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またも見せた成長(永井雄一郎)

2008-04-14 20:16:49 | 浦和レッズ
このブログでは、毎年成長を続ける選手と何度か書いてきた、永井雄一郎選手の話をします。2005年はクロスの精度、2007年は大舞台の勝負強さと、何かしらサポーターにインパクトを与える永井ですが、今年はトップ下というポジションを自分のものにする勢いです。しかも、売り物が広い範囲をカバーする運動量ときています。

また、ドリブルの切れも冴えていて、鹿島がDFを一人減らした最終ラインを面白いように切り裂きました。入団当初の永井は、当時日本代表だった井原、小村の守る横浜MのDFラインに果敢に勝負を挑み、置き去りにした伝説的プレーを記憶なさっている方も多いでしょう。

ただ、当時は体力面で弱く、連戦が続くと次第に切れがなくなってきました。また、シュート技術も高くなく、新人の1997年には3点取っていますが、当たり損ねのシュートも目立ちました。1998年にドイツ2部のカールスルーエにレンタル移籍して、ヘディングに強くなって帰ってきましたが、チームがJ2落ちしたこともあって、永井の存在感は薄くなっていました。

しかし、そんな永井の成長を確かに感じたのは、2003年の開幕戦の鹿島戦でした。エジムンドが退団騒動を起こしていた幸運もあって、開幕スタメンを手にした永井は、トップ下に入った長谷部のパスから、強烈なシュートを放ちました。得点にはなりませんでしたが、永井がシュートスピードを上げたことは私の記憶に刻まれました。

この年は日本代表にも選ばれ、韓国戦で幸運なゴールも決めています。また、今回の永井の好調さを見て、思い出すのは2005年に清原が通っていたトレーニングジムで、肉体改造に着手したことです。筋肉の量を増やした永井は、入団当初のひ弱さが消え、ドリブルで70メートルを独走する印象的なゴールを決めています。

ただ、そんな永井も、2006年には出番が減りました。当時のブッフバルト監督がワシントンの1トップを採用したためで、永井は甲府からオファーが来たりしていましたが、2007年も残留しました。この決断は、永井がACLでMVPを取ったことで、正しかったことになりました。

今年、運動量という新たな武器を手に入れた永井は、ひょっとすると大ブレイクもあるかもしれません。遅咲きではありましたが、福田の背番号9を継がせたクラブの判断は正しかったと思います。
コメント
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