Kobby loves 埼玉&レッズ

埼玉と浦和レッズを愛する管理者のブログです。

オリエンテーリングの思い出

2008-04-09 21:05:14 | 他スポーツ
運動部経験者だと、勝つことに生活のすべてを注ぎ込むという経験があると思います。私はオリエンテーリングをやっていたのですが、これが野山の激しい斜面を気力で駆け上がることもある、激しいスポーツです。ただ、地図と現地を正確に対応できないと、とんでもない方向へ行ってしまうので、気合いを入れるのは上り斜面だけで良く、あとは醒めた心を持っていることが大事なスポーツです。

この勘所が、若い頃はわかりませんでした。闇雲に気合いばかりを強調しては、変な方向へ行ってしまう悪循環で、成績は一向に上がりませんでした。また、オリエンテーリングのスタートは、冬期五輪で行われる、距離スキーのスタートに似ていて、1分間隔の時差スタートです。

箱根駅伝のように、前にいるライバルを抜けばよいというものではなく、時間が相手の孤独な戦いです。ただ、不調に陥ると、10分以上も後にスタートした選手に追い付かれたりします。まさか、この選手に追い付かれるとはという思いは、ランナーの心に微妙な影を落とします。

また、人間とは弱いもので、後ろから有力ランナーが来ると、チェックポイント(オリエンテーリングでは何箇所かチェックポイントがあって、これを全部回らないと完走にならない)を探す手間を省こうと思い、思わず後をつけてしまうこともあります。成功することもありますが、失敗例も多く、途中でしっかり地図を見ていないと相当復活は厳しくなります。

こんな、微妙な心理戦が毎週山の中で繰り広げられているのですが、私は体力面は後からついてきましたが、心理戦には負けてばかりでした。そのため、大した選手にはなれなかった私ですが、一度だけ活躍したことがあります。

それは、最後の最後、大学4年の大学選手権でした。大学界の頂点を争う、選手権そのものへの出場を目標にしていた私にとっては、無念の一般クラスでしたが、この日は変なプレッシャーに打ち勝つことができて、表彰台に上がることができました。

この日のために、月間走行距離を延ばし、規則正しい生活を送っていた成果は出たのです。努力は報われると、多くの仲間が励ましてくれたことも思い出です。会社の仕事が忙しくなって、体調をベストにもっていけなくなってやめましたが、28歳まで走り続けたのは自分の財産です。今は病気でだめですが、いつの日か、またどこかを走ってみたいものです。
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