おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

太陽

2019-10-12 08:04:44 | 映画
「太陽」


監督 アレクサンドル・ソクーロフ
出演 イッセー尾形 佐野史郎 つじしんめい
   ロバート・ドーソン 田村泰二郎
   ゲオルギイ・ピツケラウリ 桃井かおり
   守田比呂也 六平直政 西沢利明
   戸沢佑介 草薙幸二郎 津野哲郎
   阿部六郎 灰地順 伊藤幸純 品川徹

ストーリー
1945年8月。宮殿はすでに焼け落ち、昭和天皇ヒロヒトは地下の退避壕か、唯一被災を免れた石造りの生物研究所で生活を続けていた。
食事を終え、御前会議を前に、侍従長たちの手を借りて身支度を整える天皇。
天皇を“神の子孫”という侍従たちに、天皇は「私の身体も君たちと同じだ」と笑う。
戦況は逼迫していたが、彼は戦争を止めることができなかった。
御前会議では、陸軍大臣が必死形相で本土決戦の説明を行う。
だが、天皇は心から平和を願っていた。
戦争はなぜ始まったのか? そしてどうして回避できなかったのか?
その苦悩は悪夢に姿を変え、午睡の天皇に襲いかかる。
巨大なサカナとなった米軍の爆撃機が、小魚の焼夷弾を大量に産み落とし、東京があっという間に炎に包まれていく……。
うなされるように目を覚ました天皇の言いようもない孤独。
彼は、疎開先で離れて暮らす皇后と皇太子たちのアルバムを見つめ、家族に想いを馳せる。
やがて、連合国占領軍総司令官ダグラス・マッカーサーとの会見の日が訪れる。
彼は、ひとつの決意を胸に秘めていた…。


寸評
御前会議での詰問や、マッカーサーとの有名な写真、或いは玉音放送などは出てこない。
我々日本人がよく知っているこれらの事柄が出てこないのだから、この映画は歴史検証の映画ではなく、特殊文化をもった神国日本を舞台にした、神だった人が人間に戻る人間ドラマだ。
侍従長の佐野史郎も頑張っていたけれど、印象的にはイッセー尾形の一人芝居の感があった。
口をモゴモゴして喋る話し方や、「あっそう」という口癖など、昭和天皇になりきっていた。
その適役ぶりは「明治天皇と日露大戦争」における嵐寛寿郎の明治天皇をしのぐものがあった。
僕が育った家の床の間の上には、若き日の天皇陛下と皇后陛下の写真が飾ってあった。
子供心に凛々しい人だと思っていた残像があるので、皇后に見せる人間らしい仕草が微笑ましかった。
明治天皇の歌を引用し、明治天皇と同じく平和を願う気持ちを発していたが、昭和天皇にとって偉大な人は、摂政を務めた大正天皇ではなく明治天皇だったのだろう。
戦中、戦後直後とは思えない別世界を描いていたのは、戦争責任とかの主張を排除して、神であった天皇が苦悩しながら人間になる様を描いていた。
人間宣言を録音した技師が自決したことを聞いて立ち尽くす姿は、現人神として多くの人を戦地で死なせ、今また人間宣言をしても一人の人間を死なせた苦悩を表していたと思う。
阪神淡路大震災の慰問の時に避難民が見せた村山首相に対する態度と、天皇・皇后に対する態度の違いを見ると、国民の天皇に対する無意識のうちの畏敬の念を感じた。
それから連想するに、天皇は戦後の日本にとって再出発を飾る上での、暗闇を照らす太陽足りえたのだろうと想像する。
ロシア人が描いた天皇としてはよく描けていたし、違和感などなかった。
そして、侍従が言う大正13年の侮辱とは、アメリカの排日移民法を指し、人種差別に対する抗議だと思われる。
それを言わせているということは、ロシア人は大東亜戦争を人種差別の撤回とアジアの開放だったと認めたことになるのでは?