おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

昼顔

2020-02-16 08:33:50 | 映画
「昼顔」 1967年 フランス


監督 ルイス・ブニュエル
出演 カトリーヌ・ドヌーヴ
   ジャン・ソレル
   ジュヌヴィエーヴ・パージュ
   ミシェル・ピッコリ
   フランソワーズ・ファビアン
   マーシャ・メリル
   ピエール・クレマンティ
   クロード・セルヴァル

ストーリー
セブリーヌ(C・ドヌーブ)とピエール(J・ソレル)の二人は、仲の良い幸せそのものの若夫婦だ。
セブリーヌもよく夫に仕え、満足な毎日を送っているのだが、彼女が八つの時、野卑な鉛管工に抱きすくめられた異常な感覚が、潜在意識となって妖しい妄想にかられてゆくことがあった。
情欲の鬼と化したピエールがセブリーヌを縛りあげ、ムチで責めさいなんだ挙句、犯したり卑しい男に強姦されるという妄想であり、セブリーヌの奥底に奇妙な亀裂が生まれていることを、ピエールの友人アンリ(M・ピッコリ)だけは見抜いていた。
アンリはいつもねばっこい目でセブリーヌをみつめているのだが、セブリーヌはそんなアンリが嫌いだった。
ある時、セブリーヌは友人のルネ(M・メリル)から、良家の夫人たちが夫には内証で売春をしているという話を聞き、大きな衝撃を受けたが心に強くひかれるものがあった。
テニス・クラブでアンリを見かけたセブリーヌは、さり気なくその女たちのことを話した。
アンリもまたさりげなくそういう女たちを歓迎する家を教えた。
一時は内心のうずきを抑えたもののセブリーヌは、自分でもわからないまま、そういう女を歓迎する番地の家をたずね、そしてセブリーヌの二重生活がはじまった。
女郎屋の女主人アナイス(G・パージュ)は、セブリーヌに真昼のひととき、つかの間の命を燃やすという意味で「昼顔」という名をつけてくれた。
セブリーヌは、毎日午後の何時間かを行きずりの男に抱かれて過し、夜は今まで通り貞淑な妻だった。
セブリーヌには夫を裏切っているという意識はなく、体と心に奇妙な均衡が生れ、毎日が満ち足りていた。
しかし、その均衡が破れる日が来た。
セブリーヌに、マルセル(P・クレマンティ)という、金歯だらけの口をした、粗野で無鉄砲で野獣のような男が、すっかり惚れこんでしまったからだ。


寸評
ルイス・ブニュエルは映画史に残る監督だと思うが、カトリーヌ・ドヌーブを使ったこの「昼顔」や「哀しみのトリスターナ」はイマイチ出来が良くない。
同じような「小間使いの日記」などはなかなかいいと思うのだが、この差はジャンヌ・モローとカトリーヌ・ドヌーブの違いによるものなのだろうか。
セブリーヌは夫と仲の良い生活を送っているが、不感症で愛していながらも夫とベッドを共にしていない。
満たされない欲情を娼婦になって男に支配されることで悦楽を知り、その世界にのめり込んでいくのだが、その変化の表情に女の奥底に潜む魔物的な物を感じ取れない。
ジャンヌ・モローにはトニー・リチャードソンの「マドモアゼル」という作品もあるが、どちらにおいても表現力は抜きん出たものがある。
この作品は、ルイス・ブニュエルがカトリーヌ・ドヌーブにエロチシズムを振りまく姿を見せさせることを目的に撮ったのではないかというのが僕の印象である。

ブニュエルは暴虐的な性に興味を持っているのではないかと思わせるところがある。
この作品でもその片鱗を大いに見せている。
セブリーヌは幼い頃の性的な嫌な思い出があり、それがトラウマとなっているようだ。
現実と違うシーンが時々挿入されるが、それはセブリーヌの妄想だ。
セブリーヌは娼館を訪ね、その世界にのめり込んでいく。
訪れる客は紳士的な男はいなくて、暴力的とか変質者的な男ばかりである。
セブリーヌ最初は抵抗があったにもかかわらず、やがて性的にも満足を得て快楽を初めて経験する。
しかし映画に於いて、この変化の過程が上手い具合に表現されているとは言い難い。
そのことでピエールとの家庭生活におけるセブリーヌと、娼館で娼婦としてふるまうセブリーヌに違いを感じない。
男たちはセレブとして変わらないセブリーヌを気に入ったのかもしれないが、僕にはどうもセブリーヌが娼婦として出かけていくセブリーヌの精神構造が読み取れなかった。
セブリーヌはピエールとの結婚生活の何が不満だったのだろう。

アンリはセブリーヌが娼館に向かうことを予期していたのだろうか。
彼の行動理由も僕はよく分からなかった。
セブリーヌを求めるわけでもなく、またセブリーヌを支配したそうでもない。
それともピエールへの優越感に浸りたかったのだろうか。
ピエールはセブリーヌに惚れこんだ男によって銃撃され半身不随状態となり今は口もきけず目も見えない。
友人のアンリによってセブリーヌの秘密を聞かされ涙を流す。
しかしセブリーヌはお互いに気持ちの上で平等になったことで笑みを漏らし、ピエールとの新しい幸せな生活を夢見るのだが、そんなハッピーエンドってあるか?
この時のセブリーヌは余りにも自分に都合よすぎないか。
ブニュエルらしい表現は所々で見受けられるが、彼にしては平凡な作品になってしまっていると思うのだが・・・。