おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

チェンジリング

2019-10-27 07:04:51 | 映画
今日から「ち」に入ります。そして映画仲間と「孤狼の血」のロケ地巡りの一泊旅行です。

「チェンジリング」 2008年 アメリカ


監督 クリント・イーストウッド
出演 アンジェリーナ・ジョリー
   ジョン・マルコヴィッチ
   ジェフリー・ドノヴァン
   コルム・フィオール
   ジェイソン・バトラー・ハーナー
   エイミー・ライアン
   マイケル・ケリー

ストーリー
1928年、ロザンゼルス。
クリスティン・コリンズは、9歳の息子ウォルターを抱えたシングルマザー。
彼女は息子の成長だけを生きがいに、日々を送っていたがある日突然、ウォルターが自宅から姿を消す。
クリスティンは警察に捜査を依頼し、そして5ヵ月後に警察からウォルター発見の朗報が届いたのだが、クリスティンの前に現れた少年はウォルターではなかった。
すぐさま、少年が別人であることをジョーンズ警部に訴えるクリスティン。
だが、警察の功績を潰されたくない警部は“容貌が変わっただけだ“と取り合わない。
繰り返し再捜査を願い出るが、逆に警部に依頼された医師が彼女のもとを訪れ、自分の息子がわからなくなったクリスティンに問題があると診断を下す。
時間だけが過ぎていく中、彼女のもとにグスダヴ・ブリーグレブと名乗る牧師から電話が入る。
警察の腐敗を追及する彼は、新聞で事件を知り、クリスティンの危機を察知して連絡してきたのだった。
ブリーグレブを味方に、息子を探すクリスティンの戦いが始まる。
だが、それを知った警察は彼女を精神病院に入院させる。
そこで知ったのは、彼女同様、警察に反抗して精神病院送りにされた女性が多数いるという事実だった。
ブリーグレブの尽力でクリスティンは何とか退院できたものの、ウォルターの行方は依然として知れない。
そこへ、郊外の農場で子供の死体が発見される事件が発生し、被害者の一人がウォルターである可能性が出たことで人違いを認めた警察だったが、ウォルターが農場で殺されたと早々に断定する。


寸評
息子の生存を信じて官憲に抗して行動する母親のすさまじいまでの愛情と信念の吐露をアンジェリーナ・ジョリーが熱演していた。
警察の腐敗と、市民を犠牲にしてまでも自らの権威を保つことのみを考える警察には怒りを覚えたが、決して官憲の横暴さを告発している映画ではない。
描かれていたのは、息子を生きがいとするシングルマザーの執念と愛情だった。
クリスティン・コリンズは息子に父親が「責任」を捨てたからだと告げてシングルマザーであることの説明をする。
なかなか含蓄のある言葉と説明だったのだが、これは最後に彼女が語る言葉と対になっている。
彼女は最後に見つけたものは「希望」だと語るのである。
脚本と言う映画藝術の一パートの面白さである。
警察の腐敗を描くことをメインにはしていないが、それにしても当時のロス市警の腐敗ぶりはひどい。
特殊権力を握った組織の勝手な暴走ほど恐ろしいものはないということだ。

息子ウォルターを名乗った少年の背景は少し弱かったように思う。
結局彼も警察の道具にされたのだが、そこに至った経緯が希薄だった。
ロス市警の腐敗を示す一つなのだが、物語上重要な位置を占めていただけに、もう少し描きこんでも良かったかもしれない。
僕たちはこの少年が偽物であることは当初から知っているが、彼はウォルター少年の姓名も住所も正確に言えているのだから相当叩き込まれていたのだろう。
では一体いつ、どこで、誰が彼にその情報を与え、ウォルターになり切ることを強要したのか。

後半になって彼女に支援者が現れはじめ努力が報われ始めるあたりから、あるいは病院で協力者と目で合図を交わすシーンぐらいから涙があふれ始めた。
僕にはこの映画に北朝鮮の拉致家族の人たちの姿がだぶって、上記の感動と、同情と共に、拉致被害者家族を応援する気持ちを再確認させるものがあって感慨深いものがあった。
クリスティン・コリンズの姿と思いと行動は、まさに自分たちの肉親の生存を信じて活動している拉致被害者家族そのものだと感じさせた。
まして、実際に生存者が帰ってきたところなども同じで、そういう人がいれば自分の子供や肉親が今も生存しているのだと信じて行動する気持になるものだとよく分かった。
今も北朝鮮を舞台に同じようなことが起こっていて、拉致被害者救出活動をしている家族がいるとのテロップを流してほしいぐらいだった。
クリスティン・コリンズは生涯息子のウォルターを探し続けたそうだが、同様の行動を続けている同朋の苦しみが非常にダブる映画だ。

イーストウッドは役者としても名を残している人だが、監督としての方が才能を開花させている人だと思う。
年齢を重ねて撮る映画が年々渋くなって来ているように思うが、その瑞々しさは衰えるところを知らないでいる。
近年、この監督の作品にハズレはないように思う。