Gomaler's~神社仏閣巡り~癒しを求めて

主に関西の神社仏閣巡りと御朱印集めが趣味です。

寛永寺(2014年12月7日参拝)

2015-01-14 | 仏閣
上野公園をチャリンコでひた走り寛永寺の根本中堂を目指す。

レンタサイクルをして本当に良かった。
絶対歩けまへん。(笑)



所在地:東京都台東区上野桜木一丁目14番11号
宗派:天台宗
御本尊:薬師如来
創建:寛永2年(1625)
開基:徳川家光


【歴史】
徳川家康、秀忠、家光公の三代にわたる将軍の帰依を受けた天海大僧正は、
徳川幕府の安泰と万民の平安を祈願する為、
江戸城の鬼門にあたる上野の台地に寛永寺を建立しました。

これは平安の昔、桓武天皇の帰依を受けた伝教大師最澄上人が開いた比叡山延暦寺が、
京都御所の鬼門に位置し、朝廷の安穏を祈る鎮護国家の道場であったことにならったものです。

寺号も延暦寺同様、創建時の元号を使用することを勅許され、寛永寺と命名されました。

やがて第三代の寛永寺の山主には、後水尾天皇の第三皇子守澄法親王を戴き、
以来歴代山主を皇室から迎えることになりました。

そして朝廷より山主に対して輪王寺宮の称号が下賜され、
輪王寺宮は東叡山寛永寺のみならず、比叡山延暦寺、
日光山万願寺(現輪王寺)の山主を兼任、三山管領宮といわれ東叡山に在住した。

その後、寛永4年(1627)には法華堂、常行堂、多宝塔、輪蔵、東照宮などが、
寛永8年(1631)には清水観音堂、五重塔などが建立されたが、
幕末の戊辰戦争では境内地に彰義隊がたてこもって戦場と化し、
官軍の放った火によって、全山の伽藍の大部分が灰燼に帰してしまいました。

さらに明治政府によって境内地は没収されるなど、寛永寺は壊滅的な打撃を受けたのです。
しかし明治十二年(1879)ようやく寛永寺の復興が認められ、
現在地(旧子院大慈院跡)に川越喜多院より本地堂を移築、
山内本地堂の用材も加えて根本中堂として再建されました。

また明治十八年(1885)には輪王寺門跡の門室号が下賜され、
天台宗の高僧を輪王寺門跡門主として寛永寺に迎え再出発したのでした。


【旧因州池田屋敷表門】






寛永寺に行く途中で見つけた門。

重厚なる見事な門でした。


【御堂】


墓地と寛永寺根本中堂の間にある場所にあった御堂。
こちらは非公開でした。


【徳川綱吉霊廟勅額門】






重要文化財に相応しい見事な門でした。




徳川将軍家綱、綱吉、吉宗、家治、家斉、家定と篤姫の墓所となっています。

基本的に非公開ですが、
秋に数日抽選に当選すれば参拝出来るそうです。


【山門】


勅額門を堪能し寛永寺に到着。


【境内】


思ってた以上に狭い境内で、大きな伽藍は根本中堂のみ。

もっと大きな伽藍が沢山あると思ってたよ。
それでも境内の雰囲気はいい。


【根本中堂】






堂内は参拝は無料ですが、
撮影禁止でしたので画像はオフィシャルから拝借したもの。

見ての通り、素晴らしい堂内でした。
伝教大師最澄上人の御自刻とされる薬師瑠璃光如来像は秘仏でしたが。


【イチョウ】



【書院】


幕末に十五代将軍徳川慶喜公が謹慎蟄居なされた葵の間があるそうです。

こちらも秋に徳川綱吉霊廟勅額門見学の際に見れるとか。


【鐘楼堂】



【了翁禅師像】





【尾形乾山墓碑・乾山深省蹟】





【慈海僧正墓】





【鬼瓦】







【地蔵尊】





【御朱印】


かなり達筆です。


関西でも知られる寛永寺。
その根本中堂の内陣は非常に良かったです。


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