百島百話 メルヘンと禅 百会倶楽部 百々物語

100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

金の斧

2011年09月19日 | 易行難行修行
若い日に覚えたことや、習ったことは、なかなか色あせない。

まるで宝物のようである。

おそらくこれは、神からのプレゼントに違いない。

神から受け取ったものは、終生大切にしなければいけない。

「金の斧」のイソップ寓話のように、神はウソをつくものには、運命を開かない。

感謝をするものには、褒美を。

愚痴をいうものには、逆流を。

褒美と逆流を・・与えるのが神の仕事のようである。

最近、腰痛に苦しめられている。

腰痛の間は、心臓への圧迫感が消えて、持病を忘れているが、身体の動きが鈍い。

肉体は、生きていく乗り物であり、道具であるというのを痛感する。

職業に貴賎なしの意味が、ちがって解釈出来るようになった。

要するに、ロットの高い商売も、百円商売も、関係ない。

縁のある商売に、いかに熱心になるかだけだと思う。

折角、縁あっての仕事の火を燃やし、大火事にするか、クスぼってしまうかの違いのようである。

鮪(まぐろ)も、シラスも、大きさは違うが、儲けはどっちが大きいか分からない。

仕事を追及すれば、お金がついてくる。

だが、痛みも伴う。

金の斧が、宝物ではない。

「金の斧」の教訓が、宝物なのである。