えーとですね、何から話しましょ…
11日から16日のレースでしたが、ほとんど移動の記憶しかない。
13日のレース前日に2hの練習で町を通過した際に、一杯だけカフェのんで合計4枚くらい写真とったくらいか。
7000円換金したが、ほとんどを帰りのトランジットのシンガポール空港での細かい電化製品と薬局で使った。
薬局はもちろん怪我のため。
そうです、8オウジはどこにも発表されてませんが、落車しました。
もちろん巻き込まれです。。
スタートアタック合戦に参加して、いい位置にいたのですが数人の逃げに乗れず、集団待機。
先輩方が先頭付近にいたので、自分も先頭から3割地点くらいを走行。
スプリントを狙うチームが完全にコントロールしていたので、99パーセントスプリントになる。
プロの緩いレースが続く。
動きがあるとすればラストの丘越えがある85キロ地点。安全を取って前に上がろうと思った矢先…
30センチ前を走っていた選手が突然横を向き下に落ちていく。
下り基調で時速50キロ前後の速度からのフルブレーキ!
2秒弱くらい衝突まで耐えたので多分時速30キロくらいでフロント車輪が転けている自転車に突っ込んで前転。
この時、少ししか滑らず、上から叩き付けられるように落ちたので衝撃がすごかった。
集団は通過していくが体が動かない。
頭はうっていない、骨は折れていない。それは自分自身ですぐに分かったが、右の腰骨がすべての重さと速度を受け止めていて、全く動かなかった。
頑張って立ち上がるが、まるでバンビ。ブルブルしてまともに自転車にまたがれない。
どうにか走り出すが、もうプロトンはみえない。
1分半から2分。
まだ走れると告げて走り出すが…
なぜか1人に…
捨てられた。
「走れる」とは、完走ただ目指して走るのでは無く、「レースを走れる」という意味だったのに。
1人ではどうやってもペースを保つプロトンには追いつきません…
腹が立って、泣けてきて、観客がいない区間は叫びまくってやった。
ヨーロッパを、いや、レース生活を学ばなければいけないのは俺ではなく…と。
その話はもういいや。軽くは話したし。
その前に、俺の前で転けたの誰やねん…全く分からんかった。
調子は良かっただけに、残念でならない。
大きなチャンスを一つ失う結果になったが、まだまだチャンスはある!
レース当夜に梱包している時点ではもうすでに次のレースの事を考えていた。
先ずは大久保メカに自転車直してもらわないと、とね(笑)
ほんまにー、少しだけでも期待してくださっていた方には本当にすいませんと思っていますが、また頑張りますので今後も応援よろしくお願いします!

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