百島百話 メルヘンと禅 百会倶楽部 百々物語

100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

年の瀬

2013年12月29日 | 百伝。
子供の頃は、年の瀬が大好きでした。

慌ただしく過ぎてゆくのですが、何か、夢みたいなのが沢山詰まっているような時季に思えたです。

船乗りの父が帰ってくる・・そんな喜びもありました。

さて、年の瀬も押し迫ったこの時季に、日本年金機構から一枚の葉書が届きました。

62歳から受け取れる金額・・。

65歳から受け取れる金額・・。

・・??

そんな馬鹿な!!

老後の年金をあてにしているわけではありませんが、自分が受け取れる金額は、こんなに少ないの!!

「驚き、桃の木、山椒の木」・・状態です。

日本全国、今、ぼくと同じように憤慨している方は、かなりおられるのでは?

社会保険庁って、新年に向かう夢やら希望を壊すような詐欺行為をしているのでは?

ましてや、社会保険庁が行っていた数々の無駄無能の政策は、横領罪と同じなのでは?

・・老後生活の資金運営等、真剣に考えないと、声をあげないと・・日本は、ダメな国になります。

今更のように、父の言葉を思い出します。

「年金制度があるから、、金銭面で、親の面倒を見なくていいから、よい時代になった」とよく言ってました。

日本の年金制度が出来上がったのは、戦後になってからです。

それ以前の家族のカタチは、老いた親の生活の面倒を、子供が丸ごと支えていたのです。

父は、船員年金だけを貰っていました。

ほんとうは、戦争中、足の脛を銃弾が貫いていたので、傷痍軍人としての恩給、それ以前の軍属での恩給を含めると、かなりの金額となる年金を頂く資格もありましたが、一切、申請していませんでした。

・・知らなかったのかな?

・・「貰い得」という風潮が嫌いだったのかな?

今では、その理由が分かりませんが、父は、船員年金だけでも満足しているようでした。

だって、当時は、55歳から受給されていたのですから・・。

しかも、僕が、近い将来に受給されるであろう金額を比較するほどに、信じ難いことばかりです。

年の瀬に、こんなことを考えさせるような通知連絡をしてくる日本年金機構は、どういう組織なんだ?!

超高齢少子化社会は、たちまち貧民国家に変わる可能性が大きくなります。

社会福祉保証論のテキストを読みながら・・

これからの家族、我が子、その孫の時代になると、この日本という国は、どんな国になるのかな・・?

そんな複雑な想いを・・課題文に当り散らして書いています。