「緋牡丹博徒 お竜参上」 1970年 日本
監督 加藤泰
出演 藤純子 菅原文太 若山富三郎
山城新伍 夏珠美 安部徹
ストーリー
お竜は数年前、死に追いやったニセお竜の娘お君を探しながら渡世の旅を続けていたが、長野の温泉町で知り合った渡世人青山常次郎から浅草にいると聞き、東京へ向った。
浅草にやってきたお竜は鉄砲久一家に草鞋をぬいだ。
鉄砲久は娘婿の鈴村が、六区に小屋をもっている関係で、一座の利権をにぎっていた。
だが、同じ浅草界わいを縄張りとする鮫洲政一家は一座の興行権を奪おうと企んでいた。
鮫州政一家の勘八のふところをねらったスリのおキイだが、しくじり危ういところを彼女に思いをよせる銀次郎に救われた。
お竜はおキイがお君であることを知り、そしておキイは鉄砲久に養女として預けられた。
一方、鈴村は鮫洲政一家の博奕に手を出し、多大な借金を背負い、小屋の利権を渡すよう迫られていた。
鉄砲久にこの片をつけるよう頼まれたお竜は、筋の通らない金は受け取れないと拒絶した鮫州政に差しの勝負を挑み、いかさまを見破り、証文を取り戻した。
この夜、常次郎が浅草にやってきたが、彼を追う二保は鮫州政一家に草鞋をぬいだ。
ある夜、鉄砲久は鮫州政の謀略にかかり、殺された。
翌日、下谷一帯の権力者金井が仲裁人となった和解の席上、鮫洲政一家はお竜と代貸喜三郎に匕首を向けたが、お竜を尋ねきた義兄弟熊虎に救われた。
一方、銀次郎は鮫州政に人質にされていたおキイと鈴村を助けたことから、殺されてしまう・・・。
寸評
藤純子の色香は言いようのないもので、その色香は大きな瞳とえくぼのせいだけではなかったはずだ。
歌舞伎的な様式美と、じわじわと心にしみ込んでくる情感は最近の映画にはないものだ。
特に雪の今渡橋で常次郎に渡すミカンがコロコロと転がるシーンなどは、あまりの美しさにため息が出る。
やっと探し当てた妹の形見を持って両親の墓がある故郷に帰る菅原文太演じる青山常次郎を、緋牡丹のお竜が見送る場面である。
降りしきる雪の中を急ぐお竜。
橋の袂で待つ青山常次郎、雪の中に霞んで見える凌雲閣。
お竜さんに故郷のことを語る青山常次郎。
そして「こいは、汽車の中であがってくださいまし」とそっと包みを差し出すお竜。
そしてさらに渡そうとした時にミカンが滑り落ちて、降り積もった真っ白な雪の上を黄色いミカンが転がっていく。
それを再び拾って青山に渡して見詰め合うお竜さんと青山常次郎。
無言で礼をして立ち去る青山。
ミカンが言うに言われぬ愛情表現の小道具として使われ、お互いの胸の内を代弁していた。
この美しいシーンを見るだけでも、この映画を見る価値があろうというものである。
この今戸橋は、お竜さんが暴力団まがいの親分の鮫洲政(安部徹)との凌雲閣における対決に行く場面においても再び現れる。
故郷の旅から戻った青山常次郎が、鮫洲政との対決に行こうとするお竜さんを今土橋で待っている。
お竜さんが今土橋を渡ってきて、青山常次郎に一礼する。
そして、二言三言、言葉を交わしてから鮫洲政の待つ凌雲閣に向かう。
ここで「娘ざかりを渡世にかけて、はった体に緋牡丹もえる・・・」という緋牡丹博徒の歌が流れてくるのだが、もうこの時点で僕たちはこのふたりに同化してしまっている。
圧倒的多数の敵方を倒していき、お竜さんによる最後の決めゼリフ「鮫洲政さん、死んでもらいますばい」が出たときに、我々は拍手喝采し「よくやった!」の気持ちが湧いてくる。
この時代の東映任侠映画の手順そのものなのだが、「緋牡丹博徒 花札勝負」から引き継がれたストーリーも練れており、シリーズの歴代共演陣ではこの青山常次郎が一番だと思わせる上記のシーンを有していることで、東映任侠映画史に残る一篇となっている。
「姓は矢野、名は竜子、人呼んで緋牡丹のお竜と発します」という純子さんの甲高い仁義は、車寅次郎の「私、生まれも育ちも葛飾柴又、帝釈天で産湯を使い・・・」とともに脳裏に残る仁義の名セリフである。
お竜は富田流小太刀の使い手でなかなか強いのだが、それでも危なくなると必ず誰かが助けてくれる。
それが鶴田浩二や高倉健だったり菅原文太という客演の男優陣の時もあれば、兄弟分の四国道後の熊虎親分(若山富三郎)やその子分の待田京介だったりする。
彼らはこちらが思っている場面で必ず登場するのだが、その場面はもうここしかないないというドンピシャ場面だ。
わかっているからなおさら楽しいのがプログラムピクチャのいいところだった。
純子さんは当時の若者にとっては憧れのスターだった。
監督 加藤泰
出演 藤純子 菅原文太 若山富三郎
山城新伍 夏珠美 安部徹
ストーリー
お竜は数年前、死に追いやったニセお竜の娘お君を探しながら渡世の旅を続けていたが、長野の温泉町で知り合った渡世人青山常次郎から浅草にいると聞き、東京へ向った。
浅草にやってきたお竜は鉄砲久一家に草鞋をぬいだ。
鉄砲久は娘婿の鈴村が、六区に小屋をもっている関係で、一座の利権をにぎっていた。
だが、同じ浅草界わいを縄張りとする鮫洲政一家は一座の興行権を奪おうと企んでいた。
鮫州政一家の勘八のふところをねらったスリのおキイだが、しくじり危ういところを彼女に思いをよせる銀次郎に救われた。
お竜はおキイがお君であることを知り、そしておキイは鉄砲久に養女として預けられた。
一方、鈴村は鮫洲政一家の博奕に手を出し、多大な借金を背負い、小屋の利権を渡すよう迫られていた。
鉄砲久にこの片をつけるよう頼まれたお竜は、筋の通らない金は受け取れないと拒絶した鮫州政に差しの勝負を挑み、いかさまを見破り、証文を取り戻した。
この夜、常次郎が浅草にやってきたが、彼を追う二保は鮫州政一家に草鞋をぬいだ。
ある夜、鉄砲久は鮫州政の謀略にかかり、殺された。
翌日、下谷一帯の権力者金井が仲裁人となった和解の席上、鮫洲政一家はお竜と代貸喜三郎に匕首を向けたが、お竜を尋ねきた義兄弟熊虎に救われた。
一方、銀次郎は鮫州政に人質にされていたおキイと鈴村を助けたことから、殺されてしまう・・・。
寸評
藤純子の色香は言いようのないもので、その色香は大きな瞳とえくぼのせいだけではなかったはずだ。
歌舞伎的な様式美と、じわじわと心にしみ込んでくる情感は最近の映画にはないものだ。
特に雪の今渡橋で常次郎に渡すミカンがコロコロと転がるシーンなどは、あまりの美しさにため息が出る。
やっと探し当てた妹の形見を持って両親の墓がある故郷に帰る菅原文太演じる青山常次郎を、緋牡丹のお竜が見送る場面である。
降りしきる雪の中を急ぐお竜。
橋の袂で待つ青山常次郎、雪の中に霞んで見える凌雲閣。
お竜さんに故郷のことを語る青山常次郎。
そして「こいは、汽車の中であがってくださいまし」とそっと包みを差し出すお竜。
そしてさらに渡そうとした時にミカンが滑り落ちて、降り積もった真っ白な雪の上を黄色いミカンが転がっていく。
それを再び拾って青山に渡して見詰め合うお竜さんと青山常次郎。
無言で礼をして立ち去る青山。
ミカンが言うに言われぬ愛情表現の小道具として使われ、お互いの胸の内を代弁していた。
この美しいシーンを見るだけでも、この映画を見る価値があろうというものである。
この今戸橋は、お竜さんが暴力団まがいの親分の鮫洲政(安部徹)との凌雲閣における対決に行く場面においても再び現れる。
故郷の旅から戻った青山常次郎が、鮫洲政との対決に行こうとするお竜さんを今土橋で待っている。
お竜さんが今土橋を渡ってきて、青山常次郎に一礼する。
そして、二言三言、言葉を交わしてから鮫洲政の待つ凌雲閣に向かう。
ここで「娘ざかりを渡世にかけて、はった体に緋牡丹もえる・・・」という緋牡丹博徒の歌が流れてくるのだが、もうこの時点で僕たちはこのふたりに同化してしまっている。
圧倒的多数の敵方を倒していき、お竜さんによる最後の決めゼリフ「鮫洲政さん、死んでもらいますばい」が出たときに、我々は拍手喝采し「よくやった!」の気持ちが湧いてくる。
この時代の東映任侠映画の手順そのものなのだが、「緋牡丹博徒 花札勝負」から引き継がれたストーリーも練れており、シリーズの歴代共演陣ではこの青山常次郎が一番だと思わせる上記のシーンを有していることで、東映任侠映画史に残る一篇となっている。
「姓は矢野、名は竜子、人呼んで緋牡丹のお竜と発します」という純子さんの甲高い仁義は、車寅次郎の「私、生まれも育ちも葛飾柴又、帝釈天で産湯を使い・・・」とともに脳裏に残る仁義の名セリフである。
お竜は富田流小太刀の使い手でなかなか強いのだが、それでも危なくなると必ず誰かが助けてくれる。
それが鶴田浩二や高倉健だったり菅原文太という客演の男優陣の時もあれば、兄弟分の四国道後の熊虎親分(若山富三郎)やその子分の待田京介だったりする。
彼らはこちらが思っている場面で必ず登場するのだが、その場面はもうここしかないないというドンピシャ場面だ。
わかっているからなおさら楽しいのがプログラムピクチャのいいところだった。
純子さんは当時の若者にとっては憧れのスターだった。