おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

ヒューゴの不思議な発明

2020-02-15 10:59:30 | 映画
「ヒューゴの不思議な発明」 2011年 アメリカ


監督 マーティン・スコセッシ
出演 ベン・キングズレー
   ジュード・ロウ
   エイサ・バターフィールド
   クロエ・グレース・モレッツ
   レイ・ウィンストン
   エミリー・モーティマー
   ヘレン・マックロリー
   クリストファー・リー

ストーリー
1930年代、雪のパリ。モンパルナス駅の時計台に隠れて暮らす孤児ヒューゴ・カブレは、亡き父親が遺した壊れた機械人形とその修復の手がかりとなる手帳を心の支えとしている少年だった。
彼は駅の構内を縦横無尽に行き来して、大時計のねじを巻き、時にはカフェからパンや牛乳を失敬し、駅の中の人間模様を観察する毎日を送っていた。
ある日ヒューゴが機械人形を修理するための部品をくすねようとした時、店の主人ジョルジュに捕まってしまい、あの手帳も取り上げられてしまう。
ヒューゴは、店じまいをしたジョルジュの後を尾行し、そこでジョルジュ夫妻の養女であるイザベルという少女と知り合ったのだが、彼の話に興味を持ったイザベルは、手帳を取り戻す協力をしてくれるという。
明くる日、再び玩具屋でジョルジュと対峙したヒューゴは、壊れた玩具を元通りに修復することを命じられる。
ヒューゴは父親仕込みの修理の腕前を披露し、ジョルジュは玩具屋の手伝いをしたら手帳を返すと告げる。
仕事の手伝いを続ける中で、彼はイザベルとも仲良くなった。
機械人形はほとんど修理が済んでいたが、人形のぜんまいを巻くためのハート型の鍵が見つからなかった。
ところがヒューゴはある日、鉄道公安官に追いかけられるドタバタのあとで、イザベルが身に着けていたペンダントにまさしくハート形の鍵がついているのを発見する。
早速、機械人形に鍵を差し込みぜんまいを回してみると…人形はペンを片手にすらすらと絵を描きだした。
出来上がった絵には、月にロケットが突っ込んでいる様子が描かれており、それはかつてヒューゴの父が語ってくれた“ある映画”のストーリーそのままであった。


寸評
映画ファンならリュミエール兄弟やジョルジュ・メリエスの名前は聞いたことはあるだろうし、「列車の到着」や「月世界旅行」の断片を一度は目にしているのではないか。
リュミエール兄弟は、トーマス・エジソンと並び称せられるフランスの映画発明者で「映画の父」と呼ばれている。
世界最初の実写映画とされる「工場の出口」を制作し、また「列車の到着」ではカメラに向かってくる汽車を見て観客が大騒ぎしたという伝説を産んだとされている。
ジョルジュ・メリエスはフランスの映画製作者で、映画の創成期において様々な技術を開発した人物である。
“世界初の職業映画監督”と言われ、彼の最も有名な作品が1902年の映画「月世界旅行」ということである。
「ヒューゴの不思議な発明」は彼等へのオマージュであり先駆者への尊敬を表した作品と言える。
名前を聞いただけでくすぐられるし、現存するフィルムが映し出されると嬉しくなってくる。
映画ファンでよかったと優越感に浸ることが出来るのだ。
3Dを意識した映像がふんだんに盛り込まれているが、これを見たらリュミエールもメリエスも驚いただろう。

この映画の主人公はヒューゴという少年だが、監督のスコセッシがそれ以上に思い入れを持って描いた人物はパパ・ジョルジュという老人だろう。
映画黎明期を支えたフランスの映画監督であるこの実在の人物を、あえてフィクションの物語中で生き生きと描くことで、スコセッシが映画への愛と、メリエスへの感謝を表明した作品になっている。
劇中でも語られているが、メリエスは映画を芸術として昇華させた功労者だと思う。
映画作家としてのスコセッシが抱くメリエスへの尊敬の念が感じ取れた。

作品は少年が主人公なだけに子供も楽しめる内容となっている。
わかりやすいアドベンチャー的見せ場や、子供たちが胸踊るような設定が用意されている。
古めかしい駅の時計版の向こう側に、親のいない子供が1人でたくましく暮らすというのは、子供の誰もが抱く冒険へのあこがれとして胸がワクワクする設定だったと思う。
そしてスコセッシは子供たちにメッセージを送る。
それが表明されるのが、ヒューゴがイザベルに時計台で機械について語る場面だ。
ヒューゴは、機械には不要な部品が一つもないということを語り、町の中に住む人間も1人として不要な存在などいないんだということを語る。
我々は社会に必要とされて存在している。
個々人にはなさねばならないことがあってこの世に存在しているのだ。
僕は出来るだけ多くの人に望まれる人間になりたいと思っている。
家族や会社や地域社会にとって必要な人間でありたいし、自分の足跡をそこに残したいと切望している。

フィルムはデジタル記録と違って焼失し劣化する。
古典映画はそのフィルムで撮影されてきた。
その古典映画を大切に保存公開していくことは、後世の我々に課せられた使命のような気がする。