弱い立場の人、社会的弱者が活き活きと生きて行ける社会が、善い社会のはずです。
これは、都会と田舎の優劣、所得格差も含めて、住民地域性の優越格差も同様です。
振り返れば50年以上昔の昭和時代から日本の都市部と農村漁村の隔たりのない経済成長、東京の一極集中の弊害を、時の首相の佐藤さんも田中さんも福田さんも鈴木さんも宮沢さんの皆さん、首相の政治公約に掲げていました。
平成の時代になると、地方の時代として首都移転問題、日本の田舎を世界一流の田園文化圏の地方にすると、小泉純一郎さんは熱弁をふるっていました。
半世紀経ても、政治公約は達成されていません。
腐敗、虚偽、イジメ蔓延社会、それでも、隣国からのミサイル爆弾も内戦殺戮も起きていない平和国家を維持継続しています。
では、日本に生まれて幸せだったのかな?
と問われると、もっと人生に平等自由というチャンスを多く与えている国、青い鳥がいる幸せな国があるのかもと、考える事もあります。
善悪も貧富も、心が決めてゆくもの。
令和の時代に変わった途端にコロナ禍。
今年1月の寒い朝、電話口で母から「もうダメかも」というSOS の訴え。
そのまま入院して2か月後には危篤、亡くなった、その間、コロナ禍で面会禁止、面会制約の日々。
母の死後、四十九日過ぎても旨く言えませんが、何にも出来なかったという後悔が続いています。
それに比べて、父の死は悲しいのですが、案外気持ちが楽でした。
それは、父自身が自宅で看取られるという希望もあったし、死期が近づくまでそれなりに帰省して入浴の介助も行ったり、自己満足なのでしょうが、あの世への旅立つ父の手伝い、お見送りをしたというポジティブな想いがあります。
母は、この世への終い方、あの世への逝き方、旅立ちに満足していはないというネガティブな想いが消えません。
ピンピンコロリなんて極めて少人数で、健康寿命の境界線はヨタヨタとなり、老いていく不健康寿命の始まりは長くバタバタ、ドタドタと、最後にはドッタン、バッタンと寝たきりになってしまうのが一般的な寿命、生涯です。
死への旅立ちは想い、人生の経験でも年齢でもありません。
場が変われば、人間は変われる。
来週、ワクチン接種をする予定。
知り合いの施設では、ワクチン接種後の翌日、職員の半数以上の方が、熱発、体調不良で休んだとか・・・・効果があるのでしょう❗
もう四ヶ月はやく、ワクチン接種できていたならばなぁ、もっと満足ゆく延命、終活への親孝行が可能だったのではと。
心にもワクチン接種が必要です。