「ヒミズ」 2011年 日本
監督 園子温
出演 染谷将太 二階堂ふみ 渡辺哲
諏訪太朗 川屋せっちん 吹越満
神楽坂恵 光石研 渡辺真起子
ストーリー
15歳の住田佑一(染谷将太)の願いは誰にも迷惑をかけずに生きる“普通”の大人になること。
大きな夢を持たず、ただ誰にも迷惑をかけずに生きたいと考える住田は、実家の貸ボート屋に集う、震災で家を失くした大人たちと平凡な日常を送っていた。
同年齢の茶沢景子(二階堂ふみ)の夢は、愛する人と守り守られ生きること。
他のクラスメートとは違い、大人びた雰囲気を持つ住田に恋い焦がれる彼女は、彼に猛アタックをかける。
疎ましがられながらも住田との距離を縮めていけることに日々喜びを感じる茶沢。
しかし、そんな2人の日常は、ある日を境に思いもよらない方向に転がり始めていく。
借金を作り、蒸発していた住田の父(光石研)が戻ってきたのだ。
金の無心をしながら、住田を激しく殴りつける父親。
さらに、母親(渡辺真起子)もほどなく中年男と駆け落ち。
住田は中学3年生にして天涯孤独の身となるが、茶沢はそんな住田を必死で励ます。
そして、彼女の気持ちが徐々に住田の心を解きほぐしつつあるとき、“事件”は起こった……。
“普通”の人生を全うすることを諦めた住田は、その日からの人生を“オマケ人生”と名付け、その目的を世の中の害悪となる“悪党”を見つけ出し、自らの手で殺すことと定める。
夢と希望を諦め、深い暗闇を歩き出した少年と、ただ愛だけを信じ続ける少女。
2人は、巨大な絶望を乗り越え、再び希望という名の光を見つけることができるのだろうか……。
寸評
結論から言えば、僕はこの作品に東日本大震災を持ち込んだのは失敗だったと思う。
何回も見せられた津波で破壊された瓦礫の中での芝居に違和感を覚え、少年に未来を託すアジテーションにも違和感を持った。
これがもう少し年数を経ていたらそうでもなかったのだろうが、記憶に新しい中での必然性を感じ取ることが出来なかった。
「住田、がんばれ!」と二人で走るラストシーンはもっと感動が持てても良かったのだと感じた。
子供たちの苦悩と被災者の苦悩をリンクさせるのは少々無理があったのではないかと思うのだ。
もっとも、それだけの違和感を持ちながらも、胸の奥から熱いものが突き上げてくるようなパワーは失われてはいなかった。
あえて大震災へのエールを切り離すと、負がいくつも重なりあう少年が希望を見出して明日に向かって走り出す感動作で、絶望の住田君を支えようとする茶沢景子の姿は、好意の押し売りとも思えるが、一方で温かみも感じさせる。
よくもまあこれだけ個性的な出演者を集めたものだと感心させられて、それだけで面白い。
登場人物達がお互いに欠落感を持って結びついているところがユニークな設定で、住田の周りには彼を慕ってホームレスの大人達が集まって来る。
中学生の彼を一人の人間として接し「住田さん」と尊敬すらこめて呼ぶ連中だ。
渡辺哲が演じる夜野正造が面白い存在だ。
彼は住田の父親の借金を肩代わりしてやるが、その理由は「住田の未来に託すのだ」という。
自分もヤクザの金子(でんでん)も過去の人間で、自分は若者の未来に賭けるのだという。
どうやら住田君を取り巻いている連中は、震災で全てを失くしてしまった連中の様なのだ。
彼等との交流が重いテーマの清涼剤になっていて、住田は彼らとのパーティ(?)の場で唯一ほんの少し笑顔を見せる。
登場人物たちは自分を見失っている人間ばかりだが、ここのホームレスたちはそれから抜け出し巣立っていく。
そして住田は頑張ることを決意するのだが、単純な復活でないのがいいと思う。
景子が収集している住田語録のなかに「モグラのように生きたい、ヒミズになりたい」とある。
ヒミズとはモグラに似た哺乳類らしいが、すでに彼は”日不見(日見ず)”の生活を送っている。
親の愛情もなく、安定した生活もない。
それは景子も同じで、裕福そうな過程であったようだが、今は住田と同様に父親の借金がありそうだし、両親の愛情にも飢えている。
住田の様子に景子は涙を流すが、それは自分も住田に同化した絶望の涙だったのかもしれない。
事件後は「オマケの人生」と名付けた住田は、自らの未来を捨て去る選択を行うが、そこから明日への希望を取り返す姿が感動を呼ぶ。
普通に生きることが許されない少年が、普通になりたいと願ってもがく物語だが、青春とは泣きながらも明日に向かって走るものでもある。
ラストシーンは被災者へのエールでもあるのだろうが、僕は単純に住田君に「住田、がんばれ!」と叫びたい。
監督 園子温
出演 染谷将太 二階堂ふみ 渡辺哲
諏訪太朗 川屋せっちん 吹越満
神楽坂恵 光石研 渡辺真起子
ストーリー
15歳の住田佑一(染谷将太)の願いは誰にも迷惑をかけずに生きる“普通”の大人になること。
大きな夢を持たず、ただ誰にも迷惑をかけずに生きたいと考える住田は、実家の貸ボート屋に集う、震災で家を失くした大人たちと平凡な日常を送っていた。
同年齢の茶沢景子(二階堂ふみ)の夢は、愛する人と守り守られ生きること。
他のクラスメートとは違い、大人びた雰囲気を持つ住田に恋い焦がれる彼女は、彼に猛アタックをかける。
疎ましがられながらも住田との距離を縮めていけることに日々喜びを感じる茶沢。
しかし、そんな2人の日常は、ある日を境に思いもよらない方向に転がり始めていく。
借金を作り、蒸発していた住田の父(光石研)が戻ってきたのだ。
金の無心をしながら、住田を激しく殴りつける父親。
さらに、母親(渡辺真起子)もほどなく中年男と駆け落ち。
住田は中学3年生にして天涯孤独の身となるが、茶沢はそんな住田を必死で励ます。
そして、彼女の気持ちが徐々に住田の心を解きほぐしつつあるとき、“事件”は起こった……。
“普通”の人生を全うすることを諦めた住田は、その日からの人生を“オマケ人生”と名付け、その目的を世の中の害悪となる“悪党”を見つけ出し、自らの手で殺すことと定める。
夢と希望を諦め、深い暗闇を歩き出した少年と、ただ愛だけを信じ続ける少女。
2人は、巨大な絶望を乗り越え、再び希望という名の光を見つけることができるのだろうか……。
寸評
結論から言えば、僕はこの作品に東日本大震災を持ち込んだのは失敗だったと思う。
何回も見せられた津波で破壊された瓦礫の中での芝居に違和感を覚え、少年に未来を託すアジテーションにも違和感を持った。
これがもう少し年数を経ていたらそうでもなかったのだろうが、記憶に新しい中での必然性を感じ取ることが出来なかった。
「住田、がんばれ!」と二人で走るラストシーンはもっと感動が持てても良かったのだと感じた。
子供たちの苦悩と被災者の苦悩をリンクさせるのは少々無理があったのではないかと思うのだ。
もっとも、それだけの違和感を持ちながらも、胸の奥から熱いものが突き上げてくるようなパワーは失われてはいなかった。
あえて大震災へのエールを切り離すと、負がいくつも重なりあう少年が希望を見出して明日に向かって走り出す感動作で、絶望の住田君を支えようとする茶沢景子の姿は、好意の押し売りとも思えるが、一方で温かみも感じさせる。
よくもまあこれだけ個性的な出演者を集めたものだと感心させられて、それだけで面白い。
登場人物達がお互いに欠落感を持って結びついているところがユニークな設定で、住田の周りには彼を慕ってホームレスの大人達が集まって来る。
中学生の彼を一人の人間として接し「住田さん」と尊敬すらこめて呼ぶ連中だ。
渡辺哲が演じる夜野正造が面白い存在だ。
彼は住田の父親の借金を肩代わりしてやるが、その理由は「住田の未来に託すのだ」という。
自分もヤクザの金子(でんでん)も過去の人間で、自分は若者の未来に賭けるのだという。
どうやら住田君を取り巻いている連中は、震災で全てを失くしてしまった連中の様なのだ。
彼等との交流が重いテーマの清涼剤になっていて、住田は彼らとのパーティ(?)の場で唯一ほんの少し笑顔を見せる。
登場人物たちは自分を見失っている人間ばかりだが、ここのホームレスたちはそれから抜け出し巣立っていく。
そして住田は頑張ることを決意するのだが、単純な復活でないのがいいと思う。
景子が収集している住田語録のなかに「モグラのように生きたい、ヒミズになりたい」とある。
ヒミズとはモグラに似た哺乳類らしいが、すでに彼は”日不見(日見ず)”の生活を送っている。
親の愛情もなく、安定した生活もない。
それは景子も同じで、裕福そうな過程であったようだが、今は住田と同様に父親の借金がありそうだし、両親の愛情にも飢えている。
住田の様子に景子は涙を流すが、それは自分も住田に同化した絶望の涙だったのかもしれない。
事件後は「オマケの人生」と名付けた住田は、自らの未来を捨て去る選択を行うが、そこから明日への希望を取り返す姿が感動を呼ぶ。
普通に生きることが許されない少年が、普通になりたいと願ってもがく物語だが、青春とは泣きながらも明日に向かって走るものでもある。
ラストシーンは被災者へのエールでもあるのだろうが、僕は単純に住田君に「住田、がんばれ!」と叫びたい。