段原中町4丁目 難波エミ子さんからの便り
「渡辺さん、お元気ですか? 青空天井を見上げながら、あなたのことを思い、涙しています。」
終戦当時16才。
青春を戦争とその後の混乱で過ごした世代。
難波エミ子さん、実は小生、あなたのことを知る由もないのです。
あなたと、母渡辺が親友だった時代。
広島に原爆が落とされる前の宇品や陸軍被服支廠、五日市の外れの洞雲寺での寄宿生活。
こっくりさんの話。
昭和3年12月28日生まれの母は、コロナ禍の令和3年4月4日に、この世を旅立ちました。
比治山のかげで爆風が弱められた段原界隈でも青空天井。
晩年、耳にたこが出来るほど、聞かされた難波エミ子さんの話。
昭和の終わり頃の都市開発で、すっかり様変わりした段原の街。
平成の世になって、いつしか音信が途絶えたようです。
父よりも、小生よりも早く、母と友人だった難波エミ子様。
今はの際の意識が朦朧とした時でさえ、「段原中町4丁目 ナンバ エミコさん」と声かけすると、かすかに目が動きました。
もしも、別の世で、昭和の若き日にフィードバックできましたら、仲良くして下さい。
戦争からも生き延びた母も、このコロナ禍を避けて、そちらに逝ったようです。
合掌