おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

大菩薩峠 完結編

2019-10-11 13:29:24 | 映画
「大菩薩峠 完結編」 1959年 日本


監督 内田吐夢
出演 片岡千恵蔵 中村錦之助 長谷川裕見子
   月形龍之介 浦里はるみ 丘さとみ
   山形勲 岸井明 加賀邦男 星美智子
   東千代之介 喜多川千鶴 左卜全

ストーリー
将軍家直領二十五万石、甲府の街で机竜之助は枯草に覆われたつつじが岡の荒屋敷に起居している。
勤番支配・駒井能登守に私怨を抱く神尾主膳の命ずるまま、彼の剣は、甲州街道でいくつかの命を断った。
兄の仇である竜之助を求める宇津木兵馬は、主膳邸に出没した怪盗の犯行にこじつけられ、甲府城に捕われの身となった。
祖父を失ったお松も竜之助を追う一人で、兵馬の入牢を聞き、彼を救うべく主膳邸に住みこんだ。
主膳の狙う女は有馬家の娘お銀で、稀代の名刀伯耆の安綱とともに、つつじが岡の荒屋敷におびきよせた。
しかし、頭巾で覆われたお銀の半面は鬼女の相に等しかった。
お松の手から城内の絵図面を受取った裏宿の七兵衛は、持ち前の侠気から兵馬らを救った。
兵馬は能登守に迎えられ、流鏑馬八幡宮奉納試合に自ら買ってで、主膳召抱えの小森数之進を破った。
その帰途、能登守は竜之助にゆだねられた名刀安綱の切先に立った。
兵馬は能登守に代り竜之助に向ったのだが、竜之介は能登守を斬らず、兵馬の剣をさけた。
さらに主膳の焼打ちにあった竜之助は、お銀を伴い街道をさすらい、やがてその足は八幡村へ--。
宿命の神は、遂に竜之助をお浜の里へ招き寄せた。
水車小屋、お浜の幻影をそこに見た竜之助は、魔刀を一振り、また一人女が闇に消えた。
兵馬は元服していたが、幼少よりただ仇討一途に生きてきた彼とお松を結びつけた不思議な糸は、竜之助であったかも知れない。
二人は大菩薩峠に向った。
豪雨に狂う笛吹川で、盲の竜之助はその濁流の向うに、わが子郁太郎の泣き声を聞いた。
「危い郁太郎、父の手にすがれ……」憑かれたように、引きこまれるように、竜之助は水中に姿を消した。
それを見つめる兵馬らを包み、見下すものは屹然と立つ大菩薩の嶺であった。


寸評
竜之介は第二部でお徳に見せた人間らしさを失くし、再び狂人の如くになり果てている。
新たな女性としてお銀が登場するが、彼女は大資産家の娘であるが顔に大きなアザがあり、近寄ってくる男は皆財産目当てだと思っている。
神尾主膳は財産目当てで彼女と結婚しようと思っているが、彼女の顔を見ても財産のためなら顔の半分くらい目をつむると襲い掛かる。
それを救うのが神尾主膳に雇われた机竜之介である。
お銀は竜之介の目が見えないので嬉しいと彼に身を任せ、竜之介が起居する枯草に覆われた荒屋敷に居ついてしまう。
それでお銀の実家である有馬家が何も騒がないのはどうしたものか。
お銀は心配しなくても良いとの連絡を入れていたのだろうか。

お銀が持ってきた名刀伯耆の安綱を手に入れた竜之介は、お銀との愛欲の日々を送りながら夜半に出かけて試し斬りを行い、娘や老人を殺している。
斬りたいから斬るという精神異常性が再び顔を持ち上げたことが描かれる。
それこそ机竜之介そのものであり、初めに戻ったような感じだ。
このあたりから話は終結に向かって一気に走り出す。
牢屋に囚われている兵馬を助けるために、お松は神尾主膳の屋敷に女中として入り込み牢屋の図面を手に入れるが、それが勤番支配・駒井能登守の屋敷になくて、なぜ組頭の神尾主膳宅にあるのかよくわからない。
牢屋の支配は組頭の専権だったのだろうか。
兵馬は牢屋で幕府討幕の志士たちと知り合いになっているが、その内の一人は駒井能登守と共に学んだ知り合いで、牢破りをしながら逃げるわけにはいかないと元の牢屋に戻ることにする。
そんなユーモアのあるシーンもあり、またお玉が駒井能登守の死んだ妻に似ていて(星美智子の二役)、お玉が能登守に秘かな慕情を抱くといったほんわかムードも描かれて今までにない雰囲気を出す。

駒井能登守の配下となった兵馬は神尾主膳によって能登守暗殺を命じられた竜之介と対峙する場面を得るが、その企みが発覚するのを恐れた神尾主膳によって竜之介を連れ去られてしまう。
邪魔になった竜之介とお銀を殺そうとする主膳だが、能登守から悪事を指摘され江戸送りを命じられる。
逃れた竜之介は郁太郎の声を聞き笛吹川の濁流にのまれていく。
端折りすぎとも言えるぐらい早急な展開である。
目まぐるしく進んでいくストーリの中にあって、このシリーズに秘かに流れていた物を描き出すのが、大菩薩峠で地蔵を彫りながら郁太郎を育てている与八の登場からだ。
人を恨むことの無意味さを与八に語らせご詠歌が流れる。
ご詠歌の様な調べはお玉が引く三味線歌などでも用いられており、仏教の「和讃」を大いに感じさせる。
机竜之介は死ぬことで救われるのだとばかりに血の池地獄のような笛吹川に飲み込まれる。
それを決定付けるのがタイトルバックで、今まで上から下になめていた曼陀羅図を、地獄が描かれた下から天国が描かれた上へとカメラがパンしていくラストだった。