おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

父親たちの星条旗

2019-10-30 09:21:38 | 映画
「父親たちの星条旗」 2206年 アメリカ


監督 クリント・イーストウッド
出演 ライアン・フィリップ
   アダム・ビーチ
   ジェシー・ブラッドフォード
   バリー・ペッパー
   ジェイミー・ベル
   ポール・ウォーカー
   ジョン・ベンジャミン・ヒッキー
   ジョン・スラッテリー

ストーリー
太平洋戦争末期、硫黄島に上陸したアメリカ軍は日本軍の予想以上の抵抗に苦しめられ、戦闘は長引き、いたずらに死傷者を増やす事態に陥っていた。
そんな中、摺鉢山の頂上に星条旗が高らかに翻る。
この瞬間を捉えた1枚の写真が長引く戦争に疲弊したアメリカ国民の士気を上げるために利用された。
星条旗を掲げる6名の兵士、マイク、フランクリン、ハンク、レイニー、アイラ、ドクは一躍アメリカの英雄となった。
しかし、その後祖国に帰還したのはドク、アイラ、レイニーの3人だけだった。
国民的英雄として熱狂的に迎えられた彼らは、戦費を調達するための戦時国債キャンペーンに駆り出され、アメリカ各地を回るのだった。
兵士の中には、自分が祖国で名を成すとは知らずに撮影直後に死んでいった者もいた。
生還した者でも、祭り上げられることに関心を抱かず、自分を英雄などとは思わない者もいた。
彼らはただ、名誉とは無縁に戦い、戦死した仲間たちとともに前線に留まりたかっただけだった…。


寸評
今のイラク戦争においても報道統制、虚偽報道が行われている事は想像に難くない。
米軍の戦死者は発表数よりも相当多いらしいし、戦死者は60万人とも言われているが実体はわからない。
しかしながら戦争遂行のために英雄が作り出される構図は、第一次上海事変の肉弾三勇士をはじめ、最近のでっち上げられた女性兵士の例に見られるように必ず存在してるものなのだろう。

国家の犠牲になってピエロ役を背負わされた人間が苦悩する様は、戦争の惨さの一つの現れ方を示していて痛ましいものがあった。
特にインディアンの血を引き、人種差別とも戦っていかねばならなかったアイラに心打たれる。
英雄となった彼らが、平和になった後は忘れ去られ、幸福とはいえない一生を終えることに虚しさを覚える。
アメリカの英雄になりながら戦場で死んで行くマイク、フランクリン、ハンクの姿も痛ましかったが、そのことがもう少し奥深く描かれていたら、戦争の非条理さがもっと感じれたのではないかと思う。

お互いに戦闘体勢で戦った太平洋戦争において、死傷者の数となると唯一日本軍を上回った硫黄島の戦いなのだから、もう少しその戦いの中身が描かれているものと思っていたので少し肩透かしを食った気分だ。
それでも上陸開始後の米軍の被害状況は地獄絵で、無数の死体に混じって飛び散った腕や首などが写しだされ、戦場の凄まじさが伝わってくる。
海岸線が防御の第一番が常識のところ、日本軍は栗林中将の作戦でそれを放棄している。
米軍はその作戦のために第1陣は簡単に上陸を果たし、米兵も「なぜ撃ってこない」と疑問を持ちながら進軍するが、潜んでいた日本軍が一斉に攻撃を開始すると、近くまで来ていた米軍は甚大な被害を出していくことになる。
事前の擂鉢山への艦砲射撃は凄まじく、船上の米兵もその光景を微笑みながら見る余裕はあったのだが、地下要塞は堅固だったのだ。

最初に掲揚された国旗を欲しがる上層部や、事前攻撃の少なさの指摘を無視した攻撃など、少しはその作戦の無謀さを描いた個所もあったが、テーマはそのことではなかったので、それらの場面はさらりとした描き方だった。
むしろテーマを追求するために、そちらはあえて割愛したところがって、それを期待したのはこちらの身勝手な想像だったことを思い知らされる。
三人が帰還してからのキャンペーンに翻弄される姿と、戦場に戻るアイラの姿が、有名な写真に隠されたエピソードと当の本人達の揺れる心を我々に訴えて切々たるものがあった。

硫黄島二部作で、日本側から見た「硫黄島からの手紙」があるが、映画の出来栄えとしては本作の方がいいように思う。
戦闘場面をはさんで、いろんなえピソードを時間を前後させながら描いていく手法にもよるが、米国人自身(イーストウッド)が自国側を描いていることにもよると思う。
戦争の不条理は、自国側を描いたほうが訴える力は強いと思うのだ。
敵側を描くと、どうしてもプロパガンダ的になってしまうような気がするのだ。
イーストウッドはスゴイと思うのは、日米両国の視点で描いたこの二部作が水準を維持していることだ。