「武士道残酷物語」 1963年 日本
監督 今井正
出演 中村錦之助 東野英治郎 渡辺美佐子
荒木道子 森雅之 有馬稲子 加藤嘉
木村功 江原真二郎 岸田今日子
山本圭 佐藤慶 河原崎長一郎
丘さとみ 三田佳子 西村晃
ストーリー
日東建設の営業部員、飯倉進(中村錦之助)は婚約者の人見杏子(三田佳子)が自殺を計ったとの知らせに、故郷信州の菩提寺で発見した先祖の日誌に記された、世にも残酷な話の記憶を呼びおこした。
(飯倉次郎左衛門の章)寛永15年、主君と共に島原の役に服した次郎左衛門(中村錦之助)は、一揆勢に黒田屋敷を焼かれた科で幕僚から叱責を受けた式部少輔(東野英治郎)の罪を被り、本陣門前で割腹して果てた。
(飯倉佐治衛門の章)乱後三年、近習に取立てられた伜佐治衛門(中村錦之助)は衷心をもって病床の式部少輔に仕えたが、勘気にふれて閉門を命ぜられ加増分を召上げられたが、佐治衛門の忠心は変らず、ほどなく死亡した式部少輔の後を追って切腹した。
(飯倉久太郎の章)時代は元禄、佐治衛門の孫久太郎(中村錦之助)は時の藩主丹波守宗昌(森雅之)の眼にとまりお手付小姓となったが側室萩の方(岸田今日子)との仲を疑われ、羅切りの酷刑にかかり、果てには萩の方を妻にもらいうけ信州に帰った。
その後も(飯倉修蔵の章)(飯倉進吾の章)(飯倉修の章)(飯倉進の章)と悲劇は続く。
そして現代、進は上司山岡営業部長(西村晃)に杏子との仲人を頼んだところ、信州ダムの入札に関する競争会社飛鳥建設の情報を盗むよう言われた。
飛鳥建設のタイピストを勤める杏子はしぶしぶ承知したが、杏子の悲しみと怒りは睡眠薬服用というかたちで進を責めた。
あの残酷な歴史、かくは生きまいと誓った進がそれをくり返していたのだ。
進は二人だけで結婚する決心をした。
寸評
滅私奉公の精神がもたらす悲劇をオムニバス形式で描いているが、何とも暗い映画で僕はあまり好きでない。
サラリーマンである板倉進の述懐で始まり、自殺未遂した三田佳子のベッドの脇で、板倉進が「二人だけで結婚しよう」ときっぱり言うラストシーンで終わる。
ラストシーンはこの映画の唯一の救いになっているのだが、この取って付けたような終わり方は映画全体のテーマからして、これで良かったのだろうかという疑問が残るもので、どうもテーマ追求という点から見ると物足りなさを感じてしまい、その事が僕を映画にのめり込むのを阻害している。
現代で始まり現代で終わっているから、過去の日本人の封建的な生き方を弾劾しながら、戦後の日本人も体質的に変わっていないのではないかという問題提起をしているのだと思うが、しかし自己変革への意志や希望を示唆したとは言い難いように思う。
制作年度の頃における日本は高度経済性等の時代で、サラリーマンは終身雇用、年功序列の雇用形態の真っただ中にいて、企業戦士としてより良い暮らしを求め会社に忠誠を誓っていた。
自己犠牲をして働く生き方に警鐘を鳴らすという意図が感じ取れるのだが、それが素直に伝わって来たかと言うと少しばかり不満が残る。
第一話の飯倉次郎左衛門が主家の為に責任を背負って切腹して果てるのは時代劇の中で度々描かれてきたのでモノローグとしては適度な尺でとっつきやすい。
それを引き継ぐ第二話では飯倉次郎左衛門の殉死が描かれる。
乃木希典が明治天皇の大葬が行なわれた1912年9月13日に自刃し明治天皇への殉死として知られているが、
殉死は徳川4代将軍家綱の時代ぐらいから禁止されていたから驚きをもって伝えられたかもしれない。
次郎左衛門の殉死は寛永15年(1638年)となっているから、この頃はまだ殉死が横行していたのだろう。
謹慎中の次郎左衛門が殉死したのは乃木に通じるものがあるような気がする。
三話は男色の主君に飯倉久太郎がもてあそばれる話で、森雅之が嫉妬に狂う殿様を好演している。
久太郎は生殖器を切り落とされ、更には側室の岸田今日子を押し付けられるという悲劇だが、その時すでに岸田今日子の萩の方は久太郎の子供を宿していたということだから、その後の二人の生活はどうだったのだろう。
案外幸せな余生だったかもしれないのだが、後日談は描かれておらず想像の域を出ない。
第四話飯倉修蔵の悲劇はオムニバスの中では一番悲惨な話だと思う。
修蔵の妻である有馬稲子の自害も理不尽な出来事だが、運命に翻弄される娘のさとが痛ましい。
江原真二郎の殿様が憎々しいし、修蔵の切腹はこの映画一番の見どころとなっている。
旧主家の落ちぶれた殿様である加藤嘉の面倒を見る第五話の飯倉進吾、第六話の特攻隊として出撃する飯倉修になってくると少々端折り過ぎの感がある。
そして最後の七話になって飯倉進は三田佳子の杏子と二人だけの結婚式を決意するのだが、進は会社を辞めないのだろうか。
二人して会社を辞めて再出発するのが望ましいと思うのだが。
作品は第13回ベルリン国際映画祭で金熊賞を受賞したのだが、武士道と言う言葉でくくられた日本へのイメージが受賞させたのだろうか。
今井正としては「仇討」などの方が武士道の残酷さが出ていたように思う。
監督 今井正
出演 中村錦之助 東野英治郎 渡辺美佐子
荒木道子 森雅之 有馬稲子 加藤嘉
木村功 江原真二郎 岸田今日子
山本圭 佐藤慶 河原崎長一郎
丘さとみ 三田佳子 西村晃
ストーリー
日東建設の営業部員、飯倉進(中村錦之助)は婚約者の人見杏子(三田佳子)が自殺を計ったとの知らせに、故郷信州の菩提寺で発見した先祖の日誌に記された、世にも残酷な話の記憶を呼びおこした。
(飯倉次郎左衛門の章)寛永15年、主君と共に島原の役に服した次郎左衛門(中村錦之助)は、一揆勢に黒田屋敷を焼かれた科で幕僚から叱責を受けた式部少輔(東野英治郎)の罪を被り、本陣門前で割腹して果てた。
(飯倉佐治衛門の章)乱後三年、近習に取立てられた伜佐治衛門(中村錦之助)は衷心をもって病床の式部少輔に仕えたが、勘気にふれて閉門を命ぜられ加増分を召上げられたが、佐治衛門の忠心は変らず、ほどなく死亡した式部少輔の後を追って切腹した。
(飯倉久太郎の章)時代は元禄、佐治衛門の孫久太郎(中村錦之助)は時の藩主丹波守宗昌(森雅之)の眼にとまりお手付小姓となったが側室萩の方(岸田今日子)との仲を疑われ、羅切りの酷刑にかかり、果てには萩の方を妻にもらいうけ信州に帰った。
その後も(飯倉修蔵の章)(飯倉進吾の章)(飯倉修の章)(飯倉進の章)と悲劇は続く。
そして現代、進は上司山岡営業部長(西村晃)に杏子との仲人を頼んだところ、信州ダムの入札に関する競争会社飛鳥建設の情報を盗むよう言われた。
飛鳥建設のタイピストを勤める杏子はしぶしぶ承知したが、杏子の悲しみと怒りは睡眠薬服用というかたちで進を責めた。
あの残酷な歴史、かくは生きまいと誓った進がそれをくり返していたのだ。
進は二人だけで結婚する決心をした。
寸評
滅私奉公の精神がもたらす悲劇をオムニバス形式で描いているが、何とも暗い映画で僕はあまり好きでない。
サラリーマンである板倉進の述懐で始まり、自殺未遂した三田佳子のベッドの脇で、板倉進が「二人だけで結婚しよう」ときっぱり言うラストシーンで終わる。
ラストシーンはこの映画の唯一の救いになっているのだが、この取って付けたような終わり方は映画全体のテーマからして、これで良かったのだろうかという疑問が残るもので、どうもテーマ追求という点から見ると物足りなさを感じてしまい、その事が僕を映画にのめり込むのを阻害している。
現代で始まり現代で終わっているから、過去の日本人の封建的な生き方を弾劾しながら、戦後の日本人も体質的に変わっていないのではないかという問題提起をしているのだと思うが、しかし自己変革への意志や希望を示唆したとは言い難いように思う。
制作年度の頃における日本は高度経済性等の時代で、サラリーマンは終身雇用、年功序列の雇用形態の真っただ中にいて、企業戦士としてより良い暮らしを求め会社に忠誠を誓っていた。
自己犠牲をして働く生き方に警鐘を鳴らすという意図が感じ取れるのだが、それが素直に伝わって来たかと言うと少しばかり不満が残る。
第一話の飯倉次郎左衛門が主家の為に責任を背負って切腹して果てるのは時代劇の中で度々描かれてきたのでモノローグとしては適度な尺でとっつきやすい。
それを引き継ぐ第二話では飯倉次郎左衛門の殉死が描かれる。
乃木希典が明治天皇の大葬が行なわれた1912年9月13日に自刃し明治天皇への殉死として知られているが、
殉死は徳川4代将軍家綱の時代ぐらいから禁止されていたから驚きをもって伝えられたかもしれない。
次郎左衛門の殉死は寛永15年(1638年)となっているから、この頃はまだ殉死が横行していたのだろう。
謹慎中の次郎左衛門が殉死したのは乃木に通じるものがあるような気がする。
三話は男色の主君に飯倉久太郎がもてあそばれる話で、森雅之が嫉妬に狂う殿様を好演している。
久太郎は生殖器を切り落とされ、更には側室の岸田今日子を押し付けられるという悲劇だが、その時すでに岸田今日子の萩の方は久太郎の子供を宿していたということだから、その後の二人の生活はどうだったのだろう。
案外幸せな余生だったかもしれないのだが、後日談は描かれておらず想像の域を出ない。
第四話飯倉修蔵の悲劇はオムニバスの中では一番悲惨な話だと思う。
修蔵の妻である有馬稲子の自害も理不尽な出来事だが、運命に翻弄される娘のさとが痛ましい。
江原真二郎の殿様が憎々しいし、修蔵の切腹はこの映画一番の見どころとなっている。
旧主家の落ちぶれた殿様である加藤嘉の面倒を見る第五話の飯倉進吾、第六話の特攻隊として出撃する飯倉修になってくると少々端折り過ぎの感がある。
そして最後の七話になって飯倉進は三田佳子の杏子と二人だけの結婚式を決意するのだが、進は会社を辞めないのだろうか。
二人して会社を辞めて再出発するのが望ましいと思うのだが。
作品は第13回ベルリン国際映画祭で金熊賞を受賞したのだが、武士道と言う言葉でくくられた日本へのイメージが受賞させたのだろうか。
今井正としては「仇討」などの方が武士道の残酷さが出ていたように思う。