実家での葬儀は、手順もよく分からずバタバタと失敗も多くあり、ほんとうに手作りのような葬式でした。
でも、お通夜に父の横に並んで一晩中過ごしたり、40年ぶりに会えた同年代のいとこも駆けつけてくれたり・・泣いたり笑ったり・・ほんとうにいい葬儀でした。
父は、昭和の初期の子供の頃に、大阪の安治川沿いで暮らしており、まだ護岸はなく砂浜があって、よくそこで遊んだようです。
その後、市岡第一小学校に入学しています。
その時、皆洋服姿だったのに、一人だけ草履に着物の出で立ち姿で恥ずかしい思いをしたと・・自伝に書いています。
それでも当時日本一の商都大阪は、極楽のように楽しい空間時間だったのでしょう。
そんなエピソードを思い出させるかのような・・
父に申し訳けなく、最後の最後まで、同じような辛い思いをさせてしまった最後の旅立ちでした。
お寺で講話を聞いて、火葬場で父の骨を拾って実家に戻ると・・
三途の川を渡るためのお金、数珠、魔よけ・・そして白装束一式の服が、この世にありました。
つまり、父を着替えさせないまま、何も持たせないまま、浴衣着のまま棺桶に入れて、我ら兄弟は、火葬場へ運び、あの世へ送ったのでした。
大失策でした。
三途の川で、独りだけ出で立ちの異なる格好をした父・・立ち往生しているであろう父に、ただただ・・申し訳なく、あの世での無事を大切に祈っています。
ごめん・・父さん。
がんばれ・・父さん。
でも、あの父のことです。
どんなことがあろうとも、あの世のどんな難事でも、きっとくぐり貫ける(生き抜ける)知恵と勇気と覇気とユーモアがあると信じています。
そんな父親でした。
アリガトウ・・お父さん。
合掌。
でも、お通夜に父の横に並んで一晩中過ごしたり、40年ぶりに会えた同年代のいとこも駆けつけてくれたり・・泣いたり笑ったり・・ほんとうにいい葬儀でした。
父は、昭和の初期の子供の頃に、大阪の安治川沿いで暮らしており、まだ護岸はなく砂浜があって、よくそこで遊んだようです。
その後、市岡第一小学校に入学しています。
その時、皆洋服姿だったのに、一人だけ草履に着物の出で立ち姿で恥ずかしい思いをしたと・・自伝に書いています。
それでも当時日本一の商都大阪は、極楽のように楽しい空間時間だったのでしょう。
そんなエピソードを思い出させるかのような・・
父に申し訳けなく、最後の最後まで、同じような辛い思いをさせてしまった最後の旅立ちでした。
お寺で講話を聞いて、火葬場で父の骨を拾って実家に戻ると・・
三途の川を渡るためのお金、数珠、魔よけ・・そして白装束一式の服が、この世にありました。
つまり、父を着替えさせないまま、何も持たせないまま、浴衣着のまま棺桶に入れて、我ら兄弟は、火葬場へ運び、あの世へ送ったのでした。
大失策でした。
三途の川で、独りだけ出で立ちの異なる格好をした父・・立ち往生しているであろう父に、ただただ・・申し訳なく、あの世での無事を大切に祈っています。
ごめん・・父さん。
がんばれ・・父さん。
でも、あの父のことです。
どんなことがあろうとも、あの世のどんな難事でも、きっとくぐり貫ける(生き抜ける)知恵と勇気と覇気とユーモアがあると信じています。
そんな父親でした。
アリガトウ・・お父さん。
合掌。