おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

トッツィー

2021-07-14 07:52:01 | 映画
「トッツィー」 1982年 アメリカ


監督 シドニー・ポラック
出演 ダスティン・ホフマン
   ジェシカ・ラング
   テリー・ガー
   ダブニー・コールマン
   チャールズ・ダーニング
   ビル・マーレイ

ストーリー
実力はあるも演技への執着から役に恵まれない俳優マイケル・ド-シー(ダスティン・ホフマン)。
ルーム・メイトで脚本家志望のジェフ(ビル・マーレイ)と生活のためにウェイターをしている。
彼は女装して、TV局へ行きドロシー・マイケルズと名乗る。
ディレクターのロン(ダブニー・コールマン)はドロシーを見ただけで、もっとタフな女性が欲しいという。
そこでドロシーが怒ってみせると、プロデューサーのリタ(ドリス・ベラック)が気に入ってカメラ・テストをした上で採用となり、その時マイクは看護婦役のジュリー(ジェシカ・ラング)と知りあって一目惚れする。
ある日、ジュリーに台本の読み合わせを頼まれたマイケルは彼女の家へ。
そこで、彼女が未婚の母であることを知る。
やがて、ジュリーは父親レス(チャールズ・ダーニング)を紹介し、レスはドロシーにいかれてしまう。
そのうち、ドロシーに人気が出て来た。
ロンは相変わらず人を人とも思わぬ態度で、ドロシーにトッツィー(可愛い子ちゃん)と呼び掛けたりする。
ロンは横柄な男で、ジュリーをまるで恋人扱いしていない。
ジュリーはドロシーに感化されてロンと別れると言い出す。
そんな彼女にキスしようとして、レズビアンと思われてしまった。
しかも、レスからは求婚されるし・・・。


寸評
女装コメディとしてはビリー・ワイルダーの「お熱いのがお好き」という作品もあったが、「トッツィー」もそれに負けず劣らずの傑作コメディとなっている。
ダスティン・ホフマンが女装すればグロテスクになるかと思っていたら、意外や意外、味のある女性として立派に通用する女装であった。
マイケルは自説を曲げないトラブル・メーカーなのだが、女性になったことで彼の主張は女性の主張となり、男女平等を求めるものとなっていることが隠されている。
その意味では「トッツィー」はフェミニズム映画である。

何といってもダスティン・ホフマンだ。
女装が決まっていて、共演者の一人で医師役のジョンから惚れられ、ジュリーの父親のレスからも惚れられるというモテモテぶりがたまらなく可笑しい。
キス魔のジョンから逃れるシーンも可笑しいが、ジョンがロミオとジュリエットよろしく深夜に窓の下で歌声を響かせ、近所迷惑になるからとドロシーの部屋に招き入れられて起こる騒動はもっと可笑しい。
ジョンが強引にドロシーをレイプしようとしたところをルーム・メイトのジェフによって救われる。
ジェフをドロシーの恋人と勘違いしたジョンの慌てぶりには包括絶倒だ。
ジュリーの父親のレスは心からドロシーを好きになったようで、ウットリとした視線を送る姿には思わず薄笑いを浮かべてしまう。

ジュリーを好きになったマイケルは女同士ということで彼女と親しくなるが、名乗るに名乗れずヤキモキするのも面白いが、形を変えた純愛を感じさせるのがコメディを超えるものとなっている。
演出もさるものながら、ダスティン・ホフマンの演技力がそれをもたらせている。
マイケルがひたむきにジュリーに寄せる愛と対極にあるのが売れない女優のサンディである。
彼女はマイケルと肉体関係を持った間柄なのだが、いつも約束をすっぽかされている。
そのたびにマイケルは言い訳をするが、その言い訳はいい加減なものである。
時には彼の言い訳にジェフも加担する。
怒る演技が苦手なサンディだが、この時ばかりは本気で怒りまくる。
二人の女性の対比もこの作品を輝かせている。

それにしてもニューヨークという街には、描かれたような俳優を目指す男女が数多くいて、彼らはここで描かれたような生活を送っているのだろうなと思わせ、僕は彼らの姿に興味が湧いた。
圧倒的多くの者たちがマイケルやサンディの様になかなか役にありつけず、オーディションを受けまくっているのだろうなと思わせた。
演劇を目指している連中は多かれ少なかれ、彼らのような生活を送っているのかもしれない。
究極のフリーター、究極のフリーランスの世界を描いた映画でもあった。
いつかは明らかになるマイケルの女装だと分かってはいるが、しんみりさせないアッと驚く暴露に続くラストシーンは完全なラブ・ロマンスを感じさせて僕は何故だかほっとした気分になった。