Gomaler's~神社仏閣巡り~癒しを求めて

主に関西の神社仏閣巡りと御朱印集めが趣味です。

本経寺・まけきらい稲荷(2014年3月22日参拝)

2014-04-24 | 仏閣
篠山には「まけきらい稲荷」という変わった名前のお稲荷さんがある。

最初は稲荷神社かなと思っていたが、
現地に行ってみると「まけきらい稲荷」には、
日蓮宗の本経寺が本院であることが発覚。

というわけで、まずは本経寺へ。

ここには無料駐車場があります。



所在地:兵庫県篠山市河原町92
宗派:日蓮宗
御本尊:大曼陀羅御木像


【縁起】


慶長6年(1601)高崎の城主松平安房守信吉が実母(徳川家康姉)菩提の為、
家臣都築和泉に奉行を命じ、茨城県土浦の地に建立した寺で、
開山持経院日泉上人を派遣した大本山本門寺の末流となる。

元和5年(1619)松平安房守信吉、丹波篠山城主として転封の砌り、
本堂を解体し船に乗せ瀬戸内海に入り、加古川口より曳き舟に乗せ替え久下に着き、
そこから牛車にて陸送し、河原町の現在地に敷地を賜わり移築建立された。

山号寺号はそのままとし京都大本山妙顕寺の末寺となる。

土浦に建立された折り、松平伊豆守の代より城中で祭られていた稲荷大明神(吒枳尼天)像を、
本堂脇に小堂を建て、開山上人は日夜給仕されていたが、
この御神体お道具も移築の折り篠山に移され、王地山の地に奥の院として観請された。

城主信吉公亡くなられて後、その子忠国公が襲封されたが、
慶安2年(1649)忠国公明石城へ轉封となる。

その折り、永く当山にとどまり衆生を救うようにとの霊告があって本経寺、
王地山稲荷社とも篠山の現在地にとどまる事を許された。
次代松平康重公、青山公と歴代城主の帰依を受け現在に至る。


【山門】





【本堂】


本堂は入れませんでしたので、外でお線香をあげさせていただきました。

本堂参拝後、歩いてまけきらい稲荷へ。
駐車場がありませんのでご注意ください。


【大鳥居】



【参道】


約200段登っていきます。


【平吉稲荷社】



【稲荷社】



【妙見堂】


當山第15世日現上人代に勧請され、
左脇には加藤清正公大神祇、右脇には芸能上達の弁財天が祀られていました。


【鳥居】


到着です。


【拝殿】




奥の本殿は格子のシャッターでガッチリ守られていました。

中で御守とかいろいろ売っていましたが、
御朱印は無かったです。

御守には印がいろいろ押してあったので、
御朱印を期待したのですが。


【狛狐】



【稲荷社】







【平左衛門稲荷社】



【日車天王社】


これにて本経寺・まけきらい稲荷参拝終了。


【遺芳殿】






次のお寺に車で向かっていたら道を間違えて着いた。(^^;

どうやらここは戦没英霊が祀られているようだ。


戦争といえば「永遠の0」の小説を読んだけど、
戦争は二度としてはいけないと改めて戒められた。


無能で部下の命を何とも思わない上官の為に、
愛する女性、子供を残し死んでいく男達。

戦争における非情な運命の不条理に怒りを感じる。

それと同時に死んでいった男達の無念さを思うと胸が痛む。


天皇陛下の為、お国の為に死ぬのは男子の本懐という美名の元、
多くの兵士と国民を無謀な作戦により死に追いやった、
A級戦犯をはじめとする軍部の上層部の連中は許せないと思った。


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