おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

2021-07-30 07:27:55 | 映画
「鳥」 1963年 アメリカ


監督 アルフレッド・ヒッチコック
出演 ティッピー・ヘドレン
   ロッド・テイラー
   スザンヌ・プレシェット
   ジェシカ・タンディ
   ヴェロニカ・カートライト
   ドリーン・ラング

ストーリー
突然、舞い降りてきた1羽のかもめが、メラニー・ダニエルズ(ティッピー・ヘドレン)の額をつつき飛び去った。
これが事件の発端だった。
不吉な影がボデガ湾沿いの寒村を覆った。
若い弁護士ブレナー(ロッド・テイラー)は異様な鳥の大群を見て、ただならぬ予感に襲われた。
そして、ほどなくブレナーの予感は現実となって、鳥の大群が人間を襲い始めたのだ。
アニー(スザンヌ・プレシェット)の勤める小学校の庭では、無数のかもめが生徒を襲撃した。
メラニーが恋人ブレナー家へ夕食によばれた夜、暖炉の煙突から、突然、すずめに似たフィンチが何百羽となく舞い込んできたが、ブレナーがやっとのことで追い払った。
どこからともなく飛来してくる鳥の群れは、ますます増える一方だった。
そして、ついに鳥による惨死者が出た。
農夫が目玉をくり抜かれて死んでいたのだ。
授業中のアニーは、ふいにメラニーの来訪を受け、外を見て足がすくんだ。
おびただしい鴉の群れが校庭の鉄棒を黒々とうずめていたからだ。
鋭い口ばしをとぎ、鴉の大群が小学生を襲った。
ブレナーの妹をかばったアニーは、無残にも鴉の群れにつつき殺された。
この襲撃を機に、今まで不気味な動きを見せていた鳥の大群が、せきを切ったように人家に殺到してきた。
顔といわず手といわず彼らの襲撃は凄絶をきわめた。
もはや一刻の猶予もない。
ブレナーは失神したメラニーを家族と一緒に車に乗せサンフランシスコへの脱出を決心した。


寸評
数あるヒッチコック作品の中でも好きな一編である。
何よりも鳥が人間を襲ってくると言うだけのシンプルな内容がいい。
ブレナーの母親が夫を亡くし、息子に好きな人が出来ると自分は見捨てられるのではないかという恐怖心を抱いて、相手の女性に冷たくしてしまうと言う姿が描かれたりもしているが、基本線は鳥の襲撃で得ある。
合成技術も鳥の素早い動きのこともあって違和感がなく、当時としては画期的と言えるほどの出来栄えだ。
モノローグの「ラブ・バード」にかかわるエピソードも導入部としてはユーモアもありスムーズな入りだ。

襲ってくる鳥は鷲のような大きな鳥ではないが、大群となると人間も太刀打ちできない。
蟻が大群でもって像を倒すことだってあるらしいし、パール・バックの「大地」ではイナゴの大群が農作物を食い尽くしていく様が描かれている。
小さな動物でも数万という数が集まると巨大な力を持つと言う事だろう。
流石に鳥だけに数万羽という数ではないが、徐々に数を増やしていく描写などは不気味感が出ている。
近頃、公園に行くとかなりの数でカラスがたむろしているのをみかけることがあるが、あれらが集団となって襲ってくることはないのだろうか。
カラスは知能が高いし、母性本能が強い鳥であるように思う。
僕は子供の頃、カラスの巣の巣から落ちたヒナを助けたら、親鳥が泣き叫び襲ってきたという経験を有している。
思わず逃げ帰った恐怖体験である。

ところで、アニーが先生を務める小学校が襲われ、近くの子供は家へ、それ以外の子供をホテルへ避難させるシーンがあるが、子供が襲われるシチュエーションとしてはちょっと無理があるのではないか。
そんな危険を冒すのではなく、校内にとどめて安全を期すのが常套手段だと思う。
それでは話にならないのだろうが、描き方はあったのではないか。
また、メラニーがブレナーの家の部屋で鳥の大群に襲われるが、このシーンでもメラニーを部屋から引っ張り出すだけのドアの隙間から一羽も侵入していないのも不自然に見えた。
いずれもアラ捜しの部類に入ることなのだが・・・。

メラニーが鳥によって大けがを負わされたこともあって一家は車で脱出していくが、ブレナー、母親のリディア、そしてメラニーの関係はその後どうなったのだろうと気になった。
鳥が人襲うというテーマを追求しているので、人間関係における確執は横に置かれたような感じだ。
それとも、人に潜んでいる恐ろしい心よりも、訳の分からないままに鳥の大群に襲われることの方が恐ろしいと言うことなのだろうか。
結局、鳥たちはなぜ人間を襲ったのかの謎は不明のままだ。
「ラブ・バード」も関係なかった。
自身の映画には必ず1シーンだけ登場するヒッチコックだが、今回は冒頭に出てくるので見逃がすことはない。
パニック・サスペンスと言っても良い中身だが、ここまで昇華されるとやはり拍手を送りたくなる。