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水戸からJ1へ(冨田大介)

2008-03-11 20:08:50 | 他チーム
今日は浦和の選手のネタが浮かばなかったので、一昨日のNACK5スタジアムで好プレーを見せた大宮のDF、冨田大介選手の話題にします。実は、冨田と浦和には意外な接点があり、水戸時代の冨田がJ2リーグデビューを果たしたのは、2000年の駒場での開幕戦の浦和戦です。

あの当時は、格下戦術に徹した水戸が1トップを残して全員で引いてきました。浦和にとってはなかなか破れない壁でしたが、その壁の中にのちのJ1のレギュラーがいるとは、当時はまったく思いませんでした。ただ、水戸というチームは、経済的に苦しく、選手に十分な給料を払えません。

そのため、水戸で左SBのポジションを不動にした冨田が選んだ道は、当時J2の大宮への移籍でした。前年度に低迷していた大宮は主力選手を大幅に入れ替えていて、冨田は左SBのポジションを手中にしました。おそらく、水戸から大宮へ行けば、給料は倍近くになったことでしょう。

大宮のCBは長年トニーニョと奥野の指定席でしたが、冨田は上背の割には強いそのヘディングを評価されて、どちらかが欠場した場合の代役に入ることもありました。大宮のセットプレーはトニーニョが最大の脅威でしたが、冨田も決して警戒を怠れない相手で、浦和も2005年の天皇杯準決勝のロスタイムに一時同点とされるヘディングシュートを食らっています。

ただ、冨田はSBとしては、そんなに前に行くタイプではありませんでした。正直、補強ポイントにされても仕方ないと思っていました。しかし、2006年シーズンに、奥野の調子が落ちました。このチャンスでCBに入った冨田は、得意のヘディングでポジションを奪いました。

冨田がCBに入ったことで、チームの編成にも影響を与え、高さとパワーのトニーニョを、カバーリングタイプのレアンドロに置き換えるという大宮にとっては一大変革がありました。一昨日の新潟戦も、冨田はレアンドロと協力して、局面の強さを見せて相手FWの矢野やアレサンドロにいい形でヘディングをさせませんでした。

新潟の攻めの形が出来上がっていないことを差し引いても、冨田の守備は輝いていました。冨田は大宮では明るい性格でムードメーカーだと聞いたことがあります。水戸からの成功例として、J2の選手に希望を与える存在でいて欲しいです。
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