30号線をさらに数キロ南下。
極楽寺の看板を道路沿いで見つけたので寄ってみた。
所在地:奈良県御所市南郷1639
宗派:浄土宗
御本尊:
創建:天暦5年(951)
開山:一和僧都
【縁起】
開山一和僧都は18才の時、南都西塔院の増利僧都の弟子として仏門に入り後、
興福寺の座主に迎えられ、更に人皇六十二代村上天皇天暦4年(950)には
勅命により維摩会(維摩経の講釈研究会)の講師となられ、
学徳共に秀で、その徳望は広く諸宗に聞えて居りました。
併し上人は名利を厭い専ら修行修学の為静寂なる地を求めて居られました。
或る時、金剛山の東麓に毎夜光を放つを遥かに望見せられ、
奇異の思いの中にその出所を探し求められました処、
そこから仏頭(弥陀仏の頭)が発掘されました。
生身の仏様のようであったと申します。
上人は不思議な事に驚き、これこそ有縁の地と考へられ
仏頭山と呼び発掘の仏頭を本尊として草庵を結び法眼院と名付けられました。
時に天暦5年(西暦951)今を去る壱千余年前の事です。
上人は愈々浄業を修し念仏の功を積み、屡々極楽の相を感見し、
一条天皇の正暦5年(993)紫雲たなびく中に
仏の来迎を受けてこの地に大往生を逐げられました。
依って当寺を仏頭山法眼院極楽寺云はれるのは、
此のような縁起によると云はれて居ります。
【遠景】
要塞のようである。
【鐘楼門】
ほほ~、
これは変わった山門で印象的だ。
よく見ると上に鐘楼が吊られていた。
400年前の筒井順慶による戦火や第二次世界大戦から免れたもの。
【本堂】
残念ながら閉まったまま。
【天得堂】
霊仏と仰がれる天得如来の絵が祀られているそうです。
毎年4月15日には天得如来のお会式が行われ開帳されるとか。
【庭園】
綺麗に手入れされている庭園で、
これは相当お金がかかっていると思われます。
【開山堂】
お寺の方が御不在で御朱印の有無は不明です。
とにかく境内が綺麗にされているのが印象に残るお寺であった。
極楽寺の看板を道路沿いで見つけたので寄ってみた。
所在地:奈良県御所市南郷1639
宗派:浄土宗
御本尊:
創建:天暦5年(951)
開山:一和僧都
【縁起】
開山一和僧都は18才の時、南都西塔院の増利僧都の弟子として仏門に入り後、
興福寺の座主に迎えられ、更に人皇六十二代村上天皇天暦4年(950)には
勅命により維摩会(維摩経の講釈研究会)の講師となられ、
学徳共に秀で、その徳望は広く諸宗に聞えて居りました。
併し上人は名利を厭い専ら修行修学の為静寂なる地を求めて居られました。
或る時、金剛山の東麓に毎夜光を放つを遥かに望見せられ、
奇異の思いの中にその出所を探し求められました処、
そこから仏頭(弥陀仏の頭)が発掘されました。
生身の仏様のようであったと申します。
上人は不思議な事に驚き、これこそ有縁の地と考へられ
仏頭山と呼び発掘の仏頭を本尊として草庵を結び法眼院と名付けられました。
時に天暦5年(西暦951)今を去る壱千余年前の事です。
上人は愈々浄業を修し念仏の功を積み、屡々極楽の相を感見し、
一条天皇の正暦5年(993)紫雲たなびく中に
仏の来迎を受けてこの地に大往生を逐げられました。
依って当寺を仏頭山法眼院極楽寺云はれるのは、
此のような縁起によると云はれて居ります。
【遠景】
要塞のようである。
【鐘楼門】
ほほ~、
これは変わった山門で印象的だ。
よく見ると上に鐘楼が吊られていた。
400年前の筒井順慶による戦火や第二次世界大戦から免れたもの。
【本堂】
残念ながら閉まったまま。
【天得堂】
霊仏と仰がれる天得如来の絵が祀られているそうです。
毎年4月15日には天得如来のお会式が行われ開帳されるとか。
【庭園】
綺麗に手入れされている庭園で、
これは相当お金がかかっていると思われます。
【開山堂】
お寺の方が御不在で御朱印の有無は不明です。
とにかく境内が綺麗にされているのが印象に残るお寺であった。
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