「ゆるちょ・インサウスティ!」の「海の上の入道雲」

楽しいおしゃべりと、真実の追求をテーマに、楽しく歩いていきます。

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「お助け人物語」(9)

2010年07月31日 | 過去の物語
「その話は、他言無用のはずだったんだけどね」

と鼎はすました顔をして、多恵を見ながら、話します。

「姉さんから、手紙でも受け取ったかい?」

と、鼎は多恵の表情を見ながら話します。

「そう。さすが、鼎さん・・・」

と、多恵は、言うと、少し上気させた頬を更に赤く染めます。

「わたしが、子供の頃から、鼎さんを慕っているのを、知っていた姉は、もちろん、そんな話は、絶対にしませんでした」

と、多恵は、子供の頃を思い出すように話します。

「鼎さんが、私の家に来ると、いつも楽しかったことをおぼろげに覚えている。いつも何か、私たちが楽しくなるようなことを一杯してくれた」

と、多恵は、なつかしい話をしています。

「まあ、あの頃は、多恵ちゃん達は、ほんとに、かわいいお子ちゃまだったからねー。まあ、俺もあの頃は、お子ちゃまっただったし」

と、鼎も、遠い昔を思い出しています。

「私達、姉妹が隠密修行で、伊賀に行ってからも、年に一、二度、訪ねてくれて、それが、私達には、ほんとうに楽しい時間だった・・・」

と、多恵は、その頃のなつかしい時間を思い出しています。

「そうだな。俺も、二人に会うのは、気分転換みたいな感じだったから、お互いにとって有意義な時間だったんだな」

と、鼎は、素直に思ったことを口にしています。

「わたし、小さい時から、鼎さんを好きだった・・・それと同じ様に、姉も、あなたのことを慕っていた・・・」

と、多恵は、少し哀しそうな顔をしながら、話すと、

「その姉さんから、届いた手紙には、自分の正体を感づかれているかもしれない、ということが書いてあった。もし、それが本当なら、そしたら・・・」

と、多恵は、言葉を切ると、鼎を見つめます。

「わたしが、鼎さんのものと、なって、鼎さんのために、仕事をすることになるって、書いてあった・・・」

と、多恵は、鼎の目を見つめます。

「あなたが、なぜ、ずーっと独身で、女性っけもないのか、その秘密が、書いてあった」

と、多恵は、なぜか、涙をその目から、流しています。

「あなたは、生き神様を、しているって、姉は書いていた・・・」

と、多恵は、強い視線を鼎に送ります。

鼎は、少し苦笑しますが、黙って聞いています。

「伊賀組のくノ一をも、束ねるあなたは、能力のあるくノ一の隠れ夫となり、そのくノ一に一生を捧げる、と」

と、多恵は、そこまで、話すと、涙を流します。

「公方様のために、それこそ、自分の人生を犠牲にして、この日本の平和を考えているのが、鼎さん、あなた、だって、姉は、書いていた・・・」

と、多恵は、涙を流しながら、続けます。

「だから、あなたは、好きになる女性も作らず、日本の各地で、働くくの一の心の支えとなり続けている生き神様をやっている。そうでしょう?鼎さん」

と、多恵は、大好きなひとが、自分のためでなく、将軍家のために、身を捧げている事実に、涙を流します。

「まあ、ありていに言えば、そうだね」

と、鼎は、特に深刻ぶらずに、うなづきます。

そして、手酌で、酒を盃につぐと、くいっと、干します。

「彼女たちは、常に戦場で、体を張ってる。時には、敵に肌をまかせなくっちゃいけねえこともある」

と、鼎は、静かに話し始めます。

「そんなとき、彼女達の中に、ひとつだけでも、信頼できるものをつくっておいてやらねえと、よ。いくらなんだって、かわいそうじゃ、ねえか」

と、鼎は、まじめに、話します。

「彼女達は、俺の命令で、動いている。それこそ、死をも、厭わねえ。もう、それで、何十人も、死んでらあ。ひとりひとりの顔が、今でも、浮かんでくる」

と、手酌で、さらに酒をつぎ、くいっと、飲み干す鼎です。

「彼女たちは、それは、それは、むごい殺され方をするんだ。俺は、それを知っている。だが、彼女達のような仕事が、最も必要とされる時代になっちまったんだよ」

と、鼎の酒は、止まりません。

「だから、彼女達のために、俺は、生き神でなけりゃあ、いけねえんだ。彼女達が、仕事の合間にでも、俺を思い出してくれりゃあ、俺はそれだけで、本望なんだよ」

と、鼎は、少しだけ、目を赤くしながら、話しています。

「鼎さんは、それほどに、将軍家を・・・、この日本を・・・」

と、多恵は、改めて見直すように、鼎を見ます。

「俺はよ、悪が、許せねえんだよ。そのためには、この身なんて、厭わねえのよ」

と、鼎は、いつのまにか、ギラギラした目で、闇夜の一点を見つめていました。


ここは、江戸城小柄の間。将軍家がお忍びで、家来と談合したり、時に酒を酌み交わす10畳ほどの小さい間でした。

ここは、将軍家以外は、特別な人間しか、入れず、警護も特別で、どんな秘密も漏れることは、ありませんでした。

そこでは、八代将軍宗春と、酒井雅楽守が、珍しく酒を飲んでいました。

「なにやら、苦い酒じゃのう」

と、宗春は、静かに、言います。

「御意」

と、答える雅楽守も、神妙な表情です。

「今日、鼎は、お喜美の妹の生き神になるのか・・・。男としては、微妙な心持ちだろうな、鼎は・・・」

と、つぶやく、宗春です。

「御意」

と、雅楽守も、言葉少なです。

「お喜美は、鼎も気に入っていたし、ゆくゆくは、鼎も、今の役を解き、もっと高所から、この日本を守る役目につけたかったのだが・・・」

と、素直に話す宗春です。

「そうとなれば、お喜美も、隠密を引退させ、晴れて夫婦ということにも、できましたでしょうに」

と、雅楽守も、素直に答えています。

「鼎は、あれで、自分の悔しさを外に絶対に見せない男だからな。まあ、今までも、似たようなことは、何度もあったが・・・」

と、宗春は、いつもより、盃を干すのが、早めです。

「いくら、鼎の精神力が強いとは言え・・・少しむごすぎるかもしれませんなあ。あのお役目は・・・」

と、雅楽守も、鼎のことを、心配しています。

「だが、雅楽守。鼎以外に、あの役目をできる人間が、この江戸城にいるか?」

と、宗春の厳しい目が、雅楽守に、注がれます。

雅楽守も、一瞬、その目に目をあわせますが・・・、首をふりふり、視線を外すと、

「御意。鼎以外に、務まるものは、おりません」

と、深々とお辞儀をする雅楽守です。

「だから、な。奴の心根を思うと、不憫なんだよ・・・」

八代将軍宗春は、鼎のことを、思いながら、苦い酒を、飲み続けるのでした。


ここは、料亭旅籠「無音屋」の離れ、汐入の間。

暗闇の中、小さな行灯だけが、二人の裸身を照らしています。

「ああっ」

と、多恵は、鼎の愛撫に、全身を反応させながら、時折硬直させています。

鼎のやさしい愛撫は、時に多恵を、絶頂に誘い、多恵の息は、あがるばかりです。

「か、鼎さん・・・」

と、息も絶え絶えの多恵は、それでも、視線の先に、にこりと笑う鼎の姿をとらえます。

色白で、筋肉質の鼎の体には、脂肪ひとつついておらず、筋肉の筋一筋一筋まで、見えるほど、鍛えこまれています。

「伊賀では、こちらの技も徹底的に叩き込まれたはずだけど?多恵ちゃん?」

と、にこりとさわやかに、笑う鼎です。

「ああ、そこは・・・」

と、上気した多恵は、もう、何を考えていいのか、わからないくらい、感じすぎていました。

「多恵ちゃん、男は、俺がはじめて、かい?」

と、鼎が、やさしい表情で、聞くと、

「は。はい。女の師匠ばかりが、相手だったから、男は、鼎さんが、はじめて」

と、多恵は、気を失うほど、気持ちよくなりながら、なんとか、答えます。

「そうかい。じゃあ、体の力を抜いて・・・そう。そうだ、ゆっくりと、ほら・・・」

と、鼎は、多恵の足をゆっくりと開かせると、ゆっくりと多恵の中に入っていきます。

「ほら・・・どうだい、痛くないかい?」

と、ゆっくりと体を多恵の中にうずめます。

鼎が、やさしそうな表情で、多恵を見ると、多恵は、満足そうなしあわせそうな表情で、

「わたし、鼎さんと、ひとつに、なれたのね。やっと、ひとつに、なれたのね・・・」

と、素直な表情で、話します。

多恵の小さな頃からの夢が、今、実現したのです。

鼎は、多恵のその表情をみると、やさしく、その口を吸ってやります。

多恵も、しあわせそうな、表情で、鼎の唇を吸い返します。

そして、二人はゆっくりと動きながら、絶頂へと登りつめていきます。

「鼎さん、わたし、今日のことは、絶対に忘れない。わたしは、鼎さんのために、死ぬ気で、命令を果たすわ」

と、力強く動く鼎を、抱きしめながら、多恵は、いつのまにか、叫んでいました。

「わたしは、あなたのために、この日本を、絶対に守ってみせる。悪の手から、絶対!」

多恵は、あまりの気持ちよさに、気絶しそうになりながら、絶叫しています。

「わたしは、あなたのものだから!あなた、ひとりの、ものだから!」

そのとき、二人は、高い山の頂きを乗り越え、その先にある、絶頂に登りつめていました。


そんな、二人を、月だけが、見ていました。

(つづく)



海老蔵が、色男になってでも、嫁を探しまくった理由!(ゆるちょの部屋(5)!)

2010年07月31日 | お昼間カフェ
どうも!ゆるちょです!

いやー、週末の朝は、気持ちいいですね!

まー、今日から、また、暑くなるそうですが、

やっぱり、夏だからね。そうこなくちゃ!

という感じで、楽しんじゃいますねー。

まあ、やっぱり、晴れてくれないと、外で遊べないしね。

まあ、週末は、晴れてくれるだけで、うれしいですねー!


というわけで、週末なのに、ゆるちょの部屋!ということで、

まあ、話したいことがある!ということですね。


ま、そんなわけで、楽しい週末を感じながら、

ゆるちょの部屋、開始でーす!



えー、昨日は、もんのすごーく久しぶりに他人の結婚式というのを録画して

鑑賞してしまいました。えー、海老蔵ですよ、海老蔵!

まあ、結婚式の極地、というのは、どういうものなのかなあ、

というのも、純粋に興味があったんですね。


僕は、これでも、友人の結婚式の司会というのは、よく、引き受けていて、

まあ、20本以上は、こなしましたかねー。

案外、楽しく、それでいて、感情的に盛り上げたり、いいツッコミしたり、

楽しい司会ぶりですよー。


あのー、結婚式っていうのは、ストーリーをどううまく見せるか、

に成功の成否がかかっているんですね。

だから、ちょっと甘いけど、そこにちょっとスパイスを効かせて、

人生の厳しい部分、つらかった部分を、絡ませながら、

最後にハッピーエンドを持ってくると、感動が沸き起こるわけです。


あれね、甘いだけの結婚式って、あるでしょ?

あれ、だめね。あきちゃうっていうか、

「はいはい。それだけね」

って、観客があきちゃう。だから、人生のほんとうを、

ちゃーんと、見せる必要があるんですね。

誰にだって、あるじゃないですか、夢に向かってつらい時期を過ごすことは。

それでね、共感を得ることが、とっても大切なんですね。


と、そんなの昨日の結婚式にあったか、どうか、忘れましたが、

ま、彼らの結婚式は、ちょっと普通じゃ、ありませんでしたからねー。


僕は、この海老蔵って、おもしろいなあ、と思っているんですね。

芸能ニュース的には、平成の色男的な扱いですけど、

歌舞伎の世界って、やっぱり伝統なんですよね。大切にしなければ、いけないのは。


だから、歌舞伎界の一員になって、自分と家族を支えられるか?どうか?

というのが、彼の嫁取りの大きな判断基準になっていたことが、

結局、小林麻央さんを嫁に選んだことで、だだわかりになりましたね。


市川家という、ある意味、大企業の副社長になれる器量があるか、どうか、

これを、彼は見ていたんでしょうね。


彼の言葉にも、ありましたが、

「一生懸命、新しい場所に慣れようとがんばってくれる彼女に、惚れ直しました」

という言葉。これ、やっぱり、女性を見る観点、女性を見るときに、何が大切か、

を、表しているんですね。


結局、女性の本質って、引っ張ってくれる男性に対して、どういうサポートができるか、

なんですよね。女性って、旦那をサポートすることに、本質があると思うんですよ。

そこに、真摯に立ち向かえるかどうか、が、女性の価値になると思いますね。


海老蔵氏が、これまで、浮名を流してきた、ということは、そういう女性を探していたということなんですよね。


結局、そういうことが、できるひとか、どうか、で見たら、今まで、彼が振ってきた女性を見れば、

納得できるでしょう。自分を出すのではなく、海老蔵を立てることのできる女性。

それが、小林麻央という女性だった、ということでしょうね。


まあ、なんだか、嫉妬するバカおんなが多いらしいですけど、

そもそも、嫉妬するようなバカおんなは、はじめから相手にすらされませんからね。

ま、バカおんなは、勘違いしたまま、不幸になって消えていくだけですから、

なーんとも、思いませんけどね。

嫉妬から、他人をくさして、悦にいるようなバカ女は、結局、サゲ者になり、

自分に不幸を呼び込みますからね。不幸になって、消えていくだけでしょうね。



でも、昨日、僕が、一番、感心したのは、そういう海老蔵が、なぜ、つくられたか、ということに、

興味を持って見ていたんですけど、昨日、その疑問が、氷解するシーンが、あったんですね。


海老蔵さんの母親が、出てきたんですけど、このひとが、ほんとに素敵な女性なんですよね。

もう、驚きましたねー。こんなに素敵な女性だったんだー、という感じで。


まあ、もちろん、年齢も高いし、外見的にも、もう、白髪なんですけど、そんなの、全然関係ないんです。

なんというか、市川家を支えてきたいろいろな経験が、彼女をものすごく、美しくしている、ということが、

もう、わかっちゃうくらいの、素敵さ、なんですね。


麻央さんとも、うまくやっているし、いろいろなひとに、紹介して、さらに、うまく、

いろいろことを運んでいるシーンが見られたんですが、これが、素敵でねー。

やっぱり、女性の美しさ、というのは、内面から、つくられるものなんだなー、と改めて理解しましたね。

そして、一を聞けば、一億くらい、わかるほどの、洞察力の高さ。

もう、素晴らしい女性でしたね。経験が、彼女の美しさをつくっていることが、だだわかりでした。


いやー、あんな素晴らしい女性が、母親だったら、そりゃ、海老蔵、審美眼が、厳しくなりますよ。

そして、多分、母親に見る、要素。ひととうまくやっていけるか、いろいろな問題に対処していける、強い自分があるか、どうか。

とか、いろいろな市川家を支えるための要素、というものを、母親に見て、それを有する女性を探していたんだなあ、

と、昨日、納得しましたね。


やっぱり、女性は、経験が、美しくするんですよ。そして、経験が、女性を賢くするんですねー。

まあ、そういう美しい女性を僕は、たくさん、知っています。

ただ、昨日の海老蔵さんのお母さんほどの、美しい女性は、知らなかったんで、

ちょっと、すげえな、と思いましたね。

もう、外見なんて、なーんにも、関係ないんです。

内面から、あふれる自信と、高い洞察力、ちょっと会話するだけで、相手の気持ちも理解し、最高の形で、対処する。

いやあ、素晴らしい、素敵な、美しい女性でしたね。


こういう女性が、周りにいたら、そりゃ、海老蔵のありかたも、彼女を選んだわけも、ぜーんぶ、説得されました。

そういう意味では、やっぱり、賢い女性、経験をちゃんと積んでいる素敵な女性は、ほんとうに、美しいなあ、と惚れ惚れしました。

そういう女性は、話していても、楽しいだろうし、そういうひとには、いい人、賢いひと、楽しいひとが、集まるし、

そこに、たくさん、しあわせが、生まれるのだろうなあ、と思いましたね。


ひとは、生き方で、環境をつくっていくんだなあ、と思いました。

そういう意味では、自分の生き方を常に、考えることは、大事だなあ、と思いましたね。

賢くて、行動的で、自分に自信がある、洞察力の高い女性。それこそ、素敵な女性だと、改めて、思いました。


そして、海老蔵は、市川家をさらに、隆盛するために、小林麻央という女性を選んだんだなあ、と、素直にわかりました。

やっぱり、男はそうでなきゃ。

ちょっとした、外見なんか、じゃ、選んじゃいけません。

結局、女性も、人間性、なんですね。最後に、モノを言うのは。


ということが、昨日の披露宴で、よーくわかりました。いい勉強になりました。

僕も、できるだけ、海老蔵のお母さんみたいな、ああいう、素敵な女性と、出会っていきたいものです。

そんなことを、感じた、昨日の、海老蔵披露宴でした。そこには、海老蔵の、市川家に対する責任という文字を見ましたね。

ひとが、ひとと、出会って結婚する、そのストーリーには、それだけ、深い、思いが、なければ、いけないんですね。


芸能レポーターから、色物扱いされても、一筋に市川家のための嫁を見つけだした、海老蔵、えらいぞ!


と、最後にひとこと、言って、きょうは、終りにしましょう。


ほんとうの、美しい女性というものを、感じることが、できて、楽しかった、海老蔵披露宴でした。

やっぱり、賢くて、行動的で、洞察力の高い女性は、いいよねえ・・・。



といわけで、今日も長々と書いてしまいました。

ここまで、読んでいただいたみなさん、ありがとうございました。

また、次回、お会いしましょう!


ではでは。


メグ・ライアンとビリークリスタルの「恋人たちの予感」(週末の名画論考!)

2010年07月31日 | 名画論考!
おはようございます!

というわけで、週末の名画論考!ということで、

えー、この論考のコンセプトは、まあ、このブログはけっこう若い方にも、

見ていただいているし、女性の方にも、見ていただいているらしくって、

まあ、もちろん、男性の方が、多いんですけど、

まあ、

「あなた、楽しい時間が過ごしたいの?そう。んじゃね、昔、こういう映画があってさ。これを観ると、楽しい時間が過ごせるよ!どう、これ?」

と提案するみたいな感じで、映画を紹介できればなあ、というコンセプト

で、書いてます。だから、まあ、あまりネタばれは、書かずに、紹介文を書いて、

「ああ。なんか、この映画、良さそうだなあ」

と思って頂けるとうれしいわけですけど、

まあ、映画の中身によっては、解説したほうが、より、その映画を楽しめる場合には、

前回みたいに、解説したりもするつもりなんですけどねー。


というわけで、今回の映画は、小粋なロマンティックコメディ、

ロブライナー監督、ノーラエフロン脚本の、

「恋人たちの予感 When Hurry,met Surry.」(1989年・米製作)

を遡上にあげますねー。

えーこれ、主演ビリークリスタル、そして、共演メグ・ライアン!というわけで、

えー、若い方は、知らないかもしれませんが、1990年代、

彼女は、ロマンティックコメディの女王と言われていましたけど、

その先駆けとなった映画ですねー。

というわけで、まだ、この映画が公開当時は、メグ・ライアンの名前は、

あまり大きくなかったんですね。当時のニューヨークのショービズ界でも、

確かこの映画は、ニューヨークで人気のあるサタデーナイトライブの常連コメディアンである、

ビリークリスタルの映画として、紹介されていましたからね。

ボックスオフィスの人気も、最初は、ビリークリスタル人気ではじまったんでしたね。

それが、いつの間にか、ビリーにもひけを取らない人気になったのが、

この映画で、めちゃくちゃ、キュートなサリー役を演じたメグ!ということで、

いやあ、改めてこの映画を見ましたが、男性は、ちょっとやられますよ、これ!

ほんとに、こんな女性がいたら、ほんと、結婚したくなりますね!絶対に!


と、まあ、この映画を見た当時、僕は、まだ、大学生で、しかも、まだ、恋愛経験もそれほど豊富でもない、

もう、アンポンタンの極地でしたからねー。まあ、体型は、浪人中にダイエットしたおかげで、

まあ、なんとか、普通より、ちょっと大きめかな、ぐらいで、とどまっていた時ですから、

まあ、恋愛は、なんとか、OKの頃でしたけど、まあ、この映画に関連して、私生活でも、いろいろありましたねー。


冒頭、シカゴ大学を卒業した、ハリー(ビリークリスタル)は、自分の恋人と熱い抱擁をしているわけです。

そこに、ロングワゴンタイプのポンコツ車で現れるのが、サリー(メグ・ライアン)です。

ハリーとサリーで、ニューヨークまで、交代で運転していく、予定らしいわけです。

ただ、ハリーもサリーも初対面、サリーの親友の彼氏が、ハリーだった、というわけです。

車がついても、キスしたまんまのハリー達に、

「えへん」

という声で、気づかせると、ハリーは、荷物を後部に載せるわけですが、またまた、恋人と熱いキッス・・・。

サリーは、あきれて、クラクションを鳴らす始末。

ってなことをやりながら、ハリーとサリーは、一台の車を交互に運転しながら、ニューヨークを目指すわけです。


まあ、冒頭こんな感じなんですけど、ここで、語られるのは、ハリーの暗さ(ダークサイドとか、言ってたけど)と、

サリーの明るさや、真面目さです(サリーというか、メグの若い演技がかわいいんですよ)。

ハリーは、

「本は、まず、最後のオチから読む。なぜなら、いつ死ぬかわからないから。僕はいつでも、死に備えているんだ」

と主張して、やたら、暗いんですね。

そして、いろいろサリーと話すうちに、彼は、なにかをわかったような顔をするわけです。

サリーは、何か釈然としないので、何をわかったのか、聞くわけですよ。そうすると、

「君は、最高のセックスを知らないんだ!」

という断定的なセリフが帰ってくるわけです。まあ、あの時代、このあたりの表現は、ちょっと

日本的には、真新しいものが、ありましたねー。

それに対して、サリーは、

「そんなことは、ないわ。わたしは、ちゃんと、最高のセックスの経験が、何回もあるのよ!」

と、夕食をとるために入ったレストランの中で、大声で叫んでしまい、皆をドン引きさせちゃうわけです。

まあ、このひと、こういう関係の話には、ついつい、大声をあげたり、するくせがあるんですねー。

それについて、席につきながら、ハリーは、その良かった相手の名前を聞くわけです。

「・・シェルドンよ」

と、サリーが答えると、ハリーは、

「だめだ、その名前じゃ。多分、税理士か、弁護士に多い名前だ。でも、その名前じゃ、相手を満足させる最高のセックスはできない!」

と、断定する始末(このセリフは、ふりですからね。覚えておいてください(笑))。

まあ、こういう粋な会話(粋か?)が、随所に散りばめられているのが、この映画の特徴で、このおもしろくてどこか憎めないハリーと、

几帳面で、レストランのメニューを頼むのに、かなりのこだわりを見せるサリーの13年くらいの物語が、本作なわけですねー。


映画の流れとしては、彼らは18時間の旅を終え、無事、ニューヨークの凱旋門(?)みたいな場所で、別れ、新しい時間が始まります。

5年後、ハリーは、空港で、ジョーという弁護士(やっぱり(笑))と、キスしているサリーに出会います。このとき、ハリーは、ジョーと知り合いだったわけです。

しかし、その後に、乗った飛行機で、サリーの後ろに、ハリーの席がたまたまあった、というところから、席を変わってもらって、

二人の会話が、はじまるわけです。

サリーは結婚していませんが、ハリーが、結婚間近だということを聞くと、サリーは笑いだしてしまいます。

「あなたが?結婚?」

まあ、信じられない感じなんですけど、サリーもジョーとつきあい始めて、1ヶ月ということで、お互い、ラブラブで、人生これから!みたいな

雰囲気なわけです。そして、男性と女性は、友達になれるか、という話になるわけなんですね。


5年前、ニューヨークに向かう車の中で、話された会話なんですけど、ハリーが言うわけです。

「男性と女性は、絶対に友達になれない。なぜなら、魅力のある女性とは、男性は、常に寝たいと思っているからだ」

サリーは、それについてこう言います。

「じゃあ、魅力がない女性なら、友達になれるというわけ?」

ハリーは、こう答えます。

「魅力がなくても、男性は女性と、寝たいものなのさ」

サリーは、いいます。

「じゃあ、私が、寝たくない、と言ったら?」

ハリーは、素直に言います。

「そこで、友達関係は、終わりということさ」

こういう会話が、5年前になされていたわけです。


そして、空港に着いて二人で歩いているときに、この話が、蒸し返されるわけです。ハリーがこう言うんですね。

「お互いに好きな相手が、いる場合は、限定的に友達になることができる。でも、相手が「なぜ私以外の友達をもつの?」と思ったらまずいなあ。そしたら・・・」

という話になって、結局、

「男と女の友達関係は、成立しない」

という結論になるわけですね。


そして、この会話が、この映画全体のテーマになっていくんですねー。


この空港での出会いから、さらに5年後。

サリーは、ジョーと別れたことを、女友達に語るところから、始まります。

31歳のサリーは、結婚したかったようでしたが、結婚して、子供を持つと、お互いの恋愛生活、いわゆるエッチが消えてしまう、

という周りの状況を見て、結婚しない、という選択をしていたんですね。でも、結局、いろいろなことで、お互いの考えが

ずれてしまって、別れてしまったんです。

一方、ハリーも、結婚したヘレンと別れていました。ま、彼女は、税理士(!)と不倫の上、彼を捨てたのです。


ハリーも、サリーも、傷ついていました。

そんな二人が、本屋で、出会うのです。

そこから、本当の二人の物語が、語られるわけです。


まあね、内容については、映画を見てもらうとして、なかなか、小粋で深い映画でしたよ。

まあ、この二人に、それぞれの友達、が絡んできて、ハリーとサリーの間の関係性が語られるわけですが、

ハリーの言葉を借りれば、

「寝ようとは、思わない、魅力的な女性とのはじめての友達関係だ」

という二人の関係になるわけです。

この二人の関係性がいいわけですよ。ちょっと真似したくなるくらい、お似合いのカップルなんだけど、そういう関係でなく、

でも、いいたいことを言い合える関係。

でも、それだけで、済むはずもなく・・・というお話なんですね。


僕は、この映画を見て一発で、ビリークリスタルが好きになって彼のファンになりました。

まあ、サタデーナイトライブのビデオを借りてきたり(当時はレンタルビデオでしたからね)、いろいろ楽しんだ記憶があります。

そして、もちろん、メグ・ライアンのファンにも、なったわけです。もう、キュートというのは、この映画の彼女に与えられる敬称ですよ。

この演技力、たまりません!

まあ、メグ・ライアンは、この映画と、「めぐりあえたら」のこの二本が、最高だと思いますね。

彼女、トップガンにも出ていて、

「なかなか、綺麗なひとだなあ」

と思っていたんですが、実は、本作での、演技力とその表情の力が、すごいんですよ。

もう、男はイチコロって、感じで、その演技力、表現力の確かさ、確実に伝わってくる感情が、もう、男性のハートをわしづかみです。

当時、僕のまわりにいた女性が、

「こんなかわいい女性に、私もなりたいわ」

と、よく言っていたものです。


僕は、この映画を、ある女性に、

「券を買っちゃったんだけど、一緒にいく予定だった女の子が急遽行けなくなっちゃって・・・。もし、よかったら、いかない?」

という誘いを受けて、観たんです。僕は当時あんぽんたんですから、それを素直に信じていたんですね。

そして、この映画を観た後、彼女が、紹介してくれた、ちょっと高めのイタリアンで、食事をし、ワインを飲み、たくさんしゃべって、

なかなか、いい気持ちで帰ったことを覚えています。

その子は、以前、クリスマス関連のお話を書いた時の主人公になった女性で、某有名国立大学の超頭が良くて超お嬢様で、超美人な女の子でした

(2009年12月22日にあげた記事「クリスマスの思い出」で書いた女性ですね。由美ちゃんじゃ、ないんです)。

なぜ、僕が誘われたのか、当時、僕は、何も考えていないというアンポンタンでしたねー。


これ、どう考えたって彼女がコース考えて設定して、券まで、揃えてたってことですよね。


それで、この映画のチョイス!もう完璧ですよ。

もちろん、僕は、そのイタリアンレストランで、女性と男性が、友達になれるかについて、バンバン話しました。

もう、僕は、当時、酒が入ると、このひと、おもしろいランキング一位でしたからねー。

そういうところを、好まれたんだろうと、思いますねー、今思えば。

でも、僕は、当時は、奥手でしたからねー。だって、このコース設定と、映画の内容を考えれば、

彼女が、何を求めているか、わかるじゃないですか。ねー。

ほんと、アンポンタンでしたねー。


僕は、その後も、彼女から、いろいろなメッセージを受けるのですが、自分に自信がなかったこともあり、スルーしていくんですね。

彼女の気持ちも考えずに、多分、僕は一杯一杯だったんだと、思います。

「世界が違いすぎる・・・」

そんなことを、考えていたことを覚えていますね。


この映画のラスト、感動的なシーンが、あります。

そのシーンを見ながら、彼女は、こう言われたかったんだろうなあ、と思いましたねー。

そして、彼女も、メグ・ライアンのように、言いたかったんだろうと、思いました。

そういえば、僕は、今、気が付きましたが、当時のぼくは、完全に、このビリークリスタルのタイプでしたからね!

まあ、今でも、中身は、ビリーな感じですけどね。

そうか、それで、彼女は、この映画に、僕を誘ったんだ!


と、今頃、気づくアンポンタンです。ほんと、しょーもねーなー(笑)。


この映画、ほんと、いいですよ。

彼女だったり、これから、彼女にしたいひとと、一緒に。

そしてもちろん、彼氏や、これから、彼氏にしたいひとと、一緒での、ご視聴をオススメします。

男性と、女性の恋愛の深さも、楽しく、感じることが、できます。

そして、なにより、

「男性と女性は、友人になれるか」

というテーマで、二人で、話すことができる。

「確かに、男性は、魅力的な女性を見ると、本能的になるし・・・」

なんて、きわどい話も、まあ、できたり、いろいろ話すきっかけになるしね。

ほら、そこから、

「わたしのこと、どう考えているの?」

的な方向へ、持って行ってもいいしね。

うーん、20年前、彼女は、僕と同じ様に考えたんだろうなあ(笑)、と今、気づきました(笑)。

ほんと、あんぽんたんだ、俺(笑)。


そして、メグ・ライアンの本当の魅力を感じられる、素晴らしい映画です。

週末のひとときにでも、ちょっとこころを楽しくしたいと、思った時、この映画を、見てみることをオススメします。

そして、最後のシーンを、楽しみに見てくれると、うれしいですね。


しかし、映画というのは、いいですね。

当時の自分だけでなく、誘ってくれた彼女の真意まで、わかっちまいました。

あの子は、今、しあわせに、しているだろうか。

と、彼女のその美しい面影を思い出しながら、

今日は、この辺にしておきましょう。


ここまで、読んでいただいたみなさん、ありがとうございました。

また、次回、お会いしましょう!


ではでは。




「クリスマスのかけら」(7)

2010年07月30日 | 過去の物語
「午後4時50分かあ・・・、まあ、いいわ」

と、わたしは、東町の「マリー&アントール」の入り口に立っていた。

少し化粧に時間がかかり、けっこうぎりぎりの時間に部屋を出たというのに、

知らず知らず、足が速くなっていたみたい。

「あら、涼子ちゃん、お久しぶり。今日は、学校帰り?なんだか、いつもと違う雰囲気だけど・・・」

と、店長のえつこさんだ。

えつこさんとは、私が小さいときからの、顔なじみで、この店の本店にあたる、隣のフランス料理店「マリー&ルイ」に、

家族で行くと、必ず、あいさつをしてくれた女性。

「あのー、奥の席、いいですか?」

と、私が、おそるおそる聞くと、

「ええ、いいわよ。さては、なにか、よからぬ相談?(笑)」

と、はしゃぐ、えつこさん。

えつこさんは、私がスケ番だということも、ちゃんと知っていて、それでも、私のことを信頼してくれている、

大事な女性。

「いや、それが・・・隣の高校の生徒会長と、ちょっとした話し合いなの・・・」

と、真面目な顔で、私が訴えると、えつこさんは、

「あら、なにか、今日は、いつもの、涼子ちゃんとは、違うわね・・・いいわ。あそこのボックス席、つかいなさい。誰からも見られないから」

と、いつもは、予約席として、使われているボックス席をわたしに貸してくれる。

そして、えつこさんは、何もかもわかっている、という表情で、わたしに、ウインクしてくれる。

「キスくらい、しちゃいなさいよ」

と、小声で、しゃべる、えつこさん。

「そ、そんなんじゃないわ!な、何を、えつこさん、わ、私は・・・」

と、わたしも、どう返していいか、よくわからない。

「いいなあ、私も青春時代に、もどりたい!」

と、うれしそうに、えつこさんは、店の奥へ戻っていく。

私は、それだけで、もう、胸の奥がドキドキしてしまう。


5時を5分、過ぎても、彼は来なかった。

私の周りの男達は、私が時間厳守しないと怒るのを知っていたから、いつも時間には、厳格だった。

だから、待たされたことが、なかった。

この5分だって、ものすごく、長く感じられた・・・。

「どうしたのかしら、彼。生徒会長だから、時間厳守だと、思ったけど・・・」

と、なんとなく、こころが、重くなる。

昨日の夜は、ドキドキして、あまり眠れなかった。朝も、なんだか、ワクワクして、

それから、ずーっと、ドキドキして、ほとんど授業なんて、聞いていなかった。

今日は、時計を何度見ただろう・・・速く、お昼にならないかな・・・、

速く、放課後にならないかな・・・と、そればかり、ずーっと思っていた。

それなのに、たった5分が、こんなに長く感じるなんて・・・。

「もしかして、来る途中に、交通事故にあって、とか?」

あり得る。

こんなに、遅くなるなんて、考えられない・・・。


いや、冷静にならなきゃ。冷静に。

そう言えば、昨日の電話で、

「遅れたらごめんね」

と、彼は、言っていた。きっと道に不案内なのだろう。

それに生徒会の仕事がどうとか、言っていたし、そのせいで、遅れているんだわ、きっと。

そうよ。きっと、そうだわ。


ここからは、出入口の方は、完全に見えない。奥まったボックス席。

周りの誰からもみえない。だから、周りも見ることができない。

心はドキドキしているけど、それが、少しずつ、胸にどんよりと、重くのしかかっていく。

よくわからない、気持ち。会いたいけど、会いたくない。

なんなのだろう、この気持ち・・・。

早く逢いたいのに、逢いたくない気持ちもある。

そうよ、私なんて、待ちぼうけをくらわされればいいんだわ。

何時間も待って、打ちひしがれて、帰っていく。

そんなストーリーが、私には、お似合いなのよ・・・。

そうなんだわ・・・きっと・・・。


と、その時、えつこさんが、にやりとした顔を出し、私の肩をたたく。

私がはっとすると、にやりとしたえつこさんが、すました顔をして、

「こちらで、お待ちです。もう、20分程・・・」

と、言いながら、彼を、案内してくれる。

「ああ、そうですか、どうも!」

と、えつこさんに、あいさつする、彼は、少し、緊張気味のよう。

「いやー、ごめんごめん、生徒会の仕事が、ギリギリまで入っちゃってさ。それに・・・」

と、頭をかきながら、彼は、

「なんだか、大人向けのお店だったんで、入るの躊躇しちゃってさー、まだまだ、子供だよ、ははははは」

と、快活に笑う。

「入り口のところで、入ろうか、どうしようか、迷ってらしたのよ」

と、ほほえみながら、えつこさんが、言ってくれる。

「いやあ、かっこ悪いなあ、ははははは」

と、さわやかに、笑う彼。

「じゃあ、僕、ホット。君は?」

と、ほほえみながら、彼は私に聞いてくれる。

「アイスミントティーを」

と、わたしは、彼の笑顔を見たら、なぜか、急に、恥ずかしくなって、うつむきながら、そう言うだけ。

「さわやかで、いい子ね!」

と、えつこさんは、小さく私につぶやくと、

「承りました。お待ちくださいね!」

と、元気そうに、去っていく。

わたしの胸のドキドキは、最高潮だった。


「昨日は、電話ありがとう。まさか、君から、電話をもらえるとは、思っていいなかったから、ちょっとびっくりしたよ」

と、沢村くんは、素直に話しています。

涼子さんも、はずかしそうに、うつむいていましたが、沢村くんが、話しだすと、少し、目を伏し目がちにしながら、ぽつり、ぽつり、と話し始めます。

「あのー、この間のことも・・・」

と、涼子さんは、口に出すと、

「話しておかなきゃ、いけないと、思って・・・」

と、少しずつ、言葉を付け加えていく、感じです。


沢村は、そんな伏し目がちな、涼子を、静かに、見守りながら、その言葉を聞いています。


その沢村のやさしい姿勢に少しずつ、自然な自分に戻っていく涼子さんです。

「そのー、あの権藤のことについて、説明も、しなきゃ、って、やっぱり、誤解を受けているのは、いやだから・・・」

と、涼子さんは、少し緊張気味に、でも、やさしい沢村の目を見ながら、自然な自分に戻りながら、話し始めます。

「ああ、あのことかー。しかし、あの時の君は、こわかったなー。ちょっとびびりそうだった。ほんと。ははははー」

と、沢村くんは、楽しそうに笑っています。涼子さんは、それに対してどういう顔をしていいか、わからないようです。

「いや、しかし、うちの権藤が、あんなに、ビビっている姿は、はじめてみたから、おもしろかった。いい見物だったなー」

と、うれしそうに話す沢村くんです。どうも、沢村くんは、女性と話していると、緊張がほぐれるタイプのようです。

「わたしの高校の人間が、権藤に、いちゃもんをつけられて、お金をとりあげられた、らしいの。でも、警察沙汰にする気は、なかったの・・・」

と、涼子さんは、素直な感じで、話します。

「ほー。どんな理由をつけて、権藤は、お金を、巻き上げたの?」

と、沢村くんは、身を乗り出して、涼子さんの目をみつめ、素直に、理由を聞いています。

「三丁目のゲーセンで、プリクラやっていた子が、権藤に、ここは、お前らの来る場所じゃないって、言われたらしいの。それで、うちの子は、激怒したんだけど、逆に脅されて・・・」

と、涼子さんは、沢村くんに見つめられて、少し、固くなりますが、素直に話しています。

「そうかー。それも権藤の一方的な決めつけだなあ。あのさー、その子達って、いわゆる、サーファー系?まあ、ガン黒系というか、日に焼けた感じかな?」

と、沢村くんは、何か思いあたるふしが、あるようです。

「ええ。そうだけど・・・、でも、なぜ、それが、わかるの?」

と、涼子さんは、不思議そうにします。

「権藤は、色白のお嬢様タイプが、好みだからね。だから、その真逆の子は、だめらしいんだ(笑)。だから、つっかかって行ったんだろう?あいつも、単純だからさ」

と、笑う沢村くんです。どうも、彼には、高校生の頃から、推理力が、あったようです。

「まあ、うちの高校は、大学進学を目指している人間の集まる高校だから、日々のストレスが溜まりやすいんだよ。大学受験のことを、毎日のように、教師から言われるからさー」

と、沢村くんは、自分の高校の説明をすると、

「それに対して、君たちの高校は、自由だし、美人も多い。君みたいにねー。だから、権藤なんかにすれば、つっかかりたいんだろう?ほら、好きなひとは、いじめてみる、みたいに(笑)」

と、笑います。まるで、ひとりだけ、違う場所から、自分の高校を見ているようです。


涼子は、その沢村を見て、ポーッとしてしまいます。


頭がよくて、イケメンで、やさしくて、それでいて、さわやか。

スポーツマンとしての彼の甲子園での、活躍も、知っています。

そして、彼は、さらりと、彼女のことを、美人だと、ほめています。

それに、気づくと、余計ぽーっとなる涼子さんです。


「うん?どうかした?ちゃんと、僕の話、聞いている?」

と、少し不思議そうな表情を沢村が、すると、それに気づいた涼子さんは、目をぱちくりさせて、

「ううん。ちゃんと、聞いてます。あなたの高校は、わたし達のあこがれでも、あるの。だって、ちゃんとした大学生になれるんですもの・・・うらやましい」

と、話します。それに対して、沢村くんは、

「何言っているんだよ。君たちのほうこそ、間違いさえ起こさなければ、系列の大学にエスカレーターで上がれるじゃないか。高校時代から、自由を謳歌できるじゃないか」

と、言うと、涼子は、首を振ります。

「それは、違う。うちの大学なんて、行ったところで、思うように就職もできないし・・・」

と、涼子さんは、将来のことも、しっかりと考えているようです。

「だから、みんな、専門学校に行って、自分に技術を身につけようとしている。それが、うちの高校の大方の人間が考えていること」

と、涼子は、素直に、思っていることを話しています。

「君は、将来、どうしようと、考えているの?」

と、沢村は、真面目に答える涼子の将来に興味を持ったようです。

「え?わたし?」

と、涼子さんは、ふと、我に帰ります。

「ああ。君の話は、おもしろいよ。話していて、張り合いがあるっていうか・・・」

と、沢村も、今頃になって、何かに、気がついたようです。

「君と、話していると、我を忘れるっていうか・・・だから、君の将来の話を、聞きたくなったんだ」

と、沢村は、歯を光らせて、にっこりとほほえみます。

「君には、他の女の子には、ない、何かがある。もしかしたら、僕は、君に遭わなければならない、運命にあったのかもしれない」

沢村は、そう言って、まじめな顔で、涼子の目を見つめます。


涼子の胸は、ドキドキで、張り裂けんばかりでした。


(つづく)


「龍馬伝」問題!と、庵主殿へのコメント問題について!(ゆるちょの部屋(4)!)

2010年07月30日 | お昼間カフェ
どうも!ゆるちょです!

というわけで、今日も、ゆるちょの部屋になりました。

いやあ、お昼間カフェ、おやすみ状態が続きますが、

まあ、来週くらいから、また、始まると思いますんで、

まあ、よろしくです。


まあね、ちょっと言いたいことが、まあ、ちょっとあるんで、

どうしても、ゆるちょの部屋になっちゃうわけですけどねー。


と、冷たいバヤリースマンゴーでも、ぐびびと飲みながら、ゆるゆると、始めていきましょう!


ゆるちょの部屋、開始です!



さて、今日、遡上に載せたいのは、まあ、このところ、話題になっていた、

「龍馬伝」問題!

について、まあ、今の思いなど、つらつらと、書いてみようかなあ、というところなんですね。


まあ、まず、最近、僕は「ドラゴン通信」で、

「福山氏は、ミュージシャンなのに、龍馬伝という大河ドラマの俳優の演技力合戦の中に、入れられて、かわいそうだ。」

「プロとアマの差が、演技力において、歴然としているからだ」

という議論を展開しています。

まあ、これは、僕が、武市さんに、よって、演技力=説得力なんだ、ということを教えてもらったことから、

始まったことで、ようやく、そういう境地にたどり着き、そこから、「龍馬伝」を見てみると、

この場所は、俳優の演技力合戦の場だった、ということに初めて気づき、

その合戦を見ると、どうしても、ひとり、ハリボテのように、演技力不足の人間が目についてしまう。

それが、福山龍馬だ、という指摘をしているわけです。素直な目をもって、そう見ているに過ぎません。


それについて、先日の「ドラゴン通信」のコメント欄に、福山ファンという女性から、クレームが、つきました。


まず、こういうひとは、何を考えているのだろうなあ、と普通に思います。

女性のだめだめな頭の悪い部分が露呈しているわけです。


まず、


「福山氏の批判をするな!龍馬伝を見るな!」


と、ひとの上から目線で、モノを言うなんて、まず、おまえこそ、何様なの?


という感情を生みます。まあ、大切な物を守ろうとする女性特有の感情の発露なわけですが、それが、どこでも、通る!とまず考えていることが、


幼いし、他人を批判するくせに、福山氏だけ、批判するな、というのも、片手落ちです。


まず、彼は、俳優として、「龍馬伝」に出演されているなら、批判というのは、彼の成長の糧になるはずです。


ニューヨークの、ブロードウェーを見てごらんなさい。そこで、主演を張る、男性役者、女性役者は、自分の演技に誇りをもっている。


だから彼らは、全米批評家協会の、批評を毎回楽しみにしている。全米批評家協会といえば、それはそれは、辛辣で、僕なんかは、足元にもよれない程です。


それでも、彼らの批評は、辛辣で厳しいものでありながら、ブロードウェーの役者連中から、ありがたがられている。


なぜなら、自分の問題点やら、悪いところを指摘して、是正してくれるのが、この批評家達だからです。


成長したいと、真摯にモノを考えている役者達だからこそ、批判というものを、欲しがるのです。批判を受けたい、いや、


俳優として、精進したからこそ、やっと、全米批評家協会の遡上に乗るようになった、そのことを誇りにしているんです。


もちろん、的はずれな批評が、乗れば、一般の人間達が、


「この批評は、的外れだ。批評家としての精進が足りない!」


として、批評家側が、逆い批判を受けるのです。


そうやって、お互いが切磋琢磨しあい、そのブロードウェーを楽しむ客達も、それを楽しむ目を肥やしているのです。


三者、ともに、切磋琢磨し、能力を磨き、いいモノをつくりあげようとしている、この構図が、演者と批判者と、一般客の関係になっているんです。


これは、エンターテイメントがある場所なら、どこでも、成り立つ構図なんです。


この構図にあてはめれば、福山氏は、役者としての能力を伸ばすために、「龍馬伝」に体当たりで、がんばっているとしたら、


これを、批判してあげるのは、彼の才能を伸ばすためでも、ある、ということになります。


お互いが、切磋琢磨している、ということなんですよ。


その関係性において、僕のドラゴン通信に、


「あなたの「ドラゴン通信」は、的外れです。多くの人間が、福山龍馬の演技力に脱帽しています。彼に演技力がない、という評価は、誤りだと思います」


というコメントが載ったとすれば、それは、僕の見誤りかもしれない、と自分でも再検討して、コメント返しをするでしょう。


しかし、僕がもらったコメントは、こういう俳優と批評家、さらにエンタメを楽しむ客との切磋琢磨をぶちこわすものなんです。


つまりは、自分は福山さんを守った、という、そういう思い込みをしたい、自分勝手なファンが、福山氏の成長を妨げている、


ということになるのです。まあ、単なるオナニーなんですよ。自分だけ、気持ちよくなりたい、だけの、ね。


それは、龍馬伝にも、龍馬伝を楽しむ一般のひとにも、そして、批評している多くのブロガーにも、なにより、福山氏の成長を妨げている、


悪しき行為だと、僕は、思います。福山氏の成長を妨げたいのなら、どうぞ、そういうコメントをたくさん出してください。


しかし、本来、演技者というのは、批評を糧にする、という当然の知識を、持ってもらいたい、と、僕は思います。



あと、最近、僕のブログに、


「庵主殿に、読んでもらいたいので、・・・」


とする、コメントが、ちらほら、乗るようになっています。


それについては、特に、構いませんが、僕のブログは、更新が、頻繁なので、


すぐに、そういうコメントの載った場所は、遠くに追いやられてしまうので、庵主殿が、目にするとは、とても思えないんですよね。


まあ、それに、僕に、ではなく、庵主殿へのメッセージとなると、


これは、僕が、コメントを返す必要性すら、感じないんですね。



まあ、コメントを頂けるのは、ありがたいですけど、これは、いわゆる、綺麗な女性が、10代の僕に、ラブレターを渡して、


「なんとか君に、このラブレター渡してくれる?」


と、言われている構図に、どこか、似ている、と思いませんか?


こういうストーリーをやられると、コメントするモチベーションが、上がらないんですよね。


まあ、僕は、庵主殿とは、正反対で、自分がコメントを返す気がなけりゃ、ずーっとコメント返さないなんてことも、ざらですからね。


リアルライフが、完全なる主であって、ブログやらネットは、単なるリアルライフを充実させるための、手段に過ぎません。


そういえば、アキバを襲った人間が、自分の掲示板を攻撃した人間に対する怒りから、あの事件を起こしたみたいなことを、言ってましたが、


「バカか、お前は!」


と、つばを吐きかけたくなりましたね。そんなことで、何も関係のない、人間を刺殺しまくるなんて、


殺される側の気持ちを少しでも、考えたことがあるのか?


と言いたくなります。


ネットが生活のすべてみたいに、考えているから、そうなるんだよね。


ネットは、単なるコミュニケーションの手段に過ぎないし、ネットに使われて、どーすんだ?ってことになるわけ。


リアルライフでのコミュニケーション能力が、劣るから、まずは、非対面のネットで、練習しよう!


そこから、他人と、やりとりできる、きっかけをつくろう!


それが、ネットの使い方、というものの流れじゃないの?


掲示板に、コメントが、つかないと、不安になって、自分で自分にコメントした、だあ?


あのね。このブログ、コメントなんて、ほとんど、つかないよ?


言いたいこと言っちゃうし、こうやって、主張すべきは、主張しちゃうし、せっかくもらったコメントだからって容赦は、しないしね。


そりゃ、コメントも書きづらくなる。それくらいは、わかっている。


だけどさ、言いたいことが書けなくて、何の意味があるわけ?僕は、これでも、自分が思ったことを真摯に間違ってないか、


自分なりに検証してから、書いてます。もちろん、間違いなんて、多いし、勘違いなんてのも、ありますよ。


でも、それより、自分が、正しいと思っていることを、素直に、書くことに、価値があるんじゃないのかなー、と思っています。


あるいは、


「今、こいうゆうことが、おもしろいんだよねー、こういうのみなさんは、どう思う?」


とかっていう話を、素直にできることに、価値があると思うし、それが、楽しいことでもあるんだよね。


そういうことで、楽しむための、ツールが、このブログであり、ネットであると思うよ。


まあ、僕は、


首相批判から、福山氏批判、バカおんな批判にいたるまで、批判はしまくってますけどね。


だけど、批判というのは、議論のはじまりなんだよね。それが、提示されて、はじめて、話し合いがもたれ、議論され、


問題点の掘り起こしやら、最も主張すべきところが、明らかになったりするわけ。話のはじまりなんだよね。


本来は、そうやって、議論がなされて、コンセンサスというものが生まれ、多くの人間が、共感できる議論へ発展していくものなんだよね。


まあ、まだ、僕が未熟であるせいで、そういう形をとることは、あまりできていないし、


僕の文章を読んだだけで、満足してくれる、奇特な方々も、いる、ということでね、それは、ありがたいなあ、と思っています。



ただ、やっぱり、人間、リアルライフが、最も、重要なんですよ。


リアルライフを幸せにするための、コミュニケーションツールが、ネットであり、ブログである、という認識しか、僕は、もっていません。


だから、庵主殿が、ブログをやめようと、続けようと、それは、庵主殿のリアルライフの生き方の選択のひとつだ、と思っています。


だから、その選択を尊重すべきだと思います。別に復帰を望んでいるわけでもありません。


僕の立場は、それだけですので、庵主殿へコメントを届けたいとして、僕のブログに書き込む方々に、一応言っておきます。



あと、遊人庵大河塾の6月12日の記事「生き方が見えないといけないんじゃないの?」を読み返してみたんですが、


これは、福山氏への庵主殿からの言葉ですね。


自身が、習っているフラメンコのシーンにおいて、先生から、言われた言葉「生き方が見えないといけないんじゃないの?」、


これを、福山龍馬の演技についての、庵主殿の言葉として、置き換えているわけです。


つまり、庵主殿は、これまで、多くの大河を見てこられた経験から、福山龍馬の演技力のなさ、に、ほとほといやけがさして、


私事についての記事としながら、福山氏の演技批判を最後に、本音として、言ってのけた、というのが、自然な見方でしょう。


まあ、他人の記事に勝手にコメントして、すいません、庵主殿。


ただ、庵主殿が、ブログをやめた経緯の一因に、この庵主殿の記事の内容(福山龍馬の演技力の拙さ)が、関係していると思うので、


あえて、やってみた、というところです。庵主殿のファンの方、これについても、一考くださいませ。


まあ、このことから、わかるように、多くの人間が、福山龍馬の演技力の拙さを指摘しているんですよ。


本音を記事にできないつらさは、僕もよくわかります。


ま、だから、僕は書いちゃうわけです。否定されようが、んなもの、関係ありません。


もちろん、批判は、ずんどこ受けます。本気で、対応しますから、これからも、痛烈な批判、よろしくです。


批判は、コミュニケーションのはじまりの、ゴングなんです。


そして、それによって、皆が、ブラッシュアップされ、成長していく。


それを、信じて、僕は、今後も、言いたいこと、主張すべきことを、ずんどこ、書いていきます。


「ネットは、広大だわ・・・」


と、最後に、草薙三佐の言葉を借りて、今日は、終わりとしましょう。



今日も、長くなっちゃいました。


ここまで、読んで頂いたみなさん、ありがとうございました。


また、次回、お会いしましょう!


ではでは。


三人の女性政治家の評価について!(金曜日の自由論考!:日本人的美学からの論考)

2010年07月30日 | 日本人の秘密
おはようございます!

いやあ、昨日は、久しぶりに、涼しかったですね。

まあ、過ごしやすい一日だった、というわけですけれど、

雨でしたけど、たまーの雨もなかなか、というわけで、雰囲気のある一日でしたね。

さて、今日も、雨予想らしいですけど、どうなることやら。

明日から、また、暑くなるらしいですね!


さて、今日は金曜日!ということで、自由論考の日なわけですけど、

まあ、ちょっと、このところ、政治に動きがあったので、

そこらへん、ちょっと論考してみようかなあ、と思ったので、

そのあたり、やってみようか、と思います。

と、まあ、冷たいVittelなぞ、ぐびびと飲んで、気持ちよく論考していきましょう!


さて、今回は、政治家の資質というあたりをテーマに見ていくことにしましょうか。

まずは、千葉法務大臣、ということで、このひと、まだ大臣やっているのね?

なんつーの、こいつら、ホント、ダメ馬鹿ゲロうんこ野郎の集まりね?

もう、一旦手にした権力は、何が何でも離さないって、人間としての下衆の集まりだもんね。

選挙で落ちて、民意に否定されても、権力にしがみついて離さないゲロブス馬鹿の妖怪ババアでしょ、こいつ。

一年間のその政治姿勢に問題があったから、民意が

「消えろ!」

って、選択したのに、それをまるっと無視。

まあ、首相が、バカそのものだから、仕方ないのは、あるけれど、

自民だったら、辞任しているよ。

少なくとも、このひとは、日本人でなく、中国人や韓国人、キタの人間に近い人間だからね。

それで、人気取りのためなら、テロリストでも何でも要人待遇で、日本に呼んじゃう。

ほんと、こいつら、自分らの人気とりのためには、国の金を湯水のように、ガンガン使うんだよな。

鳩山イニシアチブとか、言って、世界の支援のために、何10億ドルという支援を表明して、他の主要先進国から、

「俺たちとのバランスがとれないから、そんなに湯水のようにお金を使うな」

と、非公式に怒られたんだぜ、民主党って。

基本、世界から、バカよばわりされているし、本気で、相手にされていないわけ。

だから、今度は、国内向けのための、人気とりのために、ガンガン金を使う。

ほんと、最低人間達だよねー。


と、話を元にもどしましょう。

まず、この千葉法務大臣の政治姿勢には、疑問を持たざるを得ません。

中国、韓国、キタの人間には、対応がヌルく、日本人には、厳しい。

何なの、こいつ?さらに、自身の政治信条からとか、言って、死刑の執行を全てストップ。

死刑についての議論も封鎖。

絶対権力を行使しているのが、こいつなんだよね。議論封鎖して、自分のいうことだけを聞かせるなんて、

おまえは、悪魔か!ヒトラーか!

なんて、考えていたら、そういう記事が新聞に載った瞬間、自分の政治信条など、関係なく、

すぐに死刑執行してやんの!お前、なんなの?単に自分がかわいいから、死刑執行しちゃう、このセンスのなさ。

政治家としての資質なんて、ゼロでしょ。要は、自分を守るだけのために、死刑執行の判断をしているに、過ぎないわけ。

報道によって、立場が悪くなろうとも、政治信条を守るのであれば、それは、政治家としての立場を守ったことになる。

しかし、今回の千葉法務大臣の対応は、ただの、だめだめばばあ、でしょう?人間としても、だめでしょう。

つまり、政治家の資質があるどころか、人間としても、ダメということに、なったわけです。

妖怪ゲロババアは、早く、目の前から、消えてくれ!


次、辻元清美議員。

社民党を離脱し、無所属になって、政治力を行使しようとしているわけです。

つまり、自身の政治信条とは、関係なく、政治権力が、欲しいだけで、行動しているのが、このひとなんです。

まあ、だめ女の典型でしょう。

権力が欲しくて、欲しくて、しようがない。

権力依存症という病気ですよ。セックス依存症と、あまり変わらない。

セックス依存症が、数人から、数十人(タイガーは、すごかったね(笑))に迷惑をかけるのに比べて、何万人単位、へたすりゃ、日本国民レベルに、

迷惑をかけるんだから、もう、ほんと、やめてくれ!って感じ。

それに、お世話になった、とか、育ててもらったひとへ、社民党の党首やら、上層部へ、恩をあだで返してへーきな顔しているわけですから、

まず、政治家という前に、恩とか、義理を大切にする、日本人として、失格だと、思いますよ。

だって、単に自分のわがままで、やめるわけでしょう?しかも、権力依存症で。

そういうの、国民は、見てますよ。別にあなたに無限の権力を与えたわけじゃないですからね。

社民党の辻元清美に票を入れた人間だって、いるわけでしょう。その国民の声すら、無視ですからね。まあ、民主党にでも、何でも入ってください。

ダメ人間が、どれだけ、集まろうと、ダメなことに変わりありませんから。


次、社民党党首、福島瑞穂議員。

まあ、人間としては、いいひとなのかもしれません。このひとは。

普段の普通のしゃべりなんかを聞いていると、まあ、そうなのかなあ、と思います。

でも、やっぱり、政治家なんですからね。政治家として、その政治家としての資質について、評価してみます。

このひとは、前に出てきた二人とは、対象的で、非常に政治家としての、資質に恵まれていると言えると思います。

というのも、自身の政治信条を守ることに、特化している。

これは、揺ぎ無いところがありますが、実は、これは、村山富市の失策によって、起きた、社会党解党の危機を知っているから、政治信条を大切にしている、

とも言えるんですね。

ちょうど、権力依存症女の辻元清美議員について、遡上にあげたばかりですが、村山富市率いる当時の社会党も、

政権という甘いえさに、踊らされ、それまで、強固に保ち続けた護憲左翼という政治信条をかなぐり捨て、あれほど違憲の象徴としていた自衛隊や天皇を認め、

自民党、社会党、新党さきがけの連立与党になったのです。それが、結局、党勢の超後退を招き、現在の体たらくを見せているのが、社民党なのです。

その悪しき歴史を繰り返したくないからこそ、福島瑞穂社民党党首は、政治信条を守ったんですね。つまり、こうやって比較してみると、わかると思いますが、

辻本議員は、政治信条などは、権力の前には、どうでもいい、つまり、大失敗した村山富市元首相(!)と同じなんですよ。

このひと、失政のしまくりだったけどね。はじめてのことだから、わからなかったとか、あのとりあたまと同じような逃げをうったバカですけどね。

結局、辻本議員は、そういう存在で、福島瑞穂党首は、それよりは、何倍か、マシという程度でしょうね。


ただ、今、社民党に存在意義があるのか、どうか、というところへ、来ているのは、確かです。

今回の参議院選で、議席を落としたのは、どう考えても、福島党首を中心とした党執行部の責任であることは、明白です。

連立政権を組んだときの甘い読みが、まあ、民主も甘ければ、国民新党も大甘、社民なんて、さらに大甘な先読みで、

結局、空中分解に等しい、あの日本新党を中心にした、非自民政権の迷走ぶりとほぼ一緒。あのときは、すぐにガラガラポンをやる潔さが、政権与党側には、あった。

それが、今回は、権力にしがみつく、妖怪ばばあを筆頭に、そんなやつばかり。

日本の膿だよね、ほんとに。


さて、政治的資質というものについて、見てきたわけですけれど、じゃあ、政治的資質って、政治信条を掲げたら最後まで守り通すものなのか?

という疑問が湧いてきます。もしかすると、それとは、逆で、自分のやりたいことは最後まで、隠していて、

自分に権力が、まわってきたときにん、それを、完全と行使するひと、というのも、あるかもしれません。

でも、それって、政治的資質というより、うそつきとしての資質のように思えますね。


僕は、理想的な政治的資質を有していたのは、小泉純一郎氏だと、思うわけです。彼の政治的資質とは、無駄なことは一切言わず、自分なりの日本成功ストーリーを掲げて、

その中に、郵政民営化という自身の政治信条を入れ込み、国民を説得した、そういう、ある意味作家であり、俳優であり、アジテーターであり、

世界を読む、潮流を読む、政治家にして、演出家の能力を言うんですね。

その能力を持った小泉氏こそ、最大にして最高の政治家の資質の持ち主だと思っているんですね。


それに比べると、遡上にあがった三人は、どうでしょう?

まず、妖怪大魔王おばさんは、自分を守るだけのおばさんですから、足元にも、及びません。

辻本議員は、日本成功ストーリーも、なにもかかげられずに、ただ、自分のしたいことを実現するために、オナニーしたいおばさんに堕してます。

権力依存症に陥っただけで、国民に何の説得力も、あたえられないどころか、ま、国民の民意を無視し、

沈む船から、最初に逃げた、裏切り者のレッテルが貼られるでしょう。

小泉氏と比較すら、できない、だめだめようです。


福島瑞穂社民党党首は、どうでしょう。

彼女は、さすがに、党首だけあって、社民党というものに、責任をもっている。

その党の存在価値としても、沖縄の基地反対、という立場は明瞭です。しかし、政権に色気を出したことが、結局、村山富市の再来になってしまった。

辻元議員は、社民党執行部に、日本共産党のように、完全なる左翼党となり、

政権とは、距離をおいても、党の存在意義をみせるか、政権内に残るなら、政治信条の変更もやむなし、と迫ったそうですね。

彼女にとってみれば、社民党など、ただの利用できる団体か、否かでしか、見ていなかったことになるんです。


ものすごく、政治家として、無責任なことがわかるわけです。


だったら、民主党に鞍替えすりゃあ、いいじゃん!という政治家として安易な姿勢そのもので、

まあ、そういう人間のあつまりが、民主ですけどね。


これに対して、中途半端に政権に色気をだした責任というのは、避けられないのが福島氏ということになるでしょう。

確かに政治信条は、守った。それによって、党の解党も免れた。でも、党勢の鈍化は、免れられなかった。

はっきり言って、この党には、もはや、落しどころがなくなっているんですよ。できもしないことを、与党に入ったから、できると沖縄県民に勘違いさせた

罪は重いですよ。本来、民主党も同じなんですよ。ずーっとあのとりあたまが言ってきたんだから、それが、政権とったら、できませんでしたで、済むと

思っているんだから。だから、本来、民主党が沖縄からとった衆議院選挙時の得票は、すべて、返すべきなんですよ。約束を全部反故にしたんですからね。

ま、でたらめ、やっているのが、今の日本政府、と思っていますけどね。はずかしい、バカおとなの集まりが、今の日本政府ですよ。

おっと、話が、飛びました。元に戻しましょう。

福島瑞穂氏の政治家としての資質を、小泉氏と比較してみましょう。


彼女は、彼女なりのストーリーの提示をしてみせましたね。沖縄の基地を県外に移転するというストーリー。

それで、一定の得票を得た。しかし、それを実現できなかった。ここに、社民党の弱さがあり、これが、限界なんです。

ということは、沖縄のひとに、嘘をついたことになる。政治家というのは、何を訴えたかではなく、何を成し遂げたかによってのみ、

評価されるからです。


小泉氏は、自分のストーリーをほとんどすべて成し遂げた。だから、評価するんです。

それに対して、福島氏は、ほとんど、成し遂げられなかった。ここは、大きい差です。

訴えればいいのではない。実現したか、どうか、それだけなんです。


そういう意味では、遡上にあげた3人の中で、比較対象にやっとなれたのが、福島瑞穂氏であり、それも、得点は、100点満点中5点以下、という

厳しい評価になりますね。


政治家の評価というのは、いろいろなものさしが、あると思います。僕も、別に、自分なりの評価が、確立しているわけでは、ありません。

ただ、こういう記事を書いていくことで、考えが進化していくことは、確かだと思っています。

だから、今回、僕的には、最高の政治家であった、小泉氏と単純に比較することで、3人の政治家というものを、見ることができました。

もちろん、小泉氏を嫌いなひとも多いでしょうし、彼が、最高の政治家なんて!と笑うひとも、いるかもしれません。

それは、別にどうでもいいわけです。ある一定の政治家を評価する方法を探っているのが、今の状態です。

いろいろな方法を試してみて、自分なりに、評価できるやり方を探し出し、今後、ガンガン評価していく、つもりです。


たまたま、今回、遡上にあげた3人の政治家は、いずれも、女性でした。

これが、何を意味するのか?

たまたま、この時期、新聞にとりあげられた三人がたまたま、女性だったのか?

違うと思います。女性特有の浅い思慮が、千葉氏、辻本氏に指摘できるのです。

福島氏は、まあ、辻本氏が、浅い思慮で動いてしまったので、仕方なく浮上した形だと思っています。


浅い思慮の人間に、この国の政治を任せられるのか?

福島氏が、深い思慮を見せているだけに、女性の浅さを強調するような、前二氏の動きには、女性のためにも、だめだめだなあ、と思いましたね。


まあ、結論的に言えば、千葉氏、辻本氏に、日本の政治を任せるのは心もとない、と言ったあたりでしょうか。

まあ、それくらいのやわらかい表現にしておきましょう!


さて、今日も長々と書いてしまいました。

ここまで、読んで頂いたみなさん、ありがとうございました。

また、次回、週末の名画論考で、お会いしましょう!


ではでは。




「私の職業は、シャルロット・シャバネル!」(5)

2010年07月29日 | 過去の物語
「ファビアン・・・、もっと・・・」

わたしは、夢をみていた。

あれは、わたしが、十五歳の頃。まだ、ファビアンと、つきあい始めて間もない頃だった。

わたし達は、ふたりで、近くのモン・ミュリエという小さな山へ、ピクニックに出ていた。

ちょっとした丘を登るとき、ファビアンは前になって、わたしを引き上げてくれようとしていた。

でも、彼の力が弱くて、わたしは、後ろに戻りそうになる。

「もっと、ひっぱって、ファビアン!ほら、もっと!」

わたしは、はしゃぎながら、ファビアンに甘えていた。

ファビアンは最初は、笑っていたけど、最後には、真剣に、わたしをひっぱってくれた。

細い腕に、ついた、筋肉の筋が、わたしを魅了した。

少年だった、ファビアンは、少しずつ大人になっていく。


山頂に着き、眼下にひろがる美しい風景に、わたしたちは、息を呑んだ。

こんなに、美しい場所に、わたしたちは、住んで、生活をしている。

その事実を知ったとき、わたしは、今まで、何を見てきたのだろうと、思った。


持参したサンドイッチを頬張り、水筒にいれた熱い紅茶を飲み、わたしたちは、うれしそうにいつまでも話した。

話すことは、いつでも、たくさん、あった。

そして、わたしの話を、にこやかに聞くファビアンの笑顔。

10代の恋。ファビアンは、わたしの青春そのもの。

ああ、ファビアン・・・。


「ん、なんか、呼んだ?シャリー?」

ファビアンは、小麦粉に水を混ぜながら、ベッドルームに顔を出す。

窓からは、気持ちよく、日差しが入り、空気は清冽。

朝の気持ちのいい、雰囲気のある時間。

わたしは、突然、がばっと起き上がると、昨日、あったことを思い出してみる。

「ファビアンが、小麦粉を溶いている、ということは・・・」

ここは、わたしの部屋。そして、ファビアンは、ブルーのトランクス一枚という格好で、パンケーキを焼くべく、小麦粉を溶いている。

「そうか。昨日、盛り上がって、一緒に、寝ちゃったのね・・・」

と、思い出すと、思いの外、幸福感でこころが、満たされているのに、気づく。

「おはよう。まだ、あと、15分くらい、寝てて、いいよ!」

と、ファビアンは、にこりとしながら、部屋を出て行く。

ファビアンのセクシーなおしりのラインを眺めながら、わたしは、ふと、昨日のベッドでのことなど、思い出す。

そして、ちょっと頬を染めながら、でも、素直に、しあわせ感に酔う。

「いつぶりだろう・・・こんな気持ち・・・」

いつもの自分だったら、落ち込んでいたかもしれないのに、

まるで、逆の気持ちの自分がここに、いる。

「欲求不満だったのかしら?」

と、自分に聞いてみる。でも、そんなことは、ないはずだった。

彼と同じ様に、わたしも、別の男と寝たし、愛情を勝ちとることだって、あった。

でも、それらのこと、全てが、もう、どっかに行ってしまっていた。

思わず、笑いが、こみあげる。

「わたしも、ファビアンじゃなきゃ、だめだったって、ことなのかしら、ね」

と、傍らに置いてある、小さな人形に聞いてみる。わたしの、子供の頃からの、お友達のひとりだ。

その彼女が、笑っているように見える。いい兆候だ。

彼女が笑っているように、見えている限り、わたしに、不幸は、来ない。

「ありがとう。ミルミュー!」

わたしは、その人形に、お礼を言いながらキスをすると、パンケーキを焼く、いい匂いがするキッチンに歩いていくのだった。


ファビアンの焼くパンケーキは、昔から、絶品だった。

10代の頃、わたしが、パンケーキが大好物だ、と知ったファビアンは、

パンケーキ屋のバイトを何ヶ月もして、うまいパンケーキの焼き方を体得してくれたのだ。

それ以来、パンケーキは、わたしをうれしがらせるときの、彼の常套手段になっていた。

あれから、さらに、磨きのかかった、彼のパンケーキを、こころ待ちにして、わたしは、キッチンで

一心不乱にパンケーキを焼く、ファビアンに声をかける。

「パンケーキ、さらに、うまく、焼けるようになった?」

っていう、わたしの声に、彼はフライパンをじっと見つめながら、言葉だけ、返す。

「ああ、今、大事なところなんだ。少し待ってくれ・・・」

と、言うと、真剣そうな表情のファビアンは、何かを、感じとるように、ピクッとこめかみを動かし、

鮮やかな手つきで、パンケーキを、ひっくり返す。

フライパンの中では、おいしそうに、焼けたパンケーキの生地が、いい匂いを発している。

「うわー、おいしそう!」

というわたしを見たファビアンは、

「朝から、君の裸を見るのもなかなか、いい気分だけど、全裸で朝食というのは、少し趣味が良すぎるんじゃないかな?」

と、笑顔でジョーク。

わたしは、無防備な自分に驚いて、すぐに、シャワールームに駆け込む。

水を浴びて、体をしゃっきりさせる。そして、体を拭いて、白い下着をつけて、バスローブをはおる。

どうも、ファビアンを横にすると、いつものクールな自分になれないようだ。

そして、自分の体の状態を、チェックすると、キッチンに戻る。

ファビアンは、二人分の朝食を用意し、冷たいミルクをコップに注ぎ終わったところだ。

「さすがに美人探偵は、時間に、正確だね!」

と、笑うファビアン。

「朝から、サービスをしすぎちゃったから、今度は、あなたの絶品のパンケーキを楽しむことにするわ」

と、ほほえむわたし。

わたしと、ファビアンは、食卓に向かい合わせで座ると、

「いただきます!」

と、同時に叫ぶ。

パンケーキに、バターを塗り、メープルシロップをかけて、一口頬張る。

バターの塩加減にメープルの甘さ、そして、パンケーキのちょうどいい食感が、口の中を幸福感で、一杯にさせる。

「おいしい!また、腕をあげたわね!ファビアン!」

と、わたしが、手放しでほめると、少しだけ照れるファビアン。

「でも、つくるの、二年ぶりだったからね。けっこう、あれこれ、思い出すのが、大変だったよ」

と、ファビアンは、わたしと別れてから、一度も、パンケーキを焼かなかったんだ!

「こうやって、君と、朝、パンケーキを食べられるのは、うれしいよ。このパンケーキが、僕にしあわせを運んでくれるからね」

と、髭面の中に埋もれる口の中に、パクリと入っていくパンケーキは、幸福の象徴のようにも、見えた。


「あ、署長、わたしです。シャルロットです!」

と、わたしは、いつものように、署長に、定時連絡をいれた。定時連絡は、一日置き、朝八時。

署長は、七時半には、署に来ているから、朝のカフェ・オ・レを十分に楽しんだ頃、わたしの連絡を受けることになる。


ファビアンは、すでに、部屋を出ていた。

「ちょっと準備があるから」

と、七時前には、わたしにお別れのキスをして、ファビアンは、部屋を出て行った。

ほんの少しの幸福感が、まだ、わたしの中にあった。久しぶりの、気持ちのいい状態。

わたしは、その高揚感の中、署長と話そうとしていた。


「おう、シャルロットくん、ちょうど良かった。君の電話を待っておったんじゃ!」

と、署長は、緊迫感を持っていた。すぐに何かを言いたげな様子。

「何か、事件に、進展が、ありましたか?」

と、わたしが、聞くと、

「うむ。今朝、誘拐から逃げてきた子が、保護されてな。ガロア県の民間人の家に保護を求めてきた女の子がいたんじゃよ」

と、署長は、事実をしっかりと話す。

「その子は・・・」

とわたしが、言うと同時に、

「百貨店メイヨーのオーナー、リリー・シャルレーさんの一人娘、十五歳のメイリンだ。昨日、誘拐されたらしい」

と、話す署長。

そして、

「彼女は、暴行されとる」

と、残念そうな口調で、署長は、付け加える。

「なんですって?!・・・わたしも、話を聞きたいのですが・・・どうにか、ならないでしょうか!」

と、わたしは、ショックを受ける。

「取調べを、マジックミラー越しに見ることができるよう、手配しておいた。十時から、取調べだ。十五分前に、わたしのところへ。待っておる」

と、署長は、少し沈んだ声で、それだけ、言うと、電話は、切れる。

「なんてこと、なんてことなの!」

わたしは、怒りで、真っ赤になりながら、犯人に対する悪態をつく。

そうなるはずではなかったことが、現実になった時、わたしは、わたしのうかつさを悔やんだ。

十五歳のいたいけな少女が、男に、暴行される。

まだ、恋愛も、はじめようとしたばかりの、無垢なおんなのこが、無思慮なおとこ共の手によって、汚される。

少女のこころが、涙で、いっぱいになるのがわかる。絶望と、痛みと、黒い鮮血。

愛するひとのために、守ってきた大切なものが、無遠慮に、こわされる痛み。

「許せない、絶対に許せない!」

わたしは、手早く準備をすると、部屋を出るなり、愛車のメガーヌを、素早く発進させていた。


(つづく)

ブス!デブ!いじめ!うつ病!と叫ぶのは、日本人の病気?(ゆるちょの部屋(3)!)

2010年07月29日 | お昼間カフェ
どうも!ゆるちょです!

えー、今日も、ゆるちょの部屋、ということになってしまいました。

えー、なんとなく最近は、いろいろ話してみたいことが、多い、

というか、そういう話題がある!ということで、

まあ、ゆるちょの部屋になっているわけですねー。

まあ、そのうち、お昼間カフェに戻っていくとは、思いますが、

まあ、話したいことがあるときは、ゆるちょラジオか、ゆるちょの部屋で、

なんとなく、ちょっと真面目に、話してみたいなあ、ということでしょうか。


ま、どんな感じになるか、わかりませんが、まあ、ちょっとしたお茶のみ話だと思って、

ゆったり、聞いてくださいな!(笑)


さあ、ゆるちょの部屋、ゆるゆると、始めて行きましょう!


えー、昨日、「ビューティコロシアム」を遡上にあげましたねー。

まあ、けっこう読んでいただいた方も、多かったみたいで、ありがたいことなんですけど、

ブログ解析なんか、見ていたところ、

「いじめについて、語るブログ」

なんていう、ちょっと難しめなカテゴライズにエントリーされていて、ちょっとびっくりしました。


そういえば、

「社会的役割を果たしていない、と日本人が、判断すると、その社会にいらない、とばかりに、いじめが起こる」

ということを書いていましたね。まあ、いじめの基本って、これなんですよね。

だから、いじめられた人間は、別な形で、社会的役割を果たせるようにする、というのが、根本的な対策なわけです。

例えば、ビューティコロシアムは、そこらへん、よーくわかっているわけですよ。

ただ、ブスと言われる外見を治せばいいわけではない。ブス、と言われるのは、外見に問題がある、ということから、起きる精神疾患も含んでいるんだ

ということなんですね。

だから、ビューティコロシアムでは、まず、外見の問題部分を指摘し、それをどう治していけるかを提示し、本人の努力をメインに、

少しずつ、外見を美していく努力をさせ、

「自分の力で、美しくなる」

という体験をさせてあげているわけです。この体験が、非常に重要で、この体験が、本人の自信を生み、ブスという自覚によって、起こる精神疾患を

治しているわけですね。


よく言われることですけど、ブスとか、デブ、とか、言われる人は、そういう外見的問題点を、誰よりも自覚しています。

だから、それを卑下する気持ちが、結局、自己をスポイルして、性格を弱いものにしてしまうんです。

これは、仕方のないことですし、1+1=2であることと同じくらい、当たり前のことなんです。

だから、

「ブスってさー、性格もブスなのよねー」

というよく指摘される事項は、当たり前のできごとだし、仕方のないことなんです。

だから、そのブスな性格を治して、始めて、美人になれるんですね。それをしっかりと、実践しているのが、「ビューティコロシアム」なんですね。


これね。デブも、同じなんですよね。デブも、美しさに敏感なデブほど、気が弱くなったりするわけです。

まあ、昔の僕です。何しろ、美術部出身のデブでしたからね。この存在の矛盾がこころを苦しめないはずがないんです(笑)。

だから、こういう人は、やせることで、やせる体験をすることで、自分に自信を回復させ、それが、気持ちが強くなっていく、ひとつのきっかけになっていくんですね。


これね。うつ病の構造とまったく同じなんですよ。

つまり、自分が、社会的役割を果たせているか、どうか、という判断において、

「俺、だめだ。社会的役割が果たせていない=仕事がうまくできない」

となっているひとが、うつ病になるわけです。これが、うつ病の原因なんです。

だから、この病気を治すには、ひとつの方法しかないんですよ。


これまで、社会的役割を果たせていない、ブスとデブについて、どう治してきたかを考えれば、すぐわかることです。

「社会的役割を果たせるようになる、経験を積まして、当人の意識改革から、始める。そして、社会的役割を果たせるようになって、始めて、完治できる」

これ以外ないんです。例えば、カウンセリングをしたところで、その瞬間、患者は、気分がいいかもしれない。

でも、本質的なところに、なーんも対策されていないわけですからね。


例えば、うつ病で、休職したとしましょう。カウンセリングを受けて、気分がよくなって、状況もある程度改善した。

だから、復職する。でも、社会的役割を果たせない、という根本原因については、何の対策もしていないわけですから、

また、同じように、うつ病になる。その繰り返しです。


これ、何で断定的に話しているか、と言えば、僕が、そういう状況に陥ったことがあるからです。

経験者なんですよ。「うつ病・負のスパイラル!」のね。


とすれば、うつ病に対する、本質的な対策とは、

「社会的役割を果たせる、ようにする」

これだけなんです。いくら、カウンセリングをしようが、何をしようが、根本は、ここですから、これをどういう風に実現するか、

そこに掛かっていると、言えるわけです。


この方法については、いろいろな対策が考えられますよね。

社会的役割が果たせるように、自分の仕事について、再度、知識を点検し、勉強しなおすとか、

あるいは、配置転換を求めて、別な形の仕事につくとか、

あるいは、自分の資質を再度見つめて、新たな自分の資質を見つけて、その資質を利用した転職をするとか。


いくらでも、考えつきます。つまりは、社会的役割を果たせる、場所を探せ、ということなんですよ。

自分の生きる場所を捜す。

これって、この間の、土曜日に論考した、映画「恋のゆくえ ファビラスベイカーボーイズ」

でも、ジャックのストーリーとして、描かれていたじゃないですか。

彼は、ファビラスベイカーボーイズとして、生きていくのが、つらかったんですよ。

だから、とっかえひっかえ、一晩だけの女を抱いて、寂しがり屋の少女の相手をして、老犬の世話をして、

自分を慰めていたんですよ。まあ、うつ病のカウンセリングと同じ。

そう。彼は、うつ病だったんですよ。それに対して、そうやって、対処療法をしていた。

でも、我慢ができなくなった。なぜなら、自分が社会的役割を発揮できる場所を見つけてしまったから。


彼はその場所を見つけ、その道を歩くことによって、うつ病から抜け出し、責任ある恋もできるようになり、

めでたく社会的役割を発揮できるようになるわけです。


つまり、あの映画は、うつ病からの更生を描いたと言ってもいい映画なんですよね。


まあね。うつ病も経験済みだし、デブもブスも経験済みですから、もうね、んなものは、どーってことありませんよ、僕はね。

そういうのを全部、自分の力で、解消してきたんですから。それが、僕が強くなるきっかけになりました。

でもね、うつ病やら、デブやブスという外見で悩んで弱くなっているひとって、たくさんいます。

僕の友人にも、そういううつ病、というのに、かかっている人間やら、かかった経験のある人間が、今、現在いるんです。


でもねー、難しいんですよ。実際。

そういう状況の人間に、僕が今言っていることを、伝えたとしても、

そのひとの、心的状況が、相当弱くなっていることが、だだわかりなんで、

彼らの逃げ場をなくしてしまう、可能性がある。


そうすると、下手すりゃ、自殺しちゃいますからね。それだけ、彼ら彼女らは、追い込まれてしまう。精神的にね。


あの精神的に追い込まれるつらさ、ってのは、あれは、経験してみないと、わからないもんです。

だからね、ビューティコロシアムの記事で、和田氏の

「こころが弱いんじゃないの?」

というセリフが、あの番組のホスト役として、言っちゃあいけない、ということに気づかない和田氏のセンスのなさに、あきれたわけです。


確かに、こころが弱い、ということは、

「社会的役割が果たせていない」

として、嫌われます。


僕が、太っているとき、女性に人気はなかったですよ。ある一部のひとを除いてはね。

だけど、それは、外見だけの問題でなく、そこから引き起こされた、自分への自信のなさ、こころの弱さを、

まわりの女性が見抜いていたからだ、と今は素直に思えます。


日本人、というより、日本の女性は、こころの弱い、頼りがいのない男性を嫌いますね。

そりゃ、当たり前です。本来、男性は、女性をリードするところに、価値があるわけですからね。

そして、そういう強い男性になるには、これ、経験だけが、僕らを強くしてくれるわけです。


まあ、僕はそれこそ、山のように、ネガティブな体験、地を這いずり回るような体験をずんどこしてきたんで、

めちゃくちゃ、強くなっちゃいました。おかげさまでね。

だから、例えば、今回のドラゴン通信にのったような、炎上コメント、自分を否定するコメントが載ったとしても、

もう、かなりそういうのは、経験済みなんで、まあ、やわらかく相手を包みこんで、自分の意見を通すなんて、

ま、わけもないことなんです。でも、これ、弱い人間に、ああいう炎上コメント、否定コメントをだしたら、

それこそ、ブログなんて、やめて、もう、触りたくなもない、なんてことに、なりますよ。多分ね。


まあ、あのコメントは、自分を守りたいために、ひとを非難するという、女性特有のよわよわコメントだということが、だだわかりなんですけどね。

時として弱い人間は、自分を守ろうとして、他人を知らず知らず攻撃することもあるんですよね。


まあ、いずれにしろ、そういう弱い人間の、弱い行い、というのを冷静に見ることができる必要があるんですよ。


和田アキ子氏は、それこそ、生き馬の目を抜く芸能界で、数々の経験を積んできたわけですから、

その経験が彼女を強くしていることは、よーくわかるんです。芸能人としては、日曜日の昼は、和田アキ子というコンセンサスを日本につくりあげた

わけですから、そりゃ、素晴らしいですよ。僕も、以前は、よく、あのプログラムを楽しんでいましたしね。

ただ、強い人間だからこそ、ああいう弱い人間が、陥っている状況だったり、そういう発言を

「社会的役割ができていない」

という目で見るのではなく、今、弱い状況に陥った彼女達の気持ちをわかってもらいたかった、んですね。


「いじめ」というのは、弱い人間が時として、他人を攻撃することで、自分を守る、ということと、同じだと、思うんです。

人間は、もちろん、自分を守る本能があります。

その本能から、考えれば、目の前にいる社会的役割を果たせない人間こそ、自分を危険に陥れる可能性のある、危険な人物と見てしまうわけです。

だから、攻撃を加えてしまうんです。つまり、人間の本能、いや、日本人の本能と言った方が、正しいかもしれません。


だから、いじめ、の本質的解決とは、いじめられる人間が、どのように、社会的役割を果たせるかを、考えてやることであり、

いじめる側の弱さを指摘したり、その弱さを是正してやることが、本質的な解決につながるのです。


そういう対策をとっていますか?

ただ、

「もう、いじめたり、しない」

なんて、約束しても、そんなの、本能の前じゃ、何の役にもたちませんよ。


もちろん、みなさん、お察しの通り、僕もよくいじめられました。

僕の場合、他人とは、違う、自分なりの道を捜すことに、価値を置いていましたから、

まあ、自然目立っちゃってね。それで、よく、小学生の頃、中学生の頃、いじめられましたよ。

でも、まあ、僕は頑固でねー。自分の姿勢は、全く変えたことがありません。

でもね、そういう風にしていれは、結局、ある場所に流れていくんです。

そう。自分が社会的役割を果たせる場所を、見つけることになるんです。


まあ、それは、いいとして、

そうやって、いじめられると、自分に自信がなくなるわけですよ。

小学生や、中学生の頃なんて、あんぽんたんですからね。

気持ちが弱くなって、また、もてなくなりましたねー(笑)。

でもね、経験したからこそ、今、こうやって、いろいろなことが、わかる。

それが、僕の自信にも、なる、というわけです。


こう書いてくると、結論的にわかってきたのは、

いじめ根絶には、

「社会的役割を、自分は、どういう世界にいたら、果たせるのか」

これを、いじめられている子に対して、見つけてやることなんじゃないですかね。

つまり、「いじめ」とは、

「社会的役割を果たすことに、絶対的な価値を置く、社会性民族である日本人の業病である」

と、言えるわけですよ。


ジャックのように、

「自分の社会的役割を高度に発揮できる場所を捜す」

ことこそ、日本人である僕らの、必要不可欠な行動だ、と言えるのではないでしょうか。


そして、「うつ病」の方々は、それが、できていないからこその、そういう症状だ、

と言えるのだと、思っています。


つまり、日本社会には、「いじめ」と「うつ病」は、その社会的価値観から、絶対に起きてしまうものなのだ。

だからこそ、本質的な対策が、急務なのだ、と言えるのでしょうね。


今日は、ここが、結論かな。

なーんか、お昼間カフェ、というより、まじめな論考になっちゃいました。

ちょっとお昼から、真面目すぎたかな。


ま、そんな感じです。

今日も、ここまで、読んでいただいたみなさん、ありがとうございました。

では、また次回、お会いしましょう!


アリベデルチ!


「第九章 風景が変わり、ルールが変わった」!(木曜日の村上論考!日本人的美学からの論考)

2010年07月29日 | 先人の分析
おはようございます!

今日は天気予報によると、一雨来そうだとか、

どうなんでしょうね。

そろそろ、ちょっと一降りあっても、いいんじゃないかと、

思いますが、夏の夕立も風情がありますよね!


さて、今日は、木曜日の1Q84論考!ということで、村上春樹の世界を

楽しみながら、そこに何が描かれているのか、どんな表現がなされているのか、

というあたりを解き明かして見ていきたい、という感じですね。

まあ、BOOK1の第八章まで観終わって、まあ、序盤が終わり、

ここから、中盤に入るというわけで(まあ、二十四章ありますからね)、いろいろな

初期設定だったり、世界観の提示だったり、おおきな疑問の提示などが、

まとめられる章に、この九章は、なりそうです。

この章は、青豆さんのストーリーですので、女性向けストーリーということで、

日常の非日常、気持ちをドキドキワクワクさせる、奇妙なテイストの物語

が狙いですから、そのあたりを頭に置きながら、見ていきましょう!


さて、熱中症にならないように、冷たく冷やしたピンクグレープフルーツティーをぐびびと飲みながら、

ゆるゆると論考していきましょう!


まず、前回、青豆さんの考えていた世界と大きく変わってしまった世界に対処すべく、

対処リストを頭の中で、作り上げていた青豆さんは、まず、手始めに、近くの区立図書館にいきます。

そして、毎日新聞の縮刷版を借り、1981年の9月から12月の情報を確認するわけです。

1981年の初秋、とくにとりたてて何かあったわけではないらしく、村上氏は、チャールズ皇太子の結婚式が

その前年にあったことをあげ、その余波が続いていたとしています。ほんとかな。

というのも、単に村上さんは、チャールズ皇太子という立場が嫌いなだけなんだと思います。

もう、天皇家とか、そういうの大っキライだと思いますよ。お金を自分で稼がずに、血筋だけで、生きているなんて・・・

というあたりのことを、考えていそうですね。労働者バンザイ思想ですね。

まあ、村上さんの普段からのエッセイにおける言動からすると、今の政権与党のひと達と同じ世代、同じ天皇嫌い

同じ右的なものが、嫌いで、左的なモノが好きな言動が多いですからね。プロレタリア万歳なひと達。

ま、結局、青いなあ、という感想ですが、まあ、作者と作品は、明確に違うものですから、

作品の評価には、なんら、関係ありませんけどね(笑)。

というわけで、村上さんは、チャールズ皇太子のことを、

「胃腸に問題を抱えた物理の教師みたいに見えた」

としています。まあ、ちょっと融通がきかなくて、表情がいつも暗い人間とでも、言いたかったんでしょう。

けっこう、ひどいことを言っていますが、概ね合っているような気がしますね。

なんで、カミラ婦人は、あんなおっさんを・・・ダイアナさんのほうが全然美しいのに・・・と当時は、

思っていましたが、まあ、恋愛というのは、外から見ていてもわからないものですからね。まあ、いろいろあるわけです。

まあ、それくらいはね、勉強しましたよ。


さて、脱線しました。元に戻しましょう。

ポーランドのワレサ議長率いる「連帯」と政府との対立と、ソビエト政府の反応など、ちょっとなつかしい話が

続きますが、そこに、現実にはなかった話、

「米ソ共同の月面基地建設計画」

と、

「NHKの集金人による大学生刺傷事件」

と、

「本栖湖での過激派VS警察の銃撃戦事件」

が、入り込んでくるわけです。


青豆さんは、その事実にちょっとうろたえるわけです。なぜなら、

青豆さんは、その仕事(クールでワイルドな女性の敵の殺し屋)の関係で、

新聞は、きっちり毎日、確認しているのに、そんな彼女にも、関係しそうな事件を、まるっと確認してなかったことになるからです。


本栖湖事件は、連日、大きく、新聞で取り扱われたそうです。


それの余波は、NHK集金人の事件を小さい扱いにさせ、そのことについて、

村上氏は、不満を持つような書き方をするわけです。NHKは、当時自民の広報機関にすぎなかった、と主張し、

当時、村上氏が、普通に持っていた政治的批判をここに主張しているわけです。

そして、その考えが、背景にあるから、NHKの集金人というものに、

「ある地獄である」

というような描き方を恣意的に

「天悟くん」のストーリーに繰り広げているように思えます。

もちろん、ここで、「NHKの集金人」というアイテムがこのストーリーに入ってきた、ということは、同じ様に、

「天悟ストーリー」に前回入ってきた「NHKの集金人」アイテムを想像させ、この二つのストーリーが今後、関連するのではないか?

という暗示を呼びます。「天悟」と「青豆」が、このストーリーのどこかで、何らかの形で、重なりあうのかもしれない、

という暗示を、このアイテムが示唆しているんですね。


「受信料の不払い運動」という運動が、あることは、知っていますが、

(運動か?単にそれに言葉を借りた、お金を払いたくないというみみっちい義務違反じゃないの?罰則ないから逃げているだけでしょ。レベル低い馬鹿でしょ)

それを支持している馬鹿は、僕は支持しません。だから、村上氏個人に対しては、多分、否定的になるでしょうね、僕は。

まあ、ただ、この1980年代に、それが、ある程度、説得力を持った意見だったことは、確かだったんでしょう。多数派だったのかもしれません。

しかし、そんな昔の話なんぞ、今持ってきたというのは、どういう理由なのだろうか、というのが、今の僕の素直な疑問です。

まあ、1Q84の世界が描きたかったから、ということになるんだろうけどね。


さて、ちょっとおかしいのは、青豆さんは、

「その二件以外のニュースについては、記憶に洩れはなかった」

としながら、月面基地のニュースは、知らなかったと、別の場所で、書いているんですよね。

そして、

「この二件だけ、読み飛ばしたのだろうか」

と、青豆さんに考えさせたあと、

「月面基地の建設を知らなかった」

ことを、おかしいことと、しているんですね。

ここらへんは、青豆さんが、わざと、混乱しているように見せているのかもしれません。

というのも、この村上さんの現実の非現実施策は、

「1984の世界から、1Q84の世界へ移動してしまったから、起こった非日常だ」

ということを僕は、既に指摘しており、

「1Q84のQも、クエスチョンのQの意味なのだ」

ということを既に、指摘しちゃっているんですね。


つまり、だれにでもわかるようなことなんですよ。それくらいは。


だけど、それをそのまま書けないから、青豆さんに、ひとしきり悩ませる必要があるわけですよ。

「私が正常でないとしたら、異常なのかしら。いや、私は正常だ。だとしたら、世界が、異常だ、ということになる」

「具体的に言えば、世界が、変わってしまったのだ。まるで、パラレルワールドに紛れ込んだ住人だ」

とまあ、かなり意訳すると、こういうストーリーテリングが、されています。

かなり、青豆さんが、混乱しながら、その結論に至ったかのように。


「「これじゃ、サイエンスフィクションになってしまう」と、青豆は、思った」

と、これは、確実に、村上さんのエクスキューズですね。

「ごめんなさい、サイエンスフィクションの体裁、手法を使いますよ!」

こう言っているのが、村上さんなわけです。

そして、現実的な青豆さんの思考が描かれるわけです。

「自分を正常と考える余り、身勝手な仮説をつくりあげているのか」と自己批判してみせるわけです。

「パラレルワールドという仮説は、自分の狂気を正統化しているだけなのではないだろうか」

と、ごく現実的な思考をさせるのです。そして、当然のごとく、第三者による判定というのが、必要となる、としているのですが、

もちろん、そんなことは、できないように、なっているわけです。

彼女の仕事(クールでワイルドな殺し屋)、彼女のエッチの状況(バーで男を誘い、するだけ)、それだけだって、第三者に話せやしないし、

それ以外のことだって・・・というわけで、結局、ひとりで、解決せざるを得ないと、うまくソフトランディングさせているわけです。

つまり、殺し屋であることも、ああいうエッチの仕方なのも、すべては、この1Q84世界を、青豆さんひとりっきりで、探検していかなくては

ならない、という外的環境をつくりあげるための、施策に過ぎないということが、わかるわけです。

最初から、そこを狙っていたわけですね。


ということは、やっと作者の用意した、外的環境部分が、ほぼ、明らかになってきた、ということです。

そして、そのパラレルワールド1Q84に青豆さんが、入ってきたのは、あの第一章、冒頭の、音響に凝られたタクシーで、

「シンフォニエッタ」を聞いてからだ、ということに青豆さんは、気づくわけです。

僕は以前、1Q84的世界に紛れ込んだのは、

「あの階段を降りた時じゃねーの?」

と、指摘しているので、ちょっとそこは、違いますね。まあ、まだ、正解が出たわけじゃないから、そこは、見ていきたいと思います。

そして、彼女は、「シンフォニエッタ」の作者ヤナーチェクの本を、その場(図書館ですからね)で、借りると、

それを調べるという形で、読者に、ヤナーチェクのあらましが、語られるわけです。

そして、「シンフォニエッタ」が、ある唐突な幸福感と共に曲想を得られたことが発端になり、作られたものだ、ということが、語られるわけです。

そして、その「ヤナーチェク」について、調べ上げた後、はじめて、青豆さんは、今、生きている世界に名前をつけるわけです。

「1984とは、別の世界、そうだ、1Q84と呼ぶようにしよう」

「Qは、Question MarkのQだ。疑問を背負ったモノ」

と、ここで、はじめて、そうなるわけです。


その後、彼女は、早速、ヤナーチェクのシンフォニエッタのLPレコードを購入して、部屋で聞いてみますが、何も起こらない。

そして、あと一週間で、自分の三十回めの誕生日が来ることを思い出すんです。

「ろくでもない誕生日がまためぐってきそう」

という言葉から、彼女の誕生日は、いつも、ろくでもなかったことが、暗示され、1Q84の世界に住んでいる彼女が強調されて、この章が終わるわけです。


つまり、この章は、これまでの、青豆さんのストーリーを総括したような内容なんですね。

「日常の非日常が、強調されてきたのは、青豆さんが、1Q84ワールドに、移動してしまった、ためであったこと」

それが、この章で、語られたことで、あり、その中に、

「NHKの集金人」

というアイテムも潜まされていること。

この章の主張は、概ね、この二つに集約できます。

つまり、

「青豆さんは、ひとりで、1Q84世界を探検することになること」

「NHKの集金人というアイテムを通して、天悟くんのストーリーともつながる可能性が示唆されたこと」

この二つなんですね。そして、改めて、青豆さんが、1Q84世界の住人になってしまったことが、最後に、強調されたわけです。

そういう意味では、前半の話から、中盤の話への架け橋的な役割をしたのが、この章だったと言えますね。


まあ、本来は、この章で、はじめて、

「1Q84」

という本の題名の意味が、提示されるわけですから、ちょっと感動的な章だったのかもしれませんけれど、

もっと前に分かってたんで、僕には、あまりに、当然のことが、提示される、章だなあ、という感じでした。


まあ、ただ、ここで、ひとつ、気になったのは、過激派が、あさま山荘での攻防を最後に、その力を失った現実に対して、

この書では、彼らに力を与えて、警察との銃撃戦をさせて、勝たせているんですね。

これね。村上世代にとって、過激派というのは、彼らの政治哲学を具現化する尖兵だと、考えていたわけですから、

そういう現実を受け入れたくない、というのが、あったんでしょうね。

小説の中で、自分の希望したとおりのことを、実現させる、というのは、古来、小説家がやってきた、

現実逃避の遊びですから、この村上氏も例外に洩れず、現実逃避の遊びをしているのかもしれません。

未だに、過激派に夢を見ているのかもしれない。

もちろん、村上氏は、頭のいいひとですから、単純にそういうことを考えているわけではないでしょう。

もし、あそこで、過激派が力を失わず、逆に力を得ていたら、どうなっていたか、

そのあたりを着想したのかもしれません。


この過激派という60年代の終わりに大学生だった政治馬鹿達の、甘美な夢は、

あさま山荘事件を最後に、力をうしなっていったわけですが、その過激派という要素に、

今後、村上氏が、何をのっけてくるのか、そこに興味がありますね。


もしかしたら、村上氏が、この1Q84を書くきっかっけになったのは、

1984年の僕は、どういう未来を思い描きたかったか、いや、そこから逆算して、

1984年をどういう時代にしたかったか、それをパラレルワールドを使って書いてみたらどうだろう、と、考えたのかもしれませんね。

なにしろ、この表現、まるで、バックトゥザフューチャーの手法をうまく応用し、他者が現実世界をパラレル化するという、

SF作家真っ青な表現なんですから、まあ、どうなるか、興味があるところです。

天悟くんの作業が、あるいは、青豆さんのワールドを変えたのだろうか?

と、興味がつきないところですね。


さて、今日も長々と書いてしまいました。

ここまで、読んで頂いたみなさん、ありがとうございます!

また、次回、金曜日の自由論考で、お会いしましょう!


ではでは。



「由美ちゃん物語」(70)

2010年07月28日 | 過去の物語
「なんだか、京都に、修学旅行に、行くみたいだわ・・・。しかも、こんなにたくさんで・・・わくわくしちゃう!」

と、東京駅の新幹線ホームで、こころからうれしそうにするのは、紅鹿流家元三十七代目家元秋村佳乃さんです。

「いやあ、佳乃さん、今回は、僕の提案に、乗っていただいて、ありがとうございます」

と、僕は、早速、佳乃さんに、お礼です。

「ううん。何かあったら、いつでも、言ってねって言ったでしょ。わたし、○○くんから、連絡もらって、正直うれしかったのよ」

と、機嫌よさそうに、笑う、佳乃さんです。

「それに、まるで、パトロンのように、使ってしまって・・・」

と、苦笑する僕です。

「いいのよ。それくらい。あなたに、頼まれたら、それくらい、どうってことないわ。それに、事件の鍵を握る京都への取材でしょう?わたしも、ワクワクするの!」

と、いつものドキドキワクワク好きの佳乃さんです。

「佳乃さん、お久しぶりです。いやあ、相変わらず、美しい」

と、横から、入ってくるのは、沢村です。

「あら、沢村さん、お久しぶりね。事件の方は、どう?推理は進んでいるの?」

と、事件に興味津々の佳乃さんです。

「ええ、まあ、それを進めるための、京都行きでも、ありますからね」

と、苦笑いの沢村です。

「それにしても、あの子、きれいな子ね」

と、佳乃さんは、しほりさんの方を、目で見ながら、さりげなく指摘しています。

「ああ。しほりさん、ちょっとこっちへ」

と、沢村が、しほりを連れてきます。

「彼女の父上、清美塚教授が、今回の事件の犠牲者です。彼女は、事件解決に協力したいと、今回、同行することになったのです」

と、沢村は、端的に説明します。

「そうだったの・・・。それは、お気の毒に・・・。でも、あなたのその視線に、何か力を感じるわね・・・あなたの強い意志かしら」

と、観察眼の鋭い佳乃さんは、素直に感想を述べています。

「はじめまして。清美塚しほりと、いいます。父の仇討ちに、わたしも何か手伝いたい、と思いまして・・・」

と、しほりは、強い意志をはっきりと示しています。

と、その後ろにぼうっと立つのは、湯村くんです。

「あのう、はじめまして。僕は、清美塚教授の元で、静御前の研究をしていた、湯村です。今回の事件には、静の怨念が関係しているので、どうしても、確認したいことがあって、同道したんです」

と、強い決意を見せる湯村くんです。

「そうだったの・・・。あなたは、しほりさんの頼もしいナイトになれるかもしれないわね」

と、意味深なことを言う、佳乃さんです。

「は?」

と、湯村くんは、ポカンとしますが、佳乃さんは、それをにこり!とやり過ごして、由美ちゃんとまひるの元へ歩きます。

「佳乃さん、新幹線代もホテル代も、もってくれたんですってね。ありがとうございます!」

と、由美ちゃんは、古いつきあいの気軽さから、素直に事実を話しています。

「わたしも、ほんとに、まだ、数回しか、お茶の席に、座ったことないのに、すいませーん」

と、まひるちゃんも、そこは、素直に話しています。

「いいのよ、まひるさん。あなたは、忙しい中、もう、七回も、来てくれたじゃない。それだけで、充分です」

と、うれしそうにほほえむ、佳乃さんです。

「え、まひるちゃん、わたしより、多いじゃない、今季は」

と、戸惑う由美ちゃんです。

「彼女は、それは、真剣に、習っているのよ。お点前も、少しずつ、上達してきているわね」

と、にっこりする佳乃さんです。

「急にどうしたの?まひるちゃん。さては、好きなひとでも、できた?」

と、うれしそうに突っ込む由美ちゃんです。

「いや、違うんです。いとこの○○さんが、「今のうちに、一生懸命ならって、こころを美しくしておけ」って、言うから・・・」

と、ごく内密な話を、二人に暴露しています。

「え、○○さんが?」

と、由美ちゃんは、驚きます。

「やっぱりねー。彼が、原因かなあって、思ってたのよ!」

と、佳乃さんは、洞察力の鋭いところを見せています。

「「好きなひとが、出来てからじゃあ、遅い。今のうちに、自分を磨いておけ」って、言ってくれたの。「それには、佳乃さんのところが、一番だ!」って」

と、まひるは、秘密を暴露するように、話しています。

「へーえー、○○さんが、そんなことを、まひるちゃんに、言ってたんだー」

と、由美ちゃんは、改めて、驚いています。

「彼は、まひるちゃんのことも、ちゃんと考えていたのね」

と、佳乃さんは、沢村と馬鹿話をしている○○を見ています。

「いとこ同士だけど、たまに、そういうことを言ってくれるから、わたしにも、大事な、○○さんなんです」

と、由美ちゃんに改めて言う、まひるです。

「うん。わかっているわ。そういう意味では、○○さんと、まひるちゃんは、血がつながっているんだもの、当然だわ」

と、素直に白旗の由美ちゃんです。

そんなことになっているとは、つゆ知らずの僕は、沢村と湯村くんとしほりさんと楽しく話していました。


10時過ぎに、東京を出た新幹線は、微妙な時間だったせいか、指定席もそれほど、混んではいませんでした。

「ババ抜きやる?それとも神経衰弱?大貧民もいいわねー!」

と、トランプやらウノやら、テーブルゲームを多量に持ってきた佳乃さんは、大のゲーム好きなところを見せています。

「やっぱり、人間と人間の戦いが、一番おもしろいのよね!」

と、いつもよりテンション高めの佳乃さんです。

「佳乃さん、ゲームは、何でも強いんだから!」

と、由美ちゃんは、僕にこっそり、耳打ちです。

「そうなの?なんか、おっとり、してそうな感じだけどね」

と、僕が言うと、

「お弟子さん相手に特訓しているみたいよ。相当強いんだって」

と、彼女の秘密を暴露するのが、うれしいのか、やけにうれしそうな由美ちゃんです。

「そういえば、○○さん。まひるちゃんに、佳乃さんのところで、修行しておけって、アドバイスしたんだって?」

と、早速、由美ちゃんは、僕に探りをいれています。

「あ?ああ。彼女の、理想の男性のレベルが、高かったんでね。だったら、その相手に見合うような自分になっておけって、言ったのさ」

と、僕は素直に説明です。

「ああ。それで、佳乃さんのところで、修行しろって・・・」

と、由美ちゃんは、改めて理解したようです。

「由美ちゃんだって、佳乃さんだって、素晴らしい女性だろ?彼女達みたいになりたけりゃ、それに見合う修行しなきゃって、言ったのさ」

と、僕は素直に話しています。

「違うかい?由美ちゃん?」

と、僕が、由美ちゃんの目を見つめながら、言うと、

由美ちゃんは、急に、赤くなります。

そして、その表情を手で隠しながら、

「もう、○○さんったら、こんなとこで・・・恥ずかしいわ」

と、小さくつぶやきます。

「え、何のこと?」

と、言った本人は、自分のしたことが、よくわかっていません。

「由美さん、どうか、したの?」

と、隣の四人掛けシートから、佳乃さんが、心配しています。

「うーん、なんだか、よくわからないけど、ちょっと酔ったのかもしれませんね」

と、僕が笑うと、

「ほんと、誰かに、酔わされたのよ!」

と、小さくつぶやく由美ちゃんなのでした。


沢村は、湯村くんの隣で、楽しくトランプの続きをしていましたが、

ハッとしたように、あることを、思い出します。

「そういえば、湯村くん、ちょっとさっき気づいたんだけど・・・」

と、沢村は、真面目な表情で、湯村くんを見ます。

「湯村くん、確認したいことがあるって、さっき言ってたけど・・・」

と、沢村は、一気に言うと、

「それって、何?それとも、僕らに言えないことかな?」

と、目をキラリとさせながら、湯村くんに聞きます。

湯村くんは、一瞬止まりますが、

「これは、未確認の情報なのですが・・・」

と、話し始めます。

「京福寺は、幕府には、内緒で、義経の魂を、密かに鎮魂した鎌倉の七神社と、裏でつながっていたかもしれない、という話を聞いたことがあるんです!」

と、湯村くんは、驚愕の事実を暴露するのでした。

「義経の魂の鎮魂!」

と、沢村が、叫ぶと、

「それは静とのつながりかも!」

と、僕も驚くのでした。

他の女性達は、そんな男たちをただ、見つめるだけでした。


新幹線は、速度を上げて、京都に向かっているのでした。

(つづく)