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マラソンコースと未亡人

2012年09月14日 | 資本と社会の問題
仏教のテキストを読んでいると、不思議なタイトルと巡り合い、読まされてしまうこともあります。

今回のタイトル「マラソンコースと未亡人」も、その通りでした。

「頓知話」で知られる室町時代の名僧一休さんや沢庵漬けの考案者でもある江戸時代の名僧沢庵和尚のようなユーモアを思い出します。

「人生はマラソンである」という言葉があります。

風雨もあり、晴天もあり、山もあれば谷もあり、奢り高ぶらず、苦難にくじけず、自分のペースを守り、ただ黙々と走り抜くと、よい結果が出るという譬え話です。

それでは、そのゴールは、どこになるのでしょうか?

答えは、火葬場の門でした。

ひたすら、火葬の門に向かって、我々は走っているのだそうです。

その門は、遠くにならない、近づくばかりです。

今日よりも明日、今年よりも来年と門が、どんどんと近づいてきます。

もう、そこに門が見えてきても、スピードを緩めることもできない、足踏みをすることもできない、後ろ向きに走ることもできないのが、人生のマラソンコースなのだそうです。

そして、これこそが「生きている」という事だそうです。

生きているというのは、門に入っていないこと・・つまり、死んでいないという事だそうです。

未だに死んでいない人を、未亡(死)人と言うようです。

未亡人という語には、女性の意味もなければ、結婚して夫に死別した意味もないようです。

ただ、未だ死んでいない人というだけの意味だそうです。

老若男女、生まれたばかりの赤ん坊も、すべて生きている者すべてが、未亡人なのです。

百人万人・・生き方は、さまざま多種多様ですが、「死」のみは、普遍の不変であり、必然です。

だからこそ、未亡人であることを自覚して生き抜くことを、仏教は、教えているとの事でした。

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