おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

扉をたたく人

2021-07-20 07:26:20 | 映画
「扉をたたく人」 2007年 アメリカ


監督 トム・マッカーシー
出演 リチャード・ジェンキンス
   ヒアム・アッバス
   ハーズ・スレイマン
   ダナイ・グリラ
   マリアン・セルデス
   マギー・ムーア

ストーリー
コネチカットの大学教授ウォルター・ヴェイルは62歳。
最愛の妻を亡くしてから、心を閉ざして孤独に、日々無気力に生きていた。
ある時、ウォルターは学会出席のためニューヨークを訪れ、留守にしていた別宅のアパートへ向かうが、玄関を開けると、そこには見ず知らずのカップルがいた。
ここに引っ越してきたばかりというシリア出身の移民青年タレクとセネガル出身の恋人ゼイナブは、タレクの知り合いに騙されてこの部屋に住んでいたのだ。
彼らは警察だけは呼ばないでくれと頼み込み、素直に荷物をまとめて出て行く。
2人とも永住許可証を持たないため、警察沙汰になって国外追放されることを恐れていた。
だが、その日の宿もない彼らを見かねたウォルターは、当面、部屋を貸すことを申し出る。
タレクはその親切に感激し、自分の持っていたアフリカの太鼓=ジャンベをウォルターに教える。
ジャンベを通じて友情を深めていくウォルターとタレク。
最初こそ躊躇いを見せたウォルターだったが、大勢の仲間に囲まれて演奏するうちに、久しく忘れていた高揚感が蘇ってきて、その表情には生きることに対する喜びが溢れていた。
しかし帰り道、地下鉄の駅で思いがけない事件が起こる。
タレクが無賃乗車の容疑で逮捕されてしまったのだ・・・。


寸評
ジャンベという楽器が効果的で、独特のリズムがウォルターの心の変化を象徴的に描き出している。
ウォルターがためらいながらも交流を深めていく姿が印象的に描かれる。
9.11同時テロ以降のアメリカは何かしらおかしくなってしまったのではないか?
移民国アメリカは移民に対して寛容であったはずなのに、いつのまにか移民を排除するようになってしまったのではないか?
アメリカは何だかボンヤリと焦点の合っていない写真のような国になってしまったのではないか?
そんな疑問を投げかけているような気がした。
タレクの母モーナが強制送還されたタレクのためにシリアに去る空港の場面で、アメリカ国旗が最初からピンボケ
で写されるシーンが挿入されていたので、なおさらそんな風に感じた。
タレクもゼイナブもモーナもいい人たちだ。
それが敵か味方かの区分けだけで排除されてしまう世の中の理不尽さが伝わってくる

最後は切ない。
ウォルターは怒ったようにウォルターが叩きたかった場所でジャンベを叩く。
いったい彼は何に怒っているのか?
ウォルターはタレクのおかげで再生できたが、そうしてくれたタレクは再生することはできずに追放されることへの苛立ち、無力な自分には何もできなかった悔しさをジャンベにぶつけているのだ。
いくら親身な援助と行動をとっても、国家という強大な力の前には無力であることへの苛立ち。
そんな感情の表現としての演奏シーンだったような気がして、切なくはあるがなかなか印象に残るシーンだった。
モーナの夫が政治犯として拘束されて死亡した為に、モーナとタレクはアメリカに逃れてきた。
彼らは政情不安なシリアに帰らざるを得なくなったが、その後のシリアはもっと悲惨な状況になった。
モーナとタレクの親子はシリアで出会うことができたのだろうか。
出会えたとしてもシリア内戦の中で無事に暮らせることができたのだろうか。

映画はアメリカの移民政策を非難しているだけではない。
ウォルターの味気ない生活からの脱却も同時に描かれている。
ウォルターは大学教授のようだが講義は一コマしか受け持っておらず、講義も毎年同じ内容を繰り返しているだけで、共著となっている論文も名前を貸しているだけで、彼の活躍の場所はない。
彼が必要とされるのは、共著となっている相手の女性が出産の為に講演できない時の代役としてだけである。
亡き妻が得意だったピアノを習ってみようと思うが、才能がなくプライドの高い彼は先生を何度も代えている。
晩年の社会から見放されたような生活は、その人の人間性をなくしてしまう。
人には生きる目的、生き甲斐などが必要なのだ。
タレクの身を案じてニューヨークにやってきた彼の母親モーナとウォルターの出会いも描かれ、見方によっては都合のいいロマンスの挿入とも言えるが、それを感じさせないヒアム・アッバスの演技だった。
この人、「シリアの花嫁」でもいい演技をしていた。
中東の女性を演じる女優さんといえば彼女ということになるのかも。