「太陽を盗んだ男」 1979年 日本
監督 長谷川和彦
出演 沢田研二 菅原文太 池上季実子
北村和夫 神山繁 佐藤慶
風間杜夫 小松方正 汐路章
水谷豊 西田敏行 伊藤雄之助
ストーリ
東海村の原子力発電所が一人の賊に襲われた。
警察庁長官の「盗難の事実は一切ない」という公式発表に山下警部は疑問を抱いていた。
その頃、中学の物理の教師、城戸誠は、自分の部屋で、宇宙服スタイルで原爆を作っていた。
城戸は完成した原爆の強大な力で、警察に「テレビのナイターを最後まで放映しろ」と要求、連絡相手を山下警部に指名した。
何故なら、東海村襲撃の下見をかねて生徒たちと原発を見学した帰り、機関銃と手榴弾で武装した老人にバスジャックされたとき、生徒を救出し、弾を受けながら犯人を逮捕した男が山下で、教師に飽きた自分と比べ、仕事に命を張った山下に魅力を感じたのだ。
その日のナイターは最後まで放映された。
城戸の第二の要求は麻薬で入国許可の下りないローリングストーンズの入国許可、ローリング・ストーンズの日本公演をラジオ番組を通じて要求する
次に城戸は原爆を作るのにサラ金から借りた五十万円を返すために五億円を要求した。
金の受け渡しに犯人と接触出来ると、山下は張り切った。
金を受けとったとき、警察に包囲された城戸は、札束をデパートの屋上からばらまいた。
路上はパニックと化し、そのドサクサに城戸は何とか逃げ出す。
やがて、城戸は武道館の屋上で山下と再会、二人はとっくみ合ううち、路上に転落、山下は即死するが、城戸は原爆を抱いたまま木の枝にひっかかって命びろい。
タイムスイッチのセットされた原爆を抱いて街を歩く城戸。
そして城戸の腕の中で、強烈な光が……。
寸評
原爆や水爆を描いた作品は例えば「黒い雨」や「第五福竜丸」のように重くなりがちだが、「太陽を盗んだ男」はポップな感じのエンタメ性に富んだ作品となっている。
主人公を演じる沢田研二は1960年代後半に大流行したグループサウンズのバンド「ザ・タイガース」の人気ボーカリストだったが、アイドルグループとしての出演作と打って変わって、この作品においてはじめて演技者としての力量の片りんを見せていると思う。
風船ガムをしょっちゅう膨らませて、けだるい雰囲気を出すスタイルが印象に残る。
主人公がアパートの一室で原爆を作る過程が本当かどうか分からないが丁寧に描かれ、、菅原文太演じる刑事との攻防がリアリティをもって描かれる一方で、バスジャック犯の描き方とか、原爆を警察から奪還するといった重要なシーンがコミカルに処理されているというアンバランスが不思議な魅力となっている。
原発からのプルトニウム強奪シーンは映画の見せ場としてアクションが繰り広げられてもいいのだが、それを施設への侵入から強奪、警備員との銃撃戦までをストップモーションの連続で描いていく手法がスタイリッシュでかっこいい演出となっている。
城戸は理科の先生としてあまり授業に熱心ではないが、こと原爆のことになると受験に関係ないにもかかわらず我を忘れて説明しだす原爆オタクにすぎない。
自分が何をやりたいのかも分からず、せいぜい野球中継の延長やローリングストーンズのコンサート実現を要求する程度の男なのだ。
最後に爆発音が入るが、僕は原爆は爆発していないと思う。
「博士の異常な愛情」では爆発シーンが最後に描かれていたのを思い出した。
山下警部がビルの屋上から突き落とそうとしたときの往生際の悪さから見て、自ら爆発させることなどできず、放射能に犯されみじめに死んでいったと勝手に想像している。
そのみじめったらしさを感じさせた沢田研二はなかなかいい。
城戸はシラケ世代の代表者なのかもしれない。
それにしても池上季実子の沢井零子という存在は何だったのだろう。
面白ければなんでもいいというラジオやテレビへの当てつけか、それともマスコミは何をやっても許されると言う思い上がりへの警鐘だったのだろうか。
彼女の主張がよく分からなかった。
この映画は、スタッフとして制作進行に黒沢清、助監督に相米慎二の名前が見られるスゴイ映画なのだ。
そして今では考えられないようなゲリラ撮影が行われた作品でもある。
無人の首都高速で繰り広げられる犯人と警察のカーチェイス・シーンは、スタッフの車数台で首都高速の入口を塞いで意図的な渋滞を起こして撮ったらしいし、女装した犯人の国会議事堂への潜入シーンなども撮影許可を取らずに行ったものとのことである。
長谷川和彦がこれだけの作品を残して沈黙を守ってしまったのは残念だ。
だから余計にこの作品に愛おしさを感じてしまうのかもしれないが・・・。
監督 長谷川和彦
出演 沢田研二 菅原文太 池上季実子
北村和夫 神山繁 佐藤慶
風間杜夫 小松方正 汐路章
水谷豊 西田敏行 伊藤雄之助
ストーリ
東海村の原子力発電所が一人の賊に襲われた。
警察庁長官の「盗難の事実は一切ない」という公式発表に山下警部は疑問を抱いていた。
その頃、中学の物理の教師、城戸誠は、自分の部屋で、宇宙服スタイルで原爆を作っていた。
城戸は完成した原爆の強大な力で、警察に「テレビのナイターを最後まで放映しろ」と要求、連絡相手を山下警部に指名した。
何故なら、東海村襲撃の下見をかねて生徒たちと原発を見学した帰り、機関銃と手榴弾で武装した老人にバスジャックされたとき、生徒を救出し、弾を受けながら犯人を逮捕した男が山下で、教師に飽きた自分と比べ、仕事に命を張った山下に魅力を感じたのだ。
その日のナイターは最後まで放映された。
城戸の第二の要求は麻薬で入国許可の下りないローリングストーンズの入国許可、ローリング・ストーンズの日本公演をラジオ番組を通じて要求する
次に城戸は原爆を作るのにサラ金から借りた五十万円を返すために五億円を要求した。
金の受け渡しに犯人と接触出来ると、山下は張り切った。
金を受けとったとき、警察に包囲された城戸は、札束をデパートの屋上からばらまいた。
路上はパニックと化し、そのドサクサに城戸は何とか逃げ出す。
やがて、城戸は武道館の屋上で山下と再会、二人はとっくみ合ううち、路上に転落、山下は即死するが、城戸は原爆を抱いたまま木の枝にひっかかって命びろい。
タイムスイッチのセットされた原爆を抱いて街を歩く城戸。
そして城戸の腕の中で、強烈な光が……。
寸評
原爆や水爆を描いた作品は例えば「黒い雨」や「第五福竜丸」のように重くなりがちだが、「太陽を盗んだ男」はポップな感じのエンタメ性に富んだ作品となっている。
主人公を演じる沢田研二は1960年代後半に大流行したグループサウンズのバンド「ザ・タイガース」の人気ボーカリストだったが、アイドルグループとしての出演作と打って変わって、この作品においてはじめて演技者としての力量の片りんを見せていると思う。
風船ガムをしょっちゅう膨らませて、けだるい雰囲気を出すスタイルが印象に残る。
主人公がアパートの一室で原爆を作る過程が本当かどうか分からないが丁寧に描かれ、、菅原文太演じる刑事との攻防がリアリティをもって描かれる一方で、バスジャック犯の描き方とか、原爆を警察から奪還するといった重要なシーンがコミカルに処理されているというアンバランスが不思議な魅力となっている。
原発からのプルトニウム強奪シーンは映画の見せ場としてアクションが繰り広げられてもいいのだが、それを施設への侵入から強奪、警備員との銃撃戦までをストップモーションの連続で描いていく手法がスタイリッシュでかっこいい演出となっている。
城戸は理科の先生としてあまり授業に熱心ではないが、こと原爆のことになると受験に関係ないにもかかわらず我を忘れて説明しだす原爆オタクにすぎない。
自分が何をやりたいのかも分からず、せいぜい野球中継の延長やローリングストーンズのコンサート実現を要求する程度の男なのだ。
最後に爆発音が入るが、僕は原爆は爆発していないと思う。
「博士の異常な愛情」では爆発シーンが最後に描かれていたのを思い出した。
山下警部がビルの屋上から突き落とそうとしたときの往生際の悪さから見て、自ら爆発させることなどできず、放射能に犯されみじめに死んでいったと勝手に想像している。
そのみじめったらしさを感じさせた沢田研二はなかなかいい。
城戸はシラケ世代の代表者なのかもしれない。
それにしても池上季実子の沢井零子という存在は何だったのだろう。
面白ければなんでもいいというラジオやテレビへの当てつけか、それともマスコミは何をやっても許されると言う思い上がりへの警鐘だったのだろうか。
彼女の主張がよく分からなかった。
この映画は、スタッフとして制作進行に黒沢清、助監督に相米慎二の名前が見られるスゴイ映画なのだ。
そして今では考えられないようなゲリラ撮影が行われた作品でもある。
無人の首都高速で繰り広げられる犯人と警察のカーチェイス・シーンは、スタッフの車数台で首都高速の入口を塞いで意図的な渋滞を起こして撮ったらしいし、女装した犯人の国会議事堂への潜入シーンなども撮影許可を取らずに行ったものとのことである。
長谷川和彦がこれだけの作品を残して沈黙を守ってしまったのは残念だ。
だから余計にこの作品に愛おしさを感じてしまうのかもしれないが・・・。