Gomaler's~神社仏閣巡り~癒しを求めて

主に関西の神社仏閣巡りと御朱印集めが趣味です。

高天寺橋本院(2013年11月16日参拝)

2014-01-02 | 仏閣
高天彦神社を参拝する前に橋本院へ向かう。

30号線を右折し里山へ入っていく。

これが進めば進む程細い道になっていく。

この先を進んでいいの?って思う道で、
思わず停めれる場所に車を置いて、
車で行けるかどうか歩いて確認したほど。(^^;

車でも行けることが分かって進んでいきましたが、
道中は一車線の道が続くのでちょっと緊張した。

まぁ、ほとんど対向車が来ることは無い所なんで、
心配するほどのことはないんですけどね。

近くの無料駐車場に車を停めていざ参拝。


所在地:奈良県御所市高天350
宗派:高野山真言宗
御本尊:十一面観世音菩薩
創建:延宝5年(1677)
開山:行基



【白雲嶽】


葛城古道周辺から見る風景は本当に癒されます。


【遠景】



【歴史】
高天寺は奈良時代に元正天皇の勅により行基が開いたとされます。
鑑真和上を住職に任命されるなど、孝謙天皇も深く帰依され
高天千軒と呼ばれる格式の高い大寺院で金剛転法輪寺七坊の一つとして
石寺、朝原寺などと共に権威を誇った寺であった。

又、葛城修験宗の根本道場として役の小角(634~701)の修行した寺でもあった。

時代の移り変わりとともに奈良の興福寺に属し、後に弘法大師の真言宗に属しました。

元弘の変以後、南朝についた高天寺の修験僧高天行秀らが
陰から援助していた事から北朝方の畠山基国や高師直らにことごとく焼き打ちされ、
延宝5年住職頼勇の手により高天寺の一子院橋本院として復興なるまで
350年余り衰亡の一途をたどっていた。

一院だけ残った院がちょうど池の橋の横にあったことから「橋本院」と呼ばれるようになり
このことから現在は「高天寺 橋本院」として信仰を集めています。


【山門】



【厄除修行大師尊像】



【不動堂】



【葛城古道】



【観音堂】




毎月21日にご開帳されます。


【天満宮】



【鎮守社】



【鐘楼堂】





【瞑想の庭】






四季おりおりの花が咲くそうですが、
この広い庭園を手入れするのは大変でしょう。

これからも頑張って維持してほしいですね。


【庫裏】



御朱印は無いと思われます。

吐田極楽寺(2013年11月16日参拝)

2014-01-02 | 仏閣
30号線をさらに数キロ南下。

極楽寺の看板を道路沿いで見つけたので寄ってみた。


所在地:奈良県御所市南郷1639
宗派:浄土宗
御本尊:
創建:天暦5年(951)
開山:一和僧都


【縁起】
開山一和僧都は18才の時、南都西塔院の増利僧都の弟子として仏門に入り後、
興福寺の座主に迎えられ、更に人皇六十二代村上天皇天暦4年(950)には
勅命により維摩会(維摩経の講釈研究会)の講師となられ、
学徳共に秀で、その徳望は広く諸宗に聞えて居りました。

併し上人は名利を厭い専ら修行修学の為静寂なる地を求めて居られました。

或る時、金剛山の東麓に毎夜光を放つを遥かに望見せられ、
奇異の思いの中にその出所を探し求められました処、
そこから仏頭(弥陀仏の頭)が発掘されました。
生身の仏様のようであったと申します。

上人は不思議な事に驚き、これこそ有縁の地と考へられ 
仏頭山と呼び発掘の仏頭を本尊として草庵を結び法眼院と名付けられました。
時に天暦5年(西暦951)今を去る壱千余年前の事です。
 
上人は愈々浄業を修し念仏の功を積み、屡々極楽の相を感見し、
一条天皇の正暦5年(993)紫雲たなびく中に
仏の来迎を受けてこの地に大往生を逐げられました。

依って当寺を仏頭山法眼院極楽寺云はれるのは、
此のような縁起によると云はれて居ります。


【遠景】


要塞のようである。


【鐘楼門】


ほほ~、
これは変わった山門で印象的だ。




よく見ると上に鐘楼が吊られていた。

400年前の筒井順慶による戦火や第二次世界大戦から免れたもの。


【本堂】




残念ながら閉まったまま。


【天得堂】


霊仏と仰がれる天得如来の絵が祀られているそうです。

毎年4月15日には天得如来のお会式が行われ開帳されるとか。


【庭園】


綺麗に手入れされている庭園で、
これは相当お金がかかっていると思われます。


【開山堂】



お寺の方が御不在で御朱印の有無は不明です。

とにかく境内が綺麗にされているのが印象に残るお寺であった。