「ゆるちょ・インサウスティ!」の「海の上の入道雲」

楽しいおしゃべりと、真実の追求をテーマに、楽しく歩いていきます。

坂の上の雲 第四話 「日清開戦」(2)

2009年12月25日 | ゆるちょ!のドラマ・レビュー!
首相 伊藤博文

と、伊藤さんのおうちに、陸奥さんが報告に来ております。
「イギリスの船を沈めた?」
平和主義者の伊藤さん、そりゃ、そんなこと聞かされたらお冠状態に
なるのは、あたりまえ。普通に考えれば、イギリスの船沈めりゃ、
大英帝国を敵に回しちゃうのと同じですからね。
そりゃ、前回あんだけ悩んで清国との戦争を決断したんですから、
「能なし」の一艦長に「みそ」つけられたと思っても
当然でしょう。
「詳しい事は今、捜索中です」
ま、第一報というやつです。何事も第一報で判断してはいけない、という
好例ですな。自分も慎もう(笑)。そして、伊藤さんここめちゃくちゃ大声で、
「なんちゅーことをしてくれたんじゃ!」
伊藤さん、大激昂です。
いやいや、だから、第一報ですから、それだけで、判断しちゃだめですって(笑)。
「艦長のなんちゅーた」
かなり感情的になってます。もちろん、日本を背負っている身ですからね、あたりまえです。
「東郷平八郎でごわす」
と、これは山本権兵衛。石坂浩二さん、登場です。
「直ちに罷免じゃ」
と、それを聞いて色をなす、山本さんです。
「待ってください。イギリス商船は、清国の陸兵を移送中でごわした」
ある程度情報を持っているんですね。だから、判断が違ってくる。
常に情報を得ること。これが、判断を狂わさない基本ですね。
「イギリスを敵にまわして、このいくさに勝ち目などあるか!」
と、こちらは首相です。日本の全てに責任をもっていますから、伊藤さんは、ちょっと過敏な反応になってます。
「東郷はイギリス商船学校の出、国際法にも精通しちょります。決して軽率な行動をとるような
男ではありもはん」
と、こちらは人物自体をよく知ってますから、その情報から、事態を別の立場で見られます。
「閣下。ここは様子を見ましょう。調べもつかんうちに東郷の首を切ったりすれば、却ってイギリスから
未熟な国と思われます」
とカミソリさん、さすがの判断です。過敏な伊藤の頭を冷やし、冷静な目で事実を直視し、事に対処する
リアリストとしての立場に目覚めています。「3人よれば、文殊の知恵」のいい例ですかね(笑)。
しかも、彼らの念頭にあったのは、「未熟な国」と思われたくない、ということなんですね。
これは、第一話のあの西田さんの言葉につながります。「紳士の国でない」日本が、
「紳士たらん」という希望をもっていた。だから、憲法も議会ももった「紳士になったつもり」の日本が、
さあ、どうふるまうのか、といったところでしょうか。この「「未熟な国」と思われる」というセリフは、
そこから、つながってきていて、この作品のひとつの主題になっていますね。

そして、首相たる伊藤の懊悩。やはり、首相はその重みが違います。なんかひげ黒々としていると、
将門公を彷彿とさせるんだけどね(笑)。

と、このシーンで表現しようとしたのは、事に対しての当時の日本の首脳の当然の反応ということでしょうね。
ちょっと驚いたけど、事態を静観し、冷静に判断しようとする日本の首脳たち、という作劇ですかね。
脚本意図としては、日本もちょっとびびった、というあたりでしょうか。
そして、「未熟な国」として、見られたくないという自尊心。首脳達の頭にそれがあったという、主題に
関連するシーンだったんですね。

特にアゲられた人物もいなけりゃ、サゲられた人物もいないですし。素直に「当初混乱した」ということだけ、
揚げておけばよいですか(笑)。
日本人の美徳を表現するという観点からは、やはり、優等生的に他国に配慮していた、ということを
あげるべきでしょう。それはやはり、世界に早く認められたいという意識の現れですね。
そして、国を滅ぼされる現実を目の当たりにしてきた、伊藤という存在が、
この日本の危機意識そのものを体現するものであったことを示しているということでしょう。
危機意識があったからこそ、その行動にでる。それが、ある意味、
この「明治」という時代と時代人をつくりあげていたのでしょう。


北京市街

このとき、北京の代理公使として、日清戦争前夜からの外交処理をしたのが、小村寿太郎である。
小男でめまぐるしく動きまわるところから、ねずみ公使というあだ名を列強外交団からつけられていた人物である。

当時の北京市街が生き生きと表現されてますねぇ。なんというか、その混乱ぶりというか。
また、この小村寿太郎をかつての秀吉さんがその怪しさ加減を思い切り演じていますね(笑)。たしかに、ねずみ公使
っぽいものね(笑)。

「久保。一服くれ」
「今きらしております」
「じゃ、買いに行こう」
「止めろ」
これ、「停車!」って言ってる?。まあ、漢字は漢の文字だろうけどさ。
「止めろ」
ってなわけで、小説では、北京の汚さを余談で説明していますが、ここはそういうシーンで説明ですね。
「うーわ、こりゃ、汚ねぇーなぁ。あーどっちじゃ。くさいくさいくさい」
と、まあ、地上はぐちゃぐちゃな感じです。にわとりは歩き回っているし、すごそうです。
「この国の汚さには、いつも閉口する。人も豚も犬も皆路上で大小便をし、臭気プンプンじゃあ」
とこの小村さんでも閉口なんですからね。そりゃ、すごいんでしょうねぇ(笑)。

「これをくれ」
とこの久保さんはなんと「車窓」のひとじゃないですか。正露丸のCMも一時やってたよね。
「いつもすまんの。事業に失敗した親のせいで、借金地獄。たばこも買えん。世界広しと言えども俺より
貧乏な外交人はおらんじゃろ。ははははは」とまあ、いけしゃあしゃあな感じ。食えない男ですな。
「招待状もないのに、行ってだいじょうぶでしょうか」と、普通はそういうこと考えるんですが。
「心配すんなー。ここらで清国に一発かましてやらんとなー。ハハハハ」と、このひとは別な目的があるようです。
やっぱり外交官はそれくらいでないと、ただの役人根性じゃ、だめです(笑)。そうか、その比較で、「車窓」さんが、
いるのか(笑)。

このとき北京では、二十四歳になった光緒帝の誕生祝いが盛大に行われていた。

いやぁ、京劇というか、ものっそ、本格的。いやぁ、やはり同じ亜細亜人だからなのか、三国志演義とか、
西遊記とか、中国文化に若いときから触れてるから、なんとなく見てると惹かれるものがありますね。
そういう意味では、日本という国自体も、そういう存在だったりするわけですけど。

もう池に船浮かべてお遊びなんて、最高じゃないすか。そういう感覚も中国的ですかねぇ(笑)。
いやいや、しかし、このシーンもお金かかってるねえ。贅沢です(笑)。

と、そこへねずみ大使一行がその小さな背を見せながら到着です。エキストラは全員でかい奴(笑)、
使ったんだろうねえ(笑)。ちょっと笑っちゃいますが(笑)。
「失礼!」
と靴元はさっきの汚いまま。もうここらへんの押し出し感いいですね。
「ハハハ、excellent!」
と、官僚久保さんはそれについていけないんですね。
「久保、こっちこい」
と呼ばれてくる久保さんですが、もう、一気にうろたえモード。
「もう、もどりましょう」
と小村さんにいいますが、なにしろ秀吉ですからね(笑)。そんなのへともおもっていない(笑)。
「飲もう!飲もう!」
と、もうやりたい放題です。
「小村さん」
とさらにうろたえる官僚久保さんです。
「あんまり、あの」
なんて言われても、意に関せずの秀吉さん。
「ほら、さ飲め」
とワインを手に全景をみながら、
「すーごいのー」
と素直に感想を述べています。とその秀吉公をイギリス人達が見つけるわけですね。
「誰だ、あの男は」
「あれが噂のネズミ公使だ。アッハハハ」ラッツミニスターとか言ってたな(笑)。もうとにかく大笑いだったりするわけです。
「しかし、よくぬけぬけと来られたものだな」まあ、ものごとのわからない黄色い猿とか、思っているんでしょうね(笑)。
ってなわけで、イギリスの現在の日本への悪感情が、表現されるわけです。
イギリス人は皆、冷たい目で、この秀吉公を見つめるんですね。

「なんだ、この刺すような視線は」とさすがの小村さんもそれに気づくわけです。冷静に。
「イギリスの連中です」官僚車窓さんは、ちゃんと指摘。
「おかんむりだな」もちろん外交官ですから、そこらへんは、しっかり認識。

と、ドラが鳴らされ
「李閣下のおめみえ」と大声でアナウンス。いいですね、このシーン。いかにも清国な感じで、ちょっと大仰な感じで。
で、ドラが「ぼわああああん」と鳴って、京劇の役者達もあいさつする中、李鴻章登場!。
いやあ、これがいかにもな李鴻章(笑)。うれしくなりますねぇ(笑)。それっぽさ満載。
ちゃあんと中国の俳優さん使ってるんだねぇ・・・いやあ、この贅沢感たまりません。もう存分に楽しんでいます(笑)。
「李鴻章です」と車窓さん。って、清国駐在の外交官なんだから、すでに知ってるだろ!って突っ込みはまあ、いいですか(笑)。

清国直隷総督 李鴻章

当時北京の代表的政治家は、李鴻章であった。
北京にいる列強外交団などは彼を東洋のビスマルクと褒めたし、
日本の外務省などでは、偉人ころがしの名人とも言った。

「今夜はお招き頂き光栄です」
「ようこそいらっしゃいました」

と、李鴻章はどっかの外国人と儀礼的おしゃべり。外国人は英語で、李さんは支那語なんですね。

清国朝鮮通商人臣 袁世凱

と袁世凱さんも登場です。いやいやいや、いいですなあ、このドラマは。中国の政治家もどんどん映像化です(笑)。
もうよだれがたれそうです、うれしくて(笑)。

「李閣下、日本の代理公使が来ています」と謀将袁さんです。
「よくもまあ、これたものだ。高陞号を撃沈しておきながら」そりゃそう考えるでしょうねえ、普通(笑)。
「これでイギリスは、必ずわが国のために動く」と当然考える李さんなわけですけど、ちょっと甘かった。
気分がよくなって、イギリス外交団に手まであげちゃうからね(笑)。
「さあ、凱旋将軍のようにイギリス外交団と乾杯しよう。高陞号に乗っていた一千の兵の冥福を祈り、
わが国の勝利のために」しかし、この役者さんもうまいね。いかにも、食えない政治家をしっかり表現している。そう伝わるからね。
役者の力量ってのは、すぐわかっちゃうから、ほんと役者さんも大変だろうねえ、とか言いながらまたまたうれしい悲鳴です(笑)。
なんつって、気分のいい李さんの前にでてきたのは、もちろん、このひとです。
「閣下お待ちください!」
って、誰?ってちゃんと李さん、その声に振り向いてるんですね(笑)。
「失礼、失礼」
と怪しく現れるのはもちろんこのお方達(笑)。
「皇帝陛下のお誕生日をお祝い申し上げます」しっかりとした、キングスイングリッシュ?だったかな(笑)。外交官はキングスイングリッシュを学んだ、
みたいなことをどこかで聞いたんですがね。まあ、堂々とした、あいさつの小村さんです。
「これはこれは。絶交書を頂いた国の代理公使殿に祝辞を頂くとは」このときの李さんの表情がよくてねぇ(笑)。もう、笑ってしまう。プロだプロ(笑)。
いかにも不審気な表情で、苦虫つぶした感じで、でも政治家だから、そこは言葉を無理にでもだす、と。いやあ、そういう感じがしっかり伝わるから、
ものっそ、おもしろいすよ。このシーン(笑)。というか、最後は「不可解」っていう文字がその顔に浮かんでるよね、確かに。
表情というのは、言葉を超えた言葉です。人類共通だわ。これは、あとで、のぼさんのシーンにつながってくるんですねぇ(笑)。いやはや、
よくできてるこのドラマは(笑)。
そして、李さん、一歩、小村さんに近づいて、話します。もちろん、上から俯瞰でとってるから、小村さんの背の低さが強調されております(笑)。ちゃんとね。
「この期にお聞きしたい事があります」
ちょっとやりこめてやろうという李さんなんですね。
「なんなりと」
「どっからでもかかってこい」、と小村さん果し合いを申込まれたサムライな感じです。
「見渡したところ、閣下の背丈が一番小さいですが、貴国の人々は閣下のように小さいのですか?」と、いわゆる万座の中での侮辱ですな。ま、李さんも怒ってますからね。
「残念ながら日本人は小そうございます。ただ、中には大きい者もおります。閣下のごとき大きい者は、
「ウドの大木」と申し、そういう者に国家の大事を任せられません」と、そこは秀吉公、ギュインギュイン頭がまわりますからね。イギリス人も意識しながら、
軽くいなして、ちょんです。天下の李鴻章も、秀吉公の前じゃ、「うどの大木」扱いですからねえ(笑)。
しかし、この言葉を聞いている李さんも、これがいいんだ(笑)。不満そうな無表情をしっかり演じてますからねぇ(笑)。
この顔、この表情、いやぁ、すげえ、おもしれー、腹かかえて笑う(笑)。してやられちゃった、李さんですからねぇ(笑)。

で、ちょっと不満そうに黙るんですが、表情を変えて、しゃれたジョークでも聞いた感じで、笑うわけです。攻撃したけど、まんまとうまく返されたということですね。
「ははははは」相手の器量に気づいて、「なかなかやるな、こいつ」、と彼を認めた瞬間ですね。
「はははは」とそれを気づかせたことに大満足の小村さんというわけです。いやあ、よくできてますな。そこらへんが、過不足なくしっかり描かれております。
「ネズミ閣下は、面白いことをおっしゃるのう」と相手をほめてやったわけですが、
「それともうひとつ。わが国では自国の兵は、自国の船で運びます。あなたの国のように、
大国の旗の下から、銃を撃つような卑怯なマネは、決していたしません」さらに倍返し(笑)。いやぁーおもしれー、快哉快哉。秀吉公さすがにただものでない(笑)。
で、痛いところ、突かれすぎて、今度は、李さん表情を戻せません。不快そのもので、黙ってしまいます。
んで、仕方ないんで、
「確かにネズミ閣下は面白いことをおっしゃる」と袁さんが事態の収拾を図るということですね。大政治家李さんを怒らせる失態まで、引き出すんですから、
どんだけ強いんだ、小村さん。
「わざわざ丁寧に」完敗の李さんでした。いやあ、しかし、演技力合戦になってるねぇ(笑)。いやあ、堪能しました。

英国汽船撃沈事件を巡っては、当初、英国の各紙はこれを批判し、英国外相は日本の責任を追求した。
だが結局、事態が明らかになるとともに、「浪速」の処置が合法であることがわかって、
英国側の態度も冷静になった。

さて、この小村さん久保さんの一連のシーンは何を表現したかったのでしょうか。
小村さんの紹介、清国の実情、清国首脳の紹介、やりこめられる李さんとやりこんだ小村さん、そして、当初不快がっていた英国と、その後、冷静になった英国、
といったところでしょうか。アゲたのは、小村さんで、サゲたのは、李さんですね。つまりは、清国首脳の観測は甘かった。清国首脳より日本外交官の方が
まさっていた、ということを主張した、ということでしょうか。あと、英国態度の変化ですね。つまるところは、清国首脳の甘さ、というところに
つきるでしょうか。小村さんと清国首脳を対比させることにより、その能力の差を見せつけた、というわけですね。
脚本意図としては、日本人小村さんの活躍を描く、といったところでしょうか。そうやって、日本人の気持ちをよくしておきながら、清国首脳の甘さも
描いているということですね。ま、普通に日本人だったら、気持ちいいシーンですわな。そして、ここは原作にもあるシーンですね。
日本人の美徳を描く、という面では、どうでしょうか。それは小村さんで表現されているわけですが、服装に頓着しない、大舞台でも萎縮することなく、
当意即妙で、自信をもって相手をやりこめる、ということでしょうか。小国日本の外交官(しかも代理公使)でねずみ大使と言われながら、
臆することなく、堂々と丁々発止。どこか、日本のサムライの果たしあいを感じさせました。やはり、気分においては、この時代の彼らは
サムライだったと言うことができるでしょうね(笑)。

と、今回はここまで、いやいや、書いていると楽しいんですが、なにしろ量が膨大になっちゃうんでねぇ。

少しずつ、書いていきたいと思います。

ここまで、読んでくださった方、ありがとうございます。

続きはまたの投稿で。

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