「ゆるちょ・インサウスティ!」の「海の上の入道雲」

楽しいおしゃべりと、真実の追求をテーマに、楽しく歩いていきます。

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坂の上の雲 第四話「日清開戦」(6)

2009年12月26日 | ゆるちょ!のドラマ・レビュー!
いやあ、しかし、前回のシーンがあまりにあれだったので、
こう、のぼさんが出てくるとやたらとほっとしますね。
まあ、制作陣もちゃあんと、それわかってて、ここにのぼさん、出してきてるんだけどさ(笑)。

「やったぞ、やったぞな」
とのぼさん、うれしそうに、飛び上がりながら、走ってきます。
いやぁ、この結核なんだけど、こんな体動かしちゃっていいのかね。でも、のぼさんがうれしそうにしているのをみると、
なんだかうれしくなってくるんで、これは、感覚が「リーさん」化しているのかな(笑)。

しかし、明治の街並みがしっかりと表現されてますなあ。すごいなあ(笑)。こういう木戸なんか、自分らの子供の時代にはありました。

「野に山に進むや月ぞ三万騎」

と盛り上がってますが、これは、日清戦争での数々の日本の勝利に燃えた、のぼさんが作った句なんですね。
司馬さんいわく、あまりうまくない句なんだそうですが(笑)。

「ただいま帰りました。母上、従軍決まりました。欠員の出た従軍記者の枠にいれてもろたんです」
もう、すぐかわいくなっちゃうだよね、のぼさん。そして、このお母さんもやさしいしねぇ(笑)。
「陸先生もあしの熱意に根負けぞな。やったー、従軍じゃあ。大阪師団と共に海を渡るんじゃあ」もう素直にうれしくなりますね。ちょっとお母さんやりーさんと
同じ気持ちになってます。こんだけ、素直に喜ばれると、まわりにいる人間もうれしくなりますよね。ということは、人間、気持ちを素直にだすほうが、
周りも喜ぶということ、でしょうね。ま、一種のまわりへのサービスでしょうか。うれしいときには、うれしさ爆発の方が、中途半端にならずによい、
ということを教えてくれます。ほんと、このドラマはいろいろな人生への示唆があるねえ。良作です(笑)。
とあまりのうれしさに、おじいちゃんの位牌にむけて、「ちんちんー」とならして、おがむのぼさんです。
おじいちゃんのこと、よっぽど、好きなんだねえ(笑)。とそんなのぼさんを見て、うれしがるお母さんです。
「小生の人生において、最もうれしかりこと、松山中学4年間で卒業して、上京がきまったとき」と、着物着替え用としているんだけど、口が止まらない(笑)。
もう、素直に笑ってしまいます。うれしくなっちゃいますね。いやあ、よかったよかったって感じです。
「今ひとつは、はじめて従軍と決まったこのときー」もうとびあがって、うれしがるのぼさんです。いやいや、見ていて気持ちいいですねぇ(笑)。
「うちもついていかんで大丈夫かのー」と素直なりーさんです。のぼさんの喜びように、素直にうれしがってるりーさんもまたいいですねえ(笑)。
「あほう、どこの従軍記者が妹を連れて行くー」とか言いながらののぼさんが、また、そのしぐさがかわいいんだよね(笑)。
「日本が今随分親しかった国とたたこうておるんじゃねー」と、お母さんひとり、物思いにふけり、ひとり気持ちが違う場所に立っています。
「え?」と、冷水をあびせられたのぼさんは、ちょっと困惑気味です。
「きてごらん、掛け軸は漢詩。お皿は支那の子らが遊ぶ絵柄」と言われてのぼさん、ちょっとはしゃぎすぎた自分にちょっと反省気分。
「漢字も支那の文字じゃろう」とりーさんも同調しています。
「あたり前じゃあ。あしらのじいさま大原観山は漢学の大家じゃぞお」と反省がわりに、「俺だってわかってるもんね、それくらい」の表現です(笑)。
「子供の頃、おじいちゃんによう支那の話を聞かされました」とお母さん素直な述懐です。
「支那は夢のようなお国で、誰も憎い敵じゃとは思わなんだ」そう言われてのぼさんも単純に喜んでいた自分を少し考え直します。そして、ゆっくり
漢詩をのぞき込んでいます。

さて、このシーンは何を表現していたんでしょう?。
原作にあるのは、のぼさんが従軍記者に選ばれて単純に喜んでいるシーンだけです。「日本が今随分親しかった・・・」以降は創作ですね。
つまり制作陣が何らかの意図をもって、創作を加えてこのシーンをつくった、ということです。
うかれていたのぼさんに、「でも清国って、日本にとっては、いろいろ恩恵をうけてきた国なのに」ということをお母さんとりーさんが訴えてるわけ
ですね。これは、事はそんな単純な問題じゃないのよ、日本にとって、ということを言いたいのでしょうか。それとも、日本は清国にいろいろ
恩恵を受けてきたのよ・・・ということを強調したいのでしょうか・・・。前者ととると、近代的批判精神という奴でしょうか。
でも、それをする必要性を前後の文脈からして、まったく感じられないんですよね。これまで見てきたこの作品のトーンとも違うし。
であれば、後者ということになります。つまり、この作品で、清国をサゲているシーンがいくつかありましたが、それとバランスをとるために、
清国アゲをした、というのが、この創作シーンの本音と言えるでしょうね。
ただ、自分の好みからいえば、少しアゲの仕方があざとい、というか、お母さんの「日本が今随分親しかった・・・」の一言だけで、
あとはため息くらいの表現でも、十分視聴者に伝わった気がするんですけど、それはおかしい考え方ですかねぇ?。
自分の感じでは、それ以降のセリフは、小学生が知識もないくせに、教科書的な情報を他人に披露して喜んでいるような、なんか、
とってつけた感が感じられて、ちょっとやりすぎなような気がしました。というか、視聴者を馬鹿にしていませんか?。
上から目線で、「お前ら知らないだろうから、教えてやるよ」、というメッセージを感じるんですが、それは穿った見方過ぎますか?。
というか、NHKや制作陣に多いであろう、ある特定年代層の中国好きな方達の腐臭が感じられた気がして、ちょっと残念でした。
だから、急におじいちゃん好きののぼさんを描いたのね?。これも唐突感があって、この作品のその他の部分のできに比べると、
明らかに作劇のレベルが下がっています。いわゆる、レベルが突然低くなった印象です。一部の特定層が全体のバランスも考えずに
自分のやりたいことだけやって押し込んだ感がありますね。ここだけ、ちょっと変。そんな印象をもちました。
他の部分のレベルが優秀で、しっかりと生き生きしているのに比べ、この部分だけ、ただの作り話にレベルが落ちてしまって、残念でした。
他の部分が優秀だっただけに、とっても、残念な気分です。

そうか。このシーンは日本人に向けて作ったわけでないんだ。日本人のメンタリティや知識レベルなら、お母さんのひとことで、
伝わるはずなのに、さらにそれに継ぎ足しているということは、これは明らかに中国や韓国北朝鮮などの他国の人間に
理解してもらうことを前提につくっていますね。そして、アゲてますよ、ということを自慢したいんだ。

日本人のために、描いていないとは・・・。

ある特定の制作人が、自己満足のために作劇するな、と言いたいですね。これは、11ヶ月「天地人」で凝りましたから。
せっかくの俳優の熱演がその一事で、だいなしになります。そういうことをわかってない制作人がここに紛れ込んで
いたこと自体、驚きですが、そういうシナリオを通過させた、脚本諮問委員会も案外大概です。

というわけで、ただただ、レベルの低い清国アゲのシーンになってしまった、このシーンについては、評価はなしです。
せっかくここまで、よかったのにね。もちろんバランスをとることについては、異議はありません。
ただ、やりかたが下手過ぎ、という感想をもちましたね(下手なわけでなく、確信犯なわけですが(笑))。


清国北洋艦隊の滅びは、2月18日に来た。提督の丁汝昌は、毒を仰いで自殺した。

ちょっと落ち込ん出る感じの淳さんです。いやぁ、自分も映像を見て記事書いただけで、
かなりきついものがありましたから、それを現実に体験した淳さん、落ち込むのも当然です。
というわけで、軍艦の修理や掃除などが始まっております。

海軍少尉、広瀬武夫

「秋山」といつも元気な広瀬さん登場です。この俳優さんは「坂雲ファン」の女性に人気があるみたいですね。
「広瀬さん」とちょっとまだ、卑屈な感じの淳さんです。
「一足先に佐世保に帰るけん、しゅうげんの開港用意も命じられたし」とよくわからないけど、先に帰るみたいですね(笑)。
「飲まんかい」と言われても今ひとつ元気のない淳さんです。というか、兄さんはあれだけ飲酒シーンが出てくるのに、淳さんの飲酒シーンはこれまでないよね。
「丁汝昌提督の棺が船に載せられた出ていきよった」とちょっと感慨深げな広瀬さんです。
「丁汝昌ほどの名将でも、軍の規律が緩み、国が腐敗しておる限り、いくさに勝つことができん」という広瀬さんの言葉ですが、淳さん、一杯一杯で、ただ、ぼうっと
見てるだけで、あんまりひとの話を聞いてないように、見えます(笑)。
「俺には丁汝昌への詳報が、清国に対する詳報に聞こえたち」とか、言われても、ぼうっとしてる淳さんです。広瀬さん、ただのひとりごと状態です(笑)。
「広瀬さん。あしは、軍人には向いとらん」ずーっとその事だけ考えていたんですね。
「秋山、どげんした」と淳さんの異変に改めて気づく広瀬さんです。もう、とにかく淳さん、態度も弱々しくなっちゃって、立ってもいられない状態です。
改めてそれに気づいて、広瀬さん驚いています。そして思い切りの不審顔(笑)。
「いくさは恐ろしい。さっきまで隣におった奴が、一瞬にして死んでしもた」淳さん弱々しくなっちゃって、あの喧嘩小僧の面影はいずこ・・・(笑)。
「確かにいくさは悲惨じゃ。じゃけん、それを恐れちゃいくさはできん」同じ軍人として、理解できる話ですが・・・でもさ、って感じです。
「あいつ、手柄を立てて我が家に帰るのを、楽しみにしておりました」そんな広瀬さんの気遣いもわからず、ただ、思い出話の淳さんです。
「あしがあのとき、命令をださんかったら、あいつは死なずにすんだはずじゃ」もうほとんど泣きそうです。あんだけ慕ってた原田くんだからねえ。気持ちの濃いひと
なんですな、淳さんは。「そんなこといわれたってよー。俺何言ったらいいんだよー」という表情の広瀬さんです(笑)。
「広瀬さん、やっぱりあしは軍人には向いとらん」今現在、精一杯の淳さんの結論なんですねぇ。まあ、この葛藤があるから、後年の喧嘩大将がうまれる、
と言ったところでしょうか。

さて、このシーンでは何が表現されたのでしょうか。
広瀬さんは日清戦争に対する感慨を述べたのに対して、淳さんは部下をたくさん亡くしたことで、精神的に傷つき、そんな自分を感じて
「自分は軍人に向いてない」という結論に達しているということですね。精神的にタフな広瀬と精神的に傷ついた真之とを対比させ、
より真之の弱さを強調しています。ということは、真之の弱さをここでは表現していたんですね。まあ、後年強くなるわけですから、
とりあえず、まず、ここで弱さを表現しておき、その成長ぶりを描いていくというわけです。何しろ大河ドラマというのは、
(これはスペシャルドラマですが)「ある人間の成長を描くドラマ」というのが、おきまりですからね(笑)。
ここではアゲは、広瀬さんかな。そのタフさを描いたという感じ?。まあ、女性にも人気のあるキャラに仕上がってますからね。
そして、サゲは真之ですね。あえて、サゲておいて、そこからの変化ぶりを描いていくのでしょう。そのためのサゲです。
日本人の美意識という観点からは、特に話す内容はないですかね。広瀬さんのタフさぶりは、そこまでいってないでしょうし(笑)。

と、この記事はここまで。

ここまで読んで頂いたみなさん、ありがとうございました。

続きは次の投稿で。お疲れ様でした。



坂の上の雲 第四話 「日清開戦」(5)

2009年12月26日 | ゆるちょ!のドラマ・レビュー!
東京 根岸

子規の根岸の里にも、戦いの嵐は押し寄せている。戦地から送られてくる従軍記者からの記事で、
新聞日本の紙面も活況を体するようになり、社の連中が従軍記者としてどんどん出ていった。

いやぁ、「新聞日本」の社屋がいいですねえ。もう明治の世の中がしっかり再現されています。
従軍記者さんもなんか当時っぽい風情で、いいですなあ。楽しいですなあ(笑)。

と従軍記者さんが、ちょっとした気負いを見せながら微笑んでいます。それに対してちょっと寂しそうなのぼさんです。
「行ってまいります」
「弾にあたらないよう気をつけてください」そりゃ、そんな言葉もでますよねぇ。陸羯南さん、ひとがいいですからね(笑)。
「お心遣いありがとうございます。正岡、後は頼んだぞ」と、言われる、のぼさんちょっと落ち込ん出る風です。それでもなんとか、
「は」と返事。
「清国についたら、よい記事をどしどし送るからな、楽しみにまっておれ。それでは陸先生、失礼します」どうものぼさん、うらやましいんですな(笑)。
「バンザーイ」「バンザーイ」なんて声を聞きながら、羨望のまなざしです。と、本の森に囲まれ、何かを考えているのぼさんです。
「先生、あしも」となんと、編集部は、陸先生とのぼさん、二人だけじゃないですか(笑)。
「あしも従軍させてもらえんじゃろか」新しもの好きでなんにでも興味をもつひとですからね、のぼさんは。その気持ちはわからんでもないが(笑)。
「正岡くん」それは言わない約束だよ、という感じの陸先生なのでした。
「わかっとります」とのぼさん。
「あしの体のことを心配して頂いているのはありがとうございます」そうだよねえ、ひと一倍心配してくれてる陸先生だもんねえ(笑)。
「じゃが、ひとりまたひとり同僚が戦場に旅立つ。あしひとりだけが」ちょっと寂しいんですね。多分同時代の人間だったら、しっかりわかる話なんでしょうね。
何かに置いていかれる、そういう焦燥感。自分も現場に立ちたい、何か国のため、お役にたちたい、という「国」という新しい概念に対して、
はじめてもった、感覚なのかもしれないですね。それに対してひたすら、恋している状態と言ってもいいのでしょうか。それが、こののぼさんによって、
表現されていますねぇ。

「君には、蕪村の発掘というおお仕事があるではないですか」と、痛いところを突かれるのぼさんでした。そうだよねえ、のぼさんにしか、できない仕事
だからねぇ。それに体だって悪いわけだし、でも陸先生もそういうのぼさんの痛いほどの恋の気持ちをわかっているからこそ、
気持ちを鬼にして、引き止めているんですね。お互いがお互いの気持ちをわかっていながら、それでも一方は国というものへの恋心に拘泥し、
一方は、のぼさんそのもののあり方に思いをもっているわけですねぇ。ナニゲないシーンなのに、それを表現している。いやいや、まいります。

「古い句に仕事をあてるという仕事は、土蔵の暗がりを這いずり回るようなもんです」と、突然立ち上がりながらのぼさんは決然と表明します。
「そこがあなたの戦場です」とひきとめるんですね。あくまで。
「五月雨をあつめて早し最上川。芭蕉のこの句より、五月雨や大河を前に家二軒」と、陸先生は、例をだし、
「蕪村のこの句の方が、いきいきと情景が目に浮かび、優れている。そう評した君は卓越でした」とのぼさんを勇気づけます。国家への恋心をなんとかさまさせようと
やっきになっていますね。
「あしは」それでも恋は終わらないのぼさんです。
「春の水、山なき国を流れけり。これはどうです」陸先生も執拗です。追い打ちをかけます。
「山なき国というのは、いけません」とのぼさん、本分に立ち返ると強い攻撃力を見せます(笑)。陸先生にうまく載せられてます。
「なにゆえ」と、ちゃあんと本分に帰らせ、語らせる陸先生です(笑)。
「山なき国とは、なんでしょう。関東の武蔵野あたりかもしれんが、そういう地理的観念にたよるんは、よくない思います」と、自分なりの見解を示し、
「俳句というもんは、情景がすぐ浮かんでこんと。つまり俳句とは写生です」と、後にのぼさんの評価を決定ずけた句境にたどり着いたことを明示するわけです。
「写生ですか」とわかっていてとぼけているのか、初めて知るのか、ちょっとわからない陸先生です(笑)。
「はい」と、うれしそうなのぼさんです。
「ほうら、君も戦っているじゃないですか」いやあ、陸先生は、教育者として素晴らしいですね。
そんな顔して陸先生に見つめられ、のぼさんも自分で戦っていることに気づくんですね。ちょっとびっくりした感じがのぼさんらしい。
だけど・・・あしは・・・という恋心をあきらめきれない、のぼさんなのでした。

さて、このシーンで表現されたことは、何だったのでしょう。
従軍したいのぼさんと、それをひきとめ、のぼさん自身も今、自分の戦場で戦っていることをのぼさん自身にわからせる陸先生。
その戦場とは、俳句の世界であり、蕪村の再評価という仕事である。さらにのぼさんが、新たな句境を開きつつあることを指摘している。
それだけのことをしていながら、あくまで、のぼさんは、国家というこの新しい概念に対し、恋心を抱き、自分もこれに対して、
何かしてあげたい、何かできることはないのか、それこそ、従軍することだ、と痛い気な気持ちで、これを見つめている明治人の典型的な姿を
表現しています。これは司馬さんが原作で書いていることでもあり、この短いシーンの中にそれらが凝縮されて表現されていることが、
内容を濃くしています。つまりは、のぼさんを通して、明治人の典型的態度や考え方、と、現実の正岡子規の仕事を同時に表現していると
考えるのが妥当だと思えます。ある意味、のぼさんの仕事の紹介でもありますねえ。この場合、アゲたのは、のぼさんと、陸先生ということに
なるでしょうか。お互いを使いながらお互いをアゲてるわけです。そして、明治人という存在もアゲている。
よくできたシーンと言えるでしょう。
ここは原作の余談やその他をまとめてつくられたシーンですからね。
日本人の美徳という観点からみると、それこそ、明治人の国家に対する素朴な恋心といったモノが表現されていると見るべきでしょうか。


と、冒頭のシーンに出てくる3人で撮った写真がおいてあります。
ということはこの時期、3人で撮ったのでしょうか。出征前、でも、秋山家はもう松山にないし、
みんな東京にいるし、とすると、この後ろの城はどこか?という話になりますが、まあ、それは誰かが教えてくれるでしょう(笑)。
と、どこかで「かちん」「かちん」と何か音がしています。

「ただいま」
とこれは、久しぶり「りーさん」の声です。今回はこれが初めての登場ですかね。ま、戦争のシーンが多かったですから。っていうか、淳さんまだ、
登場してないしね。とりーさんが部屋に入ってきて、音のする方をさがしています。「かちん」「かちん」という音だけが響いています。
そして、ふと、外を見ると不思議そうに
「あにさん」とみつめています。
「なにをしておいでじゃ?」とのぼさんに聞きます。さっきからの「かちん」「かちん」はのぼさんだったんですね。
「見ればおわかりじゃろ」と「はんかち」にもみじが写し取られています。
「あ」やわらかな表情になりながら、りーさんが、ゆっくりと近寄ってきます。縁側に座ると
「こわい顔で、なにをしておいでじゃろと思ったら」と、静かにのぼさんを見ています。
「さっき庭に出たら、カエデの葉がこの世のものとも思えんほど、鮮やかに色づいとった」とこちらもゆっくりと説明するのぼさんでした。
「できれば、その赤を永遠のモノにしたいと思ったのじゃ」と石で叩きながら、静かに言うのぼさん。なにかにとりつかれたように、美しさに対する執念のような
ものを感じます。あまり自分に時間の残されていないことを感じながら、なにかを残したい、そんな気持ちがのぼさんにこんなことをさせているのかもしれません。
そんなことをなんとなく感じ、りーさんは少し悲しげな表情です。
「今頃淳さんは軍艦を乗り回し、淳さんのあにさんは、満州の大地をうまで駆け巡ってるじゃろ」のぼさんの中にある、国家への恋心がこんな行動を起こさせているのかもしれません。
淳さんや好古さんへのあこがれと今の自分に対する悲しみが、このような行動にでているのでしょう。
「それにひきかえ、あしは、庭の踏み石でもみじ打ちじゃあ」はかない自分への思いと何かを残したい執着。それが、この行動なのでしょう。
もみじの赤が、きれいにハンカチに移っています。
それらすべての気持ちを察して、泣きそうになりながら、その写しをみて、やわらかな表情になるりーさんです。
「ほんとに、きれいじゃねぇ」今りーさんにできることは、そう言ってあげるくらいなのでした。それだけがのぼさんの気持ちをやわらげること、
だと彼女は知っているんです。
「じゃろ」そうやって、のぼさんは一杯の笑顔で答えます。その笑顔をみて、りーさんもうれしくなるのでした。すべてがわかってるから、泣きそうになりながら。
それでも泣いたらいかんと、その気持ちをふりきりながら、さびしそうに、笑顔をつづけるりーさんなのでした。でも、涙は流れてしまうのでした。
そして、のぼさんもまた泣いていたのでした。つらい今の自分の状況を。

いやあ、いいシーンですなあ。思わず涙線決壊です。
どうも管ちゃんの演技がうますぎて、このひとが出てくるとほんと泣かされてしまいます。ほんとにうまい役者さんです。
たんたんと演じるのぼさんもねえ。ほんとになにげないシーンなんだけど、情感がぐっと刺激されて、涙してしまいます。
この二人は、お互い思いやるので、どんどんどんどん、悲劇的になればなるほど、つらい状況が強調されて伝わってくるんだよね。
いや、お互い思いやりながら、でも感情は動いてしまう。それに抗おうとするから、余計感情が動くという、そういう関係なので、
複雑な芝居が必要なんだけど、それをしっかり、この二人は演じているからねー。いやいや、またやられました、のぼさんとりーさんに。

この二人には、最初からやられっぱなしだ。ほんと。

さて、このシーンは何を表現しようとしてたか。
ここは、シンプルに淳さんや好古さんにあこがれ、そして、はかない自分への思いをもったのぼさんと、そののぼさんを思いやるリーさん、
という描写でしょうね。のぼさんの恋心と、兄弟の情愛のやりあい、それをシンプルに描いたとみることができます。
のぼさんの恋心を描くことで、明治人の心情を描き、情愛を描くことで、明治人のもっていた、情愛の深さをみせたかった、というあたりが、
脚本意図になると思います。ここは、二人をアゲたんでしょうね。日本人的美徳という観点から見ると、やはり、りーさんとのぼさんのみせる
細やかな情愛でしょう。相手のことを思いやり、感情まで抑える。だけど、抑えられない感情もそこにはあるんだよ、それだけ深い関係性なんだよ、と
そういう感性をもっていた明治人達だった、ということを表現しているんでしょうね。
この二人がでてくると、ホッとします。いまや、このドラマのオアシスと化しています。


さて、淳さんやっと出てきました。暗闇の淳さん。

翌明治28年1月、連合艦隊は、清国北洋艦隊が立てこもる威海衛の攻略を始めた。

暗闇の中、淳さんは甲板上に座り、豆を食いながら、なにかものを考えているようです。
とそこへ、豆がらをひろいながら、淳さんとコンビの原田水兵さん登場です。
「よか作戦は浮かびましたか」とすっかり慣れた様子。
「甲板に豆がらが散らばっているときには、航海士がけんかの作戦をば、考えようときですけん」といいコンビぶりを発揮しています。
淳さんもそのセリフには、ニヤリとしています。
「海図の用意終わりました」と、そういう声が響いて、
「航海士はこちらにおられます」と原田くん、声を張り上げます。と、
「おお、皆いくぞ」と水兵さんの一団がやってきて淳さんのまわりに集まり
「航海準備よろし」とひとりの水兵さんが報告します。淳さんの部下というわけでしょうかね。
「いよいよ明日から攻撃開始じゃ」と淳さん訓示たれてます。
「は」と若い水兵さんの声です。
「油断するなよ」と淳さん気合入れてます。
「敵の砲台の威力は、相当なもんじゃ」といきなり脅しかけてるけどいいのかね(笑)。
「は」と若い水兵さんたちは、気合いれてます。
「新しい褌はあるか。ええか、褌はな、心を丹田に落ち着け、逆上を防ぎ、知力と気力の働きを自在にしてくれるんじゃ」
とこれは、淳さんの有名な褌理論ですね。というか、「シコふんじゃった」の淳さんが言うんですから、感慨が深い(笑)。
「明日は新しいのをきつうに締めて行け」と皆をみつめる淳さんです。
「は」水兵さんも淳さんを信じきってます。
「食うか?」例の豆ですな(笑)。
「は。頂きます」原田くんを始めとして皆慣れているみたいですね。
「ちっと寄れや」と豆あげ大会がはじまります。
「こいつを食うと元気がでよります」とか、水兵さんたち、素直です。
「わしもじゃ」とみなさん元気です。と原田くん、自分用の豆袋をだします。
「おまえももっとったんか」と言われるとちょっと恥ずかしそうに
「つくったとです」だそうです。
「こいつ航海士に心酔しておりますけ」と冷やかされてかわいい原田くんです。うーんなんか、死亡フラグっぽいんだけど(笑)。
「頂きます」原田くん、うれしそうです。
「これは、わしのけんかのおまもりです」ますますやばいぞ、原田くーん。
「はははは」と水兵さんたち、団欒のひとときです。
「頂きます」こういう時くらいだろうしね、リラックスするのは。
「もっととれ」こういう感じが、隊の団結をつくるんだろうねぇ・・・。しかし、フラグ立ちまくったぞぉ・・・。


「東口砲台かんぱーん」
翌日、連合艦隊は、清国の陸上砲台に、艦砲射撃を敢行した。

ということは、砲台に向かって撃っているわけですから、向こうも必死になって撃ってくるという
ことですね。もう、水しぶきがあがりまくり、かなり撃たれてるのが明白。

砲弾が装填され、主砲をうっています。
「さいしょく右、ひかりはんてんに、距離ふたじゅー」
とか言ってる間に、至近距離に命中しています。
淳さんは機器を扱い何かを測っているみたいです。
「変針」
「27.60」
「は」
「4千3百」
「一等砲台、距離4千3百」
砲台までの距離を測ってたんですね。それで、主砲の角度とか決めるのでしょう。

「進路502」
「変針了解」てきぱきと仕事を進める淳さんです。
「ひとさん、ひとはち」
「ひとさん、ひとはち、とうがいに」と、ドゴーンと弾が船体に当たったようです。皆ひっくりかえります。
「マストに被弾」
「戦闘旗ようしゃ」
「戦闘旗が落ちました」戦闘旗とは、信号旗のことでしょうか。淳さんは最も信頼する部下を呼びます。
「原田」
「はい」
「つけなおしてこい」
「はい」
「旗がおりぬとこうくうんになってしまう。頼んだぞ」ちょっとよくわからんのですが、まあ、頼んだぞということですね。
「マスト上りだったら、誰にも負けません。まかしとってください」うわ、死亡フラグズドーン。
原田くん一世一代の走りです。思い切り気合入れてマストに登っていきます。
「変針まであと12分」それを聞いた部下が、外に駆け出し、だれかに報告にいくと、そこに砲弾が被弾!。
人間がクラッシュされます。粉々です。悲惨なシーン続出。部下はそれで即死してしまいます。砲弾は続けざまに
船体におち、多くの人間がクラッシュされていきます。肉片がとび、血が大量に流れます。
淳さんの近くにも被弾、構造物が落下してきます。
いろいろなモノが破壊され、叩き付けられた淳さんはやっと起き上がります。
しかし、耳が聞こえないようです。音が消えた世界。
淳さんは、耳を抑えながら、何が起こったかを確認しようとしています。
部下が気がついて、何かを言っているようですが、何も聞こえません。外に出ると、構造物が折れ、かなり破損しています。
かなりの人間が倒れ、声をあげているのもいます。負傷しながらも必死に指示をだしているものもいます。
しかし、音はなにひとつ聞こえてきません。真之はなにかを見つけようと必死に歩きだしますが、
何かかつて知ったものを踏み、それを確認します。それは、真之があげた豆でした。
その豆がどこからでてきたのか、探しながら目で追うと、そこには、血だらけになった原田の遺体が・・・。
「原田・・・」駆け寄って声をかけます。
「原田!、原田!」しかし、遺体は動きません。あの原田が自分でつくった豆袋が近くにおちていました
また、一発砲弾が近くに被弾します。真之は、その原田の豆袋を拾い、避難します。
突然音が戻ったのか、普通に戻り、部下に指示を出し始めます。
それでも、続けざまに被弾する船体なのでした。

さて、ここは、2つのシーンを続けて考えたほうが、よさそうですね。
前のシーンでは、真之と部下の水兵達との絆と団欒。
そして、本シーンで、部下達の死と戦争の現実が描かれました。部下達の死のシンボルとして、原田水兵の死が描かれたんですね。
このシーンは、この回の冒頭にある東郷による高陞号の撃沈にいたるシーンと対をなしています。前者が勝者を書いたのに対して、
こちらは、完全に負けてはいませんが、敗者側の悲劇を描きだしています。このシーンを描くことにより、より内容がお互い強調され、
さらに、戦争賛美だけではない、内容のある骨太なドラマという構成もしっかりとつくりあげています。そういう意味では、戦争を
扱う場合、こういうシーンは構成上、絶対に必要となってくるはずです。
いやあ、しかし、人間がクラッシュされるシーンはすごかったですね。もう、ギリギリの感じで表現していました。
まあ、水兵さんたちのフラグが前シーンであまりにも立ちすぎたんで、次のシーンどうなるかな?とは思っていたんですが、案の定でした。
まあ、わかりやすいシンプルな作りとでも言っておきましょう。

要は、この2つのシーンで、冒頭のシーンと対をなし、戦争というものを両面から描いた、かっこいい面と悲惨な現実、ということでしょう。
そして、このシーンが、次の真之につながっていきます。アゲたものもなければ、サゲたものもないですね。
日本人の美徳というのも、ここには入り込んでいない。とにかく、戦争の悲惨な現実がここに描かれています。

と、この記事は、ここまで。いやあ、原田くん、わかりやすいフラグ立ちでしたが、かわいそうでしたね。
やはり悲惨さを表現するところを書くのは、こちらも厳しい感じになります。精神的に疲れますね。
それに、淳さんの部下達が、若いんだよねぇ。自分もまわりに若い人間がいますが、
そういう人間達が、自分の言ったことで、死んでしまったら、と考えると、
厳しいものがあります。現実的に自分にあったら、と考えると、
今後の真之の心情がよくわかりますね。それだけ真之の神経が繊細だったと
言えるでしょうねぇ。ほんと、戦争はこわい。あってはならないものだと、
よくわかりました。

しかし、この文章書くのは、思ったよりきつかったです。とにかく、疲れた・・・(笑)。
映像を見てるだけでなく、一度記憶し、咀嚼し、検討し、何らかの答えを得て、文章化するわけですから、
映像を見てるだけ、より何倍も疲れます。悲惨な情景をそれだけ、何回も感じなければ、いけないわけですからねぇ。
ちょっときつかったです(苦笑)。やはりきついシーンは人間に負担をかけるんですね。
というわけで、今回はここで、ダウン(笑)。

というわけで、ここまで読んで頂いたみなさん、ありがとうございました。

また次の記事で、お会いしましょう。お疲れさまでした。

坂の上の雲 第四話「日清開戦」(4)

2009年12月25日 | ゆるちょ!のドラマ・レビュー!
旅順攻撃開始は11月21日ということに決められた。

好古の隊は、意見書を出した翌日の朝7時に宿営地を出発し、前進した。
ところが午前十時頃水師営方面から前進してきたらしい、おびただしい数の敵と遭遇し、前面衝突となった。

斥候が双眼鏡をかざすと、やたら大量の敵兵を見つけるんですね。ほんとおびただしい清国兵です。
いやぁ、もうほんと大量の清国兵だわぁ、うれしいはぁ(笑)。すごい映像化です。うれしくて、よだれがでそうです(笑)。
で、戦闘状態に入るわけです。

もう、好古側の部隊が一列横隊になって、走り始めるんですね。いやあ、こういうの映画「二百三高地」以来かも(古!)、
いやいやあ、ちゃんと映像化しています。彼らは基本騎兵部隊なのかな?パンツ赤だけど。
それとも、隊づきの歩兵なのかな?。まあ、よくわかりません、そこらへんは。
たったか、走っております。そして、あるところまでいくと、身を隠して、弾を込めて、射撃準備です。
中隊長らしきひとが、号令します。
「かまえー」皆かまえてます。そうすると、向こう側からおびただしい敵が近づいてくるんですね。
それにしても、すごい量だね。しかも、堂々と立って歩いてくる。もう数おしですか?。しかも、見る見る近づいてくる。
好古さんの部隊は、それにおされちゃって、緊張状態がはげしすぎる感じ?。ま、ちょっとビビってるって感じに見えますねぇ(笑)。
なんか、引鉄にいれてる指も震えている感じだし。それでも清国兵は、ただ銃を構えて歩いてくるだけ。
感情がない感じ。まあ、そんなの見てる方はびびりますわな。
「ねらえー」
みんな緊張します。そして、中隊長さん
「撃てー」
で、皆狂ったように撃ちまくります。でも、まだ、射程外だったんですね。ピュンピュン地面に跳ね返されています。
清国兵もやっと射程圏内に入ると少し背をかがめて近寄ってきます。そして、銃撃戦です、すごいすなあ。
「押出しじゃ、ゆけー」と中隊長さんも必死です。双方死傷者もたくさんでてます。
と勢い余ってでてきちゃった中隊長さん、お約束で、額を射ぬかれて即死します。
「中隊長」と部下が必死に起こそうとしますが、時既に遅しです。
なんてやってるうちに、清国側から、砲弾の雨あられ。兵の数も多いし、さらに砲もあるんだから、そりゃ清国兵の方が圧倒的に有利ですな(笑)。
日本兵は雪崩をうって潰走します。

戦況はのっけから不利である。時が経つにつれていよいよ不利になってきた。

なんて時に、のんきな好古さんは、軍神謙信公に変身し(笑)、ドンパチの中で、酒を飲むという荒行をおこないます。
っていうか、ガクト謙信で見たあのシーンを今度は阿部ちゃん謙信で再現です(笑)。なんて、書きたくなる、
好古さんの戦場酒のシーンです。まあ、原作にもあるシーンなんですけどね(笑)。

「大隊長殿、ここは危険です。もう少しお下がりください」
と必死な思いの部下なわけですが、そんなの気にもしない好古さん、
「お前も飲むか?」と水筒を渡します。
「は」と大隊長のせっかくの気遣いに素直に水筒の中のモノを口に含むと
「これは」と驚く部下さんです。
「支那の酒じゃ」とこともなくいい
「呑まんのなら、返せ」と水筒をとりあげ、思い切り飲むと
「あうー」とか声だしてます。あまりにもおもしろい。おもしろすぐる(笑)。腹かかえて笑っちゃいます。おうおう、軍神降臨だぁ(笑)。
「ひとつ、お伺いしてもよろしいでしょうか」と、突然の質問攻め。
「あー」と言い返しながら、
「大隊長殿の指揮刀ですが」
「これか」と、好古さん指揮刀をぬきます。
「皆が心配しております。大隊長殿は戦時にあっても、何故刀を差さず、その指揮刀のままなのか、と」これ原作では竹光と紹介してたっけ?。
「突撃の指揮をとるものが、これでは不安か?」と、事も無げに言う好古さんです。
「いや」と部下は否定します。
「ええんじゃ、これで」と言われてもポカンな部下です。と好古さん、ちょっとためて、
「馬ひけぇー」「おー」ここカッコよかった。すげえ燃えた。もう、軍神降臨とは、この瞬間を言うのか。
もう謙信公とか、リアルケンシロウとか、花の慶次とか、カッコイイいろんなもんが、合わさってるって感じだよね。
「どちらへ」と部下が聞きます。
「大隊長殿」と言ってもずんずん歩いていくケンシロウです。
「兵が萎縮しちょる。前へ出る」うへー、かっこいー(笑)。
「まさか、おやめください」とこの部下さん、ほとんど意見聞いてもらえないですな。
「危険です。大隊長殿。お止めください。大隊長殿」必死になればなるほど、ガン無視状態で、ちょっと笑ってしまいます(笑)。
「大隊長殿ー」と言ってももう無駄です。

軍神はたった一騎、ズドンズドン、砲撃うける中を平気で走っていきます。もう、謙信公の再来って感じ。むちゃくちゃカッコイーっす(笑)。
その後を部下たちは、砲撃うけて倒れちゃったり、好古さんの部下は大変です。

さて、潰走してきた部下のところまで来ると、軍神は、兵をまとめるため、
大音声を張り上げます。しかし、阿部ちゃん馬の扱いうまいなあ。

「ええか、よーく聞け」なんて言われても兵たちはぐだぐだです。それでもひとり、語る好古さんです。
「あしは、旅順へ行けと言われとるんじゃ。退却という命令は受けておらん」軍神は冷静に語ります。そのうち感情が高まってきてあろうことか、笑いだします。
「わははは。一歩も引きはせんぞな」兵たちは軍神の叱咤激励に、耳を傾けはじめます。みんな、軍神の方を見ています。通訳の熊谷さんも見ています。
「去るものは去れ。責めはせん。じゃが、あしひとりでも、旅順に行くぞぉー」とすかさず、水筒から酒をぐびり。飲み干してしまいます。あれなくなっちった。
それを見ていた熊谷通訳、酒の入った水筒を
「大隊長殿ー」と叫んで投げあげます。その水筒が飛ぶのを見ている兵たちは、やがてしっかりそれを捕まえる軍神を見るのです。そして、
「はははは・・」と笑いながらまた、酒を呑むんですから、この軍神にやられない兵はいません(笑)。
「熊谷」と呼ばれる通訳さん。
「はい」とうれしそうに答えます。
「通訳はいるけんのー。おまえだけはついてこい」と好古さん。
「はい」と通訳さんもうれしそうです。このやりとりを見ていた兵たちも、すっかり戦う気持ちを取り戻しています。好古さんは馬頭を巡らすと、一言、
「前進!」
「ゆけー」部下の兵達もすっかり元気になっています。いやさすが、軍神です(笑)。
「おー」と兵達も気合が入ってきました。と自軍の騎兵と清国兵の騎兵との衝突が起こります。
「騎兵の到着じゃ」好古さんもさすがに気合が入ります。
「我らもいくぞー」と自軍を叱咤します。
「かまえー」と部下が司令します。すると、好古さん、例の指揮刀を抜くと
「いけぇーい」と命令します。自軍はにわかに活気づき、反抗が始まります。なんてやってるところへ、
「敵襲!」と伝令がやってきます。
「旅順本道の両翼より、新たな敵を発見。我が軍を包囲すべく、こちらに向かっております。その数およそ三千」と見るとやたら大軍が。
「敵の主力ではないか」と驚く好古さんです。
「たかが二百の斥候部隊に、そんな大軍がどうして」と部下さんの言う通り。はっきりいってむちゃくちゃです。
「清国軍はいったいなんば考えちょっとか」と、通訳さんも驚きの様子です。
「こりゃ、進軍どころのさわぎじゃありゃせんぞな」と当然な好古さんです。
「その通りです」と素直な突っ込みの部下さん。
「前進命令中止。東方部隊、直ちに撤退準備じゃ」とさっきだした命令を即座に変更です。
「退却準備、退却準備」と伝令が走っていきます。
「稲垣、いくさで最も難しいんは、退却戦じゃ」と、部下さんはさっき命令書を速記してた稲垣くんだったのね。
「勢いに乗った敵は、こちらが逃げ出すとみたら、どっと来る。それを食い止め、整然と引き揚げるんじゃ」と意気軒昂な好古さんです。
「はあ」と稲垣くん。
「よぉし、あしが殿をつとめる」とまた、軍神発言。酒ももう一度飲み干し、気合充分です。
「馬鹿なことをおっしゃらないでください」と稲垣も必死です。
「あしがやらんで、誰がやるんじゃ」うひょー、またまた、超かっちょいー!!。
「退却準備」好古さん、その気です。
「打ち方やめー」と、好古さん、また、勝手に走りだします。
「大隊長殿」と稲垣くん、熊谷さんはついていくのに必死です(笑)。
「援護射撃よーい」と次々に命令をくだしていきます。しかし、阿部ちゃん馬の扱いうまいねえ。単純にかっこいい。
「撃ちやれー」と命令をくだすと、前にでます。
「大隊長殿」と心配顔の稲垣くん。
「かかれー」と好古さん、と自軍を叱咤します。しかし、清国兵は多すぎて、もう、どうにもなりません。騎兵達もつぎつぎとやられています。
「下馬ー」と好古は、叫ぶと、下馬し、自軍の兵を救いにいきます。そうでもしなければ、どうにもならないほど、ズタズタにされていたんです。

好古は同時代の人々から、最後の古武士とか、戦国の豪傑の再来などと呼ばれていた、しかし、
本来はどうなのであろう。彼が松山で送った少年の頃や、大阪で暮らした教員時代、
人々は彼からおよそ豪傑を想像しなかった。穏やかで親切な少年であり、青年であったに過ぎない。

「ひるむな」好古は自軍の兵士を鼓舞し、なんとか連れだそうとします。しかし、砲弾もどんどん落ち、ぼろぼろになります。

勇気はあるいは固有のものではなく、彼の自己教育の所産であったと思われる。

それで、好古のシーンは終了。そのあと、どうなったかは、描かれていないけど、どうなったんだろう?。
とにかく、壮絶な敗北のシーンということですね。

司馬さんが言っているのは、好古は、自分を鍛えて鍛えて古武士や豪傑に仕向けたってことですね。
まあ、若い頃のあの好古にいさんからは、ちょっと今の軍神ぶりは想像できなかったですからね。
そういえば、西郷なんかも、自分で自分を教育してああゆう自分を完成させた、と司馬さんは書いていましたから、
この好古にも同じ匂いを感じたということなんでしょうか。確かに茶碗一個で暮らしてた好古ですから、
自分で自分をそう仕向けたことはその一事でもわかります。自己プロデュースの作品なんですね、好古は。

さて、このシーンについて考えてみましょう。
ここは原作にも書かれているシーンで、その原作を余すところなく映像化したと考えるべきでしょうか。
最初から兵士の数的に不利で、ボコボコにされ、潰走。しかし、酒を飲み、軍神化した好古に大勢を立て直される(それは原作にはない)ものの、
さらにすごい数の敵兵に攻められ、さらにボコボコにされ、最後は下馬して仲間を救うというストーリーですからね。原作を膨らまし、より、
騎兵が未だに兵種として確立していない、発展途上であることを強調し、さらに日本陸軍自体も発展途上ということを強調した
イメージづくりが行われたと捉えていいでしょう。今後、ここから、発展し、さらに強い敵を相手にまわすようになるんですからね。
その発展を今後見せて行く段取りだと考えます。それにしても、阿部ちゃんの軍神ぶり楽しかったです。このひとは臥体がいいから、
騎乗姿がえらくかっこいいですね。いやいや、ほんと楽しかったです。騎乗もうまいし。男子ながら、うへ、かっちょいーと素直に感じてしまいました。
さらに、日本陸軍の弱さを徹底的に見せつけてましたね。それでいて、軍神にあおられると一気にとり戻しちゃう感じとか、
まだまだ、子供な日本陸軍及び騎兵でした。
脚本意図は、とりあえず、陸軍と騎兵はまだまだ発展途上であるということを見せるということと、好古さんの軍神ぶりを見せるということでしょうか。
アゲたのは、好古さんですね。サゲたのは、日本陸軍と騎兵かな。まあ、これくらいサゲとかないと、あとでつよくなるのを描けないですからね。
日本人的美徳という観点からはいかがでしょうか。軍神化については、日本人の美徳とはまた違うものですからね。酒飲んでいくさやっちゃうあたり、
豪傑のイメージですが、古来いくさと酒というのは、日本においてはつきものでしたし、そういう日本的な一風景としてみたほうがよいかも
しれませんね(笑)。



第二軍の旅順攻撃は、21日の拂暁、寒気をついて行われた。半年はかかると言われた旅順要塞は
驚くべきことに、まる1日で落ちてしまった。
勝利の最大の原因は、日本軍の方にない。清国兵の士気の低さにあった。要塞守備兵の大部分は、
金州方面に逃げた。

と部下の兵をつれ、いくさ跡を調査する乃木さんが現れます。敵味方双方の死体が累々と横たわり、遺体を運ぶ者もいる。
そんな中、乃木とその部下達は、遺体に向かって帽子をとり、礼をささげている。そこへ、
「乃木閣下。ついにやりもしたな」
と登場してくるのが、

第二軍参謀副長 伊地知幸介

であったりする。とこれまた、この原作では無農薬いや無能役として描かれる伊地知はんです。村田雄浩さん、
この役者さんは、ドラマ「青が散る」以来ずっと見ていますが好感のもてる役者さんですね。確か独眼竜政宗にも出演してましたよね。
ま、そんなひとが、伊地知はんですか。まあ、どんな伊地知はんをやるのか、ある意味楽しみです。

「旅順城陥落おめでとうございます」
と、万感こもっている伊地知さんなのですが、乃木さんは、あまり表情がありません。ちょっとどういうひとか、とらえにくい感じをうまく
演じてますね。
「陛下もこん歴史的大勝利をきっとお喜びになるにちがいもはん」と伊地知はん、明治天皇LOVEの乃木さんのことを知っていて、うれしがるようにかまし、
「乃木閣下が出征のおり、大本営で詠まれた漢詩ば、思い起こされもんどなあ」と伊地知はん、乃木さんファンであることを暴露、さらに
「確かあの漢詩の結びは、踏破ス支那師百州。閣下なら必ず成し遂げられもんそ」と、さらなる乃木ファンぶりを露呈です。それに対して乃木さんは、伊地知さんの肩を
ポンと叩くだけです。それでも乃木さんにすれば、精一杯の表現という感じがしますね。

乃木と伊地知、この二人は、後の日露戦争の時の第三軍の司令官と参謀長として、
旅順攻略の担当者になった。

と、司馬さんの怨念がささやくようです(笑)。

さて、このシーンは何を描いたのでしょう。
まあ、乃木と伊地知さんの紹介と、その性格をみせるということですかね。
伊地知さんは割とおしゃべりというか、感傷的になる癖がある、ということでしょうか。乃木さんフリークでもあるみたいですね(笑)。そして、乃木は
あくまで無口。感情表現があまりできないひと、というイメージでした。そういう風にみせることで、視聴者にいろいろ考えさせることができますから、
今後、無能役をやるうえで、そのあたりをうまく使おうと考えてるように思われます。アゲもサゲもない、という感じでしょうか。淡々と二人の
紹介にとどめた感じです。日本人の美徳的表現ということに関しては、実は、あの遺体に対する礼というものが、日本人の特徴的な部分でもあるようですね。
中国で大地震がおき、日本の救援隊が応援にいきましたが、同様のことをすると、向こうではめずらしがり、多くの現地のひとがその行為に対して、
非常に感謝した、という記事をみたことがあるので、まあ、欧米では普通だったりしますが、ちょっとだけ言及しておきましょう(笑)。

と、今回の記事はここまで。好古の軍神ぶりを中心にまとめた感じになりました。いやぁ、楽しかったー(笑)。
少しずつ、記事のまとめが進んでいる感じですね。
まあ、これがひととおりすめば、このドラマ、今回で、何が表現されていたか、日本人の美徳とは?などが見えてくるはずです。
それにしても、記事量が多いですねえ。へろへろになってきました(笑)。

ここまで、読んで頂いた方、ありがとうございます。けっこう長いんで、疲れるでしょう。
一番、読者が疲れるんですよね(笑)。

それでは、また、次の記事で、お疲れ様でした。


坂の上の雲 第四話「日清開戦」(3)

2009年12月25日 | ゆるちょ!のドラマ・レビュー!
しかし、海軍主事、山本権兵衛は東郷をそのままにしなかった。
わざわざ戦場から「浪速」を帰国させ、東郷を海軍省に呼び出した。

権兵衛と東郷とは、同じく戊辰戦争に参加した薩摩の復員兵仲間だが、
東郷の方が五つ年上で、一時同じ軍艦に乗ったこともある。

いやあ、毎回思いますが、渡辺謙さんのナレーションいいね。すっかり慣れて、その味わいを
素直に感じられるようになりました(笑)。

「すごか決断じゃったなー。東郷さんのおかげで、制海での初戦は日本の勝利じゃ」ととりあえずアゲる山本さんです。
「陸軍省からも、えらく感謝されもした。じゃっどん、心配性の伊藤さんが、大変じゃった」確かにあんだけ大声あげて
ましたからねー。
「一軍艦の艦長は、その責務において、国家を代表するものである」要は首相である自分と同じ判断力が必要だ、と言ってるんですね。
「今度の処置は、周到なる考慮をへた決断とは思われん」と、情報が足りないので、伊藤さんもちょっとここは判断間違ってます(笑)。
「ふふ」と、自信たっぷりの団長さんです(笑)。
「おはんの用意周到さは、おいが一番よう知っちょう。国際法の研究が趣味じゃっちゅーこつもな」とまず前提として、自分は理解者であることを語るわけです。
「じゃっどん、東郷さんを監督せんにゃならん立場じゃって、ひとこと言わせてもらう」さて、説明はここまで、本音がでてきます。
「こげなこつが繰り返されっと、戦争遂行に重大なる支障をきたしもす」とそれでも情報が足りてない山本さんは、情報をひきだすべくまず軽く挑発です(笑)。
メッケルはんみたい(笑)。
「他に方法はほんのこて、なかったとか」これが山本さんの「きも」のセリフですね。
「もし、高陞号撃沈に際し、おはんが英国国旗をおろすことを命じたなら、英国世論はこげん騒がんかったとじゃなかか」山本さんの気にしたのは、英国世論だったんですね。
「さらにおいなら、別の処置をとったかもしれん」とさらに挑発です、山本さん情報ひきだすのうまいです(笑)。
「撃沈せんで拿捕する。どけんじゃ?」と山本さんは、東郷さんを試しています。
「こいなら、外交上、いささかの問題もおこらんじゃろ」俺の解答すごいだろ?とこれも挑発です(笑)。
「あん場合、英国国旗をおろすこつは、清国兵の妨害に会い、できんかったでしょう」と自分の現場判断が適切であったことを主張する東郷さんです。
「また、あいだけの大型船を拿捕するこつは、無理でごわんす」と現実論で異論を一蹴です。さすが東郷さんですね(笑)。
「じゃっどん、東郷さあ、英国海軍の論調には、こげなものもあったど」と山本さん、思わず立ち上がり窓に向かって、話します。ちょっと直接はいいにくい内容なんですね。
「東郷は波間に浮き沈みする千人の清国兵を一兵だに救わなかった」確かな真実です。だから、直接はいいたくない山本さんです。
「無力化した敵兵を救助するのは、ネルソン以来英国の伝統である」東郷さんは静かな表情でその内容を聞いています。
「日本人には、戦時の人道についての知識がないのではないかち」とまで言われた東郷さん、思わず立ち上がり山本さんの背中に話し始めます。
「軍人は、みすみす敵を逃すことは、できもはん」それを聞いて同じ軍人の山本さんもこちらを向きます。
「おいは、決めたことには責任をもつ。必要ならば腹もきる。じゃっどん後悔はしもはん」さすがの明治のサムライです。いやぁ、やっぱり中身はサムライだったんですね。
「戊辰のいくさ以来、おいはそげんして刀を抜き、戦ってきもした」あっぱれ、その意気やよし、というところでしょうか。薩摩武士の美意識ですね。そうか、薩摩か。
「用意周到な上に、しぶとか」そうか、こいつも薩摩だ。薩摩武士の美意識が、明治海軍をつくっとったんか(笑)。
「一軍の将たる者そのしぶとさが必要でごわす」お互い美意識を共有しているわけですからね。お互い納得がいくというもんです。
「今度のいくさは、おはんの力をば頼りとしておいもす」十分納得ですね。

このシーンは何を表現していたのでしょうか。
例の事件の対処法に問題があったのでは?、とする山本に対して、現場を知っている東郷さんが、山本の挑発と設問に解答し、問題のなかったことを
理解させた、ということですね。そして、その自分のサムライ的心境を説明し、理解を得、将としての信頼をさらに得る、ということですかね。
このシーンでは、結局東郷が、薩摩武士的美意識をそなえており、その気概をもち、さらに将として能力の高さが示されているわけです。
アゲられたのは、東郷ですね。サゲはなし。山本の疑念を解消する形で、東郷という将を視聴者に説明する、というのが、脚本の意図でしょうね。
まあ、東郷ってのは、薩摩武士的美意識をもった本物のサムライなんだよー、その将としての能力もめちゃくちゃ高い、
すげーかっこいー奴なんだよー、というところでしょうか。ま、いわゆる視聴者に対して東郷さんの説明ですな。
日本人的美徳の説明という観点からは、東郷さんの薩摩武士的美意識が語られておりますね。あと、「用意周到な上にしぶとか」という言葉も。
ということは、明治人にあれだけ見られる美徳というのは、サムライ的美意識から現れていると考えていいんですね。
日本人の美徳の源泉は、薩摩武士的美意識にあったのか・・・というよりサムライにあったんですね、やっぱり。
「ことに及んで、死をおそれず」とか、東郷さんの「決めたことには責任をもつ。必要ならば、腹を切る」といった、物事に対する
シンプルな考えが、そのひとを美しく見せていたんですね。いやあ、いい勉強になる。今後の生活にぜひとりいれたいね(笑)。
腹切るのは痛そうだけど(笑)。
ちなみにこのシーンは原作には別の形で書かれていて、それを合わせてこのシーンをつくったと言えるでしょうね。

清国遼東半島

秋山好古が、第二軍の騎兵第二大隊長として遼東半島に上陸したのは、10月24日である。
好古の騎兵大隊は、旅順要塞の敵情を視察するために前進した。

いやぁ、リアルケンシロウ降臨ですなぁ(笑)。黒王号にのったケンシロウがNHKで見れるとは(笑)。
ってか、ほんのちょっと前に、リアル謙信公やってたんですからね、このひと(笑)。いやいやいや、
もう、阿部ちゃん、かっちょ良すぎて、同じ男性としても萌えますなあ(笑)。

しかも騎兵大隊がしっかり映像化されちょる(笑)。燃える、燃えすぎる(笑)。
ナニゲに金かかってるよねぇ(笑)。

旅順要塞は、東洋一もしくは唯一の近代要塞であることは、確かであった。
フランスの提督クールベ-は、旅順にやってきて
「この旅順を落としいれるには、五十余隻の堅固な戦艦と十万の陸軍を投入してもなお半年はかかるであろう」といった。

いやあ、旅順要塞も映像化されちょるよ。ま、ちょっとした砲台だけど、でもがんばってるよー。
こういうギミックがしっかり表現されていると燃えるんだよねぇー。

騎兵第一大隊宿営地

ところが、たいしたことはなさそうだ、と知ったのは、騎兵を率いている秋山好古であった。

なんだそうで。好古さん、部下に口頭で内容を伝えて文書を書かせております。

「第二軍大山指令官宛上申書」
「はい」
「当捜索隊の情報によれば、敵は旅順城を死守することは確実」
「は」
「旅順攻撃の最も有効な方法は、夜明けに乗じ、軍の主力をもって、旅順本道から水師営をへて
旅順市街にすばやく飛び込むことである」
なるほど、そういうわけですか(笑)。これ書いていく秘書役のほうが大変だね。

「入ります」と部下のひとりが入ってきます。
「大隊長殿、驚くべき情報が入りました。旅順要塞最高指揮官ロショウヨが、船でシーフーに
脱出したとのうわさがながれております」と何、もう落ちちゃってるってこと?。
「なんじゃと」と驚く好古さんです。
「日本軍が総攻撃をしかけんうちに、敵の最高司令官が逃げ出したというのか。信じられん」と好古さんの気持ちを代弁です(笑)。
「おい、確認してこい」と好古さん、あたりまえの対応です。
「は」と部下が駆け出します。
「おい、どういうことじゃ」とひそひそ声。
「わしにもわかりません」と軽く混乱する周囲なわけです。

なんてところへ、まあ酒好き好古さんのお約束なシーンが登場(笑)。
「酒はどこへおくんだね」と清国じいさん登場です。
「やっときたばーい」と皆酒好きなんだね。
「じいさん、ご苦労様」と言いたくなる気持ちもわかります。
「大隊長殿、活力の元は調達致しました」とうれしそうにこのひとは軍服きていない、通訳さんなんですね。
「きたかー」と好古さん、うれしそうです。
「よーじーさん、いつもすまんなー」と一発で機嫌の良くなった好古さん、清国じいさんにお駄賃をあげます。
「とっといて。しばらくこの家もつかわせてもらうぞな」っていうものの、けっこうやってることは横暴ですけど(笑)。
「また、たのむぞ」と通訳さんに言われて、ちょっと難しい表情のじいさんなんですね。
「わしは、軍人はきらいじゃ」と清国じいさんは素直に自分の感情を表現します。
「軍人は、皆、人殺しで強盗じゃ」と、確かにそのとおり。しかし、このじいさん役の俳優さんもうまいねえ。
「旅順でいばってる奴らもあんたもな」なるほど、清国兵も嫌いだったわけだ。
「早く、この村から出て行ってくれ」もらうだけもらうけど、でも、もう、どっかいってくれ、というわけですな。
「こんじいさん、軍人はすかんといっちょります」ちょっと言いずらそうな通訳さんです。
「よかー。そらそうじゃろのう。じいさんにしてみりゃ、迷惑千万じゃ」と、素直に相手に同調する好古さんです。でかい器ですな。
「おーい、手伝わんか」なんて通訳さんが仕事をしているうちに、好古さん、近くにある酒がめを手にすると、
おもむろに飲みはじめちゃいます(笑)。おいおい(笑)。
「大隊長殿、なんばしちょっとですかあ」とそれを見た通訳さん、好古さんを止めます。
「あー、うまい。毒はないようじゃ」とのんきな大隊長です。
「大隊長殿、毒見はおいが仕事ですけん」と大隊長の体を心配する通訳さんです。
「そうじゃったのう。ついまーちきれんでのう」とのんきな酒好き好古さんなのでした(笑)。
「はははは」
「はははは」と、周りも笑ってますし、信頼されている将なんですね、好古さん。
「熊谷、じいさんにいうてやれ。もうすぐ、いくさが始まる。うまく逃げるんじゃと」と通訳さんの名前登場、熊谷さんですね。

「いくさが始まるうまくにげろよ」清国じいさん、それを聞いてびっくらこいて、立ち上がりました。それに対して好古さん、酒あんがと、のポーズで、
「稲垣、報告の続きじゃ」と報告を始めます。まず、かめの酒を飲んでから(笑)。

好古は第二軍の司令官の大山巌にあて意見書を送った。

さて、このシーンは何を表現しようとしたのでしょうか。
脚本意図は、酒大好きな好古さんと、それを暖かく見守る部下達といったところでしょうか。好古さんが、部下から慕われているという表現ですかね。あと、通訳熊谷さんと、
部下の稲垣くんの紹介。それと、日本兵が土地のひとに嫌われているといったあたりでしょうかね。それに、好古がしっかりとした戦略眼を持っているという
話しも入ってますね。これは、次のシーンにつながっています。ということで、好古さんの将としての高い能力と、器のでかさを描いているということですかね。
アゲてるのは、好古さんになるのかな。サゲは日本兵全体でしょうか。これは清国じいさんの言葉で表現されましたね。まあ、戦争の現実というものも
しっかり表現しておく、ということでしょう。このサゲは、最初の「浪速」のシーンでのわくわく感に歯止めをかける効果を与えています。
一方の戦争の現実、という表現でしょう。日本人的な美徳表現という面については、「相手の立場にたって、モノを考え、理解することが
できる」、という好古さんの「じいさんにしてみりゃ、迷惑千万じゃ」というセリフに表されていますね。それと、うらみがましいことを清国じいさんに
言われても、怒りもせず、酒あんがと、の礼までおくる好古の態度にも表されています。いやぁ、勉強になるなあ。
ちなみに、このシーンは原作を膨らました感じですね。


大山は西郷隆盛のいとこであり、少年の頃からその影響を受けた。
いかにも薩摩型の指揮官で大将になるためにうまれてきたような大雅量をもっている。

いやあ、大山登場ですよぉ(笑)。しかも、米倉さん、大山の写真になんか、似てるんだよね(笑)。
ちょっと笑っちゃいました(笑)。なんか雰囲気もねぇ、いい味だしてます。素晴らしい(笑)。
そうかー、「翔ぶが如く」ではあんなに若々しかった大山さあも、こうなったということか(笑)。感慨深い(笑)。

第二軍司令部

第一師団長は、隻眼のため、独眼竜と言われた中将山地元治である。その傘下に二つの旅団があり、
旅団長のひとりは、少将乃木希典であった。

とこれまた、この本では悪役、というか無能に描かれる乃木さん登場です。
と、こういう役をやらせたら、天下一品の柄本明さんです。ちょっと影のある感じで一本義という感じなのでしょうか。

「皆読んでくれたか。さすが秋山、まっこてみごとな上申書じゃ」といかにも満足そうな大山さんです。というわけで、先程の好古さんがまとめた上申書ですね。
「敵兵の配置情報、状況分析、攻略法、共に明快じゃ。おいはこん上申書を元にして、作戦をたてもした」
と、周りを見回しながら話す大山さん、なんか愛くるしいんだよね(笑)。
「おはんらに聞いてもらいたか」と立ち上がり、説明をはじめます。
「旅順要塞防衛線の北、我が方の右翼に敵主力がかまえちょっとは明らかじゃ。我が軍の精鋭部隊をここにおきたく、ついては・・・」
と、突然立ち上がる乃木さんなのでした。
「んー?」と驚く大山さん。
「我が第一旅団を、右翼攻撃にお命じ頂きたい。我が旅団は金州攻撃の先鋒として、わずか1日金州城を陥落させております。
この勢いをもってすれば、旅順城は敵ではありません」
と一気に言い切ります。このひとは、思いつめるたちなのかな。
「乃木さぁー、おはんは7日の砲台攻撃でも師団長の裁可なし一気に攻略したち聞いちょりもす。うんにゃーその気概やよし」
とりあえず、ほめるわけですな(笑)。
「なにとぞ、我が旅団を右翼に」
性急すぎる感じの乃木さんです。
「うーん、まあ、おいのー作戦をちっとは、聞いてくれてもよかじゃろーうー」
とうまくまとめて座る、かわいい大山さあ、なのでした。笑いなんか漏れて、乃木さん、まわり見回したりしてるんですねぇ(笑)。
で、笑われながら、憮然と座る乃木さんなのでした。
どうも、性急すぎで、まわり見えてない乃木さん、という表現みたいですね。

このシーンについて考えてみましょう。
ここでは、大山さんの紹介と、乃木の紹介。乃木の性格の紹介、といったところでしょうか。まあ、ある意味悪役なんですけれど、
どう悪役なのかを、ここで紹介していると。性急で、まわりがみえない乃木さん、といったところでしょうか。
そして、大山さんのその大きな器ぶり。それを比較することで、さらにお互いを強調しあった、というところでしょうか。
アゲられたのは、大山さんで、サゲが乃木さんですね。日本人の美徳表現については、大山さんの「その意気やよし!」
という、相手のいい部分を積極的にほめる態度でしょうか。まあ、だんだん自分でも、無理にこじつけてるような気もしますがね(笑)。
このシーンは原作にはありませんが、乃木さんと大山さんの紹介ということで、補足的につくられたシーンというとこでしょうか。

と今回はここまで、なにしろ、一回の投稿の量が決まっているので、
それ以上になると、システムに拒否されちゃうんですよ(笑)。

ま、文章はできているので、別の回にわけて、投稿します。

では、つぎの投稿で(笑)。


坂の上の雲 第四話 「日清開戦」(2)

2009年12月25日 | ゆるちょ!のドラマ・レビュー!
首相 伊藤博文

と、伊藤さんのおうちに、陸奥さんが報告に来ております。
「イギリスの船を沈めた?」
平和主義者の伊藤さん、そりゃ、そんなこと聞かされたらお冠状態に
なるのは、あたりまえ。普通に考えれば、イギリスの船沈めりゃ、
大英帝国を敵に回しちゃうのと同じですからね。
そりゃ、前回あんだけ悩んで清国との戦争を決断したんですから、
「能なし」の一艦長に「みそ」つけられたと思っても
当然でしょう。
「詳しい事は今、捜索中です」
ま、第一報というやつです。何事も第一報で判断してはいけない、という
好例ですな。自分も慎もう(笑)。そして、伊藤さんここめちゃくちゃ大声で、
「なんちゅーことをしてくれたんじゃ!」
伊藤さん、大激昂です。
いやいや、だから、第一報ですから、それだけで、判断しちゃだめですって(笑)。
「艦長のなんちゅーた」
かなり感情的になってます。もちろん、日本を背負っている身ですからね、あたりまえです。
「東郷平八郎でごわす」
と、これは山本権兵衛。石坂浩二さん、登場です。
「直ちに罷免じゃ」
と、それを聞いて色をなす、山本さんです。
「待ってください。イギリス商船は、清国の陸兵を移送中でごわした」
ある程度情報を持っているんですね。だから、判断が違ってくる。
常に情報を得ること。これが、判断を狂わさない基本ですね。
「イギリスを敵にまわして、このいくさに勝ち目などあるか!」
と、こちらは首相です。日本の全てに責任をもっていますから、伊藤さんは、ちょっと過敏な反応になってます。
「東郷はイギリス商船学校の出、国際法にも精通しちょります。決して軽率な行動をとるような
男ではありもはん」
と、こちらは人物自体をよく知ってますから、その情報から、事態を別の立場で見られます。
「閣下。ここは様子を見ましょう。調べもつかんうちに東郷の首を切ったりすれば、却ってイギリスから
未熟な国と思われます」
とカミソリさん、さすがの判断です。過敏な伊藤の頭を冷やし、冷静な目で事実を直視し、事に対処する
リアリストとしての立場に目覚めています。「3人よれば、文殊の知恵」のいい例ですかね(笑)。
しかも、彼らの念頭にあったのは、「未熟な国」と思われたくない、ということなんですね。
これは、第一話のあの西田さんの言葉につながります。「紳士の国でない」日本が、
「紳士たらん」という希望をもっていた。だから、憲法も議会ももった「紳士になったつもり」の日本が、
さあ、どうふるまうのか、といったところでしょうか。この「「未熟な国」と思われる」というセリフは、
そこから、つながってきていて、この作品のひとつの主題になっていますね。

そして、首相たる伊藤の懊悩。やはり、首相はその重みが違います。なんかひげ黒々としていると、
将門公を彷彿とさせるんだけどね(笑)。

と、このシーンで表現しようとしたのは、事に対しての当時の日本の首脳の当然の反応ということでしょうね。
ちょっと驚いたけど、事態を静観し、冷静に判断しようとする日本の首脳たち、という作劇ですかね。
脚本意図としては、日本もちょっとびびった、というあたりでしょうか。
そして、「未熟な国」として、見られたくないという自尊心。首脳達の頭にそれがあったという、主題に
関連するシーンだったんですね。

特にアゲられた人物もいなけりゃ、サゲられた人物もいないですし。素直に「当初混乱した」ということだけ、
揚げておけばよいですか(笑)。
日本人の美徳を表現するという観点からは、やはり、優等生的に他国に配慮していた、ということを
あげるべきでしょう。それはやはり、世界に早く認められたいという意識の現れですね。
そして、国を滅ぼされる現実を目の当たりにしてきた、伊藤という存在が、
この日本の危機意識そのものを体現するものであったことを示しているということでしょう。
危機意識があったからこそ、その行動にでる。それが、ある意味、
この「明治」という時代と時代人をつくりあげていたのでしょう。


北京市街

このとき、北京の代理公使として、日清戦争前夜からの外交処理をしたのが、小村寿太郎である。
小男でめまぐるしく動きまわるところから、ねずみ公使というあだ名を列強外交団からつけられていた人物である。

当時の北京市街が生き生きと表現されてますねぇ。なんというか、その混乱ぶりというか。
また、この小村寿太郎をかつての秀吉さんがその怪しさ加減を思い切り演じていますね(笑)。たしかに、ねずみ公使
っぽいものね(笑)。

「久保。一服くれ」
「今きらしております」
「じゃ、買いに行こう」
「止めろ」
これ、「停車!」って言ってる?。まあ、漢字は漢の文字だろうけどさ。
「止めろ」
ってなわけで、小説では、北京の汚さを余談で説明していますが、ここはそういうシーンで説明ですね。
「うーわ、こりゃ、汚ねぇーなぁ。あーどっちじゃ。くさいくさいくさい」
と、まあ、地上はぐちゃぐちゃな感じです。にわとりは歩き回っているし、すごそうです。
「この国の汚さには、いつも閉口する。人も豚も犬も皆路上で大小便をし、臭気プンプンじゃあ」
とこの小村さんでも閉口なんですからね。そりゃ、すごいんでしょうねぇ(笑)。

「これをくれ」
とこの久保さんはなんと「車窓」のひとじゃないですか。正露丸のCMも一時やってたよね。
「いつもすまんの。事業に失敗した親のせいで、借金地獄。たばこも買えん。世界広しと言えども俺より
貧乏な外交人はおらんじゃろ。ははははは」とまあ、いけしゃあしゃあな感じ。食えない男ですな。
「招待状もないのに、行ってだいじょうぶでしょうか」と、普通はそういうこと考えるんですが。
「心配すんなー。ここらで清国に一発かましてやらんとなー。ハハハハ」と、このひとは別な目的があるようです。
やっぱり外交官はそれくらいでないと、ただの役人根性じゃ、だめです(笑)。そうか、その比較で、「車窓」さんが、
いるのか(笑)。

このとき北京では、二十四歳になった光緒帝の誕生祝いが盛大に行われていた。

いやぁ、京劇というか、ものっそ、本格的。いやぁ、やはり同じ亜細亜人だからなのか、三国志演義とか、
西遊記とか、中国文化に若いときから触れてるから、なんとなく見てると惹かれるものがありますね。
そういう意味では、日本という国自体も、そういう存在だったりするわけですけど。

もう池に船浮かべてお遊びなんて、最高じゃないすか。そういう感覚も中国的ですかねぇ(笑)。
いやいや、しかし、このシーンもお金かかってるねえ。贅沢です(笑)。

と、そこへねずみ大使一行がその小さな背を見せながら到着です。エキストラは全員でかい奴(笑)、
使ったんだろうねえ(笑)。ちょっと笑っちゃいますが(笑)。
「失礼!」
と靴元はさっきの汚いまま。もうここらへんの押し出し感いいですね。
「ハハハ、excellent!」
と、官僚久保さんはそれについていけないんですね。
「久保、こっちこい」
と呼ばれてくる久保さんですが、もう、一気にうろたえモード。
「もう、もどりましょう」
と小村さんにいいますが、なにしろ秀吉ですからね(笑)。そんなのへともおもっていない(笑)。
「飲もう!飲もう!」
と、もうやりたい放題です。
「小村さん」
とさらにうろたえる官僚久保さんです。
「あんまり、あの」
なんて言われても、意に関せずの秀吉さん。
「ほら、さ飲め」
とワインを手に全景をみながら、
「すーごいのー」
と素直に感想を述べています。とその秀吉公をイギリス人達が見つけるわけですね。
「誰だ、あの男は」
「あれが噂のネズミ公使だ。アッハハハ」ラッツミニスターとか言ってたな(笑)。もうとにかく大笑いだったりするわけです。
「しかし、よくぬけぬけと来られたものだな」まあ、ものごとのわからない黄色い猿とか、思っているんでしょうね(笑)。
ってなわけで、イギリスの現在の日本への悪感情が、表現されるわけです。
イギリス人は皆、冷たい目で、この秀吉公を見つめるんですね。

「なんだ、この刺すような視線は」とさすがの小村さんもそれに気づくわけです。冷静に。
「イギリスの連中です」官僚車窓さんは、ちゃんと指摘。
「おかんむりだな」もちろん外交官ですから、そこらへんは、しっかり認識。

と、ドラが鳴らされ
「李閣下のおめみえ」と大声でアナウンス。いいですね、このシーン。いかにも清国な感じで、ちょっと大仰な感じで。
で、ドラが「ぼわああああん」と鳴って、京劇の役者達もあいさつする中、李鴻章登場!。
いやあ、これがいかにもな李鴻章(笑)。うれしくなりますねぇ(笑)。それっぽさ満載。
ちゃあんと中国の俳優さん使ってるんだねぇ・・・いやあ、この贅沢感たまりません。もう存分に楽しんでいます(笑)。
「李鴻章です」と車窓さん。って、清国駐在の外交官なんだから、すでに知ってるだろ!って突っ込みはまあ、いいですか(笑)。

清国直隷総督 李鴻章

当時北京の代表的政治家は、李鴻章であった。
北京にいる列強外交団などは彼を東洋のビスマルクと褒めたし、
日本の外務省などでは、偉人ころがしの名人とも言った。

「今夜はお招き頂き光栄です」
「ようこそいらっしゃいました」

と、李鴻章はどっかの外国人と儀礼的おしゃべり。外国人は英語で、李さんは支那語なんですね。

清国朝鮮通商人臣 袁世凱

と袁世凱さんも登場です。いやいやいや、いいですなあ、このドラマは。中国の政治家もどんどん映像化です(笑)。
もうよだれがたれそうです、うれしくて(笑)。

「李閣下、日本の代理公使が来ています」と謀将袁さんです。
「よくもまあ、これたものだ。高陞号を撃沈しておきながら」そりゃそう考えるでしょうねえ、普通(笑)。
「これでイギリスは、必ずわが国のために動く」と当然考える李さんなわけですけど、ちょっと甘かった。
気分がよくなって、イギリス外交団に手まであげちゃうからね(笑)。
「さあ、凱旋将軍のようにイギリス外交団と乾杯しよう。高陞号に乗っていた一千の兵の冥福を祈り、
わが国の勝利のために」しかし、この役者さんもうまいね。いかにも、食えない政治家をしっかり表現している。そう伝わるからね。
役者の力量ってのは、すぐわかっちゃうから、ほんと役者さんも大変だろうねえ、とか言いながらまたまたうれしい悲鳴です(笑)。
なんつって、気分のいい李さんの前にでてきたのは、もちろん、このひとです。
「閣下お待ちください!」
って、誰?ってちゃんと李さん、その声に振り向いてるんですね(笑)。
「失礼、失礼」
と怪しく現れるのはもちろんこのお方達(笑)。
「皇帝陛下のお誕生日をお祝い申し上げます」しっかりとした、キングスイングリッシュ?だったかな(笑)。外交官はキングスイングリッシュを学んだ、
みたいなことをどこかで聞いたんですがね。まあ、堂々とした、あいさつの小村さんです。
「これはこれは。絶交書を頂いた国の代理公使殿に祝辞を頂くとは」このときの李さんの表情がよくてねぇ(笑)。もう、笑ってしまう。プロだプロ(笑)。
いかにも不審気な表情で、苦虫つぶした感じで、でも政治家だから、そこは言葉を無理にでもだす、と。いやあ、そういう感じがしっかり伝わるから、
ものっそ、おもしろいすよ。このシーン(笑)。というか、最後は「不可解」っていう文字がその顔に浮かんでるよね、確かに。
表情というのは、言葉を超えた言葉です。人類共通だわ。これは、あとで、のぼさんのシーンにつながってくるんですねぇ(笑)。いやはや、
よくできてるこのドラマは(笑)。
そして、李さん、一歩、小村さんに近づいて、話します。もちろん、上から俯瞰でとってるから、小村さんの背の低さが強調されております(笑)。ちゃんとね。
「この期にお聞きしたい事があります」
ちょっとやりこめてやろうという李さんなんですね。
「なんなりと」
「どっからでもかかってこい」、と小村さん果し合いを申込まれたサムライな感じです。
「見渡したところ、閣下の背丈が一番小さいですが、貴国の人々は閣下のように小さいのですか?」と、いわゆる万座の中での侮辱ですな。ま、李さんも怒ってますからね。
「残念ながら日本人は小そうございます。ただ、中には大きい者もおります。閣下のごとき大きい者は、
「ウドの大木」と申し、そういう者に国家の大事を任せられません」と、そこは秀吉公、ギュインギュイン頭がまわりますからね。イギリス人も意識しながら、
軽くいなして、ちょんです。天下の李鴻章も、秀吉公の前じゃ、「うどの大木」扱いですからねえ(笑)。
しかし、この言葉を聞いている李さんも、これがいいんだ(笑)。不満そうな無表情をしっかり演じてますからねぇ(笑)。
この顔、この表情、いやぁ、すげえ、おもしれー、腹かかえて笑う(笑)。してやられちゃった、李さんですからねぇ(笑)。

で、ちょっと不満そうに黙るんですが、表情を変えて、しゃれたジョークでも聞いた感じで、笑うわけです。攻撃したけど、まんまとうまく返されたということですね。
「ははははは」相手の器量に気づいて、「なかなかやるな、こいつ」、と彼を認めた瞬間ですね。
「はははは」とそれを気づかせたことに大満足の小村さんというわけです。いやあ、よくできてますな。そこらへんが、過不足なくしっかり描かれております。
「ネズミ閣下は、面白いことをおっしゃるのう」と相手をほめてやったわけですが、
「それともうひとつ。わが国では自国の兵は、自国の船で運びます。あなたの国のように、
大国の旗の下から、銃を撃つような卑怯なマネは、決していたしません」さらに倍返し(笑)。いやぁーおもしれー、快哉快哉。秀吉公さすがにただものでない(笑)。
で、痛いところ、突かれすぎて、今度は、李さん表情を戻せません。不快そのもので、黙ってしまいます。
んで、仕方ないんで、
「確かにネズミ閣下は面白いことをおっしゃる」と袁さんが事態の収拾を図るということですね。大政治家李さんを怒らせる失態まで、引き出すんですから、
どんだけ強いんだ、小村さん。
「わざわざ丁寧に」完敗の李さんでした。いやあ、しかし、演技力合戦になってるねぇ(笑)。いやあ、堪能しました。

英国汽船撃沈事件を巡っては、当初、英国の各紙はこれを批判し、英国外相は日本の責任を追求した。
だが結局、事態が明らかになるとともに、「浪速」の処置が合法であることがわかって、
英国側の態度も冷静になった。

さて、この小村さん久保さんの一連のシーンは何を表現したかったのでしょうか。
小村さんの紹介、清国の実情、清国首脳の紹介、やりこめられる李さんとやりこんだ小村さん、そして、当初不快がっていた英国と、その後、冷静になった英国、
といったところでしょうか。アゲたのは、小村さんで、サゲたのは、李さんですね。つまりは、清国首脳の観測は甘かった。清国首脳より日本外交官の方が
まさっていた、ということを主張した、ということでしょうか。あと、英国態度の変化ですね。つまるところは、清国首脳の甘さ、というところに
つきるでしょうか。小村さんと清国首脳を対比させることにより、その能力の差を見せつけた、というわけですね。
脚本意図としては、日本人小村さんの活躍を描く、といったところでしょうか。そうやって、日本人の気持ちをよくしておきながら、清国首脳の甘さも
描いているということですね。ま、普通に日本人だったら、気持ちいいシーンですわな。そして、ここは原作にもあるシーンですね。
日本人の美徳を描く、という面では、どうでしょうか。それは小村さんで表現されているわけですが、服装に頓着しない、大舞台でも萎縮することなく、
当意即妙で、自信をもって相手をやりこめる、ということでしょうか。小国日本の外交官(しかも代理公使)でねずみ大使と言われながら、
臆することなく、堂々と丁々発止。どこか、日本のサムライの果たしあいを感じさせました。やはり、気分においては、この時代の彼らは
サムライだったと言うことができるでしょうね(笑)。

と、今回はここまで、いやいや、書いていると楽しいんですが、なにしろ量が膨大になっちゃうんでねぇ。

少しずつ、書いていきたいと思います。

ここまで、読んでくださった方、ありがとうございます。

続きはまたの投稿で。

坂の上の雲 第四話「日清開戦」(1)

2009年12月24日 | ゆるちょ!のドラマ・レビュー!
いやあ、今回もエンディングで涙をうかべてしまいました。
しかも、いつもと違って、最後の坂の上の光を見たときに、
なぜか、ぶわっと(笑)。サラ・ブライトマンの声に反応したんじゃないんですね(笑)。
なにが、原因なんだろうと、考えてみましたが、なにか色々な思いが凝縮されて、
あの坂の上の光が光ったシーンで、涙を流すという行為に結びついたんでしょう。
毎回毎回違った反応になっているのは、楽しいです。ま、進化しているのかどうかは、
よくわからないですけどね(笑)。

しかし、今回は、「物凄く」良かった。もう、本当によかった。小泉さんじゃないけど「感動」した、というか、
「心が震えた」ってやつですよ。いやあ、これホント見てないひともったいないよねぇ(笑)。
とにかく、すべてDVDに残しておいて、良かった。ブルーレイじゃないけど、そんなのどうでもいい。
こりゃお宝DVDになるよね。とにかく一話から見てきていろいろ蓄積があるからこそ、今回の心の震えが、
きたんでしょうねぇ。いやあ、もうなんていうか、すごすぐる!っていうやつですねぇ。

っていうか、今回フラグ立ちましたね。日本海海戦本気で描くぜ!って。日露戦争本気だぜって。
今回、日清戦争は、戦争の負の側の表現を盛り込みました。好古は負けいくさだし(それでも好古かっこよすぎ(笑))、
苦労する現地の清国人や嫌われる日本軍人(レオ好演(笑))をしっかり描きました。しかも、淳さん軍隊やめたい病まで
発症してしまいましたからねぇ(笑)。ま、これはすべてバランス、奥行を持たせる表現というやつですね。
だから、黄海海戦なんて、おもしろくもないし、描く必要もなしなんですよ。すべては、日露戦争を気持ちよくバリバリに描く
ための布石ということです(笑)。

しかも日清戦争の描き方もよかったですね。司馬さんが懸念していた映像化のこわさの意味をきちんと理解し、
配慮された描き方になっていました。ちゃあんと、戦争の勝利に対する興奮も描きながら、戦争の引き起こす実態や、
悲惨さにについても、十分描かれていましたね。しかし、このドラマの放映に反対したりじゃましようとしたひとは、
ほんと恥ずかしい人間になってしまいましたねぇ。作品をみて、分析し、評価してはじめて自分なりの姿勢や考えを
開陳すべきという基本中の基本もしないまま、勝手に自分だけの考えや立場で、批判を唱えることが、
どれだけアホなことかということが、露呈し説明されてしまいましたからね。

しかし、ほんとうにNHKには、素直にありがとうと言いたいですね。
いやあ、ほんの昨日まで、NHKをこきおろしてきましたが、やはりNHK。全力をこちらに傾注していたんですね(笑)。
いやあ、こんなに素晴らしい作品に出会えるとは。いまどき、映画館でも出会えません。それがただで見られちゃうんだからねぇ(笑)。
なんか日本人だからこそ味わえる、おいしい味を味わってる感じなんですよね。
日本人とはなんだったのか。かつてもっていた日本人の美徳とは。
それらがすべてつめこまれている気がする。
日本人だからこそ、感じられるなにかが、ここにはあるような気がしますねぇ。

というわけで、そんなものも、えぐりだしながら、日本人とはなんなのか、を考えながら書いていきたいと思います。
いやぁ、書くのが、うれしい。素直にたのしくなります。まあ、記事は長くなりますが、
一気に全部投稿するのではなく、書きあがった分量ずつ、投稿していくことにします。
ま、なにしろ師走の最も忙しい時期ですからね(笑)。

ま、投稿日も木曜日と決めたし、ゆっくり楽しく書き進めましょう(笑)。
それと、映像表現をできるだけ、文章化していきます。
あと、渡辺謙さんのナレーションの文章も書き起こしていきます。
その間にコメントとセリフをいれ、それに対する文章をいれる感じで
構成していきます。

では、はじめましょう。


明治二十七年七月二十五日

朝鮮西岸 豊島沖

宣戦布告はまだ行われていない。
しかし海上では最初の砲煙があがった。

海に砲弾が飛び込んでいるようです。どかんどかんと、すごい水煙をあげています。
その後ろにどこかの国の船団がいるようです。

この日早朝、朝鮮西岸の豊島沖で、日本艦隊は清国艦隊と遭遇、戦闘の火蓋が切られた。

だそうです。いやあ、日本の巡洋艦「浪速」でしょうか。主砲は一本だけみたいですね。
調べてみると、この船は防護巡洋艦だそうです。
兵装は、
 35口径26cm単装砲2基
 35口径15cm単装砲6基
 4.7cm単装砲6基
 魚雷発射管4門
ということらしいですね。どうも自分みたいな「宇宙戦艦ヤマト」世代には、主砲は3本で当然みたいな
意識があるんで、ちょっと違和感がありますが、でもそれをきちんと映像化できているところが、
すごいね、こりゃ(笑)。ここは、前回、ちょこっとやった「高陞号事件」の話ですな(笑)。
前回では、「浪速」が、いきなり弾打ち込んだみたいな表現になっていて、イギリスお怒り!
みたいな表現でしたが、実はちゃあんと、みたいな話になっております(笑)。

しかし、艦の首脳達がむき出しで乗り組んでいるというのが、すごいね。戦傷率が高すぐる(笑)。
しかも、真っ白装束がかっこいいねぇ。これは、「事に望んで死をも厭わず」という日本人の武家意識から
きてるんだってね。死を美で飾ろうとする、日本人の美意識、すばらしいですね。
他国にはない独自の価値観。そのオリジナル性の高さは世界に冠たるモノがあると思います。
ガラパゴス結構じゃないですか(笑)。逆に聞きたいけど、没個性に何の意味があるんですか?。
とかいいながら、国内においては、横並び意識が強いんですから、日本人て変ですねぇ。
だからこそ、おもしろいんですけど。
艦の首脳が一斉に前方を見つめております。

さらに午前十時、敵艦を追いかけていた巡洋艦「浪速」は、別の目標を発見した。
大型汽船であった。

ということで、水兵さんが望遠鏡で大型汽船の方を必死にみつめています。

マストに英国旗を掲げているが、清国陸軍の将兵を満載しているのがわかった。

というように、英国旗が写り、清国軍将兵が満載されております。
いやあ、しかしこの清国軍の将兵がそれっぽくていいねえ。頭も辮髪だし。

「浪速」は、この英国汽船「高陞号」に対し、「本艦に続いて来たれ」と命じた。
ところが、事態は容易には進まなかった。

「浪速」の艦長は東郷平八郎であった。

と「浪速」の首脳陣席の中央で(って、立ってるけど(笑))、団長東郷さん、双眼鏡から目を離します。
しかし、カールツアイスは、このときはまだ、使ってないんじゃないかな、確か日清戦争後から、と
聞いたことがありますが、まあ、深い話でもないので、それはおいておきましょう(笑)。

「浪速」側からボートが出、士官が派遣された。

と東郷さんはメッセンジャーを起動し、ヂャなく、メッセンジャーをこの英国汽船に派遣したんですね。
いやぁ、しかし、この「高陞号の緊張感」がたまらないですねぇ(笑)。まあ、敵艦が目の前にいて、
しかも、自分たちを狙っているわけですから、そこからの使者が、ほとんど丸腰に近い形で入ってきたわけです。
「こいつ何考えているんだ?」とか、「こんな奴殺しちまえ」とか、「手を出したら、俺たちも終わりだ」
とか、いろいろな感情が渦巻いている表現でしょうねぇ。
それにこの日本海軍の使者さんもすごい緊張感の表現ですねぇ。いやいやもう、切った張ったの世界以上の、
殺すか殺されるかの最前線ですからね。演じている方も気合入りまくりです。

さて、ほんとやばいたくさんの目にみられながら、甲板上を歩いていくと、前方にどうも親玉らしいひとが
見えてきます。

「come on」

と清国兵なのに、英語でした。インテリフラグ?。
とにかく、上からの視線でみると、使者の周りはちゃあんと日本兵が護衛しているんですね。
んなこといったって、一斉にかかられたら、終わりですけど。まあ、この頃の日本兵はサムライ意識が強いでしょうからねえ。
ひとりでも、いったるわ、ちゅー意識でしょうけどね。と、こちらは、お雇い船長のイギリス人登場です。
不安そうにちょっと青ざめてますが。イギリス人船長のほうが、敬礼が遅いのは、俺疲れてんだよ表現?。

「清国兵は捕虜となることを望んでおりません」
「したがって本艦は貴艦に随行することはできません」
「先程の通告通り我々の指示に従わない場合は、この船を砲撃せざるを得ない」
と、周りの連中がさわぎだします。そりゃそうですね、「殺しちゃうよ」と言ったも同じことですもんね。
不穏な空気に、使者さんも「やべ、こりゃめったなこと、言えねえな」ってな感じ。
「わかっています」
その喧騒の中で、思い切り大声をだす船長。「んなこたぁ、わかってんだ、だけど、立場上、そうなっちゃうんだよ」
という表現ですね。と横にいる清国兵の親玉みたいなひとが、周りを制します。とここで、
「イギリス人乗組員の本艦への移乗を許します」
なんていっちゃったもんだから、もう、大騒ぎ。清国兵だけぶっ殺すと言ったも同じですからねえ。
「やめろ」
とイギリス艦長が叫びますが、船上は大騒ぎ。イギリスさんもどこかへ連れ去られちゃいます。
その様子を望遠鏡で見ていた、「浪速」首脳部、

「清国兵の様子がどうも変です」
と、東郷さんに説明。東郷さん真剣な顔でそれを見つめています。イギリス船船上では、大騒ぎになっていて
「やめろ」
と船長さんがいいますが、誰も聞きません。
「やめろ」
とやっとイギリス船長さん、大声だして、なんとか清国兵達をなだめます。もう、とにかくこの船やばいっていうか、
イギリスクルーのお命は風前の灯火状態だよねえ。で、もう、必死で生き残る道を探るということで、
「この船を出港地、大沽(タウ)に戻してください」
と一生懸命に船長さんが言うんですね。
「それは・・・」
使者さんにも立場があります。それでも船長さんは必死です。
「それならば、清国兵も納得するでしょう。我々が生き残る道は、これしかありません」
と結論的に押し付けます。そうでもしないと、死が目前ですから、船長さんも必死ですな。
「ぜひとも貴艦の艦長によろしくお伝えください」
もうそれしか、彼らの生き延びる道はないのは、明白です。もう、命乞い状態です。
それをわかっている使者さんなんですけど。

「清国兵は明らかにイギリス人船長を脅迫しております。強いて我が命に従わそうとすれば、イギリス船員に
危害が加わる公算大です」
東郷はん、何かを考えながら二三歩歩きます。しかし、気合の入った表情で、
「船長の要求には応じられん」
と、はねつけます。
「高陞号に信号を。直ちにその船を見すてよ」
使者さんは驚いています。まあ、イギリス人さんがかわいそうだと思って陳弁したんですからねぇ。そして、今の東郷の決定が、イギリスさんの
死を意味していることも、理解しているんでしょう。
「は、直ちにその船を見すてよ、送ります」
副官、きちんと命令を繰り返し、実施です。
信号旗が掲げられ、信号が相手に送られます。
と清国兵は、掲げられた信号を見て色をなすんですね。
「我々の要求を拒否しました」
とある清国兵が親玉の清国兵に報告します。もう船上は大騒ぎです。
また、この親玉清国兵がいい演技するんだ。もう、いい感じですねぇ。

「静まれ!。日本の軍艦は決してこの船を攻撃しない。この船にイギリス国旗が掲げられている
限りはな!」
いい面魂なんですよね、この親玉。いかにも親玉って感じで。
そして、しっかりとイギリス国旗がはためくシーンが表現されているわけですよ。
そりゃ、ふつう、そんな大国相手にけんかはできないと考えるのが妥当ですよね。しかし、相手が悪かった。
「高陞号に旗流。ゼッパンエフ」
と今度は、浪速側の水兵さんが、報告です。
「交渉用意。ボートを送られたし」
とその意味を感じ取った東郷さんは、
「ボートを出すことはできもはん。みすみす人質をわたすだけでごわす。もう一度信号を送りやんせ」
と拒否しながら、その意味も説明します。
「了解。ボート送り難し。ただちに船を見捨てよ。送ります」
副官もきびきびしていいねぇ。そして、東郷さんは前を向きます。
「ボートをおろせ!」
イギリス船長さん、やばい逃げなきゃと焦ってます。しかし、親玉清国兵に青龍刀抜かれて、首にあてられ
「もし攻撃したら、あんたの国がだまっちゃいないだろう。そうなりゃ、この戦争は清国の勝ちだ」
と脅します。そりゃ清国兵にとっては、自分たちを守るのはイギリス国旗とイギリス人クルーの存在
だけですからね。けっこう清国兵側も追い詰められてます。
「高陞号から、貴命令に従うことは許されず」
最後通告ということです。前を向いている東郷さんの背中が神々しく光ります。
その光の中、一瞬の静寂が起こり、最後の判断がなされることがわかります。
東郷さんはゆっくりとこちらを向くと全ての判断を終えたことを示し、静かにつぶやきます。

「撃沈する」

とうとうその瞬間がきてしまいました。使者さんは、現場に行って肌で感じてきているだけに、
イギリス人クルーの運命が決まったことに衝撃を受けています。他の首脳達も、その決断に衝撃を
受けています。「ええ?やべんじゃね?そんなことやったら、英国敵に回しちまうべ?」とか思っているんでしょうか(笑)。
他の水兵さんたちも、静かな緊張の中にいます。

「赤旗あげい」

キター。いやいや、もう胴震いが起きてしまいます。赤旗が静かにあがっていきます。

東郷はマストに危険を知らせる赤旗をかかげた。

もう清国兵は大変です。なにしろほとんど目の前にいる巡洋艦が戦闘を開始しようというんですから。
「撃ってくるぞ!。応戦準備!」
等と親玉清国兵がほざいておりますが、このときイギリス船長さんはあきらめモード。
さびしげな顔になっております。

「右戦闘、目標高陞号」
東郷さんは、的確に指示をだしていきます。

「目標、高陞号」
砲弾が主砲に装填されます。もう清国兵は大騒ぎです。だいたい応戦準備なんて、何やるんだ?。
もう右往左往。コンクリートブロックみたいの持っている奴がいたけど、何の足しになるんだ?。

「八百」
「砲台よーし」
主砲の仰角がセットされます。もうなんていうか、アドレナリンがガンガンでてくるよね。
清国兵もなんかちゃちな砲をだしてきますが、いやいやそれでは相手になりますまい。
親玉もちょっといっちゃってる感じだし、イギリスさんはもう・・って感じ。

「主砲、側砲、射撃用意よろし」
準備万端整いました。東郷さん静かにうなずき、
「側砲、打ち方始め」
と静かに力強く命令します。
「しちょう喫水線をねらえ」
「右側砲打ち方始めー」
うひょー、もう、すげーかっこいーんだけど。
「浪速」の側砲の全てがついに一斉に火を吹きます.
砲弾はすべて高陞号に。みるみる高陞号に迫ります。とにかく側砲の発射音がでかい。
腹に響きます。そして、それが案外気持ちよかったりしますね。

高陞号は沈んだ。船長以下数名の船員は救助されたが、清国兵はほとんど溺死した。
この事件はすぐに上海電報によって英国に打電された。

そして、その責任者は東郷さんだった、というわけです。

いやあ、すげえね。なんつーか、アドレナリンが出まくりました。
こんな映像おめにかかったことないもんね。
いやあ、これだけ気持ちをハイにさせてしまうんだから、戦争映像というのは、魔物ですな。
さて、今回のこのシーンは、実は今回の日清戦争を描く上では、唯一、戦争シーンを見て、
盛り上がるような描き方なんですね。多分これは、日露戦争を盛り上げる描き方でやりたいことで、
日清戦争は、暗部というか、負の部分を表現することで、奥行をだす、そういう担当に
なっていると想像します。ただ、それだけだと、視聴者側に不満がたまるので、
唯一冒頭にこういう戦争シーンをもってきて、ひとつの放送回としてのバランスを
とったと考えるのが妥当だと思いますねぇ。このシーンがあったおかげで、残りで、かなりマイナス面を
強調しても、許せる作りになっていましたからね。というところから、
本シーンは、今回のエースなシーンと言ってもいいでしょうね。
脚本意図としては、ちょっと戦争のわくわくな部分を描くという感じでしょうね。
最後に溺死した清国兵を思わせるシーンを取り入れることによって、わくわくだけでなく、暗部も
ちゃんと描いたしね。ちなみにこのシーンは原作に触れられてますね。
さて、このシーンで、アゲられたのは、東郷さんであり、日本でしたね。そして、サゲられたのは、イギリスを人質にとった、清国、ということになります。

つまり、このシーンは、清国との戦いにおいて、日本は非常に公正な立場にいた、
ということを主張するシーンなわけです。

ドラマを論文的な側面で考えたとして、このシーンは、基本的な主張という奴ですね。
つまり、日本は、清との戦いを開戦したけれど、それは正しかった、清は、イギリスを人質にするような、悪辣なひとびとだった。
それに対して、サムライ魂で立ち向かったのが、日本だった。
国際法的にも正しかった。

という主張があるのが、このシーンでしたね。

基本的主張が、正しかったので、他の各論(レオ様とかさ(笑))が盛り上がっても
揺らがなかったという状況だと、自分は判断しています。

各論に対して、針小棒大にとらえることは、批判者の陥り安い罠です。

そういう罠に陥ること懸念し、大きな態度で批判することが、大切だと

自分は考えています。



と今回の投稿はここまで。なんだ最初しかできてないんじゃん、とツッコまれそうですが、
セリフの抜き書きに膨大に時間を使うんで、ま、それはやっちゃったんで、
あとは、ただシンプルにつっこんでいけばよいので、・・・まあ、日曜日の放送時間まえまでには、
なんとか、全編・・・終わらせるようにがんばりたいと思います。

では、ここまで読んで頂いた方、ありがとうございました。

次ができ次第、また投稿します。よろしくです。

時節がら、「メリークリスマス!(笑)」。


クリスマスの思い出(2)

2009年12月23日 | 過去の物語
それは僕がまだ小学校3年生の頃でした。

その日の気分は、ほんと最低でした。

その日は、学校でクリスマス会があった日で、
担当した芸のネタが緊張したせいであまりうまくできずに、
大失敗し、大恥をかいた日でした。
一緒に出演した友達は元気づけてくれたけど、
当時大好きだった女の子が微妙な表情をしていたので、
むちゃくちゃショックを受けて、非常に落ち込んだクリスマスイブの日になりました。

それだけ落ち込んだ僕は、ひとりになりたくて、友達とも別れ、普段行かない帰り道を歩いていました。

そんな道の一角に、当時、キリスト教会がありました。
日曜学校をやっていたり、なにか御務めみたいなことをやっているようだったけど、
当時9歳の子供には、なにをやってるのか、想像もつかなった場所でした。
ただ賛美歌がたまに聞こえたから、「一種の外国?」みたいな気持ちを
持っていたのは、確かでした。

その日はとても寒い日で、日中なのに手を「はあはあ」しながら、帰っていました。
その教会の少し前にある駐車場で、誰かが何かを必死になって探していたのを、「どういうこと?」
ってな感じで、凍りつきながら、見ていたことを覚えています。

「白人さん?」

色がとても白くて、金髪で、背の高い、すらっとして、足の長い人でした。

当時は外国人を街の中で見るなんて、珍しいことだったし、特に自分にとっては、
TVの向こうの世界のひとだったりするし。あまりに驚いた僕はとりみだしながらも、
とっさにそのひとことで声をかけてしまいました。

「はろう?」

僕の唯一知っている英語でした。あと、

「THIS IS THE PEN」

なんていう当時のギャグもありましたが、さすがにそれは恥ずかしくて言えませんでした。
その女性は、こちらを振り向くと、一瞬、表情を止め、「このひとは、どんなひと」という感じで、
僕をみました。ものすごく、警戒したんですね。でも、相手が、たった九歳のガキとわかると、
すぐにニコリとして、こちらに歩いてきたんです。

「こんにちわ」

普通の日本語でした。ポカンとしたのは僕の方でした。

「私を外国人だと思ったのね?。私はハーフ。半分は日本人よ」

明るい笑顔で説明をしてくれました。年の頃なら、19、20歳といったところだったかもしれません。
それでも、自分にとっては、随分おとなでした。

というか、すげー美人!。

天上人、降臨?(笑)。

そんな感じの驚きでした(笑)。

うつくしいひとって、これじゃん(笑)。
あのう、どうしてそんなに美しいんですかぁ?。
という気持ちがどんどんでてくる(笑)。もう子供だから、反応が素直すぎる。
そんなことをどんどん思ううち、何を言ったらいいのか、全くわからない感じになってるんです。

もう同じことばっかり考えている(笑)。

それでも、なんとか、言葉を吐くことだけは、なんとか、できました。

「なにか探してるんですか?」

一応言葉を続けることができましたが、もう自分にとってはっきりいってそれだけで一杯一杯。
事態をどう収拾すればいいか、理解不能状態に陥っていました。

「あの・・・」

そんなどきどきした小学生を見て、少し余裕が出たのか、
彼女はその美しい顔をわざと自分に近づけて言ってくれました。

「ペンダントをなくしてしまったの。とっても大事なペンダントなの
 もしよかったら、一緒に探してくれない?。銀のペンダントなのよ」

彼女はそういうと、自分の手をひき、

「ここらへんのはずなのよ・・・」

と現場まで連れていってくれました。

あたたかった・・・。

あのう、こんな、美しいひとに、手をつないで、もらうなんて・・・。

もう、ドキドキで、どうしようも、ありませんでした(笑)。

いつもの小学三年生脳ですからね。それだけしか、考えられなくなるんです(笑)。

もう、手をつないでもらったことだけで、頭の中は、

「手をつないだ」「手をつないだぞ」「手をつないでくれたぞ」・・・

それだけで、一杯一杯。もう、興奮のあまり、何をしてしまうか、わからない(笑)。

「あなたが、好きだからー」と叫んでしまいそうでした(笑)。

彼女の手に触れた、僕の手をみて、

「よし、俺はこのひとに、命をささげよう。死んでもよし(笑)」

とそのとき、簡単に思いました。そりゃそうです、小学生の男子なんて、簡単なものです(笑)。

そんな、簡単な事に、僕はすっかり、盛り上がり、簡単なシチュエーションに気合をいれてしまいました。

だって、美しいひとが、僕に、「お願い」って、言ったんですよ(笑)。

このシチュエーションは自分にとってとても興奮すべきものでした。
自分は数年前までやっていた「少年探偵団BD7」の映像をすっかり思い出していました。
「確か怪人二十面相は団次郎のはずだ。「新マン」やっていたひとだぞ・・・」
と全く必要のない知識を思い出したりしていましたが、さすがにそれを彼女に話しても意味はない、ことはわかっていました(笑)。
それより、きれいなおねえさんに、「手伝って」と言われたことが、
自分の中では、ぶっちぎりの興奮ポイントになっていたんです(笑)。

「僕はこの女性(ひと)に命を捧げるんだ!」

と、その気になって、必死に探しました。小さいことをいかして、女性が入っていけない車の下や、
手をつっこめない自動販売機の下なども、探しました。10円玉が2個でてきました。
いやいや、こんなものは戦利品ではない。僕はない頭を必死に回転させました。
ここが勝負だ、どこかに解答がある。ワトソンくん、近くにいるなら、早くきてくれー。
と少年は、わけもわからず、いろいろ考えましたが、たまたま、見回した先に、
まだ、探していない古いカローラを見つけた、のでした(笑)。

「ワトソンくん、解答はこれだー」

と軽いのをいかし、さっさかさーと車に近寄ると

僕は一目散にその下に突入しました。そしたら、そこに、ちゃんと解答がありました。


少し薄汚れた銀色のペンダント。


彼女にそれを渡すと、彼女は、うれしそうに僕を「高い高い」してくれました(笑)。

僕はまだまだ非力でちいさな少年だったんです(ちょっと恥ずかしかったけど(笑))。

彼女は、よほどうれしかったのか、そのペンダントに入っている写真まで、
僕に見せてくれました。それは外国人の女性の写真でした。

「母なの」

彼女は教えてくれました。そうか、お母さんが外国人だったんだ。
その時、僕はそう納得しました。

「5年前にね、死んじゃったの・・・」

彼女は少し悲しそうでした。

「あなたは、女性を守る騎士ね」

お姉さんはよほどうれしかったのか、僕をそう言ってほめました。

「せっかくだから、一緒に遊ぼうか?」

一人っ子で育った僕にとって、あまりに魅力的なお話でした。
でも、当時は、男子が女子と遊ぶなんて男子にとって恥ずかしい話でした。

「だけど、このひとは、女子じゃないから」

と勝手に納得し、お姉さんと遊びはじめました。

やる遊びは、普通のモノでした。

当時はやっていた、子供達同士の遊び。せっせっせのよいよいよいとか、

あっちむいてホイとか、なんとかジャンケンとか、

2人ともけっこうのりのりで楽しんでいました(笑)。

「このお姉さんと明日もあさってもこうやって遊びたいな・・・」

いつの間にか、僕は、そんな風に思っていました。だって、楽しくて楽しくて、しかたなかったんだから・・・。

この時間が永遠になればいいのに。

僕はそんな風に思っていました。

夕方になり、火灯し頃になると、さすがに帰らなくてはいけないことに、気づきました。

でも、それについては何もいいたくなかった。

自分からは何も言い出せなかった。

だって、この楽しい時間が終わってしまうもの。

もう、永遠にこないかも、しれないもの・・・。


お姉さんもじきに、それに気がついて、

「はい。今日はここまでにしましょ」

と、言いました。それが、僕にとっては、とても残酷なことに、見えました。

僕は、この瞬間がとてもいやでした。せっかくの楽しい時間がとぎれてしまう。

少し泣きそうになりました。

素直なままの、僕の少ししょげた表情をみると、彼女も少し寂しそうな顔です。

「わかってくれたのかなぁ」、って思うけど、そうではなくて、大人の判断なんですね。

彼女は、何かに気づいたような顔をして、バックの中から、なにかをとりだして、ペンで何かを書いている。

「はい。クリスマスプレゼント」

彼女は、キャラメルの箱に、そう書いて渡してくれました。

「2、3個食べちゃったけど、まだ、たくさん残っているから。今日のお礼」

そして、僕の頭をなでて、おでこにキスまでしてくれました。

僕はあまりのことに、死にそうになりながら、鼻血がでるのを、なんとか、抑えていました。

かなりうろたえて、どうしたらいいか、わからなかったけど。なんとか普通な態度で、

「ありがとうございました」

と言ってペコリとおじぎをして、そこをあとにしました。

そこにいたら、もう、どうなっていたか、わからなかったです(笑)。

いやいや、キスなんて、「どういうことだよ?」って感じでした。

キスされて、すごく気持ちよくって、そんなの感じちゃって、いいのかよって感じでした。

「まずい、このままでは、悪いオトナになってしまう。すぐに忘れなければ」

BD7の一員をきどっている僕は、すぐにそんな優等生的感想をもちながら、ぎつばたしながら、

帰り道につきました。それでも、ドギマギは止まらなくて。

もう、学校の好きなひとのことなんて、すっかり、忘れ去っていました(笑)。

そんなこと、もうどうでもよかったんです。


きれいなお姉さんが、いつまでも手をふってくれました。

僕はどぎまぎしながら、家に帰りました。もうなんだか、どう対応したら、いいのか、よくわからなくて。

とにかく、家に帰っても、ドキマギしていたのを覚えています。

あんなに、美しいひとが、僕と話したの?。

意味がよくわかりませんでした。

そこに何のメリットが?。

そんな感じで、きれいな、あのひとのことを、いつまでも考えていました。



彼女のくれた、キャラメルは、自分にとって、特別なモノになりました。

そのキャラメルは食べられるはずもなく。

ずっと僕の宝箱に眠っていることになりました。ずっとずーっと。

それ以来、僕は学校の帰り、ぎつばたしながら、その教会の前を通ることが、多くなりました。

わざわざ、遠い道をとおることで、あの美しい、彼女にもう一度会いたい、そんなことを思っていたんですね。

でも、それから一度として、彼女に会うことは、なかった。

どうして、あの一日だけ、あそこにいたんだろう。

どうして、あのクリスマスイブの日に・・・。

どうして、あんなきれいなひとが・・・。

もしかして、落ち込んでいた僕にサンタさんがくれた、スペシャルプレゼントだったんだろうか。

少年の日にあった、そんな風景を思い出しながら、ふと、今は、そんな風に思ってみたり、しています。

そして、少し、ニヤリとしてしまいます。


サンタさんも、なかなか、粋なことを、やるもんですね(笑)。

そして、ここまで読んで頂いた、みなさん、ありがとうございました。

そして、「メリークリスマス!」。


素晴らしい「クリスマス・イブ」をお過ごしください(笑)。

また、彼女に会えないかなぁ?。あの頃のままで(笑)(いやいやいや、それは無理(笑))


ではでは。


クリスマスの思い出

2009年12月22日 | 過去の物語
もうすぐクリスマスですねぇ。

いやぁ、「クリスマスまでの期間が、本当のクリスマス」みたいなCMが流れていますが、
まあ、確かにそうですねぇ。クリスマスの1ヶ月くらい前から、「もう1ヶ月するとクリスマスか」
なんて思い始めて、「今年はどんなプレゼントを贈ろうか」とか、「どんなディナーにしようか」とか、
「ワインは何にしようか」とかもう考えるだけで、楽しいことばかり(笑)。

そんな季節に、今まで買い込んできた、いくつものクリスマスアルバムをかけて、雰囲気を盛り上げて
いくわけです。まあ、クリスマスアルバムはことあるごとに手にいれてきましたし、
「そういえば、このCDはあのとき、あの場所で誰かといっしょのとき、買ったんだっけ」なんて過去を思い出しながら、
味わうのも、なかなか味わいがあるというものです。今もクリスマスアルバムで「ナット・キング・コール」の
「スターダスト」を聴きながら書いています。確か映画「めぐりあえたら」の年越しのシーンでかかる
「味わいのある美しい調べ」ですよねぇ。

最近のクリスマスは、「地味クリ」なんですってね。「家族」で団欒して、ケーキ食べて終わり、みたいな。
まあ、我が家でもそうなる予定ですが、自分たちが学生だったころとは、大違いですねぇ。
いやぁ、時代は変わるもんですね(笑)。

自分らが学生時代だったときは、世はバブル華やかし頃。バブル真っ最中でしたねぇ。
もっとも貧乏学生だった自分らは、その恩恵にほとんど浴しない世代です。
会社に入って「さあ稼ぐぞ」と思ったら、バブルがはじけていた、という感じですからねぇ(笑)。

当時は、クリスマスと言えば、ユーミンの「恋人はサンタクロース」が鳴り響き、山下達郎の「クリスマスイブ」
はJR東海のテーマソングとして響き渡り、多くの恋人たちに愛されたものです。
世の男達は、イブの夜のために、「高いレストランでの高級ディナー」「その後を過ごすための一流ホテル」
そして「恋人のために、ティファニーの3連リング(だったかな?(笑))」を用意していたものでした。
なんか、こうやって書くとすごいね(笑)。それだけ女性にお金をかけられた時代だったんだねぇ(笑)。
いやいや、今のひどいこと(笑)。まあ、それでも、そういう見た目ばかりじゃなく、
「本当に大切なもの」は、中身だということに、気づいたということなんでしょうかね(笑)。

当時学生だった自分は、お金もなければ、あまり時間もなかったのを覚えています。やたら忙しい大学に入ってしまった
おかげで、「ひーこら」しながら勉強ばかりしていたイメージがあります。レポートが週5本なんてあたりまえ、
時に10本なんてこともありました。しかも授業はたくさん受けなきゃいけないし。もう彼女なんて、つくってる暇
自体がありませんでした。それでも、休みの前になると、友人達と夜12時頃飲みに出て(それまでお勉強)、
朝まで飲んで、昼近くまで寝てるなんて生活をやってましたからねぇ(笑)。
それから起き出して、近くの肉屋さんやコンビニに行って、おいしいお惣菜と「ジャンプ」と「スピリッツ」を
買ってくるのが楽しみという非常にあっさりとした学生さんでした。
今から考えれば多少牧歌的な学生時代でしたねぇ(笑)。

その女性と友人になったのは、自分の大学とは別の某有名国立大学のとあるサークルの飲み会に招待された場でした。
自分はその女性と話した記憶はなかったのですが、大層気にいられ、次のとある飲み会に出席したとき、
「今日は、○○さんに会いにきたんです」とかなんとか言われ、ちょっとドキマギした記憶があります。
一緒にいた友人の女性がなぜかキレ、「よかったわね、ふん」みたいな感じになったのも、よく覚えていますねぇ(苦笑)。

その女性は、容姿端麗で、大学でも一、二を争う外見を持っていました。なんでそんな女性がなんのモテ要素もない
自分に興味をもったのかは、全く謎ですが、男子学生諸君には、「ほんと、お前はおもしろい」と飲みの席でよくいわれていたので、
そんなところが、気にいられたのかもしれません。まあ、彼女にとっては毛並みの違うあたらしいおもちゃ、という
ものだったのかもしれません。

さらに彼女の家は、古い家系であることも知らされました。いわゆる名門の血というやつです。そして、当然のように、
むちゃくちゃなお金持ち(笑)。なにしろ、東京の大学に入学が決まった時、母親が、「じゃあ、東京に家買わなきゃね」
などというビックリ発言をさも当然そうに出したそうで、その女性本人も「ちょっとびっくり」したらしいことを、
その聡明そうな大きな目をくりくりさせながら、話していたのを覚えています。

その後、彼女とよく遊ぶようになり、彼女のまわりにいる男性達とも仲良くなっていきました。彼女のまわりにいる男性達は、
いわゆる良家の子女というやつで、毛並みのいい血統書つきの高級犬みたいで、雑種の俺がこんなところにいていいのか?
と疑問をもつくらいでした。もっとも、良家の子女というのは、性格がよくて、容姿端麗という人間が多く、
どうも自分のテリトリーにあまりいない、雑種の自分をおもしろく思っているような感じで、
楽しく友人づきあいをしてくれました。

ただ、冷静に考えれば彼ら達も皆、彼女を狙っていたわけです。「ある男性が彼女に告白した」、とか、
「それを彼女がやさしく拒絶したらしい」とか、そんな噂がいつも出ていましたし、ある意味、そんな状態を
皆で楽しんでいたのかもしれません。ある高級ホテルの一室で、パーティーを開き、皆で朝まで楽しく飲んだり
話したりしていたこともありました。そのとき、二人で、避難用の階段に陣取って、星を眺めながら、
いろいろな話しをしたりしていたこともありました。


そのときの彼女の楽しそうな横顔を、今でもなつかしく覚えています。

長い髪が風になびく。ほほえむと目がなくなってしまう。透き通るような白い肌。きれいなラインの頬。

楽しい時間。気持ちのいい空間。どきどきする胸。「寒いね」と言ってお互いの手をこすりあって笑いあった。

「また、パーティーやろうよ」「そうね、絶対」「約束だな」「約束」

朝を迎えて、太陽がしらじらと登っていくのを、あまりの美しさに「ため息」をつきながら見ていた二人。

ずっと手を握りあっていた、二人。

僕は、そのとき、「このひとは、なんでこんなにうれしそうな笑顔を、僕にくれるんだろう?」

と思っていたことを覚えています。

「なんで、こんなに美しいひとが、こんなにうれしそうな表情をしているんだろう?」


その時の自分は、そんな人間でした。


彼女は溶けるような笑顔で、僕の指を強く握り返しました。

「パーティー、約束だからね」

「ああ」

僕も彼女の手を強く握り返しました。

彼女の瞳が笑っています。

熱いぬくもりが、手を通して伝わってきたのを覚えています。


それでも、なにも起こらなかった。


夜遅くまで電話をしあった。それでもなにも起こりませんでした。

いや、起こさなかったんです。

多分当時の自分は、彼女のまわりを取り巻く、絢爛豪華な男性達に、萎縮していたのかもしれません。
「彼女を愛する権利は、自分にはない」
そんなようなことを勝手に考えていたのかもしれません。だから、もう一歩前に踏み出すことができなかった。
彼女の考えていることなんて、想像だにできなかったのです。
彼女は、そんな自分を、まどろこしく見ていたのかもしれません。
あれほど、電話をくれたわけは、そんなところにあるのかもしれません。

楽しかった時期は、終わり、自分と同年の彼女は、浪人した自分より一年先に卒業していきました。

卒業してからも、なんやかやと一緒に会ったり、飲んだりしていました。

そんな彼女の就職した年のクリスマス、彼女の話してくれた内容は想像を絶するものでした。
某有名企業に入社した彼女は、最初のクリスマスで、150人を越す人間から、「イブを一緒に過ごそう」と
誘われ、50人以上の人間から、プレゼントを渡されそうになり、そのうち、「ティファニーの三連」は、
30個を超えていたそうです。結局、プレゼントは全て断り、イブは一緒に住むようになっていた兄と
静かに「地味クリ」だったそうですが。

その後、二人とも、忙しくなり、いつのまにか、会わなくなってしまいました。何年かして、彼女が某大手広告代理店の方と
結婚した話を聞きました。

それは、寒い日で、自分は久方ぶりに新しくできた恋人とクリスマスイブを過ごそうといろいろと準備に飛び回っている時でした。
近くのKFCに並んでいると、いつも耳の早い友人に見つかり、声をかけられたのです。
「○○さん、結婚したって聞いてた?」
その彼は当然自分が知っているモノと踏んだようでした。
「え、初耳だよ。そうなんだ?」
彼は僕の表情を慎重に見ながら、
「そうか。言わなきゃよかったかな。いや、てっきりおまえ、○○さんと仲良かったろ?。だから」
少しすまなそうに言います。
「いや、いいんだ。もう、連絡とらなくなっちゃったんだよ。二人の時間は終わってたのさ」
なにかが、カチリと音をたてたような気がしました。
「彼女、おまえにふられたって言ってたぜ。好きだったのにって」
そいつは、それだけ言うと、クリスマスセットを買って帰っていきました。自分の大切な彼女のもとに。

なんか書いてたら、いつのまにか、小説みたいになってしまいましたね(笑)。
クリスマスが近づくと、いつもこの思い出を思い出します。
なんか、ひたすらバブリーな話としても、ね(笑)。

それから、彼女とは、一度も出会っていなし、これからも会うことはないでしょう。
あのとき、自分が違う行動に出ていたら、二人の未来は、違った形になっていたかもしれません。
なんだか、ほんとうに、小説みたいな体験でした。
今は、彼女がしあわせであることを祈るばかりです。

あの頃出会った紳士淑女達はどうなったかなぁ(笑)。
日本の中枢にいるのかなぁ(笑)。
あの頃は、毎日がキラキラしていたような感じがしますね。
なによりも希望に満ち溢れていた。
彼女も美しかった。

まあ、自分としては、「美しいほんのり甘い思い出」が持てて、良かった、というところですかねぇ(笑)。

しかし、こうやって、振り返ってみると、自分は本当に馬鹿だったなあ、と
思いますね。女性がわかりやすいサインだしてるのに、自分勝手に
リアルお姫様逃してるんですからね(笑)。

ほんと、大馬鹿だねぇ(笑)。ははははは。

ま、こうやって笑えるのも、「思い出」があるからですね(笑)

年をとるのも、悪くはありません(笑)。
こんな風にして、「思い出」をまるで、骨董品のように取り出してきて、磨いて、そして、そっとしまう。
そんなことができるのも、年を重ねたおかげだから、です(笑)。

今年もクリスマスが来ますねぇ(笑)。



片山右京さんについて

2009年12月22日 | アホな自分
この話については、触れるべきなのか、どうかと考えました。

非常にデリケートな内容ですし、一ブロガーとして、扱うには内容が

繊細過ぎ、大きすぎの感じもあります。


でも、同じサイクリストとして、日頃から好感を感じていた片山さんでしたから、

ここは、亡くなった方への追悼の意味もこめて、記事を投稿したいと思います。


片山右京さんのニュースについては、既報通り、非常に悲劇的な結果を迎えて

しまいました。


片山さんは、何事にも前向きで、それこそ、F1レーサー時代の異名「カミカゼ右京」

の名の如く、山登りにも、自転車にも熱く対応してきた姿が印象的な方です。

何事に対しても、紳士的で前向きな印象でした。登山に対しての想いも深く、

それに対する知識や経験もシビアに身につけている印象でした。


彼を映像で見るようになったのは、F1参戦以来です。当時は、なかなか成績を

あげられない、一匹狼のようなイメージがありました。カーブになると、筋力不足で、

首が上下に動いてしまうことが多くて、「首振り右京」等とあだなをつけられて

いましたが、それでも一定の成績を残したことで、「UKYO」の名は、欧州にも

確実に残されていきました。今年のイタリア一周自転車レース「ジロ・デ・イタリア」を

氏が観戦に行った際、レース主催者から大歓迎を受け、選手同様にレース前のサイン・ショーに

引張りだされ、多くの観客から喝采を受けていたシーンを思い出します。


自転車に打ち込むあまり、一日に何百キロも走る超人的なトレーニングもこなし、

他のサイクリストから、あきれられる一面も持っていました。

それでも、物事に控えめな性格と好きな物事にはどん慾な姿勢は、ある種、天真爛漫な性格とも

あいまって、魅力的な人格として、周囲から愛されていることが、映像から察せられたものです。

同じ趣味を愛する人間として、「非常に魅力的なひとだなあ」、と感心しながら、映像を眺めて

いたものです。非常に前向きで、自転車を趣味にするひとは、「自動車並に、

信号を守りましょう」、というTシャツをつくり、そういう運動を自ら推進している方

でもありました。自転車を気軽な乗り物ととらえ、ちょっとした歩行者感覚で、

走ることをやめようとするものでした。初心者や意識の低いライダーが陥りやすい現象で、

今、自転車界でも問題になっている話で、それに正面から取り組んでいるところを見て、

非常に繊細で、真面目な方だな、という印象を持っています。何事に対してもポジティブな方で、

彼になら、「安心して、ついていける」、という印象もありました。


自分がサイクリストだからか、自転車レース関連の映像で御目に掛かることが多かったので、

あまり登山の面から見たことはなかったのですが、何かの番組で、

「登山を始めたことで、人生が変わった」というコメントを見たことがあります。

それだけ、氏にとっては、「登山」に対する想いが強かったのでしょう。

そういう意味では、今回の件は、あまりに氏の気持ちが伝わり過ぎて、

正直、心が痛いです。


普段、ニュースを見るとき、「もし、自分がそうなったら」という視点でモノを考えるように

していますが、今回程、その状況を想像することが、つらい話もありませんでした。


自分の計画のために、自分を慕い、自分の会社に入社してくれた登山のスペシャリスト達。

普段から目的を共にし、何度もつらい状況を耐えぬいてきた戦友とも言える友を、

その戦場で亡くしてしまった状況は、男にとって、悲痛以外なにものでもありません。

自分を「ある高み」へ導こうとしてくれた戦友を己の判断ミスで亡くしたことは、

彼の人生にとって、どれほどの痛みになるのか。どれほどつらいことか。


いや、一生をかけても、償えるものでは、ないように思えます。

氏が、それをすでに理解していることが、映像から垣間見え、

それほどの傷を負った、氏の姿を見るにつけ、感情的につらいです。



自分ら、サイクリストは、楽しくて気持ちのいい時間を過ごす一方で、

非常に怖い瞬間に出会うことも多々あります。

自動者運転者のちょっとしたミスで、簡単に命を奪われるからです。

自動車を運転する人間には、いろいろなひとがいます。

しっかり規則を守るひと、守らないひと。周りをしっかり確認できているひと、

確認できていないひと。車に乗ると急に自分がつよくなったと錯覚し、

ひどい運転態度になるひと。これは、日頃、気がちいさくて、きょろきょろしている

ひとに多いような気がします。そして、年齢的に、周りも見えないし、

ルールも守れないひと、という存在もあります。


そういう人たちは、自分の存在をおびやかす、我々のようなサイクリストを

目の敵にし、「ちゃらちゃら走ってんじゃねーよ」と悪態をつきながら、

車で威嚇したり、妨害行為をしたり、します。そう、車道は戦場なのです。


自分の存在をおびやかす人間を敵としてとらえ、攻撃を加える、無思慮な

人間達。車道はそういう場所です。自分が生きることに精一杯で、

他人は敵と考える意識の低いひと達。それらによって、サイクリスト達は、

脅され、辱められ、屈辱的な想いをもつことも多々あります。


もちろん、自分も自動車を運転する立場でもあります。

ですから、自動車を運転する立場から見たサイクリストについても、

批判的な気持ちを持っています。信号を守らず、赤信号での歩行者の意識で、

ふらふらと渡ってしまう意識の低いサイクリスト達。仲がよくて、

楽しいのか、2台で横並びになり、自動車の走行をさまたげる、

自分本位だけのサイクリスト達。そんなサイクリストを見れば、

誰だって頭にきます。だから、自動車運転者ばかり、責められないのです。


我々、サイクリストは、そういう戦場では、弱者です。

ほんの一瞬の自動車運転者の「ついうっかり」で命を落とします。

自分ももう何回もそんな「ついうっかり」で命を落としかけています。


後ろの安全も確認せずに、突然開けられた左ドア。目の前で開けられたので、

スピードも落とせず、そこに突っ込み全治3週間の重症。

左後を確認せず左折した車に巻き込まれ、全治1ヶ月の重症。そのときは、

頭部から血を吹き出し、救急車が来るまで意識がありませんでした。

あと、小さいものは数限りなくあります。


そういう事故を起こしておきながら、多くの人間は、その自分の起こした

結果というものについて、理解しない人間がいかに多いか、ということにも、

改めて驚いています。自己責任から逃れるための必死のいいわけ、

ミスを相手におしつけ、自らは何の反省もしない、大人たち。

そういうだめな大人達や、理解力のない、理解しようともしないお年寄り達、

そういうひどいひと達をたくさん見てきました。


それらの傷を受けているうちに悟ったのは、「人間は信用してはいけない、

たやすく、過ちをおかす存在なのだ」、ということでした。


それこそ、ある意味運命みたいなモノを感じるんです。

運命に支配され、目の前にいる、この人間は、自分の前に現れ、

自分を殺しかけたのだと。


そして、それは、ある意味自然現象なのだ、とさえ、感じています。

当然なのだ。運命だから、当然の帰結なのだ、と。


人間は、自然の一部です。自然が我々サイクリストに恐怖を与えて

いるんです。だから、我々は怖い思いをし、怪我をするのだ、と。

そうでも思わなきゃ、「やってられん」という想いがあるのです。

そういう想いが、我が身についた、数々の傷から、

連想させられるのです。


だから、戦々恐々としながらも、六感を研ぎ澄まし、戦場で、自転車に

乗っているのです。「あ、こいつの運転やばい」と気づけば、先にいかせます。

「なんか、変な車がくるな?」、と六感がささやけば、あえて止まってやり過ごします。


自然現象ですから、自己責任において、とにかく、危険は回避する。


ある意味、戦場に出れば出るほど、六感は研ぎ澄まされ、危険回避能力は

シビアにしごかれていきます。楽しいだけの自転車ではないのです。

楽しさと恐怖は、「紙一重」、なのです。


そういうサイクリストの立場からいえば、

右京さんの危険回避のセンサーが働かなかったことが、悔やんでなりません。

いや、そうではない。それは見方を間違っている。

そんな簡単なものではない、それを超える状況だった、と見ることこそ、正解でしょう。

優秀なサイクリストである、右京さんは、そういう危険回避センサーを

シビアに身につけているはずですから。


「自然は、こわい」と月並みなコメントに終始する以外ありません。


そして、右京さんのその、哀しみがいかばかりか・・・。

同じサイクリストとして、亡くなった御友人お二人の冥福を祈るしか、

今、自分にできることはありません。


そのために、この文章を書きました。


「自転車好き」とマリオさん

2009年12月21日 | アホな自分
と、言うわけで、エース登板の谷間は、別ネタでも・・・、
ということで、今日は、自転車ネタでも・・・。

まあ、自分はロードバイクに乗るのも、「ツール・ド・フランス」のような
ヨーロッパのロードバイク・レース・シーンを見るのも好きな人間なので、
まあ、週末いろいろ用事の重なる中、隙をみつけて、ロードバイクの
トレーニングによくでます。トレーニングといっても、ある程度体が
できてくると、けっこう気分よく走れますしロングの有酸素運動になるので、
気持ちもいいし、ランナーズハイならずサイクリストハイになり、かなり
さわやかな気分を持続することができます。

それにいい景色の中を走ることが多いですから、より気持ちがいいわけで、
人生のシーンとして、これほど気持ちいい時間はない、などという
ことになるわけですねぇ(笑)。

最近は、自転車ブームになっているそうですねぇ(笑)。

エコにはいいし、ひとをあまり選ばないし、ゴルフなんかに比べれば投入資金も
安いときています。初期投資(自転車購入、ウェア、メット、バック等のグッズ類購入)しちゃえば、
あとは、運営費(パンク対応や、ブレーキパット替え等)は割とおおきな金額でもないです
からね(笑)。長期の有酸素運動ですから、体内に溜まる油も流しやすいですから、
気持ちのいい時間を使えば使うほど、脂肪を減らせるというなんと素晴らしい趣味なのでしょうか、
と思ってしまいます(笑)。

今は冬なので少し厳しい温度ですが、それでも防寒対策さえしっかりすれば、走ることは十分可能ですしねぇ。

走り終わった後のビールもめちゃくちゃおいしいですし、一週間のどこかのじかんに、
さわやかになれる時間があることは、人生にとって幸せなことだと思うんですけどねぇ(笑)。

それに、外でスポーツをしていると、さまざまなことに出会います。
同じ自転車好きと出会うこともできるし、一緒に走ることもできる。
きれいな風景体感するために、そこまで自転車を輪行し(車や電車で自転車を移動させること)、
気にいった風景の中で、風を感じることもできる。行った地方のおいしい名物を食することもできる。
そこでちょっとしたおみやげを買い、他人にあげることもできる。
もういいことずくめなんですよねぇ(笑)。

特に、特定のきびしい坂を登りきったときのあの達成感は、ハンパなく気持ちいいですからねぇ(笑)。

達成感なんて、実生活ではそうそう感じられるモノでもないし、そういうものを自分で設定でき、
それを達成できる手段としての自転車も、ずい分便利なものと言えますねぇ。

「やったぜ!」と拳つきあげる感覚ですよ。坂を上りきった直後によく生まれてくれます。

あれ、気持ちいいでしょ。あの感覚です。それ毎週末に設定できます。体験できるんですから(笑)。

気持ちいい、と思いませんか(笑)。それにひとりで出来る趣味ですからね。おすすめします(笑)。



さて、そんな自分が今はまっているのが、先日もお話しました、

「私的ディスカバリーチャンネル」マリオさんの番組です。

http://com.nicovideo.jp/community/co38839

マリオさんは、20代後半の男性で、いかにも理系のスポーツマン(リスみたいといわれたことがある本人談)という外観です。

何やってるひとなのか謎ですが、勤め人だと自分で申しておるひとです。まあ、この人が生主(ニコニコ生放送中継主)いわゆるパーソナリティを務めながら、

もやもやサマーズのように、街のもやもやを探したり(もやまり放送)、いろんなお祭りにいったり、ロードバイクに乗ってのトレーニングを放送したり

(自転車車載放送)、まあ、いろいろなものをまりおさん視点で解説しながら、見ていく放送なわけです。このマリオさんが視聴者のコメントに対して、

非常にソフトな語り口で、しかもさわやかな声で知的で丁寧な対応をしてくれる(どこかの営業を褒めてるのか、俺(笑))。

しかも知的好奇心が旺盛で、視聴者の提案コメントにもよく対応してくれるし、しかもコメントでの突っ込みに的確に対応してくれると言う、

非常に頭の回転の速さを感じさせる人物なわけで、コメントしていて非常に楽しい時間を送れるわけです。

というわけで、自由に使える時間を作れるときには、彼の番組を視聴できるよう努力したりしているんですねぇ(笑)。

非常にインタラクティブで楽しい時間を過ごせますよぉ(笑)。


昨日は、夕方に帰宅して夕食までの間、じっくり鑑賞しながら、コメントしまくってしまいました(まったく大人気ない(笑))。

いやぁ、昨日は神放送でしたからねぇ(笑)。どうも、朝5:30から放送を開始し、なんと東京を出発し、東京湾沿岸を時計まわりを1周するという

すんばらしい計画だったそうで(笑)。自分が見始めたときは、千葉の金谷から横浜久里浜に渡るカーフェリーからの放送でしたが、

まず、「西に沈む夕日をしっかりと放送するんだ」と、カーフェリーのデッキから放送し始めたのはいいものの、風がめちゃくちゃ強いらしく、

TV局新人練習でおなじみの台風中継さながらのような感じになっており、絶叫しまくりの中、それでも必死にきれいだけど風の音で凄みのある

サンセットを放送したかと思うと、逆側の富士山をこれも風で死にそうになりながら、日頃理性的なパーソナリティぶりを見せているマリオさんらしくない、

おおはしゃぎ放送。さらに千葉側、神奈川側などをほとんど特殊部隊のようになりながら(ヘルメットにサイクルウェアをつけると、そんな外見になりますね(笑))、

任務を忠実に実行していましたから、その放送にかける熱意には、感動するものがありました(大笑いに笑いました)。

いやあ、面白かった。夕食の時間になったので、視聴を中断しましたが、その後、覗いてみると、中継も最後になりそうだったのですが、

マリオさんが、「じゃあ、走りだします・・」と言った直後、サイクリストとしては、一番恥ずかしい「たちごけ」をかましてしまいまして、

一瞬映像がわけわかんなくなり・・・、「立ちゴケしました・・」とそれでも放送を続けるマリオさん・・・。もう、笑いで腹がよじれて

たまりませんでした。いやぁ、ここまでやらなくても・・・とか思いましたが素晴らしい放送熱意ですよね。ほんとにけがしたみたいだし・・・。

そして、その後、あまり時間もなく放送終了。本人の「うう、立ちゴケを最後に放送終わるなんてぇ、相当恥ずかしいぞ、くそ・・」

という嘆きで終わったもんだから、ほんとに腹がよじれて、笑いがとまりませんでしたねぇ(笑)。

ほんとおもしろいんですよぉ(笑)。

そういう放送を見てしまうと、もう地上波への興味がほんとにあがらないんですよねぇ(苦笑)。今じゃあ、映像情報ダウンロードシステムの

一部にすぎなくなっていますからね(笑)。


まあ、とにかく楽しかったし、笑った笑った。

いやいや、それくらい楽しい放送なんですよぉ(笑)。


まあ、ここで特定個人のことをとりあげるのもどうか、とは思いましたが(別に特に知り合いでもないしねぇ(笑))、

まあ、おもしろいものをとりあげていく、という趣旨からすれば今一番おもしろいと思っているんだから、いいだろう(笑)、ということで

とりあげてみました(笑)。なんだブログコードゆるゆるだなあ(笑)。まあ、いいじゃないですか(笑)。


短くて大切な自分の時間。お互い最良の方法を考えて使っていきたいものですね(笑)。