こころの羅針盤

私の人生に待ちうける「意識」の大海原・・・心と身体と魂と、日々の感情生活を語ります。

臆することなく語りたい

2015年05月26日 | 螺旋状に上昇する意味
愛するとはどういうことか?と問われたならば、
愛するとは、対象を出来る限り正確に観ること、
私にとっては、目の前の対象を正確に認識することであると答えます。
愛することについて以前から私はそのように考えてきました。

寝ぼけて過ごすことが大半であったとしても、
生きることに目覚めている限りにおいては、
私の日常生活、日々刻々の生の営みのすべては
「対象を正確に」観るための修養の機会なのだと思っています。

生き甲斐の心理学の学びも対象を正確に観るために、
そのような心を養うために学び続けているのです。
愛するとは対象を正確に観ることであると、
ずっと以前にレポートの中で書いたことがあったような気もしますが、
最近は意識に上げることもなく、つまり、
寝ぼけモードで歳月を過ごしていたということなのだと思います。

何事にも時があり 天の下の出来事にはすべて定められた時がある。
生まれる時、死ぬ時  植える時、植えたものを抜く時
殺す時、癒す時  破壊する時、建てる時・・・ 
*コヘレトの言葉より

目覚める時、眠る時 大事を思い出す時、忘れる時。。。
或る日の勉強会で、思わず口から出た言葉、
愛するとはどういうことかを明快に主張している自分にハッとして
しばし忘れていた大事なコトを思い出したのでした。
私というフィルターに付いた余分なゴミや埃、知らず知らず溜まる塵。
フィルターを快適に機能させるために心の防衛機制や現実吟味の傾向、
感情生活の傾向、日々の心の在りようを見つめる作業は欠かせません。

フィルターが快適に機能してはじめて、
目の前の対象を正確に認識することも叶うと信じています。

その日はそれぞれが、いつもより深いところからの自己開示が成ったようでした。
愛するとはどういうことか?誰にとっても大切なコト、
心の奥深い場所で息づいているはずの大事なコトを、
臆することなく素直に自己開示できる場所でありたいと、
勉強会を続けてゆく意味をあらためて感じているところです。


生涯学習 ブログランキングへ
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 根本的な問題。。。 | トップ | 大切な問い、悔いのない人生... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

螺旋状に上昇する意味」カテゴリの最新記事