ようやくガラケーからスマホにしました。
馴れない内は文字打つのが上手くいかずイライラしますね。
でも、ソフトバンクからドコモにキャリア変更したら、
4万円分の商品券を貰ったのでラッキー♪
キャリアは釣った魚にはエサをやらないから、
これからは2年おきにキャリア変更しようかな。(笑)
ま、そんな前置きはおいといて、
今日から伊豆一周するツアーに参加です。
以前のツアーでは岐阜羽島から6時間以上もかけてバスに乗ってきましたが、
今回は新富士駅まで新幹線なんで楽ですわ。
参拝する社寺は修禅寺、日枝神社、三嶋大社となります。
【富士山】
新富士駅から見た富士山です。
やっぱり富士山は最高やね。
毎日富士山を見れる人達が羨ましい。
【奥石廊崎】
まずは修禅寺に向かう前に伊豆半島最南端の奥石廊崎へ。
画像はスマホで撮ったものです。
下手なデジカメより綺麗に撮れるんですね。
なかなかの絶景を見た後はいよいよ修禅寺に向かいます。
所在地:静岡県伊豆市修善寺964
宗派:曹洞宗
御本尊:大日如来
創建:(伝)大同2年(807年)
開基:(伝)空海
札所:伊豆八十八ヶ所霊場巡り
【沿革】
弘法大師に依って開創。
当時は地名が桂谷と呼ばれていたところから桂谷山寺といわれ、
伊豆国禅院一千束と正史に記されたほどの格式の高い寺だった。
その後約470年間は真言宗として栄えました。
鎌倉時代になり中国から蘭渓道隆禅師が入山して臨済宗に改宗。
臨済時代は二百数十年間続きました。
やがて室町時代の1489年に韮山城主北条早雲が渓繁紹禅師を住職として
遠州の石雲院から招き曹洞宗に改宗。
建長年間(1250年頃)に蘭渓道隆が住し、
桂谷の風致が支那の廬山に似ていることから当時は肖廬山と号した。
南北朝時代の康安元年(1361)になって、畠山国清と足利基氏との戦禍を受け、
応永9年(1402)には火災を蒙り、伽籃を全焼して寺は荒廃し衰退した。
文久3年(1863)に再び伽藍や宝物の多くを焼失、
明治13年から同20年にかけて本堂などを再建。
その後専門僧堂として多くの禅僧を輩出し現在に至る。
夏目漱石の小説修善寺の大患や、
岡本綺堂の戯曲修善寺物語の舞台になったことでも名高い寺です。
【独鈷の湯】
多くの人が足湯を楽しんでおりました。
私の家族は私が修禅寺を巡っている時に温泉に入っておりました。
【山門】
絶賛工事中。(泣)
写真を見る限り趣ある山門だっただけに残念です。
【紅葉】
見頃でした。(^^
【鐘楼堂】
鐘楼堂の周りは紅葉で彩られ、
恰好の撮影スポットとなっていました。
【竹林】
紅葉と竹林の緑のコントラストが美しい。
まるで京都の観光寺院のようである。(褒め言葉)
【境内】
【本堂】
本堂参拝後、方丈の庭園が特別公開しているとのことで
拝観料200円を支払って本堂裏へ。
何でも檀家さんでも普段は入れないと、
しつこく宣伝されていました。(^^;
【東海第一園】
大正天皇が東宮(皇太子)にあった明治40年にこの庭園をご覧になり、
東海第一の庭園であると仰せられたことから、
東海第一園と呼ばれるようになった名園。
確かに見事な庭園であります。
庭の美しさが紅葉の美しさとあいまって、
それはもう言葉にならないぐらいでした。
【檀信徒会館】
【達磨】
【御朱印】
馴れない内は文字打つのが上手くいかずイライラしますね。
でも、ソフトバンクからドコモにキャリア変更したら、
4万円分の商品券を貰ったのでラッキー♪
キャリアは釣った魚にはエサをやらないから、
これからは2年おきにキャリア変更しようかな。(笑)
ま、そんな前置きはおいといて、
今日から伊豆一周するツアーに参加です。
以前のツアーでは岐阜羽島から6時間以上もかけてバスに乗ってきましたが、
今回は新富士駅まで新幹線なんで楽ですわ。
参拝する社寺は修禅寺、日枝神社、三嶋大社となります。
【富士山】
新富士駅から見た富士山です。
やっぱり富士山は最高やね。
毎日富士山を見れる人達が羨ましい。
【奥石廊崎】
まずは修禅寺に向かう前に伊豆半島最南端の奥石廊崎へ。
画像はスマホで撮ったものです。
下手なデジカメより綺麗に撮れるんですね。
なかなかの絶景を見た後はいよいよ修禅寺に向かいます。
所在地:静岡県伊豆市修善寺964
宗派:曹洞宗
御本尊:大日如来
創建:(伝)大同2年(807年)
開基:(伝)空海
札所:伊豆八十八ヶ所霊場巡り
【沿革】
弘法大師に依って開創。
当時は地名が桂谷と呼ばれていたところから桂谷山寺といわれ、
伊豆国禅院一千束と正史に記されたほどの格式の高い寺だった。
その後約470年間は真言宗として栄えました。
鎌倉時代になり中国から蘭渓道隆禅師が入山して臨済宗に改宗。
臨済時代は二百数十年間続きました。
やがて室町時代の1489年に韮山城主北条早雲が渓繁紹禅師を住職として
遠州の石雲院から招き曹洞宗に改宗。
建長年間(1250年頃)に蘭渓道隆が住し、
桂谷の風致が支那の廬山に似ていることから当時は肖廬山と号した。
南北朝時代の康安元年(1361)になって、畠山国清と足利基氏との戦禍を受け、
応永9年(1402)には火災を蒙り、伽籃を全焼して寺は荒廃し衰退した。
文久3年(1863)に再び伽藍や宝物の多くを焼失、
明治13年から同20年にかけて本堂などを再建。
その後専門僧堂として多くの禅僧を輩出し現在に至る。
夏目漱石の小説修善寺の大患や、
岡本綺堂の戯曲修善寺物語の舞台になったことでも名高い寺です。
【独鈷の湯】
多くの人が足湯を楽しんでおりました。
私の家族は私が修禅寺を巡っている時に温泉に入っておりました。
【山門】
絶賛工事中。(泣)
写真を見る限り趣ある山門だっただけに残念です。
【紅葉】
見頃でした。(^^
【鐘楼堂】
鐘楼堂の周りは紅葉で彩られ、
恰好の撮影スポットとなっていました。
【竹林】
紅葉と竹林の緑のコントラストが美しい。
まるで京都の観光寺院のようである。(褒め言葉)
【境内】
【本堂】
本堂参拝後、方丈の庭園が特別公開しているとのことで
拝観料200円を支払って本堂裏へ。
何でも檀家さんでも普段は入れないと、
しつこく宣伝されていました。(^^;
【東海第一園】
大正天皇が東宮(皇太子)にあった明治40年にこの庭園をご覧になり、
東海第一の庭園であると仰せられたことから、
東海第一園と呼ばれるようになった名園。
確かに見事な庭園であります。
庭の美しさが紅葉の美しさとあいまって、
それはもう言葉にならないぐらいでした。
【檀信徒会館】
【達磨】
【御朱印】