おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

大菩薩峠

2019-10-09 10:32:40 | 映画
「大菩薩峠」 1957年 日本


監督 内田吐夢
出演 片岡千恵蔵 中村錦之助 長谷川裕見子
   月形龍之介 大河内伝次郎 浦里はるみ
   丘さとみ 日高澄子 山形勲 波島進
   千田是也 岸井明 星美智子 永田靖

ストーリー
剣をとっては天下無敵の“音なしの構え”の机竜之助(片岡千恵蔵)だがの心の底には絶えず自分をさえ信じ得ぬ虚無の嵐が吹きまくっていた。
大菩薩峠で、何の理由もなく巡礼の老爺を斬捨てたのも彼にとっては一陣の突風のなせる業でしかない。
竜之助は奉納試合で宇津木文之丞(波島進)と対戦することになった。
夫の負けを覚悟した文之丞の妻お浜(長谷川裕見子)が龍之介に勝ちを譲ることを頼みに来た。
しかし竜之助はお浜を犯し、試合で文之丞を殺すと、お浜を連れて江戸へ向かってしまう。
それから四年、お浜を連れて江戸に出た竜之助には、一子郁太郎が生れていたが、剣の深淵に混迷する彼は血に飢え、魔心に狂い、地獄の業火にのたうちまわっていた。
その頃、文之丞の弟宇津木兵馬(中村錦之助)は兄の仇を討つべく、島田虎之助(大河内伝次郎)の道場で武芸を磨いていた。
兵馬はふとした機会にお松(丘さとみ)という娘と知り合いお互いに愛情を抱くようになったが、彼女こそ、あの大菩薩峠で竜之助に殺された巡礼の孫娘であった。
一方、竜之助は魔剣に魅せられお浜をその刃にかけてしまった。
そしてただ斬ることのみで新徴組に加担し京に上った竜之助はついに狂気となってさまよい、彼の通った道筋には無惨に斬られた死体が点々と転がっていた。
やっと正気に戻った大和路で彼はお浜と生写しの女、お豊(長谷川裕見子の二役)に出会った。
お豊は彼と江戸に向う日、彼女に横恋慕する男、金蔵(片岡栄二郎)によってかどわかされた。
いまは、善も悪もすべて虚空の彼方に追いやった竜之助は、蜂起に失敗した天誅組の中に身をおいた。
そして、残党狩りの追手の火薬に眼を焼かれ盲目となるが“音なしの構え”はいよいよ冴えていった…。


寸評
僕は中里介山の未完の大作「大菩薩峠」を読んでいないので何とも言えないが、この小説自体が宗教観を漂わせる人間の業と煩悩に満ちた作品なのかもしれない。
机竜之介という主人公はある意味で無差別殺人を繰り返す精神異常者である。
極悪非道の悪人でもなく、当然ながら正義の味方の善人ではない。
理由もなく老巡礼を斬り捨てるし、 神尾主膳(山形勲)のような女狂いではないが女も犯す。
それなのに逆説的に見れば、悩み苦しみながらも輪廻転生し生まれ変われる対象者のようにも感じる。
タイトルバックは仏教絵で、天女が舞う天国からか下りて行き延々と続く地獄絵図となる。
天国はわずかでほとんどが地獄絵となっていることを見ると、この世は地獄なのだと言っているようなのだ。
タイトルバックからして宗教的なものを感じさせる作品だ。

多彩な女が登場するのも特徴的で、女たちはあるときは善人らしく振舞っているのに、或る時に別人格に豹変する二面性を持っている。
宇津木文之丞の妻お浜は、家名大事なばかりに独断で机竜之助に勝ちを譲ってほしいと懇願に出向く。
行きがかり上「親兄弟、家名のためなら女の操も捨てる覚悟だ」と言ってしまい、龍之介に犯されることになってしまうのだが、それが原因で離縁されると犯した相手である竜之介のもとへ走る気性の激しい女である。

少女のお松は亡き母の妹である叔母の店山岡屋を訪ねるが知らぬふりをされる。
それを見かけた何かの師匠であるお絹(浦里はるみ)は当初お松を預かることにして育てるいい人として描かれているが、お松が成人してくると女に目がない神尾主膳に斡旋するという態度をとる。

山岡屋の女将である叔母は丁稚と出来ていて、そのことがばれて店を追い出され屋台を引いて生計を立てる身に落ちぶれているが、或る時難儀しているお松を救うが、やがて遊郭に売り飛ばしてしまう。
そんな風に登場する女は人の持つ二面性を調所で見せるのであるが、そのような二面性は事の大小はあれど誰しもが持っている人の業の様なものだ。

竜之介が殺してしまったお浜に生き写しのお豊が登場するが、心中を計って生き返って来た彼女はまさしく輪廻転生の象徴である。
お浜と違って従順で、非業を背負う竜之介に付き従い彼を非難するようなことはしない。
僕はもがき苦しみながら数奇な道を歩んでいく机竜之助に引き付けながらも、登場する女たちのエピソードに目が行っていた。

内田吐夢の演出はロケ撮影にセット撮影を組み合わせ、重厚な雰囲気を画面全体に漂わせている。
宇津木の追手を斬り伏せ、お浜と共にモヤが煙る松林の奥に消え去るシーンでは、そのモヤが緑色に染まるという演出を試みている。
この演出方法はその後「宮本武蔵シリーズ」や「人生劇場 飛車角と吉良常」でも用いられているから、お気に入りの演出方法となったのかもしれない。