おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

ひとり狼

2020-02-07 14:49:13 | 映画
「ひとり狼」 1968年 日本


監督 池広一夫
出演 市川雷蔵 小川真由美 岩崎加根子
   長門勇 長谷川明男 丹阿弥谷津子
   遠藤辰雄 新田昌玄 小池朝雄

ストーリー
これは中年のやくざ上松の孫八(長門勇)が語る話である。
孫八は塩尻峠で追分の伊三蔵(市川雷蔵)が一瞬のうちに三人の男を斬り捨てる現場に遭遇する。
同じやくざだが、孫八は伊三蔵という人間に、一目会った時から興味を覚えた。
上州坂本宿で伊三蔵と再会した孫八とその弟分の半次(長谷川明男)は、礼儀正しく博打も強い伊三蔵に驚異と憧れを抱く。
たまたま孫八はやくざになりたての半次と共に、ある一家に草鞋を脱いだが、そこに伊三蔵も客になっていた。
伊三蔵は博奕にも強く、剣の腕も確かで、追われる者特有の油断のない身構えが周囲の者を威圧していた。
翌年の春、孫八は三州のある花会で伊三蔵と三度目の出合いをした。
この土地の人間と伊三蔵は、何か因縁があるようだった。
小料理屋の酌婦お沢(岩崎加根子)は伊三蔵のかつての女だったという。
間もなく分ったことだが、伊三蔵は、郷士上田家の奉公人だった。
それが跡取娘由乃(小川真由美)と愛しあい、由乃が身篭るまでになったが二人の関係が知れると、酷い別れ方をさせられ、しかも由乃の従兄平沢(小池朝雄)が伊三蔵を斬ろうとさえしたので、こうなると由乃もあえて駆落ちしようとはしなかった。
それ以来、伊三蔵は剣の腕を磨き、女も信用しなくなり、兇状持ちのやくざになっていった。
伊三蔵が再びこの土地に姿を現わしたのは、由乃と子供の由乃助が幸福に暮しているかどうか見たいためだったのだが、由乃は仕立物をしながら由之助を学者にするべく、ひとり身を守っていた。
だが、平沢は、再び伊三蔵を斬ろうと計り、由乃と由之助を人質にして伊三蔵をおびき出した。
悽惨な戦いで、伊三蔵が平沢を斬ったとき、自分自身も重傷を負っていた。


寸評
上松の孫八を語り部として伊三蔵に関する出来事が描かれていくので、場面の切り替えに違和感がなく物語が進んでいき、タイトルバックが出るところから無宿渡世人の厳しい世界が伝わってくる描き方がいい。
渡世人の掟が要領よく描かれるのが、ヤクザに憧れる百姓上がりの半次が上松の孫八とともにある親分のところで一宿一飯の世話になる場面である。
ご飯は2杯まで、おかずは一汁一菜の決まりであり、残った魚の骨も手ぬぐいに包んで懐に入れ始末する。
布団は1枚を折りたたんで柏餅状態で眠るし、親分、おかみさんへの挨拶は欠かさない。
博打場では勝ち続けないで、ある程度は負けてやり、心づけを残して退去するなどである。
一連の場面を通じて、伊三蔵が人と交わらないが筋目を通す男であることが描かれ、彼の性格描写は適格だ。
ただ冒頭で伊三蔵は女を手籠めにしたとののしられていて、その事だけは謎のままで話は進む。
伊三蔵に関する謎の部分を残しておかないと後半への繋ぎが弱くなるから、これは適切だ。
その意味でも、女に対しての過去をそれとなく匂わせるのは当然とはいえ的を得ている。

小料理屋の酌婦お沢が登場するあたりから、伊三蔵の女性関係が表に出てくる。
伊三蔵が立ち尽くしている所へ雨が降り出し、それが激しい雨に代わって足元を映し出すと過去の場面に切り替わるというのも常套手段ではあるが、観客の目をくぎ付けにして作品全体のテンポを崩さない。
伊三蔵は虚無的で心を見せない男だが、ここからは人としての弱さを見せる。
それは由乃の子供、すなわち自分の息子への思慕の情である。
その前にでんでん太鼓をもてあそぶ姿が描かれていたことが、伊三蔵が子供を想う気持ちの伏線となっている。
金を託していたのがこの村に住む老人なのだが、伊三蔵と老人の関係がよくわからない。
送金した金は貯まりに貯まって200両にもなっているらしいが、その金は老人が保管しているのだろうか。
子供に託した金はどうなったのだろう。

途中で出入りの決着がついてしまい、伊三蔵は「出入りが終われば助っ人家業も終わりだ」と刀を収めてしまうのだが、これも彼の処世術として合理的に描かれている。
そして、雇人の親分が挨拶したいと子分たちが伊三蔵を迎えに来てラストシーンへと突入していく。
待ち構えているのはヤクザに手引きさせた上田家の平沢達である。
由乃たち母子を人質に取られた伊三蔵は刀を棄て、平沢の槍で太ももを突かれる。
いたぶるように槍先で伊三蔵の頬を切り裂くのも、以前に平沢が伊三蔵に頬を斬られていたことの意趣返しで、この立ち回りはラストシーンへの布石となっている上手い演出だ。
無宿渡世人になるしかなかった伊三蔵は父親としての名乗りを上げることが出来ない。
子供に修羅場をよく見ておけと言うのは、こんな男にだけはなるなとの精一杯の父親の教えだ。
伊三蔵は傷つきながらも孫八の助けを得て平沢達を討ち果たし去っていく。
由乃が「あんな男にだけはなってはいけませんよ!」と叫べば悲劇性がもっと増していたかもしれない。
場面が変わり道を急ぐ伊三蔵の顔に斬られた時の傷が残っているという心地よいラストシーンとなっている。
大映の股旅物として、池広一夫の股旅物として「ひとり狼」は光彩を放っている一遍だ。
後年人気を博した「木枯し紋次郎」は、この人斬り伊三蔵の虚無性を発展させたものだと思っている。