おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

フィールド・オブ・ドリームス

2020-02-21 11:41:01 | 映画
「フィールド・オブ・ドリームス」 1989年 アメリカ


監督 フィル・アルデン・ロビンソン
出演 ケヴィン・コスナー   エイミー・マディガン
   ギャビー・ホフマン   レイ・リオッタ
   バート・ランカスター  フランク・ホエーリー
   ドワイヤー・ブラウン  ティモシー・バスフィールド
   ジェームズ・アール・ジョーンズ

ストーリー
ある春の夕暮れ、アイオワ州のとうもろこし畑で働いていたレイ・キンセラは、突然「それを建てれば彼がくる」という幻の声を聞き、畑をつぶして野球場を建てる決心をする。
妻のアニーは夫の思いを遂げさせようとレイを温かく見守るが、町の人々の反応は冷やかだった。
1年が過ぎたある日、娘のカリンが野球場に19年のワールド・シリーズにおいて八百長試合のかどで球界を追放されたシューレス・ジョーが現われるのを発見する。
その日を境に、シューレス・ジョーとともに球界を追放されたシカゴ・ホワイトソックスの8人のメンバーが次々と姿を現わした。
その時レイはまたしても「彼の苦痛を癒せ」という幻の声を聞き、彼は60年代の作家テレンス・マンを訪ねてシカゴヘ向かう。
そしてフェンウェイ・パークで野球を観戦中、レイとマンは電光掲示板に映ったメッセージを読みとり、今度はムーンライト・グラハムという野球選手を探すことになった。
2人はミネソタ州チゾムに彼を訪ねるが、すでにグラハムは亡く、その夜レイはなぜか60年代のムーンライト・グラハムと出会った。
しかしその頃アイオワでは、レイの野球場が人手に渡る危機を迎えようとしていた。
アニーからそれを聞いたレイは、マンとともに帰途につくが、道中ひとりの若き野球選手を車に乗せる。


寸評
ファンタジー作品ながら詩情豊かな作品で、野球をテーマにこのような作品を撮りあげるアメリカ映画界の底の深さを思い知らされる作品でもある。
日本のプロ野球でも八百長試合を巡る黒い霧事件というのがあって、池永という優秀なピッチャーが抹殺された。
池永もシューレス・ジョーと同様に、仕方なく一度は金を手にしたが返金して八百長はやらなかったようなのだが、疑わしきは罰するでプロ野球界を永久追放になった。
名誉が回復されたのはずっと後年のことであった。
古くからのプロ野球ファンにそんな事件を思い出させる作品でもある。

1919年のシカゴ・ホワイトソックスとシンシナティ・レッズによるワールドシリーズで、ホワイトソックスの8人の選手が八百長行為に加担していた事が明らかになった事件を知らなくても、テレンス・マンのモデルがジェローム・デイヴィッド・サリンジャーであることを知らなくても十分に楽しめる作品だ。
夢を追い求める人、安らぎを求めている人には見えるという幽霊が登場し、時にはタイムスリップして過去の時代に入り込むなどカルト的要素を持っているのだが、そのことでの違和感を全く感じさせない。
散歩に出たレイがムーンライト・グラハムと出会うシーンなどは幻想的だ。

とうもろこし畑をつぶして野球場を建てるということに賛成する妻などいるのかといったヤボな詮索は抜きだ。
優しい内容だが完全に男性向きの映画で、男ならジーンとするシーンが満載だ。
妻のアニーは夫の我儘ともいうべき行動を温かくどこまでも見守る。
こんな良妻を持ちたいと思うのは誰しもではないか。
ラストシーンでレイは若き父親とキャッチボールをするが、無言のキャッチボールでお互いの気持ちが通じ合う感覚は、男ならこれまた誰しもが感じたことのある気持ちではないかと思う。
ぐうたらなイメージしか持っていなかった父親だが、ここでの父は若くて颯爽としている。
妻と娘を紹介しキャッチボールを始めるシーンはジーンとくる。

レイは失っていた父への愛を取り戻すかのように、父の姿を追い続ける。
家族を思いあう愛の素晴らしさ、夢を追い続けることの素晴らしさがひしひしと伝わってくる。
娘のカリンが観覧席から落ち気絶した時に、若き日のムーンライト・グラハムが結界を超えてやってくる。
結界を超えると同時に医者となっている老いたムーンライト・グラハムに変身し、もう戻れなくなってしまった彼がカリンを診察するシーンなどにも愛を感じる。
ムーンライト・グラハムを探している時に、レイとテレンス・マンが交わした会話が伏線となっていて感動的だ。

キャッチボールする二人をアニーがライトのスイッチを入れて照らし出す。
カメラがパンするとカリンが言ったように、かつて感じた安らぎを求めて大勢の人がヘッドライトを灯して引き付けられるように野球場にやって来ている。
感動的なラストで、「ああ、野球っていいな」と囁きたくなる。
フィル・アルデン・ロビンソン渾身の一作で、この一作だけで名を遺すだろう。