おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

ドライビング Miss デイジー

2021-07-25 07:37:51 | 映画
「ドライビング Miss デイジー」 1989年 アメリカ


監督 ブルース・ベレスフォード
出演 ジェシカ・タンディ
   モーガン・フリーマン
   ダン・エイクロイド
   パティ・ルポーン
   エスター・ローレ
   ジョー・アン・ハヴリラ

ストーリー
1948年、夏。
長年勤めた教職を退いた未亡人のデイジー(ジェシカ・タンディ)は、ある日運転中に危うく事故を起こしかけ、母の身を案じた息子のブーリー(ダン・エイクロイド)は、彼女専用の運転手としてホーク(モーガン・フリーマン)という初老の黒人を雇う。
しかし典型的なユダヤ人で、元教師のデイジーには、専用運転手なんて金持ちぶっているようで気性が許さなかった。
どうしても嫌だと乗車拒否を続けるデイジーは、黙々と職務に励む飄々としたホークの姿に根負けし、悪態をつきながらも車に乗ることになる。
こうして始まったデイジーとホークの奇妙で不思議な関係は、1台の車の中で、やがて何物にも代えがたい友情の絆を生み出してゆく。
そして25年の歳月の流れの中で、初めてホークはニュージャージー州外を旅し、またデイジーはキング牧師の晩餐会に出席したりした。
いつしか頭がボケ始めたデイジーは施設で暮らすようになり、長年住み馴れた家も売ることになった。
しかしデイジーとホークの友情は、変わることなく続くのだった。


寸評
頑固で裕福なユダヤ系の老婦人と無学文盲ながら物静かな初老の黒人の物語ではあるが、背景には人種差別問題が横たわっている。
人種差別はアメリカ映画におけるひとつのテーマだが、この作品ではそれを声高に叫んでいるわけではない。
僕はアメリカにおける人種差別の実態を映画の中で描かれるものを通じてでしか知らないが、この作品の様に静かに描かれるとむしろ根深いものなのだと思えてくる。
劇中で老夫人のミス・デイジーが「私は人種差別主義者ではない」と言うにも関わらず、彼女は人種差別をしているという事実だ。
ミス・デイジーは教員だったこともあるインテリ層だし、キング牧師の集会にも出ている開明的な女性でありながら、潜在的な差別意識から抜け出せないでいる。
ミス・デイジーが聞きにいった集会で、黒人解放指導者のマーティン・ルーサー・キング牧師が「黒人が困難な立場にいるのは、悪意の白人の為だけでなく、善意の白人の無関心と無視による」と語るのが流れてくる。
これは無意識のうちに差別と偏見を生じさせていることを語っていて、ミス・デイジーも例外ではない。
黒人のメイドが亡くなり、ミス・デイジーは広い屋敷でホークと二人きりになり、彼を頼りにするようになっているが、相変わらずミス・デイジーはダイニングで食事をし、ホークはキッチンで食事を取っているのである。
主人と使用人という一線も保持しているのかもしれない。
遠くにいる叔父さんの誕生日パーティに行く途中で、一人で車に取り残されたミス・デイジーは不安になりながらも女主人としての威厳を保つ態度を取るなど、彼女はどこまでも可愛げのない老婆なのである。

日本人の僕は人種差別をわずかに感じながら、頑固な婆さんと人の良さそうな黒人のやり取りを楽しめた。
兎に角、ホークに対してだけでなく、息子にも高圧的な態度を崩さない婆さんなのだが、この婆さん役のジェシカ・タンディが面白い存在で光っている。
彼女の存在がモーガン・フリーマンの黒人運転手ホークが女主人に対して意見する面白さを引き立てている。
息子は縫製工場を経営している裕福な家庭で母親思いであるが、息子の妻は義母を快く思っていないし、ミス・デイジーも表面上は普通に接しているが本音の所では軽蔑さえしてそうで、嫁と姑の問題も感じさせる。
息子の妻は時たましか登場しないが、間に立つ息子の苦労もやんわりと描かれている。
なにもかも声高に叫んでいないのがこの映画の特徴でもある。
キング牧師の集会に誘われた息子が会社の立場から参加を断る場面でも母親から妻に対する嫌味を言われているのだが、息子はそれに対して声を荒げるようなことはせず受け流している。

季節の移り変わりを描写しながら年数経過を示しているが、女主人のミス・デイジー、運転手のホーク、デイジーの息子ブーリーが年齢を重ねていくメイクも素晴らしいと感じさせるものがある。
ミス・デイジーは認知症がでてきて老人ホームに入るようになる。
ホームにいるミス・デイジーはすっかり歳をとっている。
息子を追いやりホークと二人だけでいたいデイジーと、かいがいしく食べ物を口に運んでやるホークの姿が万感胸に迫るものがあるラストシーンとなっている。