽祭の特徴だったので、なくてはならない施設の一つでした。さまざまなまちおこしの企画にいつも喜んでご協力いただき、大切な相談相手でしたので、なんとかまた元気になってほしいです」と話していました。
(この項、「NHKニュース5月12日」より)