百島百話 メルヘンと禅 百会倶楽部 百々物語

100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

山ゆき 島ゆき

2011年09月22日 | 易行難行修行
知り合いに、登山にはまっているご夫婦がいる。

最初に尾瀬ヶ原に行った事がきっかけだったという。

60歳くらいの人だが、清掃業を子供に任せて、山のブログを持っていて、情報交換しては自然探求に動くのだという。
 
母親の介護に疲れて、年を取って動けなくなるまえに、いろんな景色を見ておこうと思ったそうで、足が病院から逃げるように山に向かったとの事。

話しを聞くと、北海道から九州まで随分いっているようだが、白山での降るような星空は感動したとの事。

動かなくなった母親を介護してみて、自らが動き続けるためのエネルギーをもらうために、自然の中に踏み込んでいるようである。
 
最近、山で雪崩にあったりして遭難する事故もあとをたたないが、これらの人たちも、エネルギーを求めての山行きであろうが、危険なエネルギーもあることに注意しなければならない。
 
山あれば谷あり、安全の隣に危険ありが、この世の掟かも知れない。

さて、明日から三連休。

台風と小生の腰痛で、百島へ行けるかどうか思案していましたが・・摩訶不思議。

小生の腰痛も、だいぶよくなりました。

じっくり、腰の用心。

ゆっくり、帰省します。

お彼岸のお墓参り。合掌。

百島 旗色掌

2011年09月22日 | 百会倶楽部(日本「百」歴史探訪)
百島 海老呑地区の沖合いに小さな岩礁がある。

その名を「白石」または「旗石」という。

これは、中学生の時に、石山(軍殿山)に登った時に、福田地区の同級生から聞いた伝承話である。

むかし、おおむかし、十文字山の方から、大きな山の神・・龍のような蛇が、山を背負って、海の中を泳いでいたとか・・。

その時、山の神が、背負っていたのが、「白石」もしくは「旗石」だという。

小生は、何かを秘かに祀った祠に映る。

そして、何故・・「白」と「旗」が混在しているのか?

・・謎解きである。

嘉吉の乱後・・百島に赤松一族が逃れてきた。

それまでの赤松家の居城は、播州播磨の「白旗城」であった。

赤松一族が祀っていたのは「白旗八幡宮」「白旗観音」である。

つまりは、赤松一族は、赤(桃)旗の平氏一門ではなく、八幡宮に連なる白旗の清和源氏一門の流れを汲むのである。

百島の本村地区の八幡神社、福田地区のある貴船神社。

一方、平家一門は、瀬戸内海を制覇しており、百島の泊地区には厳島明神がある。

平家一門の氏神となる厳島神社は、毛利家一族まで連なるのである。

百島には、旗手(はたて)姓がある。

だが、泊地区には、村上姓も旗手姓もほとんどない。

かつて、泊堂の道ができるまでは、百島では、泊と福田・本村の文化風習が、少し異なるものがあったという。

こんな小さな百島の社会(世界)でも、源平の戦以来の無意識にテリトリーの構築区分がされていたのではないだろうか?

小生の個人的な憶測見解であるが・・

旗手のおじさんへ。

旗手姓のルーツは、読み書きの出来る神官か僧侶の身分ではなかったのかと考えるのです。

百島を安住の地となるべき(当時のネゴシエイターとしての)役割のような時代の旗手(きしゅ)として、旗手(はたて)姓を名乗ったのかもしれません。

尚、百島にある天理教、黒住教も、旗手一族の方によって継承されています。

さらに、平家の桃色赤旗に遠慮しながらも、「桃」島から「白」に似た「百」島を名付けたのは、旗手一族のご先祖の方かもしれませんね。

草々。



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白地に、赤く・・日の丸染めて・・日本の国旗の成り立ちである。