百島百話 メルヘンと禅 百会倶楽部 百々物語

100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

能因芭蕉。

2015年11月07日 | 空木宝剣
もみじ葉を あつめて錦 龍田川

嵐吹く 三室の山の もみじ葉は
龍田の川の にしきなりけり
(能因法師 998~1050)
五月雨を あつめてはやし
最上川
(松尾芭蕉1644~1694)


能因も芭蕉も時代こそ違え、双方50年ほどの生涯。
よくぞ諸国行脚したものと、
自動車も新幹線も飛行機もない時速1里の時代に。

千秋楽。

2015年11月06日 | 空木宝剣
千秋の 夢の目覚めの 今朝なれば

今日が、昨日の続きならば変哲もなし。
今日が、十年前の明日ならば、びっくりポンや。
今日が、百年昔の明日ならば、お伽噺の夢百話。
今日が、千年万年億年の明日ならば、千秋楽萬歳楽不可思議。

幼老パラダイス。

2015年11月05日 | 百伝。
昨夕、NHKのローカル放送で幼稚園での「木育」を取り上げたニュース番組が放映されていました。

地元産の木材を使用したおもちゃ、食器、椅子、机、床等々、その温もりの心地好さに幼い子供たちが敏感に反応して、その場を離れないようです。

木育という言葉が、徐々に全国区で社会現象となる予感がします。

東京おもちゃ美術館館長の多田千尋さんの活動の貢献が大きいと実感しました。

さて、視点、話題を変えてみます。

人間形成のいちばん多大な影響を受ける時期って、高校や大学ではなくて、幼稚園や保育園だという定説があります。

もし、それが正しい定説ならば、履歴書には自分の卒園した幼稚園や保育園を記載した方がよいかもしれませんね。

百島幼稚園なんか、最高でした!

でも、行きたくなかった思い出もあります。

それを思い出してくれたのが、とあるデイサービスの施設を見学した際の出来事でした。

まるで、幼稚園のルーティングとほぼ同内容なのです。

最近、よく見かける高齢者施設からの送り迎えのバス。

あのバスが来ると、行きたくないと駄々をこねる高齢者が全国たくさん居られるとか・・日本の朝の日常光景なのだそうです。

人生の終末期間が、幼少期と同じような体験をするのは、何だろうね?

初めよければ、全てよし。

終りよければ、全てよし。

それがなければ、台無し。

日本社会の豊かさとなる核心が、そのあたりにあるのではないかな?・・という疑問符問です。

人生の始まりと終わりが、この世のパラダイスと成りますように♪

文化の日

2015年11月03日 | 千伝。
午前中、雨が降っていなければ、夜叉ケ池まで紅葉狩りに行く予定でしたが、中止。

お陰様で、今日は久しぶりにのんびり過ごすことか出来ました。

今日は、文化の日。

その語源は、英語ではカルチャー、畑を耕して作物を作る日だとか。

中国語では、武力に頼らず民衆を教化する事だとか。

訳したのは、坪内逍遙。

11月になると、目が赤く痛くなります。

再び強膜炎です。

そろそろ年末年始の勤務日程表の作成準備用意です。

仕事をしないとね!

そう言えば、昔の就活は大学4年生の10月1日が解禁でした。

今は、3年生の8月から解禁、でも遅いとか・・不思議です。

ぼくは、就職という仕事は、人生10年単位で全く新しい仕事に就いてもいいと考えるタイプの人間です。

生き甲斐があれば、転職も天職も同じかもしれません。

だから、息子には、自分探しで一生涯を終えてもいいような暴論を説いています。

その息子が生まれた時、夢見た事があります。

この子が大きくなった時、父子一緒、交代運転しながら、車で、日本から英国のスコットランドまでユーラシア大陸を横断旅行したいという計画がありました。

あれから20年が過ぎて、その時期がやって来ましたが、この夢も幻になりつつあります。

まず、体力的にも経済的にも無理、何よりも家内の大反対です。

老後の夢、どうしようかな?

それでも、ささやかに日本国内だけの小さなドライブを父子で楽しんでいます。

しまなみ海道やら東北一周やら、息子が改造した車で時折走り楽しんでいます。

これからも、こんな夢の続きでいいのかな?

文化の日に考えた人生の安全運転でした。

 

伊吹山で。

2015年11月02日 | 百伝。
人間生きていると、ハプニング、トラブル、アクシデント・・つきものです。

突然の事故・災害然りです。

先日、参加した防災会長会議で学んだことは「大きく構えて小さく収めよ」でした。

物事を必要以上に恐れたり、あるいは逆に全く怖れないのは簡単。

しかし、物事を正しく怖れることは難しい!ということだそうです。

例えば、もし大地震に遭遇した場合、どこに居る時が、いちばん多く確率的に起こり得るかというと自宅の寝室だとのこと。

だから安全安心のため自分を守りたいならば、周りに何も置かない、豆電球1つだけ置いておけばいいとのこと。

それから、独りでは寝ないということが、より安心する安全対策だとのことです。

生き延びるという観点から考えると不思議なことですが、100歳、120歳まで生きると宣言する方よりも、案外、早死にすると断言する人の方が長生きしている事が多いです。

数年前、心臓の病を患って緊急入院、しばらく入院している間、五木寛之さんと米原万理さんの死生感を著した書籍ばかり読んでいました。

米原さんはすでに若くして故人となっていますが、五木さんは、現在尚もご健在のようです。

僕自身、介護の現場を観て確信することがあります。

90歳以上、長生きして元気ある方々全員、同じ共通点があります。

足腰が強く柔らかいことです。

もう1つありますが・・整理中です。

とは言え、自分にもアクシデント、ハプニング、トラブルが、あれこれと起こりますが、その起因、原因を探ることには疎い部分があります。

昨日は、気分転換に琵琶湖湖畔まで。

日本三大弁財天の1つ竹生島を眺めに伊吹山まで出かけて参りました。



山々の中腹は、紅葉真っ盛りでした。





道すがら、琵琶湖と淡路島は、よく似ている事を思い出しました。

奥の細道を歩いた芭蕉は、月の美しさを借りなくても、伊吹山は、そのままでもよい。と詠んでいます。

そうかな?

月が織り成せば、より風光明媚な山になるはずです。

芭蕉は、琵琶湖側から眺めていないかもしれません。



生きていてよかったと思った日。

長生きしないと思った日。

故郷が恋しいと思った日。

伊吹山で息抜きした日。

感謝。