頑張って生きる。

元気だった主婦がある日突然、障害者になり、余命を宣告された。でも、頑張って生きようと心に決め一日を大切に過ごしてます。

義父、義母

2017-09-05 11:06:55 | Weblog
結婚して舅、姑と暮らし始めました。

それなりにお互い、気を使って暮らしたのは当たり前です。でも、姑は民謡という趣味があり、時間を見ては近くの公民館や少し離れたところまで出かけていました。

「お母さん、家のこと、お願いね!」って・・・・

仕事を退職してからは、私たちの子供の面倒を見ながら趣味も続けていました。

結婚して14年過ぎた頃、義父が亡くなり、30年くらい過ぎた頃、認知症を発症し今、施設で過ごしてます。

新婚当初、夫婦、二人だけの生活を夢を見たこともありました。でも、気を使うのはお互い様。意地悪をされた事もありませんでした。

36年経った今、嫁ぎ先の親戚と和やかにおつきあいが出来る事、お盆、お正月の行事ごとも特に教えてもらった訳でもないけど、出来るようになりました。田舎なので長男の嫁って、結構、大変なのですよ。

その他、町内のおつきあいも、一応、長男の嫁としての要はなしていると思います。

それは、同居していたからだと思います。義母が元気で一緒に生活をしているうちに、孫のお守り をしている義母に私が、「おばあちゃん、これ、どうするん?」「ちょっと、味、見て?」とかいう風に、自然に少しづつ、身につける事ができたのだと思います。

「今日、民謡の発表会やし、家の事、お願いね!」とか、「おじいさんと出かけて来るね!」と、子供達も手がかからなくなり、私も慣れてきた頃には、義父の故郷である金沢や娘が家庭を持つ京都に泊まりがけで出かけたりするようになりました。

もちろん、家族が病気になったりした時は全力で助けてくれました。

旦那さまと、結婚して36年経った今、田舎の長男の嫁として旦那さまの姉、妹を始め、親戚からも 認めて頂けるようになったのは、自然に嫁としての大役を少しづつ私に伝えてくれていたからだと思います。

妹夫婦は 、京都市内で家庭を持ち生活をしていますが、姉夫婦は歩いて4~5分のところに家庭を持っています。孫に関しても分け隔てなく 、娘と嫁との関係も上手に考えてくれていたように思います。

子供達の事も 、大変 、可愛がってくれましたが、おばあちゃんの立場で接する事、大事なことは親である私たちに任せ、相談したら知恵はもらったけど、大事なことは私たち親に・・・というような感じでした。

義父は亡くなって、23 年 、義母は91歳。私たちが面会に行っても、わかっているのか 、どうなのか??

でも、今、義姉や義妹 、義父、義母の兄弟 、姉妹、親戚の方と、和やかにおつきあいが出来るよう私たちを 導いて、うれたことに、心から感謝です。

そして、私たちの息子たちにも同じように伝えられたら・・・と、思います。・・・・・・が、

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