東京 根岸
子規の根岸の里にも、戦いの嵐は押し寄せている。戦地から送られてくる従軍記者からの記事で、
新聞日本の紙面も活況を体するようになり、社の連中が従軍記者としてどんどん出ていった。
いやぁ、「新聞日本」の社屋がいいですねえ。もう明治の世の中がしっかり再現されています。
従軍記者さんもなんか当時っぽい風情で、いいですなあ。楽しいですなあ(笑)。
と従軍記者さんが、ちょっとした気負いを見せながら微笑んでいます。それに対してちょっと寂しそうなのぼさんです。
「行ってまいります」
「弾にあたらないよう気をつけてください」そりゃ、そんな言葉もでますよねぇ。陸羯南さん、ひとがいいですからね(笑)。
「お心遣いありがとうございます。正岡、後は頼んだぞ」と、言われる、のぼさんちょっと落ち込ん出る風です。それでもなんとか、
「は」と返事。
「清国についたら、よい記事をどしどし送るからな、楽しみにまっておれ。それでは陸先生、失礼します」どうものぼさん、うらやましいんですな(笑)。
「バンザーイ」「バンザーイ」なんて声を聞きながら、羨望のまなざしです。と、本の森に囲まれ、何かを考えているのぼさんです。
「先生、あしも」となんと、編集部は、陸先生とのぼさん、二人だけじゃないですか(笑)。
「あしも従軍させてもらえんじゃろか」新しもの好きでなんにでも興味をもつひとですからね、のぼさんは。その気持ちはわからんでもないが(笑)。
「正岡くん」それは言わない約束だよ、という感じの陸先生なのでした。
「わかっとります」とのぼさん。
「あしの体のことを心配して頂いているのはありがとうございます」そうだよねえ、ひと一倍心配してくれてる陸先生だもんねえ(笑)。
「じゃが、ひとりまたひとり同僚が戦場に旅立つ。あしひとりだけが」ちょっと寂しいんですね。多分同時代の人間だったら、しっかりわかる話なんでしょうね。
何かに置いていかれる、そういう焦燥感。自分も現場に立ちたい、何か国のため、お役にたちたい、という「国」という新しい概念に対して、
はじめてもった、感覚なのかもしれないですね。それに対してひたすら、恋している状態と言ってもいいのでしょうか。それが、こののぼさんによって、
表現されていますねぇ。
「君には、蕪村の発掘というおお仕事があるではないですか」と、痛いところを突かれるのぼさんでした。そうだよねえ、のぼさんにしか、できない仕事
だからねぇ。それに体だって悪いわけだし、でも陸先生もそういうのぼさんの痛いほどの恋の気持ちをわかっているからこそ、
気持ちを鬼にして、引き止めているんですね。お互いがお互いの気持ちをわかっていながら、それでも一方は国というものへの恋心に拘泥し、
一方は、のぼさんそのもののあり方に思いをもっているわけですねぇ。ナニゲないシーンなのに、それを表現している。いやいや、まいります。
「古い句に仕事をあてるという仕事は、土蔵の暗がりを這いずり回るようなもんです」と、突然立ち上がりながらのぼさんは決然と表明します。
「そこがあなたの戦場です」とひきとめるんですね。あくまで。
「五月雨をあつめて早し最上川。芭蕉のこの句より、五月雨や大河を前に家二軒」と、陸先生は、例をだし、
「蕪村のこの句の方が、いきいきと情景が目に浮かび、優れている。そう評した君は卓越でした」とのぼさんを勇気づけます。国家への恋心をなんとかさまさせようと
やっきになっていますね。
「あしは」それでも恋は終わらないのぼさんです。
「春の水、山なき国を流れけり。これはどうです」陸先生も執拗です。追い打ちをかけます。
「山なき国というのは、いけません」とのぼさん、本分に立ち返ると強い攻撃力を見せます(笑)。陸先生にうまく載せられてます。
「なにゆえ」と、ちゃあんと本分に帰らせ、語らせる陸先生です(笑)。
「山なき国とは、なんでしょう。関東の武蔵野あたりかもしれんが、そういう地理的観念にたよるんは、よくない思います」と、自分なりの見解を示し、
「俳句というもんは、情景がすぐ浮かんでこんと。つまり俳句とは写生です」と、後にのぼさんの評価を決定ずけた句境にたどり着いたことを明示するわけです。
「写生ですか」とわかっていてとぼけているのか、初めて知るのか、ちょっとわからない陸先生です(笑)。
「はい」と、うれしそうなのぼさんです。
「ほうら、君も戦っているじゃないですか」いやあ、陸先生は、教育者として素晴らしいですね。
そんな顔して陸先生に見つめられ、のぼさんも自分で戦っていることに気づくんですね。ちょっとびっくりした感じがのぼさんらしい。
だけど・・・あしは・・・という恋心をあきらめきれない、のぼさんなのでした。
さて、このシーンで表現されたことは、何だったのでしょう。
従軍したいのぼさんと、それをひきとめ、のぼさん自身も今、自分の戦場で戦っていることをのぼさん自身にわからせる陸先生。
その戦場とは、俳句の世界であり、蕪村の再評価という仕事である。さらにのぼさんが、新たな句境を開きつつあることを指摘している。
それだけのことをしていながら、あくまで、のぼさんは、国家というこの新しい概念に対し、恋心を抱き、自分もこれに対して、
何かしてあげたい、何かできることはないのか、それこそ、従軍することだ、と痛い気な気持ちで、これを見つめている明治人の典型的な姿を
表現しています。これは司馬さんが原作で書いていることでもあり、この短いシーンの中にそれらが凝縮されて表現されていることが、
内容を濃くしています。つまりは、のぼさんを通して、明治人の典型的態度や考え方、と、現実の正岡子規の仕事を同時に表現していると
考えるのが妥当だと思えます。ある意味、のぼさんの仕事の紹介でもありますねえ。この場合、アゲたのは、のぼさんと、陸先生ということに
なるでしょうか。お互いを使いながらお互いをアゲてるわけです。そして、明治人という存在もアゲている。
よくできたシーンと言えるでしょう。
ここは原作の余談やその他をまとめてつくられたシーンですからね。
日本人の美徳という観点からみると、それこそ、明治人の国家に対する素朴な恋心といったモノが表現されていると見るべきでしょうか。
と、冒頭のシーンに出てくる3人で撮った写真がおいてあります。
ということはこの時期、3人で撮ったのでしょうか。出征前、でも、秋山家はもう松山にないし、
みんな東京にいるし、とすると、この後ろの城はどこか?という話になりますが、まあ、それは誰かが教えてくれるでしょう(笑)。
と、どこかで「かちん」「かちん」と何か音がしています。
「ただいま」
とこれは、久しぶり「りーさん」の声です。今回はこれが初めての登場ですかね。ま、戦争のシーンが多かったですから。っていうか、淳さんまだ、
登場してないしね。とりーさんが部屋に入ってきて、音のする方をさがしています。「かちん」「かちん」という音だけが響いています。
そして、ふと、外を見ると不思議そうに
「あにさん」とみつめています。
「なにをしておいでじゃ?」とのぼさんに聞きます。さっきからの「かちん」「かちん」はのぼさんだったんですね。
「見ればおわかりじゃろ」と「はんかち」にもみじが写し取られています。
「あ」やわらかな表情になりながら、りーさんが、ゆっくりと近寄ってきます。縁側に座ると
「こわい顔で、なにをしておいでじゃろと思ったら」と、静かにのぼさんを見ています。
「さっき庭に出たら、カエデの葉がこの世のものとも思えんほど、鮮やかに色づいとった」とこちらもゆっくりと説明するのぼさんでした。
「できれば、その赤を永遠のモノにしたいと思ったのじゃ」と石で叩きながら、静かに言うのぼさん。なにかにとりつかれたように、美しさに対する執念のような
ものを感じます。あまり自分に時間の残されていないことを感じながら、なにかを残したい、そんな気持ちがのぼさんにこんなことをさせているのかもしれません。
そんなことをなんとなく感じ、りーさんは少し悲しげな表情です。
「今頃淳さんは軍艦を乗り回し、淳さんのあにさんは、満州の大地をうまで駆け巡ってるじゃろ」のぼさんの中にある、国家への恋心がこんな行動を起こさせているのかもしれません。
淳さんや好古さんへのあこがれと今の自分に対する悲しみが、このような行動にでているのでしょう。
「それにひきかえ、あしは、庭の踏み石でもみじ打ちじゃあ」はかない自分への思いと何かを残したい執着。それが、この行動なのでしょう。
もみじの赤が、きれいにハンカチに移っています。
それらすべての気持ちを察して、泣きそうになりながら、その写しをみて、やわらかな表情になるりーさんです。
「ほんとに、きれいじゃねぇ」今りーさんにできることは、そう言ってあげるくらいなのでした。それだけがのぼさんの気持ちをやわらげること、
だと彼女は知っているんです。
「じゃろ」そうやって、のぼさんは一杯の笑顔で答えます。その笑顔をみて、りーさんもうれしくなるのでした。すべてがわかってるから、泣きそうになりながら。
それでも泣いたらいかんと、その気持ちをふりきりながら、さびしそうに、笑顔をつづけるりーさんなのでした。でも、涙は流れてしまうのでした。
そして、のぼさんもまた泣いていたのでした。つらい今の自分の状況を。
いやあ、いいシーンですなあ。思わず涙線決壊です。
どうも管ちゃんの演技がうますぎて、このひとが出てくるとほんと泣かされてしまいます。ほんとにうまい役者さんです。
たんたんと演じるのぼさんもねえ。ほんとになにげないシーンなんだけど、情感がぐっと刺激されて、涙してしまいます。
この二人は、お互い思いやるので、どんどんどんどん、悲劇的になればなるほど、つらい状況が強調されて伝わってくるんだよね。
いや、お互い思いやりながら、でも感情は動いてしまう。それに抗おうとするから、余計感情が動くという、そういう関係なので、
複雑な芝居が必要なんだけど、それをしっかり、この二人は演じているからねー。いやいや、またやられました、のぼさんとりーさんに。
この二人には、最初からやられっぱなしだ。ほんと。
さて、このシーンは何を表現しようとしてたか。
ここは、シンプルに淳さんや好古さんにあこがれ、そして、はかない自分への思いをもったのぼさんと、そののぼさんを思いやるリーさん、
という描写でしょうね。のぼさんの恋心と、兄弟の情愛のやりあい、それをシンプルに描いたとみることができます。
のぼさんの恋心を描くことで、明治人の心情を描き、情愛を描くことで、明治人のもっていた、情愛の深さをみせたかった、というあたりが、
脚本意図になると思います。ここは、二人をアゲたんでしょうね。日本人的美徳という観点から見ると、やはり、りーさんとのぼさんのみせる
細やかな情愛でしょう。相手のことを思いやり、感情まで抑える。だけど、抑えられない感情もそこにはあるんだよ、それだけ深い関係性なんだよ、と
そういう感性をもっていた明治人達だった、ということを表現しているんでしょうね。
この二人がでてくると、ホッとします。いまや、このドラマのオアシスと化しています。
さて、淳さんやっと出てきました。暗闇の淳さん。
翌明治28年1月、連合艦隊は、清国北洋艦隊が立てこもる威海衛の攻略を始めた。
暗闇の中、淳さんは甲板上に座り、豆を食いながら、なにかものを考えているようです。
とそこへ、豆がらをひろいながら、淳さんとコンビの原田水兵さん登場です。
「よか作戦は浮かびましたか」とすっかり慣れた様子。
「甲板に豆がらが散らばっているときには、航海士がけんかの作戦をば、考えようときですけん」といいコンビぶりを発揮しています。
淳さんもそのセリフには、ニヤリとしています。
「海図の用意終わりました」と、そういう声が響いて、
「航海士はこちらにおられます」と原田くん、声を張り上げます。と、
「おお、皆いくぞ」と水兵さんの一団がやってきて淳さんのまわりに集まり
「航海準備よろし」とひとりの水兵さんが報告します。淳さんの部下というわけでしょうかね。
「いよいよ明日から攻撃開始じゃ」と淳さん訓示たれてます。
「は」と若い水兵さんの声です。
「油断するなよ」と淳さん気合入れてます。
「敵の砲台の威力は、相当なもんじゃ」といきなり脅しかけてるけどいいのかね(笑)。
「は」と若い水兵さんたちは、気合いれてます。
「新しい褌はあるか。ええか、褌はな、心を丹田に落ち着け、逆上を防ぎ、知力と気力の働きを自在にしてくれるんじゃ」
とこれは、淳さんの有名な褌理論ですね。というか、「シコふんじゃった」の淳さんが言うんですから、感慨が深い(笑)。
「明日は新しいのをきつうに締めて行け」と皆をみつめる淳さんです。
「は」水兵さんも淳さんを信じきってます。
「食うか?」例の豆ですな(笑)。
「は。頂きます」原田くんを始めとして皆慣れているみたいですね。
「ちっと寄れや」と豆あげ大会がはじまります。
「こいつを食うと元気がでよります」とか、水兵さんたち、素直です。
「わしもじゃ」とみなさん元気です。と原田くん、自分用の豆袋をだします。
「おまえももっとったんか」と言われるとちょっと恥ずかしそうに
「つくったとです」だそうです。
「こいつ航海士に心酔しておりますけ」と冷やかされてかわいい原田くんです。うーんなんか、死亡フラグっぽいんだけど(笑)。
「頂きます」原田くん、うれしそうです。
「これは、わしのけんかのおまもりです」ますますやばいぞ、原田くーん。
「はははは」と水兵さんたち、団欒のひとときです。
「頂きます」こういう時くらいだろうしね、リラックスするのは。
「もっととれ」こういう感じが、隊の団結をつくるんだろうねぇ・・・。しかし、フラグ立ちまくったぞぉ・・・。
「東口砲台かんぱーん」
翌日、連合艦隊は、清国の陸上砲台に、艦砲射撃を敢行した。
ということは、砲台に向かって撃っているわけですから、向こうも必死になって撃ってくるという
ことですね。もう、水しぶきがあがりまくり、かなり撃たれてるのが明白。
砲弾が装填され、主砲をうっています。
「さいしょく右、ひかりはんてんに、距離ふたじゅー」
とか言ってる間に、至近距離に命中しています。
淳さんは機器を扱い何かを測っているみたいです。
「変針」
「27.60」
「は」
「4千3百」
「一等砲台、距離4千3百」
砲台までの距離を測ってたんですね。それで、主砲の角度とか決めるのでしょう。
「進路502」
「変針了解」てきぱきと仕事を進める淳さんです。
「ひとさん、ひとはち」
「ひとさん、ひとはち、とうがいに」と、ドゴーンと弾が船体に当たったようです。皆ひっくりかえります。
「マストに被弾」
「戦闘旗ようしゃ」
「戦闘旗が落ちました」戦闘旗とは、信号旗のことでしょうか。淳さんは最も信頼する部下を呼びます。
「原田」
「はい」
「つけなおしてこい」
「はい」
「旗がおりぬとこうくうんになってしまう。頼んだぞ」ちょっとよくわからんのですが、まあ、頼んだぞということですね。
「マスト上りだったら、誰にも負けません。まかしとってください」うわ、死亡フラグズドーン。
原田くん一世一代の走りです。思い切り気合入れてマストに登っていきます。
「変針まであと12分」それを聞いた部下が、外に駆け出し、だれかに報告にいくと、そこに砲弾が被弾!。
人間がクラッシュされます。粉々です。悲惨なシーン続出。部下はそれで即死してしまいます。砲弾は続けざまに
船体におち、多くの人間がクラッシュされていきます。肉片がとび、血が大量に流れます。
淳さんの近くにも被弾、構造物が落下してきます。
いろいろなモノが破壊され、叩き付けられた淳さんはやっと起き上がります。
しかし、耳が聞こえないようです。音が消えた世界。
淳さんは、耳を抑えながら、何が起こったかを確認しようとしています。
部下が気がついて、何かを言っているようですが、何も聞こえません。外に出ると、構造物が折れ、かなり破損しています。
かなりの人間が倒れ、声をあげているのもいます。負傷しながらも必死に指示をだしているものもいます。
しかし、音はなにひとつ聞こえてきません。真之はなにかを見つけようと必死に歩きだしますが、
何かかつて知ったものを踏み、それを確認します。それは、真之があげた豆でした。
その豆がどこからでてきたのか、探しながら目で追うと、そこには、血だらけになった原田の遺体が・・・。
「原田・・・」駆け寄って声をかけます。
「原田!、原田!」しかし、遺体は動きません。あの原田が自分でつくった豆袋が近くにおちていました
また、一発砲弾が近くに被弾します。真之は、その原田の豆袋を拾い、避難します。
突然音が戻ったのか、普通に戻り、部下に指示を出し始めます。
それでも、続けざまに被弾する船体なのでした。
さて、ここは、2つのシーンを続けて考えたほうが、よさそうですね。
前のシーンでは、真之と部下の水兵達との絆と団欒。
そして、本シーンで、部下達の死と戦争の現実が描かれました。部下達の死のシンボルとして、原田水兵の死が描かれたんですね。
このシーンは、この回の冒頭にある東郷による高陞号の撃沈にいたるシーンと対をなしています。前者が勝者を書いたのに対して、
こちらは、完全に負けてはいませんが、敗者側の悲劇を描きだしています。このシーンを描くことにより、より内容がお互い強調され、
さらに、戦争賛美だけではない、内容のある骨太なドラマという構成もしっかりとつくりあげています。そういう意味では、戦争を
扱う場合、こういうシーンは構成上、絶対に必要となってくるはずです。
いやあ、しかし、人間がクラッシュされるシーンはすごかったですね。もう、ギリギリの感じで表現していました。
まあ、水兵さんたちのフラグが前シーンであまりにも立ちすぎたんで、次のシーンどうなるかな?とは思っていたんですが、案の定でした。
まあ、わかりやすいシンプルな作りとでも言っておきましょう。
要は、この2つのシーンで、冒頭のシーンと対をなし、戦争というものを両面から描いた、かっこいい面と悲惨な現実、ということでしょう。
そして、このシーンが、次の真之につながっていきます。アゲたものもなければ、サゲたものもないですね。
日本人の美徳というのも、ここには入り込んでいない。とにかく、戦争の悲惨な現実がここに描かれています。
と、この記事は、ここまで。いやあ、原田くん、わかりやすいフラグ立ちでしたが、かわいそうでしたね。
やはり悲惨さを表現するところを書くのは、こちらも厳しい感じになります。精神的に疲れますね。
それに、淳さんの部下達が、若いんだよねぇ。自分もまわりに若い人間がいますが、
そういう人間達が、自分の言ったことで、死んでしまったら、と考えると、
厳しいものがあります。現実的に自分にあったら、と考えると、
今後の真之の心情がよくわかりますね。それだけ真之の神経が繊細だったと
言えるでしょうねぇ。ほんと、戦争はこわい。あってはならないものだと、
よくわかりました。
しかし、この文章書くのは、思ったよりきつかったです。とにかく、疲れた・・・(笑)。
映像を見てるだけでなく、一度記憶し、咀嚼し、検討し、何らかの答えを得て、文章化するわけですから、
映像を見てるだけ、より何倍も疲れます。悲惨な情景をそれだけ、何回も感じなければ、いけないわけですからねぇ。
ちょっときつかったです(苦笑)。やはりきついシーンは人間に負担をかけるんですね。
というわけで、今回はここで、ダウン(笑)。
というわけで、ここまで読んで頂いたみなさん、ありがとうございました。
また次の記事で、お会いしましょう。お疲れさまでした。
子規の根岸の里にも、戦いの嵐は押し寄せている。戦地から送られてくる従軍記者からの記事で、
新聞日本の紙面も活況を体するようになり、社の連中が従軍記者としてどんどん出ていった。
いやぁ、「新聞日本」の社屋がいいですねえ。もう明治の世の中がしっかり再現されています。
従軍記者さんもなんか当時っぽい風情で、いいですなあ。楽しいですなあ(笑)。
と従軍記者さんが、ちょっとした気負いを見せながら微笑んでいます。それに対してちょっと寂しそうなのぼさんです。
「行ってまいります」
「弾にあたらないよう気をつけてください」そりゃ、そんな言葉もでますよねぇ。陸羯南さん、ひとがいいですからね(笑)。
「お心遣いありがとうございます。正岡、後は頼んだぞ」と、言われる、のぼさんちょっと落ち込ん出る風です。それでもなんとか、
「は」と返事。
「清国についたら、よい記事をどしどし送るからな、楽しみにまっておれ。それでは陸先生、失礼します」どうものぼさん、うらやましいんですな(笑)。
「バンザーイ」「バンザーイ」なんて声を聞きながら、羨望のまなざしです。と、本の森に囲まれ、何かを考えているのぼさんです。
「先生、あしも」となんと、編集部は、陸先生とのぼさん、二人だけじゃないですか(笑)。
「あしも従軍させてもらえんじゃろか」新しもの好きでなんにでも興味をもつひとですからね、のぼさんは。その気持ちはわからんでもないが(笑)。
「正岡くん」それは言わない約束だよ、という感じの陸先生なのでした。
「わかっとります」とのぼさん。
「あしの体のことを心配して頂いているのはありがとうございます」そうだよねえ、ひと一倍心配してくれてる陸先生だもんねえ(笑)。
「じゃが、ひとりまたひとり同僚が戦場に旅立つ。あしひとりだけが」ちょっと寂しいんですね。多分同時代の人間だったら、しっかりわかる話なんでしょうね。
何かに置いていかれる、そういう焦燥感。自分も現場に立ちたい、何か国のため、お役にたちたい、という「国」という新しい概念に対して、
はじめてもった、感覚なのかもしれないですね。それに対してひたすら、恋している状態と言ってもいいのでしょうか。それが、こののぼさんによって、
表現されていますねぇ。
「君には、蕪村の発掘というおお仕事があるではないですか」と、痛いところを突かれるのぼさんでした。そうだよねえ、のぼさんにしか、できない仕事
だからねぇ。それに体だって悪いわけだし、でも陸先生もそういうのぼさんの痛いほどの恋の気持ちをわかっているからこそ、
気持ちを鬼にして、引き止めているんですね。お互いがお互いの気持ちをわかっていながら、それでも一方は国というものへの恋心に拘泥し、
一方は、のぼさんそのもののあり方に思いをもっているわけですねぇ。ナニゲないシーンなのに、それを表現している。いやいや、まいります。
「古い句に仕事をあてるという仕事は、土蔵の暗がりを這いずり回るようなもんです」と、突然立ち上がりながらのぼさんは決然と表明します。
「そこがあなたの戦場です」とひきとめるんですね。あくまで。
「五月雨をあつめて早し最上川。芭蕉のこの句より、五月雨や大河を前に家二軒」と、陸先生は、例をだし、
「蕪村のこの句の方が、いきいきと情景が目に浮かび、優れている。そう評した君は卓越でした」とのぼさんを勇気づけます。国家への恋心をなんとかさまさせようと
やっきになっていますね。
「あしは」それでも恋は終わらないのぼさんです。
「春の水、山なき国を流れけり。これはどうです」陸先生も執拗です。追い打ちをかけます。
「山なき国というのは、いけません」とのぼさん、本分に立ち返ると強い攻撃力を見せます(笑)。陸先生にうまく載せられてます。
「なにゆえ」と、ちゃあんと本分に帰らせ、語らせる陸先生です(笑)。
「山なき国とは、なんでしょう。関東の武蔵野あたりかもしれんが、そういう地理的観念にたよるんは、よくない思います」と、自分なりの見解を示し、
「俳句というもんは、情景がすぐ浮かんでこんと。つまり俳句とは写生です」と、後にのぼさんの評価を決定ずけた句境にたどり着いたことを明示するわけです。
「写生ですか」とわかっていてとぼけているのか、初めて知るのか、ちょっとわからない陸先生です(笑)。
「はい」と、うれしそうなのぼさんです。
「ほうら、君も戦っているじゃないですか」いやあ、陸先生は、教育者として素晴らしいですね。
そんな顔して陸先生に見つめられ、のぼさんも自分で戦っていることに気づくんですね。ちょっとびっくりした感じがのぼさんらしい。
だけど・・・あしは・・・という恋心をあきらめきれない、のぼさんなのでした。
さて、このシーンで表現されたことは、何だったのでしょう。
従軍したいのぼさんと、それをひきとめ、のぼさん自身も今、自分の戦場で戦っていることをのぼさん自身にわからせる陸先生。
その戦場とは、俳句の世界であり、蕪村の再評価という仕事である。さらにのぼさんが、新たな句境を開きつつあることを指摘している。
それだけのことをしていながら、あくまで、のぼさんは、国家というこの新しい概念に対し、恋心を抱き、自分もこれに対して、
何かしてあげたい、何かできることはないのか、それこそ、従軍することだ、と痛い気な気持ちで、これを見つめている明治人の典型的な姿を
表現しています。これは司馬さんが原作で書いていることでもあり、この短いシーンの中にそれらが凝縮されて表現されていることが、
内容を濃くしています。つまりは、のぼさんを通して、明治人の典型的態度や考え方、と、現実の正岡子規の仕事を同時に表現していると
考えるのが妥当だと思えます。ある意味、のぼさんの仕事の紹介でもありますねえ。この場合、アゲたのは、のぼさんと、陸先生ということに
なるでしょうか。お互いを使いながらお互いをアゲてるわけです。そして、明治人という存在もアゲている。
よくできたシーンと言えるでしょう。
ここは原作の余談やその他をまとめてつくられたシーンですからね。
日本人の美徳という観点からみると、それこそ、明治人の国家に対する素朴な恋心といったモノが表現されていると見るべきでしょうか。
と、冒頭のシーンに出てくる3人で撮った写真がおいてあります。
ということはこの時期、3人で撮ったのでしょうか。出征前、でも、秋山家はもう松山にないし、
みんな東京にいるし、とすると、この後ろの城はどこか?という話になりますが、まあ、それは誰かが教えてくれるでしょう(笑)。
と、どこかで「かちん」「かちん」と何か音がしています。
「ただいま」
とこれは、久しぶり「りーさん」の声です。今回はこれが初めての登場ですかね。ま、戦争のシーンが多かったですから。っていうか、淳さんまだ、
登場してないしね。とりーさんが部屋に入ってきて、音のする方をさがしています。「かちん」「かちん」という音だけが響いています。
そして、ふと、外を見ると不思議そうに
「あにさん」とみつめています。
「なにをしておいでじゃ?」とのぼさんに聞きます。さっきからの「かちん」「かちん」はのぼさんだったんですね。
「見ればおわかりじゃろ」と「はんかち」にもみじが写し取られています。
「あ」やわらかな表情になりながら、りーさんが、ゆっくりと近寄ってきます。縁側に座ると
「こわい顔で、なにをしておいでじゃろと思ったら」と、静かにのぼさんを見ています。
「さっき庭に出たら、カエデの葉がこの世のものとも思えんほど、鮮やかに色づいとった」とこちらもゆっくりと説明するのぼさんでした。
「できれば、その赤を永遠のモノにしたいと思ったのじゃ」と石で叩きながら、静かに言うのぼさん。なにかにとりつかれたように、美しさに対する執念のような
ものを感じます。あまり自分に時間の残されていないことを感じながら、なにかを残したい、そんな気持ちがのぼさんにこんなことをさせているのかもしれません。
そんなことをなんとなく感じ、りーさんは少し悲しげな表情です。
「今頃淳さんは軍艦を乗り回し、淳さんのあにさんは、満州の大地をうまで駆け巡ってるじゃろ」のぼさんの中にある、国家への恋心がこんな行動を起こさせているのかもしれません。
淳さんや好古さんへのあこがれと今の自分に対する悲しみが、このような行動にでているのでしょう。
「それにひきかえ、あしは、庭の踏み石でもみじ打ちじゃあ」はかない自分への思いと何かを残したい執着。それが、この行動なのでしょう。
もみじの赤が、きれいにハンカチに移っています。
それらすべての気持ちを察して、泣きそうになりながら、その写しをみて、やわらかな表情になるりーさんです。
「ほんとに、きれいじゃねぇ」今りーさんにできることは、そう言ってあげるくらいなのでした。それだけがのぼさんの気持ちをやわらげること、
だと彼女は知っているんです。
「じゃろ」そうやって、のぼさんは一杯の笑顔で答えます。その笑顔をみて、りーさんもうれしくなるのでした。すべてがわかってるから、泣きそうになりながら。
それでも泣いたらいかんと、その気持ちをふりきりながら、さびしそうに、笑顔をつづけるりーさんなのでした。でも、涙は流れてしまうのでした。
そして、のぼさんもまた泣いていたのでした。つらい今の自分の状況を。
いやあ、いいシーンですなあ。思わず涙線決壊です。
どうも管ちゃんの演技がうますぎて、このひとが出てくるとほんと泣かされてしまいます。ほんとにうまい役者さんです。
たんたんと演じるのぼさんもねえ。ほんとになにげないシーンなんだけど、情感がぐっと刺激されて、涙してしまいます。
この二人は、お互い思いやるので、どんどんどんどん、悲劇的になればなるほど、つらい状況が強調されて伝わってくるんだよね。
いや、お互い思いやりながら、でも感情は動いてしまう。それに抗おうとするから、余計感情が動くという、そういう関係なので、
複雑な芝居が必要なんだけど、それをしっかり、この二人は演じているからねー。いやいや、またやられました、のぼさんとりーさんに。
この二人には、最初からやられっぱなしだ。ほんと。
さて、このシーンは何を表現しようとしてたか。
ここは、シンプルに淳さんや好古さんにあこがれ、そして、はかない自分への思いをもったのぼさんと、そののぼさんを思いやるリーさん、
という描写でしょうね。のぼさんの恋心と、兄弟の情愛のやりあい、それをシンプルに描いたとみることができます。
のぼさんの恋心を描くことで、明治人の心情を描き、情愛を描くことで、明治人のもっていた、情愛の深さをみせたかった、というあたりが、
脚本意図になると思います。ここは、二人をアゲたんでしょうね。日本人的美徳という観点から見ると、やはり、りーさんとのぼさんのみせる
細やかな情愛でしょう。相手のことを思いやり、感情まで抑える。だけど、抑えられない感情もそこにはあるんだよ、それだけ深い関係性なんだよ、と
そういう感性をもっていた明治人達だった、ということを表現しているんでしょうね。
この二人がでてくると、ホッとします。いまや、このドラマのオアシスと化しています。
さて、淳さんやっと出てきました。暗闇の淳さん。
翌明治28年1月、連合艦隊は、清国北洋艦隊が立てこもる威海衛の攻略を始めた。
暗闇の中、淳さんは甲板上に座り、豆を食いながら、なにかものを考えているようです。
とそこへ、豆がらをひろいながら、淳さんとコンビの原田水兵さん登場です。
「よか作戦は浮かびましたか」とすっかり慣れた様子。
「甲板に豆がらが散らばっているときには、航海士がけんかの作戦をば、考えようときですけん」といいコンビぶりを発揮しています。
淳さんもそのセリフには、ニヤリとしています。
「海図の用意終わりました」と、そういう声が響いて、
「航海士はこちらにおられます」と原田くん、声を張り上げます。と、
「おお、皆いくぞ」と水兵さんの一団がやってきて淳さんのまわりに集まり
「航海準備よろし」とひとりの水兵さんが報告します。淳さんの部下というわけでしょうかね。
「いよいよ明日から攻撃開始じゃ」と淳さん訓示たれてます。
「は」と若い水兵さんの声です。
「油断するなよ」と淳さん気合入れてます。
「敵の砲台の威力は、相当なもんじゃ」といきなり脅しかけてるけどいいのかね(笑)。
「は」と若い水兵さんたちは、気合いれてます。
「新しい褌はあるか。ええか、褌はな、心を丹田に落ち着け、逆上を防ぎ、知力と気力の働きを自在にしてくれるんじゃ」
とこれは、淳さんの有名な褌理論ですね。というか、「シコふんじゃった」の淳さんが言うんですから、感慨が深い(笑)。
「明日は新しいのをきつうに締めて行け」と皆をみつめる淳さんです。
「は」水兵さんも淳さんを信じきってます。
「食うか?」例の豆ですな(笑)。
「は。頂きます」原田くんを始めとして皆慣れているみたいですね。
「ちっと寄れや」と豆あげ大会がはじまります。
「こいつを食うと元気がでよります」とか、水兵さんたち、素直です。
「わしもじゃ」とみなさん元気です。と原田くん、自分用の豆袋をだします。
「おまえももっとったんか」と言われるとちょっと恥ずかしそうに
「つくったとです」だそうです。
「こいつ航海士に心酔しておりますけ」と冷やかされてかわいい原田くんです。うーんなんか、死亡フラグっぽいんだけど(笑)。
「頂きます」原田くん、うれしそうです。
「これは、わしのけんかのおまもりです」ますますやばいぞ、原田くーん。
「はははは」と水兵さんたち、団欒のひとときです。
「頂きます」こういう時くらいだろうしね、リラックスするのは。
「もっととれ」こういう感じが、隊の団結をつくるんだろうねぇ・・・。しかし、フラグ立ちまくったぞぉ・・・。
「東口砲台かんぱーん」
翌日、連合艦隊は、清国の陸上砲台に、艦砲射撃を敢行した。
ということは、砲台に向かって撃っているわけですから、向こうも必死になって撃ってくるという
ことですね。もう、水しぶきがあがりまくり、かなり撃たれてるのが明白。
砲弾が装填され、主砲をうっています。
「さいしょく右、ひかりはんてんに、距離ふたじゅー」
とか言ってる間に、至近距離に命中しています。
淳さんは機器を扱い何かを測っているみたいです。
「変針」
「27.60」
「は」
「4千3百」
「一等砲台、距離4千3百」
砲台までの距離を測ってたんですね。それで、主砲の角度とか決めるのでしょう。
「進路502」
「変針了解」てきぱきと仕事を進める淳さんです。
「ひとさん、ひとはち」
「ひとさん、ひとはち、とうがいに」と、ドゴーンと弾が船体に当たったようです。皆ひっくりかえります。
「マストに被弾」
「戦闘旗ようしゃ」
「戦闘旗が落ちました」戦闘旗とは、信号旗のことでしょうか。淳さんは最も信頼する部下を呼びます。
「原田」
「はい」
「つけなおしてこい」
「はい」
「旗がおりぬとこうくうんになってしまう。頼んだぞ」ちょっとよくわからんのですが、まあ、頼んだぞということですね。
「マスト上りだったら、誰にも負けません。まかしとってください」うわ、死亡フラグズドーン。
原田くん一世一代の走りです。思い切り気合入れてマストに登っていきます。
「変針まであと12分」それを聞いた部下が、外に駆け出し、だれかに報告にいくと、そこに砲弾が被弾!。
人間がクラッシュされます。粉々です。悲惨なシーン続出。部下はそれで即死してしまいます。砲弾は続けざまに
船体におち、多くの人間がクラッシュされていきます。肉片がとび、血が大量に流れます。
淳さんの近くにも被弾、構造物が落下してきます。
いろいろなモノが破壊され、叩き付けられた淳さんはやっと起き上がります。
しかし、耳が聞こえないようです。音が消えた世界。
淳さんは、耳を抑えながら、何が起こったかを確認しようとしています。
部下が気がついて、何かを言っているようですが、何も聞こえません。外に出ると、構造物が折れ、かなり破損しています。
かなりの人間が倒れ、声をあげているのもいます。負傷しながらも必死に指示をだしているものもいます。
しかし、音はなにひとつ聞こえてきません。真之はなにかを見つけようと必死に歩きだしますが、
何かかつて知ったものを踏み、それを確認します。それは、真之があげた豆でした。
その豆がどこからでてきたのか、探しながら目で追うと、そこには、血だらけになった原田の遺体が・・・。
「原田・・・」駆け寄って声をかけます。
「原田!、原田!」しかし、遺体は動きません。あの原田が自分でつくった豆袋が近くにおちていました
また、一発砲弾が近くに被弾します。真之は、その原田の豆袋を拾い、避難します。
突然音が戻ったのか、普通に戻り、部下に指示を出し始めます。
それでも、続けざまに被弾する船体なのでした。
さて、ここは、2つのシーンを続けて考えたほうが、よさそうですね。
前のシーンでは、真之と部下の水兵達との絆と団欒。
そして、本シーンで、部下達の死と戦争の現実が描かれました。部下達の死のシンボルとして、原田水兵の死が描かれたんですね。
このシーンは、この回の冒頭にある東郷による高陞号の撃沈にいたるシーンと対をなしています。前者が勝者を書いたのに対して、
こちらは、完全に負けてはいませんが、敗者側の悲劇を描きだしています。このシーンを描くことにより、より内容がお互い強調され、
さらに、戦争賛美だけではない、内容のある骨太なドラマという構成もしっかりとつくりあげています。そういう意味では、戦争を
扱う場合、こういうシーンは構成上、絶対に必要となってくるはずです。
いやあ、しかし、人間がクラッシュされるシーンはすごかったですね。もう、ギリギリの感じで表現していました。
まあ、水兵さんたちのフラグが前シーンであまりにも立ちすぎたんで、次のシーンどうなるかな?とは思っていたんですが、案の定でした。
まあ、わかりやすいシンプルな作りとでも言っておきましょう。
要は、この2つのシーンで、冒頭のシーンと対をなし、戦争というものを両面から描いた、かっこいい面と悲惨な現実、ということでしょう。
そして、このシーンが、次の真之につながっていきます。アゲたものもなければ、サゲたものもないですね。
日本人の美徳というのも、ここには入り込んでいない。とにかく、戦争の悲惨な現実がここに描かれています。
と、この記事は、ここまで。いやあ、原田くん、わかりやすいフラグ立ちでしたが、かわいそうでしたね。
やはり悲惨さを表現するところを書くのは、こちらも厳しい感じになります。精神的に疲れますね。
それに、淳さんの部下達が、若いんだよねぇ。自分もまわりに若い人間がいますが、
そういう人間達が、自分の言ったことで、死んでしまったら、と考えると、
厳しいものがあります。現実的に自分にあったら、と考えると、
今後の真之の心情がよくわかりますね。それだけ真之の神経が繊細だったと
言えるでしょうねぇ。ほんと、戦争はこわい。あってはならないものだと、
よくわかりました。
しかし、この文章書くのは、思ったよりきつかったです。とにかく、疲れた・・・(笑)。
映像を見てるだけでなく、一度記憶し、咀嚼し、検討し、何らかの答えを得て、文章化するわけですから、
映像を見てるだけ、より何倍も疲れます。悲惨な情景をそれだけ、何回も感じなければ、いけないわけですからねぇ。
ちょっときつかったです(苦笑)。やはりきついシーンは人間に負担をかけるんですね。
というわけで、今回はここで、ダウン(笑)。
というわけで、ここまで読んで頂いたみなさん、ありがとうございました。
また次の記事で、お会いしましょう。お疲れさまでした。