百島百話 メルヘンと禅 百会倶楽部 百々物語

100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

「ふるさと百島」からの伝言

2012年09月23日 | 百伝。
「百」は、口、日、白、一ノ九十九と連なり、笑、陽、水、福を備える縁起の善い文字です。

整理していると・・「再発見!ひろしまの100」という冊子が出てきました。

これは、10年ほど昔、広島県がNPO法人ひろしま生涯教育研究所に委託して、広島県内の「人物13、行事20、自然35、史跡22、まち並み10」の5分野をあわせて100を紹介した・・広島県の「観る、知る、学ぶ」百選を載せた貴重な記録冊子です。

これは、広島県の100に、尾道・百島を紹介した記念品として贈られてきた冊子です。

この100の最後に紹介されてある百番目が、「尾道の寺と町並み」でしたから、よかったです。

さて、「ふるさと百島」「ふるさと百島~くらしと うつりかわり~」という二冊の冊子も出てきました。

父も会員だった「百島ふるさと文化史研究会」が、2002年(平成14年)と2004年(平成16年)に編集・印刷・製本まで手掛けてある・・非常に貴重な故郷百島の歴史記録集と言っても過言ではありません。

百島の先輩先人の御苦労に頭が下がる想いと感謝の気持ちでいっぱいです。

現在の百島の人口は、江戸時代の宝永8年(1711年)の百島の人口587人とほとんど変わらないことも読めます。

明治5年(1872年)、百島に学校を設置・・この年は、明治政府が日本で初めて学制発布をした年でもあり、現尾道市内で最も早く設立された学校であるということも判ります。

明治時代・・泊地区にも尋常小学校があったようです。

大正時代・・青年訓練所、農補修学校(夜間)も開設されたようです。

昭和25年(1950年)、百島の人口は、2889人(593世帯)・・百島の人口がピークの年です。
昭和45年(1970年)、百島の人口は、2080人(562世帯)・・大阪万博開催の年です。
昭和50年(1975年)、百島の人口は、1854人(563世帯)・・「なごり雪」「木綿のハンカチーフ」がヒット。
平成10年(1998年)、百島の人口は、872人(426世帯)・・・1000人を割っています。

「秋分の日は、先祖を敬い、亡くなった人を偲ぶ日です」

・・と書いてあった「ふるさと百島」からの伝言でした。

合掌