「ゆるちょ・インサウスティ!」の「海の上の入道雲」

楽しいおしゃべりと、真実の追求をテーマに、楽しく歩いていきます。

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今年最後は、自分分析(笑)

2009年12月31日 | アホな自分
ってなわけで、とうとう正月イブですな。

むかしTMネットワークの方が、紅白出る時の会見で、

ニューイヤーズ・イブとかいうしゃれた表現をされていましたが、

ま、自分的には正月イブとか元旦イブとか漢字カタカナ混在!の方が気分がでますなあ(笑)。

なんて、雰囲気で、我が家もてんてこ舞いになっておりますが、

もちろん、今日は大切な正月準備ショッピングの日。

というわけで、イトーヨーカドーは、いつもより3割増しくらいに、混んでますな(笑)。

「ほら、だから、テキパキだからね、今日は。もう、いつになっても終わらなくなるから、あなたは」

といきなりなぜか叱られる自分なわけです(笑)。

「わかってるって、もう、俺だっていい大人なんだから、そうひとまえで、突然叱るなよ。もう」

とぶつくさ言いながらついていくわけですが、

「どこが、おとななのよ・・・。まあ、叱るのはやめるけど、今日はがんばるのよ」

と、どこか、子供を諭す親のようです。

「はいはい。大丈夫だよ、おとななんだから・・・お、天津甘栗じゃん。これ、食いながら、熱燗をキューっとなんて」

と、お酒関係には、メッポウ弱い自分です。

「だから、天津甘栗って、正月にわざわざ、いらないでしょう?。ほら、いくわよ」

と、非常に現実的なのは、女性ですよね。夢見がちな男なんて、ばっさりです。

「いいじゃん、べつに。おせちも食べながら、天津甘栗も食べる。もう、天国だよねぇ(笑)」

基本的に甘えぐせのある人間のようですねぇ。いやいや、まあ、お馬鹿なんで仕方ありません。

「もう、仕様がないわねえ、これだけよ。無駄遣いは・・・」

と、結局折れてあげるのは、女性のやさしさなんでしょうね。

「いいじゃん、別にそんなに高いもんでもないんだから・・・。正月くらい、ぱぁーっとさ」

と基本的に、なーんも考えてないモードに入ってる自分なのでした。

「わかりました。もう、普段は「無駄遣いは、やめようね。がんばって生きていこうね、厳しい現代を」、なんて言ってるくせに」

と少しあてこすり。まあ、確かに普段そんなことを言っておるようですが、モードが違うと「んなもん知らんけんね」という態度の自分です(笑)。

「お、三つ葉あった。これがないと、お雑煮はしまらないよねぇ、これこれ」

と、変なこだわりをたまにみせる自分です。

「はい。あと雑煮用の鶏肉、買わなきゃ」

と、とにかく仕事はしっかり済ませようという真面目な女性のようです。

「「なると」買おうぜー。あれ、案外うまいんだよな」

対して、ほとんど本能のままに動いているな自分なわけですねー(笑)。

「はいはい。とにかく、正月用品のところに行かないと・・・」

とにかく任務をシビアに遂行しようとする工作員のような女性です。

「そういや、黒豆は煮たんだよな?。昆布巻きもつくったんだよね?」

となぜか確認する自分です。

「そうそう、見てたでしょ」

なんとなく女性の視線は懐疑的です。(笑)

「いやいや、確認のためだから」

と少しうろたえる自分です。

「もう、どうだか・・・」

割と答えがわかっている女性です。いやいや、女性の洞察力は、高いからねぇ(笑)。

「お、あそこらへんじゃないか?」

と話を変え、空気を変えることを図る自分です.

「そうそう、これこれ」

どうもその作戦は成功したようです。

「お、栗きんとん、やっぱこれでしょう!。お正月食品の決定版!(笑)」

とまたまた、本能のままの自分なのです。

「もう、なんで最初に、それなのよ。だから、あなたはいつまでたっても子供だって・・」

ま、そう思うのも無理はありませんねぇ(笑)。

「まあまあ、いいじゃない、一年に一回だけなんだから・・・」

とかなんとか、理由をつける自分なわけです。だって、好きなんだもん・・・(笑)。

「ええと、まず、紅白の蒲鉾・・・と、これこれ。あとお客さんどれくらいくるか、わからないから、なますは、多めに、と」

と、女性は常に冷静です。それにひきかえ・・・。

「お、いくらだ、いくら。これ好きなんだよね。大きいの、いいでしょう?」

またも、欲望のままです。いやいや、笑っちゃいます。

「ごめん。それ、もうひとつ小さいサイズにして。ちょっと高いから」

司令官は非常に冷静です。

「えええー。正月くらい、好きなもの食べようよー」

おもちゃをとりあげられた、子供状態です。自分(笑)。

「だから、ごめんなさいって言ってるでしょー」

精一杯の譲歩ということでしょうか?。司令官の腕の見せ所です。

「うーん、しょうがないなあ」

と、これは、当然の判断でしたね(笑)。

「煮物のつめあわせも、買っておこうかしら。不意にひとがきたとき、それでもたせておかなきゃだし・・・」

司令官は、常に全てを想定し、作戦遂行にいささかも、問題を生じさせないようにしております。

「お、数の子も、あるじゃん。このポリポリ感がいいんだよなあ」

それにひきかえ、さらに本能のままの、兵士です。

「それも、そっちの小さいのにして」

司令官の冷静な命令が下されます。

「ええええー」

兵士は、すでに駄々っ子状態です。

「さっき言ったでしょ」

司令官は母親のように、だだっこをあやします。

「うーん、はい」

だだっこも口をふさぎます。いやいや、ほんとおもしろいね、これ(笑)。

「ええと、これは必要よね。わかさぎの串焼。これ、おじいちゃんが喜ぶし」

司令官は、現場にいない兵士についても、配慮します。

「おお、松前漬けの素じゃん。これ食べようぜ-。いやあ、熱燗に松前漬け。くぅーっ、考えただけでも、盛り上がるねえ」

兵士は相変わらず現場しか、みえていません。というより、欲望のまま、モード固定かよ(笑)。

「あなた、熱燗のことしか、考えてないみたいだけど・・・」

司令官にあたり前の疑惑が生じます。

「あたり前じゃん。正月って熱燗のためにあるんだぞ・・・」

兵士は突如として、革命的な私案を司令官につきつけております。

「わかったわ。あなたの考えはちょっとひととは、違うからね。しかも、滔々と説明しだす悪い癖があるし・・・」

司令官は兵士の癖を見切っているようです。

「お前な。ひとを壊れたカラオケセットみたいに言うな!。だいたいお前が・・」

兵士、痛いところをつかれて、叫びだしました。

「わかったわかった、わかりました。あとで、その話、聞いてあげるから、今は買い物に集中させて、ね。いい子だから!」

司令官、母親モードに変更し、兵士を抑えに入ります。

「うん。わかればそれでよろしい」

単純な兵士は、簡単に処理されました(笑)。

「ええと、あとは、「年越しそば」用のそばと・・・、天ぷらは、このお惣菜セットのを使いましょう」

司令官は、現実的な対応をその場その場で繰り返しております。

「あれ、そういや、伊達巻買ってないぞ。あれも、正月のエースのひとりだからねー」

兵士は、相変わらず欲望のままに、振舞っているようです。

「はいはい。そうね、伊達巻伊達巻」

司令官は兵士をなだめながら、作戦を遂行していきます。

「この長いのは、どう?」

兵士、自分の好きな案を司令官に提案します。

「うーん、ごめんなさい」

どうも、却下された模様です。

「え、やっぱりだめ?」

兵士、再度、提案を通そうとします。

「お願い」

再却下であります。

「うーん、しゃーないすねぇ・・・」

兵士、あきらめた模様です。

「今年はいつにまして、厳しいのよぉー。わかってるでしょ」

司令官、我々をとりまく現実を必死に説明しているようです。

「そりゃま、わかっております。サーイエッサー!」

兵士、あまりの現実に、発狂したのでしょうか。

「何馬鹿なこと言ってるの、もう」

司令官、非常に現実的です。

「いやぁ、それくらい言っておかないと、脳みそに空気がいかなくなると、困るからさー」

兵士、わけわからない説明をして、煙に巻く模様。

「また、変なこと言い出して・・・」

司令官、すでにそれはお見通しの模様。

「お、みかん、みかん。そろそろ切れそうだから、みかん買ってこうぜー」

兵士、目先を変えようと必死な提案。

「うーん、そうね。みかんは必要ね・・・と、あと、のしもち、と」

司令官、現実的判断で、処理を進めます。

「え?。「のしもち」高いぜ。2000円もするじゃん。パックの奴、けっこうまだ、うちに残ってたぜ?。
それに、この間「ためしてガッテン」で、パックのもちも、つきたてみたいに、なんて、おいしそうに食べる方法やってたじゃん。
HP見りゃ、つくり方でてるはずだし・・・」

と、「ためしてガッテン」好きな兵士、私案を押します。

「こんな時ぐらいしか、「のしもち」食べられないじゃない。一年に一回だもの。いつも、パックでがまんしてもらってるから、
 正月くらい、ちゃんとした「のしもち」、食べましょう。ご褒美がわりよ」

司令官、なんとそのやさしさを発露。現場では、兵士が涙ぐんでいることでしょう(笑)。

「まじ?。お、そこのねーちゃん、若くて綺麗だねえ(笑)。その優しさ、思い切り頂いておくぜー。あんがとよー(笑)」

兵士、あまりのことに、またもや、おかしくなっています。

「どうして、あなたは、まともな対応ができないのかしらねぇ。いくら、恥ずかしがり屋だからって・・・」

司令官、現実を直視した、判断をしております。

「いやいや、あまりストレートに感情表現すると、照れるからさ。ま、今年はおいしい「のし餅」が食べられてうれしいよ」

兵士、やっとまともになりました。ほんとにこの兵士は、アホですな(笑)。

「それくらいしか、してあげられないけどね」

司令官、素直な感情の発露です。

「お、この「コンビーフのピリ辛ポテトサラダ」うまそうじゃん。こいつを肴にビールをくいっと・・・」

兵士、こいつはほんと本能でしか、生きておらん(笑)。

「あなた、やっぱり子供のままねぇ・・・」

司令官、当然の嘆きであります(笑)。


とこんな感じでした。

いやいや、なんだか、分析している自分がアホみたいだ。

ほんと、アホだよねー(笑)。

まあ、年末年始のお休みくらいは、のんびりしようって、ことですけど、

さすがに、女性は大変だね(笑)。

ちょっと、脳みそ緩みすぎな感じですね、男性陣は。

ま、こんな風景の中、2009年も終わっていくんですねぇ。


ま、今年もいろいろありましたが、このブログを始めたことは、大きい事件だったですね、自分にとって。

もの見方や、考え方が変わるいい契機になりました。

来年もこのブログを通して、いろいろなことを考え、分析し、自分なりの答えをだしていこうと思います。

っていうか、この記事から、見えるのは、年末年始休みの自分は、アホだ、という結論ですからね(笑)。

笑っちゃいますなあ。

まあ、年の最後に、自分を分析して、アホだという結論をだして、笑っている自分も、大概な奴です(笑)。

まあ、楽しい最終日を迎えられた2009年も、なかなか、自分的には良かったということになりますねぇ。


いろいろ見て頂いたみなさん、ありがとうございました。

来年も、こういう小ネタは楽しく、

大河ドラマ批評は熱く、やっていこうと思いますので、

今後もよろしくお願いします。


それでは、よいお年を!。

お馬鹿な自分(笑)

2009年12月30日 | 過去の物語
ってなわけで、ちょっと遊びでネタ投稿でも(笑)。

先日、友人と飲みの席での会話です。最近の楽しいできごとについて、話している中、自分はこんな発言をしました。

まあ、気分よくなってるわけですから、こんな感じです(笑)。

「そういえば、最近は、昔自分が好きだったひとや、なつかしい女性の友人と連絡をとりあったりして、

なかなか楽しいよ。まあ、たまに会ったりして、飲んだりすることもあるし(笑)」

とご機嫌発言(笑)。まあ、思い出を共にした古い仲間と話をするのは、年月を重ねれば重ねるほど、味わいが深くなりますからねぇ(笑)。

と、これに対して、古くから自分を知る友人(と言っても、会社に入ってからの友人)が

「古い女性の友達とよく連絡とれるねー。おらなんか皆無だぜ。元嫁とすら、連絡とれないし(笑)」

というわけで、この友人はバツイチ既婚者です。

それに対して自分はちょっとわからない発言です。

「うーん、どうしてかねぇ?。ふった女がいないからかな?(その好きだったひとには、振られたわけです(笑))こちらからの関係性はいいままだし」

となんだか、自分でもよくわかっていないわけですね(笑)。で、自分は更に続けて

「まあ、なんか自分の思い出と遊んでいるようで、楽しいよ(笑)」

とまあ、楽しい自分です。機嫌いいんだよなあ、自分(笑)。まあ、基本機嫌いいですからねぇ自分。

それに輪をかけて楽しい話をしているわけですから、もう、「気分は上々」を地で行ってる感じです(笑)。

さて、それに対して、けっこう酔っている友人が話します。

「しょうゆーこと?(笑)。確かに楽しいだろうね。わかるような気がするなあ。一時的にタイムスリップする感じ?」

なんて感じで、ちょっと同調して、盛り上がってる友人です(笑)。そして、さらに続けて、

「でも、その年齢だと、たいていのケースはお母さんになって老け込んでいるか、男勝りになってる感じ、なのかなぁ?」

と、ちょっと不安そうな、そういう質問が出てきます。まあ、彼の中での我々の世代の女性に対する印象なんでしょうか。

なんで、そういう印象をもっているのか、自分はちょっとわからないんですね(笑)。


で、この質問に、ちょっととまどいながら、思ったままを話す自分なわけです。

「うーん、俺の友人は、バリバリの女性技術者が多いからねぇ。パナソニックとか、東芝とか。しかも子供いないし」

と、なんとなく女性達の素性を紹介し、話しを続けます。

「ふつーに、大学時代のノリで、今でも話してるよ。志も高いし、時代感覚も高いしね(笑)」

と、なんとなく、相手の思い込みを否定していますね(笑)。というより、普通に友人の良いところを紹介している、という感じでしょうかね(笑)。

「ま、中には専業主婦もいるけど、ブログとかやってたり、時代感覚は最先端だしね(笑)」

と新しいネタさえ、付け加えたりしている自分なのでした。ま、基本、自分の友人は、ほめるだわなあ(笑)。


さて、それに対して、友人は、

「なるほどぉー、○○大学だもんな。理系の女性って大体クレバーな人が多い気がするのは、偏見っすかね?」

というのは、案外ズバリあててたりして(笑)。クレバーなひと、むちゃくちゃ、多かったよ。

まあ、自分からみると、「独立意識が高い」、という感じに見えましたがね(笑)。

その証拠に友人達は、だんなからは、独立した意識を持っているようです。平日は、それぞれ別の場所で、仕事をバリバリこなしながら、

週末に集うなんていう生活をしている友人もいますからねぇ・・・。いやいや、すごい方達ですだ・・・(笑)。

人間的にも尊敬しちまいます(笑)。こちらも襟を正さなきゃって感じですからねぇ(笑)。

なんて思ってますから、自分がちょっと補足説明をしたりするわけです。

「あと、よく考えてみると、女性友達は、皆上品で、おしゃれもナチュラルで洗練されているんだよね(笑)。

まあ、いかにもリアルな大人の女性って感じだよね(笑)」

とか言いつつ、知らず知らず「そういうひとが、俺の女性友達なんだぜー」と自分アゲをしているわけです。

はははは。いつの間にか、ドラマ斬りと同じ手法で、自分も切り刻んでいる(笑)。

笑える・・・・、これは何に対しても使えるな(笑)。

まあ、自分アゲなんて気付かず、さらに自分は続けるわけで、

「まあ、ひとりひとりがある意味、高額所得者の娘であるリアルお姫さまばかりだからねぇ(笑)。そう言えば、君も知ってるあの○○大学の子も、

そうだった・・・(苦笑)」

とその友人の知っている女の子の名前を出しながら、盛り上げてる自分なわけです(笑)。で、自分について、「はた!」と、あることに気がつくわけです(笑)。

「そうか、俺って、ある意味、お姫様好きだったわけか・・・?」

と今頃、若い頃の自分に気づくわけですねぇ(苦笑)。遅いよ!今頃!(笑)。ほんとにおバカなんですねぇ、自分(笑)。


と若い頃の自分を知っている友人が、我が意を得たりとばかりに、斬鉄剣で、スパッと切りに出てきます(笑)。

「そうだよねー(笑)。○○の女性関係は、お金持ちのお嬢が多いよね(笑)」

と事実を知っているから、軽く断定(笑)。

「自然とそういうオーラに、○○が引き寄せられたってことかぁ?」

というなかなか、鋭い突っ込みです。


でも、ちょっと違うような感じがします。

引き寄せられたんじゃ、ないんですよねぇ。

その時、自分が求めていたのは、生き方に対する「香気」みたいなものでした。

彼女達だけが、もっている、「生に対する美しさ」を求めていたんです。

「お金」じゃあ、ないんです。

「生きる」ことに関する、「峻烈さ」を見せるひとたちこそ、愛していたんです。


だから、そういう人達だけを、愛した。


そういう人だからこそ、愛した。


お嬢様でも、そういう、荒ぶる魂を持ち、生きることに、美しさを求める真面目な人間でなければ、

恋愛対象には、ならなかった。


そういう想いだったんですねぇ。

美しいものを、愛する。


それは、生き方についても、言えるものだったんです。

それだけ、峻厳な考え方を持っていたんですねぇ。当時の自分は(笑)。


まったく、真面目すぎるというか、ほんと、お馬鹿です、自分は(笑)。

さて、

「じゃあ、芸能人の○○って、すごいお嬢様らしいけど、ああいうの、好きってこと?」

と具体例をあげて、友人から、さらなる追い打ちです。それ聞いてどうすんの?って感じもあるんだけど(笑)。

「えー?、○○ぅ?彼女はなんだか、ただのわがままって感じだしなぁ・・・」と○○さんのファンが聞いたらブチギレるようなことを軽く言い、

「ちゃんとしたお嬢様は、躾がしっかりとされているし、佇まいや物の考え方に、品があるからねぇ(笑)」

と、まあ、自分なりのお嬢様像を提示するわけです。まあ、そういうひとに実際会ってきたし、そういもんだろうと、素直に考えてるお馬鹿な自分なわけです(笑)。

「○○さんは、ただの金持ちの娘って気がするけどなぁ」

と、軽く否定するわけです。友人とお嬢様観が違っていたみたいですね(笑)。

「そもそも本物のお嬢様は、芸能界入らんのじゃね?」

と前論を補強するために、やってはいけない根拠レスのきめつけをしてしまう自分です。うーん、お馬鹿さんぶりが、すぐ露呈しちゃうんだからねぇ(笑)。

と言われて友人は軽く返します。

「葉加瀬太郎の嫁の高田万由子って、超お嬢様なのに、芸能会にいるじゃん?」

ズドー--ーン!(笑)。

斬鉄剣が額を貫いてしまいました(笑)。

二の句が告げない自分なのでした。こういうときは、素直に白旗掲げて降参です。

ほんとにお馬鹿な自分ですねぇ(笑)。


というわけで、リアルお馬鹿な普段の自分でした。

そんなの紹介して、どうしようっての?。

やっぱり、ドSでドMだからか?(笑)。

ま、そういうことですな。

というより、年末だし、遊んでみた、というところです。

というか、この記事、12月22日投稿の「クリスマスの思い出」という記事が見事なフリになってるわけでもあるんですね(笑)。

読んでおられない方は、ぜひ、御一読を。合わせて楽しめますので(笑)。

てか、こっちがあの話の後日譚という位置づけですね(笑)。


年も押し詰まってきましたね(笑)。


みなさん、正月を迎える準備は、いかがですか?。

自分はまだ、一杯残っています。だから、こんな事で遊んでいては、いけないはずなんですが・・・(笑)。

また、怒られそうだ・・・(笑)。

やっぱり、ドMだ、俺(笑)。


ではでは。


同じ気持ち

2009年12月30日 | ドラマについての小ネタ
ってなわけで、年賀状を書くのにも飽きてきたので、ちょっと気分転換に原稿などを(笑)。

なんか、押し詰まってきましたねぇ(笑)。

なんか、家族は台所で、わいわいやってるので、

こそーっと自分だけ、こそこそとPCの前に(笑)。

もう表情も、「俺知らんもんね」的な表情で(笑)。こういうの得意ですから(笑)。

ま、無用な突っ込みをいれられる前に、書きたいことだけ、書いちゃいましょうかね(笑)。


で、何か、というと、「「日清開戦」について、よくもあれだけ書きよったな」、といろいろ言われるので、

まあ、「評価」のところで、「自分なりの評価方法を確立したかった」とその思いを書いたんですけど、

まあ、それは、表向きの考え方で、それ以外にも実は思っていることがあったんですよねー、ということについて、

書きます。まあ、ちょっとした雑談、ということになりますかねぇ(笑)。


まあ、このブログを立ちあげて、「坂の上の雲」スペシャルドラマのレビューを始めたわけですが、まあ、ドラマだけ見てるのも、

あれだし、ってんで、原作を引っ張り出してきて、ほんとに久しぶりに読み始めたんですね。もう、ほんと10何年ぶり(笑)。

そいで、こう、スペシャルドラマが進むのに合わせて、読んだりしていくうちに、自分の中は、もう、「坂の上の雲」で

一杯になって・・・って、言うほど一杯じゃないけど、そのドラマ世界に親しくなったわけです。

なんて、やってたら、自分の中で、大きく育ったのが、いわゆる、のぼさんなわけです。素直に感情を表現するのぼさんが、どんどん自分の中で、

大きくなりまして・・・、まあ、いわゆる好ましい存在になったわけですね(笑)。

そいで、まあ、スペシャルドラマを見ながら、さらに原作も読み進むうちに、「はた」と気がついたことが、あるんです。

のぼさんも、いろいろなことを試しながら、俳句につきあたる。そして、その俳句の世界で、なにかを見つけるために、散逸していた、

過去の句集をかき集め、それら全てにあたり批評をくだすことで、自分の実力を培い、「写生こそ命」という句境に至った。

それを見ていて、これは、自分のやってることとなんとなく、同じ部分があるのではないか?といつしか思うようになっていたんです。

スペシャルドラマのセリフを全て起こし、そのすべてにあたることで、その内容を吟味し、制作陣の意図を感じ取る作業。

それを進めることで、レビュアーとしての能力を培い、いつしか新しい境地に立つことを望む自分、と。

いつしか、自分の中に育っていたのぼさんが、そんな自分を見て、こうささやくのです。

「あしと同じことをしてるだけじゃー(笑)」

(大丈夫か・・・俺?(笑))

ふと、そんなことを思って、「そうだ、俺、のぼさんと同じことをしている・・・」

と思うようになっていたんですねぇ。

そして、もうひとつ。このドラマを見始めて、そして、原作を読み直すことで、思ったのは、

「明治人ってのは、どんだけ、生きるのに、必死だったんだ?。いつも全力、すげえよなあ」

ということです。いわゆる、羨望の眼差しで、眺めていたわけなんですねぇ。

というのも、自分の世代は、よく他人に、「しらけ世代」などと言われ、ある意味、全力で事にあたることを、

「ださい」とか「かっこよくない」とか、敬遠していた世代でした。まあ、若い頃は、その態度こそ、かっこいいと勘違いし、

多くの成長の機会を逃してきたものです。でも、今になってわかるのは、その態度は、その瞬間瞬間こそ、かっこいいかもしれないけれど、

人間の健全な成長を阻害する以外、なにものでもない態度であることを、今では痛感しています。誤った態度なんです。


こんな風潮を作ったのも、その当時放映されていた、地上波によるものですが、それからもわかるように、TVなんて、有害以外なにものでもありません。

まあ、自分がTV、特に地上波を否定する立場に立っているのも、そういう何もわからない若い時代に、簡単にTVに騙されていたということが、

年齢を重ねてようやくわかってきた、というところにあるわけです。まあ、日本人というのは真面目ですから、なにかの目的を任されると全力でやってしまいますからね。

TVの製作者達も広告主のために全力をつくしますから、ああいった、おかしなことも堂々と主張してしまうんですね、広告主のために(笑)。

だから、好古じゃないけど、自分ができあがらない人間は、TVの地上波さらに民放などは、見ない方がよいのです。

まあ、安易な娯楽対象ではあるし、20代の終わりくらいまでは、熱心なTV信者でしたけどね。


んで、その「全力で生きる」ということに、感銘を受けてきたわけです。まあ、「坂の上の雲」のヘビーウォッチャーですから、

簡単に影響を受けるわけです。それで、自分も「全力で生きたい」願望がつのり、そのひとつの試みとして、このドラマのレビューに全力を傾ける気持ちで、

ああいう、「セリフの全抜き書き」「すべてを一つのセリフから感じてみる」「すべてのシーンに対して考察を加える」「自分なりの評価基準をつくる」

という行動につながったのです。そして、その行動につながった理由が、もうひとつあります。

それは、真之の行動です。まだ、本編では、それほど、真之は活躍していません。まあ、その活躍期は、後半になりますから、あたりまえなのですが、

その「智謀湧くがごとし」と後年言われるようになる人間をつくりあげるのは、彼が古今東西の全てのいくさに対して、レビューを加えてできあがった、

彼なりの独自な考え方にあったんだそうです。まあ、原作にそう書いてあったわけです。海のいくさだけでなく、陸戦についても、すべての戦いについて、

そのレビュー範囲をひろげ、すべてのことにあたり、自分なりの方法論を確立したそうなんです。

わかりますよね、これ。

のぼさんと同じなんです。すべてのことにあたり、レビューを加えることで、自分なりの方法論を確立する。

そして、そのことに刺激されたのが、自分なんです。

だから、ああいうレビュー態度になり、自分なりに評価基準をつくっているんです。

要はのぼさんや、真之のものまねなんです(笑)。


「全てのものごとの最初は、まずものまねから、入る」

とは、よく言われることです。

そういえば、今回「留学生」の回で、のぼさんが、

「ヨーロッパは16世紀において、お互いの国がものまねしあった。日本はそれが、19世紀になっただけじゃ」

というようなことを言っていましたね。

そうなんです。ものまねから入り、最終的に、自分なりの新しい方法論を打ち立てるのが、もっとも理想的なやり方なんです。

そんなのぼさんの「はげまし?の声」を聞きながら、自分は、レビュー記事を書いてきたのです(笑)。

だから、今、自分の中に、のぼさんが、住んでます(おいおいおい(笑))。

なので、レビュー記事を書いていると、

「そこは違うぞなもし。もっと違う表現で書かないと読んでいるひとに不親切になるぞな、もし」

などと、ささやく声が聞こえたりするのです(おいおいおい、やばいよやばいよやばいよー(笑))。

「そういう風に、私のゴーストがささやくのよ」

なんて、有名なセリフもありますが、今、自分のゴーストは、のぼさんに設定されているわけです(笑)。

「次、30メートル先、右折です」

とか、いうナビみたいに(笑)。

そして、生きることに「全力であたろう」という気持ちが日増しに強まっています。

「全ての時間を全力で使いきり、無駄な時間など、一切もたない」

という思いが強いです。そのおかげで、このブログにも全力であたっているのです。

まあ、有名な動画ですが、

http://www.nicovideo.jp/watch/sm4660488

の修造くんのように、自分もどんどん熱くなっています。そして、理解されないことを悩んで・・・は、いないな(笑)。

そして、考え方が、サムライのようになってきています。

攻撃するべきは、攻撃し、柔軟な発想で、いつもしなやかにし、硬軟自在にしている。

いつでも、果し合いができるようにしておく。

そのための準備はおこたらず、事にあたって、しぶとい。

そう。東郷さんのような、あり方になりたい、

と、自分は思い始めているのです(笑)。

どんだけ、「坂の上の雲」に影響されているんだよ!(笑)。だって、ヘビーウォッチャーだもん(笑)。

「それでええぞな、もし」

そう、のぼさんナビが、笑いかけてくれます(おいおいおい)。


ま、言ってみりゃ、そんな感じかなぁ、と年末の押し詰まった我が家で、こたつに入りながら丸くなって、濃いお茶をすすって、パソコンに向かって、

そうつぶやいてみる、自分なのでした(笑)。

もろ、影響うけまくりー(笑)。

笑っちゃうね。


ではでは。


「男の時間」「女の時間」

2009年12月29日 | アホな自分
というわけで、「年末」である。

なんかもう、なにもかもが、むちゃくちゃ忙しいのである。

もう、たまってる事務処理を一気にやらなければいけない「営業」の責務みたいな感じだったりするんである(自分は、営業じゃないけど(笑))。

もう、「スペシャルドラマ」とか、「セリフの抜き書きやらなきゃ・・・」なんて、まったく、言ってられないのである。

なにしろ、「年末」なんだから・・・。


いやいや、忙しいっすねー、年末。

どうして、こんなに忙しいんだろうねぇ?、って、日頃から、いろいろやっておけばいい話なんですけど、

まあ、こんな感じで、「これが年末ってもんだよねえ」などとある種の「風情」を感じながら、ドタバタするのも非日常的な感じで、

これは、これで、ありだな、などと、「のほほん」、としていたりして(笑)。

もちろん、女性陣に、

「なにやってるのよー、これがあれで、あれが、これでしょ!」とか、
「あれ、買っといてっていったでしょ?」とか、
「なにやってんのよー、あれまだなの?。ほら早く行ってきて」とか、
「なんでそうなのよー、もう、ちっともわかってないんだからー」とか、

なぜか鬼のように怒られて、「はい、すいません。はい、やっておきます」とか、ほとんど奴隷状態になりながら、まるで冬眠する「くまさん」のように、
小さく縮こまって過ごす(笑)のが正しい年末だったりするんですね、これが(笑)。

そういう意味から、言うと、年末ってのは、「女性の時間」のような気がしますね。

なんか、こう、「ここからは、私達が、仕切らさせて頂きますから!」っていう雰囲気があるんだよね(笑)。

「あなたは、いつもの3000倍働いてください。命令は私が出しますから!」

とか、無理難題を押し付けられている気がしますね。実際、言われてるわけじゃないけど、その、雰囲気事態がメッセージになってるような気がしますね(笑)。

まあ、でも、そんな平和な風景が、けっこう好きだったりするわけです。

なんか、女性の方達が、わいわいやりながら、正月用の料理が、少しずつ増えて行く感じなんて、なかなか、楽しいですよね。

「黒豆って、煮るのが、ほんとうに難しいのよ」

と愚痴なのか、単なる説明なのか、よくわからないセリフを吐きながら、でも、案外嬉々として仕事している様は、なかなか、

女性は頼もしいなと、思わせてくれる風情が、あります。

なんか、この頃、「坂の上の雲」の記事ばかりに取り掛かっていたせいか、「日本人の風景」というものに、敏感になっているのかもしれませんねぇ(笑)。

そういう意味では、これは正しい「日本人の風景」ですね(笑)。


しかし、本当にこういう時は、男はだめです。ま、できることと言えば、子供達をだましだまし、まるで、遊びの一種のように、大掃除に加担させる、

くらいのものです。

「ほら、その高枝切りばさみで、ほら、あそこの枝、切ってごらん。うまく、切れたら、お年玉の額が、あがるかもしれんぞお(笑)

とか、なんとか(笑)。

しかし、大掃除なんてのも、「日本人的風景」ですよね。

きれいに掃除して、「新しい年」を迎える。

「清め」という言葉があるくらいですから、日本人ってのは、むちゃくちゃ、掃除好きな人種なんですねぇ(笑)。織田信長だって、そうだったし(笑)。

美しく掃き清められた空間を愛していますからねぇ、日本人は。そういう民族的特性は、どこから、出たんだか。って、これも、そのうち、考えてみたいテーマですね。

とか、言いながら、自分の家はまだまだ、そうはなりません。これから、がんばらなくては(笑)。

なんて、やりながら、がんばった後、お昼になって、みんなで、野菜のたくさん入った、インスタントラーメンを食べるのも、味わいがありますね。


なんとなく、ほっこりとした、時間が流れます。


「ねえ、今年の「年越しそば」は、やっぱり天ぷらそば、なのかな?」

なんて、素朴に聞いてみると、「ジロリ」と睨まれて(いやいや、そんなこわいこと聞いたかな(笑))、「そうよ。なにか、いちゃもんあるわけ?」
「いえ、何もないす・・・」


こういう時は、静かにしてるに限るってもんです(笑)。


女性にとって、この年末の時間は、「あたしたちに、任せてよ」ってな気概を感じる、一世一代の活躍の場なんですねぇ(笑)。


一年に一度やってくる、「風情」のある時間。


まあ、そんな風に考えながら、へろへろぉーと、時間を過ごしています。

まあ、年が明ければ、すぐに「男の時間」がやってきますからねぇ(笑)。

そういう意味では、口ではきついこと言ってるけど、男を休ませてくれるために、彼女達ががんばってくれている、そう見るべきなんでしょうね(笑)。

おいおい、だから、「Wii」とか、やってると怒られるって(笑)。

なんて、言いながら、たまーの休日をのんびり過ごす、自分なのでした。


あ、やっべ、まだ、年賀状書くの残ってたっけ。元旦到着は無理だな。

ま、二日以降の方が、目立つってのもあるか(笑)。はははははー。

と、現実的処理能力に劣る自分なのでした。


みなさん、どんな、年末をお過ごしですか?。


とにかく、日本的平和な時間が、ゆっくりと過ぎつつありますねえ。


なんて、やってると、

「まーた、そんな原稿書いて・・・。そんな時間あったら、こっち、手伝ってよう・・」

なんて、声が聞こえてきそうです。


年に一度の楽しい時間。

ま、そんなことを十分に感じながら、ゆっくり、楽しく過ごしますかね。


ではでは。

議論完結!めでたいねぇ(笑):「日清開戦」についての評価

2009年12月28日 | ドラマについての小ネタ
というわけで、やっと「日清開戦」についての評価ができます。

これ書くために、いろいろやってきたんだからね(笑)。

にしても、ボリューム多いよね(笑)。

まあ、すべてはこの「評価」を書くための試行錯誤の過程であって、
それがあるからこそ、この「評価」を書けるというものです。

というより、これまでの記事は、この「評価」の信頼性を担保するものでも、あります。

庵主殿にも、

>1話でパート7までなさるとは!

とあきれられましたしね(笑)。ま、自分の道を「せこせこ」いくだけです。

というか、今回、これだけ、がんばっているのは、自分なりの「ドラマ評価システム」を

確立したい、と思っているからなんですね。その「ひな形」をつくってやろう!、というわけで、

真面目にいろいろ考えながら、自分なりの方法で、やってきたら、こうなった、というわけなんです。

今後、いろいろ検討し、がんがん形が変わるとは思いますが、まず、今の時点で、

精一杯が、これ、というわけです(長過ぎだろ(笑))。


というわけで、「留学生」の回も楽しく見させて頂いたわけですが、そっちの記事は、この年末の

忙しさにとりまかれて、いやはや、いつ投稿できるか・・・ですが、まあ、今クールは、

それで終了だし、少し鷹揚に構えながら記事を書いていく、つもりです。


とりあえず、今は「龍馬伝」をどういう形で批評できるか、が課題になってますねぇ(笑)。


そっちも自分なりの方法で、批評していくつもりですが、何が見えるか、今から楽しみです。

まあ、一話のボリュームも減るし、書きやすくはなりますかね(笑)。


と、「日清開戦」の「評価」なのですが、さて、初めての経験なので・・・(この年齢で初体験とは(笑))。

まず、基本的に、どういう評価をしたいか、というと、

要は、この「日清開戦」の回は、自分にとって「おもしろかった」か、「おもしろくなかった」か、を

確定するということです。見終わった瞬間は、記事に書いている通り、「なんか、すげーおもしろかった。感動した!」

という感想でしたが、はたして、それは正しかったのか?ということを確認する作業です。客観的にどうなのか、ということを確認するわけです。


んじゃ、確認していきましょう!。


まず、基本的におもしろい!って、どういうことなんでしょうね?。

例えば、んじゃ、自分が「おもしろかったなー!。すんごく(笑)」と思っている過去の映画をあげてみると、

ま、いろいろありますが、ちょっと古典になっちゃうけど「ダイ・ハード」ですかね。

じゃ、何がおもしろくしてくれたのか、その要素をちょっと考えてみると、

○主人公はたったひとりで、悪いヤツと戦わなければいけない状況に陥る。つまり、悪いヤツを全部倒す必然性がある。
ということで、どうやって、悪いヤツをたったひとりで、倒していくのか、がこれから見れるんだ!と観客はわくわくする。

○へたれで黒人(ちょっと弱者要素あり)な警察官が、途中から正義に目覚め、主人公を助ける側にまわり、闘いながら成長し、
最後には、勇者になる。それを見ている観客は、感動し、気持ちよくなる。

○主人公の奥さんは人質になっている。これが、主人公の唯一最大の弱みであるから、いつこれが露呈するか、観客はらはら。

○悪いヤツも狡猾な手を使うので、観客は、パズルを一から解けるのを見せられたような気持ちで、「なるほど、すげえ」と感じて感心する。

○主人公も何度もピンチに陥るので、観客は、はらはら。

○しかし、最終的に主人公が勝利し、皆感動し、納得する。

というところでしょうか。まあ、あっさりだけど(笑)。

となると、観客をどうしたら、おもしろい作品になるか、ということを見ると、

○わくわくさせる。

○はらはらさせる。

○ヘタレから成長し勇者になる、その成長過程を楽しみ、勇者になる結果に感動し、気持ちよくなる。

○主人公の弱みを見せつけ、それがどうなるか、はらはらさせる。

○最終的に主人公が勝利し、皆感動し、納得する。

というあたりになるんですかねえ。まあ、これは、冒険活劇的な映画の、おもしろ要素ですからね。

あと、おもしろい、というより、名作といえば、感動の名作といわれるくらいですからね。

感動する、という要素も観客を満足させる要素になりますよね。

ここらへんの要素を、本作はもっていたのか、ということを単純に比較すれば、客観的に作品を評価できるはずですよねえ。

というわけで、本作の内容を見て行きますか(笑)。

内容については、以前投稿した記事「「日清開戦」の構造とまとめ」を参照しながら、各シーンについて、見て行きましょう。


まず、基本の「高陞号撃破!」のシーンですね。これの感想は、はらはら、どきどき、わくわく、気持ちいい!ってところでしょうか。

文句なく、おもしろかったシーンでした。

次に構造的にこのシーンと対をなす、「艦砲射撃」のシーンですが、ここは「うわ!、ひぃー、ひでぇ、死んじゃったよー、かわいそう、戦争はいかんね」

というドキドキだったり、否定的な気持ちになったりなシーンです。でもこのシーンがあるから、「高陞号撃破!」のシーンがより一層引き立つし、

本シーンがあるから、「ちゃあんと戦争批判もしてるもんね。大丈夫、この作品は」という気持ちにもなる。信頼感も、もてます。

だから、気持ち的に、「とってもよくできた作品だよなあ」と思ったりできますね。


次に日本を主人公とする「日本首脳の困惑」「ねずみ公使」はどうでしょうか。

「日本首脳の困惑」は、「首脳達ビビってるけど、冷静に対処してるな、対外的にどうみられるかも、考えてるな、それでいいんだよ」とほっとするというか、

安心感が広がる感じで、ちょっとドキドキ要素。

「ねずみ公使」は、「やるじゃん、寿太郎、さすが「ネズミ公使」」と快哉を叫ぶシーンですから、これは気持ちがいい。

次に東郷を主人公とする、「権兵衛による査問」ですが、これは東郷の優秀さ、そのサムライぶりを披露する話ですから、気持ちよくないわけがない(笑)。

「団長東郷かっくいー」という気持ちでしたね、これ(笑)。

さて、んじゃ、次、好古さんパートいきますか(笑)。

「好古と部下」は、好古さん、「部下に慕われてますな。好古さんも戦略眼バリバリじゃないすか」というところで、非常に好感が持てましたし、

「好古前進」のシーンは、明らかにひ弱な日本陸軍と騎兵を叱咤激励する軍神好古の姿を描いていますから、イタイケでもあり、バリバリにおもしろかったじゃ

ないですか。もう、それこそ、楽しくって快哉叫びまくりでしたからね(笑)。

で、次、のぼさんパートですね。

こいつは、くせものぞろいなんですけど、また、今回わかったことが、ひとつあって・・・。それはあとで、書きますね(笑)。

まず、「新聞日本での日々」これは、のぼさんの仕事の紹介と、国家への恋心にのたうつ姿を描いています。まあ、基本のぼさんは、感情的な振幅が大きく、

人気の出やすいキャラですから、自分も好きですし、「ああなるほど、のぼさんってこんなことやってたんだ」とか「のぼさん、それでも従軍したいんだねえ。

体大丈夫?」と非常に好感を持てるシーンになってるんですよね。

そして、「紅葉打ち」のシーンです。ここで、みせるのぼさんとりーさんの感情のやりあいがねぇ・・・。記事でも書きましたが、

ここで、りーさんとのぼさんに泣かされました。

というわけで、今回の自分の中でのMVPシーンは、ここ。とにかく感動して、涙まで流されるんだから、このシーンは、今回の中での名シーンと言えるでしょう。

で、例の「従軍許可」のシーンですよ。

これについて、新たな考えが浮かんだので、解説しましょう。

「各話感想」の記事の中では、自分はこのシーンについて、

>NHKや制作陣に多いであろう、ある特定年代層の中国好きな方達の腐臭が感じられた気がして、ちょっと残念でした。

と書いています。そして、

>そういうシナリオを通過させた、脚本諮問委員会も案外大概です。

と批判しました。でも、ちょっと考えてみてください。

>反日の思想や、単純な戦争絶対反対主義的風潮を広めたり、押し付けてきたひとたち、そして、「坂の上の雲」の制作の
>邪魔をしてきたひとたちを笑ってやろう、

という、攻撃を加える意思を持った脚本諮問委員会と「坂の上の雲」制作陣が、「ある特定年代層の中国好きな方達」のみに負けの姿勢を

見せるわけがない。彼らもまた、「坂の上の雲」制作をじゃましてきた、人たちですからねぇ。

ということを考えると、制作陣は、ある意図をもって、この「従軍許可」のシーンを作ったことが考えられます。あの昭和軍人が、罠や刺客だったことを

考え合わせると見えてくるものがあります。結果的に本シーンを放映した結果(なんか変だな(笑))、ネットはNHK批判でうずめられました。

「NHKは中国や北朝鮮、韓国などに配慮がありすぎだ。やっぱりNHKはだめだ」、そんな言説が飛び回りました。

だけど、この結果、最初からわかるはずですよね。つまり、確信犯的に、制作陣は、このシーンを流したことになります。

ということは、どういうことか。こういう結果をひきよせるため、つまり「NHKの左派」とも言うべき、「坂の上の雲」制作をじゃましてきたひとたちに

対する、これも刺客だったんですよ。そして、それを見事成功させ、「NHKの左寄りな姿勢」に対する批判を、ネット上に繰り広げることが

できたんです。そう、これも制作陣による、罠、刺客だったんです。


うひょー、すげー、やるーーーー。またまた、その「意気やよし」(by大山さー(笑))なわけです。


このからくり、お見事!。そして、その戦う姿勢、まるで、サムライじゃないですか!。

そして、日本人的美的精神から考えると、「かっくいー」となるわけです。

そうか、制作陣は、「サムライ的な意識」で、このドラマを制作していたんですねー!(笑)。いやいやいや、徹底している。思わず笑いがこみあげてしまう。

いやあ、最初は自分もだまされました(笑)。

やるねー。もう、お見事としか、言い様がない。しかし、そうやって、パズルを解くのは、すごくおもしろかったですね。

いやいや、満足満足(笑)。

というわけで、このシーンも罠だったわけで、はっきりいって、今頃、おもしろく感じています。


次に「従軍により見たもの」です。これも、制作陣の罠、刺客ですから、おもしろくって、笑っちゃいます。

次の「鴎外との会話」はまあ、日清戦争の解説ですからね。まあ、そんなもんかな、という感じです。まあ、司馬さんの言いたいことをちゃんと表現しているね、

というくらいで、どちらかというと、司馬ファン向けのシーンなんですかね。

で、「帰国途上の喀血」です。いやぁ、このシーンはせつないですね。のぼさんの悲劇的な未来を暗示しているようで、いやいや、のぼさんとりーさんには、

感情を刺激されますねえ(笑)。


さて、最後に、主人公、真之のパートを見て行きましょうか(笑)。

まず、、「部下との団欒」ですが、これはまあ、主人公がいかに部下に慕われているか、いかに部下の花田くん(なんだってね。庵主殿に教えてもろた。原田くん

だと思ってたのに(笑)。ちゃんと確認してから、書かないとね(笑))に慕われているか、を描いて、まあ、主人公に仮託して見ている自分らも、

アゲてもらったというわけです。だから、気持ちいいシーンですよね。あ、それ指摘すんの忘れてた。ま、ここで指摘した、ということで(笑)。

で、「艦砲射撃」シーンですが、これは上で書いたので、割愛。

次、「軍人であることへの懐疑」ですが、これはちょっと真之があまりにヘタレになってしまったので、「ちょっと心配」という感じですが、

これは、上で指摘した、「ダイハード」の黒人警官役のパターンですよね。ヘタレに描いてからの成長を喜ぶ、という奴です。

だから、ここは、これ(ヘタレ)が必要だったんですね。

そいで、「東郷との再会」ですが、お約束通り、立ち直る真之ですから、まあ、未来に向けて、気持ちイイ表現になり、最後をかざる、という

非常に気分よく終わっています。



と、これまで見てくると、マイナスシーンはまったくありません。最初にわくわくさせ、どきどきしながら、日本人をアゲ、好古さんの軍神ぶりに燃え、

そして、のぼさんに感情的に揺さぶられ、「紅葉打ち」のシーンでは、泣かされ、そして、「坂の上の雲」ファンには敵となる二つの団体には、

刺客を送り、戦争の現実を考えさせ、最後は、未来を暗示して終わる。

素晴らしい作品じゃないですか!。

おもしろ要素、満載じゃないですか!。わくわく、はらはら、どきどき、そして感動もある。

しかも、日本人の美徳をたくさん描き込んでいる。これが、良作でなくて、なんですか?。

さて、結論をだしましょう!(笑)。


すげー、おもしろかったし、ためになった。日本人に対する考えも深まった。日本人の美徳に関する見解も深まった。

これは、NHKから日本人への全力の贈り物だと、それ以外の何者でもないです。


自信を持っていえます。主観では、そう思っていましたが、客観的にもそれが、証明されたと考えています。


すげー作品なんだよ、要はよ。それにつきます。

やっと評価することが、できた。素直にうれしいですね。


ああ、ひとつ、言っておけば、自分は、むちゃくちゃ、司馬さんファンということでは、ありません。ファンではあるけれどね(笑)。

著作を金科玉条としているわけでは、ないんです。だから、あれは、単なる原作に過ぎず、今の時代に合わせたエンターテイメントとして、

本作は作られていると考えています(笑)。ですから、原作にない創作キャラがあっても、それがエンターテイメント性をもっていて、

視聴者を楽しませるものであれば、どんどんやってほしい、という立場にたっているんです。

ですから、原作との差があろうと、別になんともおもわないんですねぇ(笑)。


今、この時代を生きる日本人を楽しませてくれれば、それでいいんです。


ま、究極は、この自分が楽しめればそれでいい、というとことに至ります。(ま、自分勝手ですな(笑))

ま、とにかく、その自分が、「これ、おもしれー」という感覚を、主観的にも、客観的にも説明できたんだから、それで、いいですな(笑)。


やっと、結論に辿り着きました。ま、これは、自分個人の考えに過ぎない、ですから(笑)。


この結論を他人に押し付けるなんて、そんな思考停止者みたいなことは、まったく考えておりません。

別の立場の方から批判を受けても、まったく問題はありません。そういう方達とは、議論をしながら、お互いの考え方を

ブラッシュアップしていければ、いいのですから。


まあ、今は自分なりの評価を確立できたことが、うれしいですね。

いやいや、また、たくさん、書いちゃった。


ここまで、おつきあい頂いた方々、ほんとうに、ありがとうございました。

「留学生」についての一連の投稿は、年明け以降になりそうです。年末バタバタしますしね。


それでは、次の投稿で、お会いしましょう。お疲れ様でした。




「日清開戦」で語られた「日本人の美徳」

2009年12月27日 | ドラマについての小ネタ
というわけで、今回「日本人としての美徳」という観点で、各シーンを分析してきた
わけですから、それについて、まとめる記事を投稿したい、ということですね。

さて、どんなことを言ってきたかな、と、自分のブログを見直すわけ(笑)です。

まず、出てきたのが、これは海軍さんの白い制服についてのコメントで、これは武家の意識の
「事に望んで死をも厭わず」という死生感が元にあるという話。要はいつ死んでもいいように、
その死に花を白い死に装束で飾るため、海軍の軍服は白である、という話なわけです。
ちょっとあそこの説明だと舌足らずでしたね。

この、「いつ死を迎えてもよいように、生きる」

という考え方が、サムライ意識の根本にあるような気がしますね。いつ死を迎えてもよい、ということは
執着はできるだけもたないようにしなければなりません。自分の死について考えるとき、やはり、
最も考えるのは、周りの家族にもたらす悲しみでしょう。だから、日頃から、そういう言説はしないように、
武家はしつけられているんですね。幕末に戊辰戦争に出征した男子達は、「男を見せる祭りじゃ」といって
喜び合い、女たちはそれを祝福し、出征を見送ったと、物の本にあります。日頃からそういう思考になるように
しつけていたんですね。そうすることによって、強い男子の肝っ玉、強い母の肝っ玉がつくられて
いったんですね。そして、そういう男子を愛する女子が生まれていったんですね。

いつ死を迎えてもよいように、生きる、という言葉は、第一話で好古が、真之に言った
「人生、ひとつのことをなしとげればよい。そのためには、身辺をできるだけ単純にしておけ」
と言うセリフにもつながってきますね。単純にしておけば、いつ死を迎えても執着はないですから。
つまり好古も、武家の死生観をもっていた、という表現になりますね。

さて、余り深入りすると、長くなりますし、この話については、今後幾度も触れることになると
思うので、今回は、これくらいで(笑)。

さて、次に出てくるのは、明治の首脳達が、国際的なルールを正直に守っていた、優等生的に他国に配慮していた、
ということですね。これは、日本人の美質というより、明治という時代におかれていた、当時の日本人として、
置かれた状況(世界からまだまだ、野蛮な国、遅れた国という見られ方をしていた、ということ)から、
目的(紳士的な国となる)を達成するために、必要な態度と見るべきですね。ただ、そういう美質をみせていたことは、
確かだし、未だに同じような態度をとっていますね、この国は。そうみると、どうも日本は、文明開化以来、
ずっと他国アレルギーと呼ばざるを得ませんね。未だにペリーによる威嚇がDNAにでも刷り込まれているように思えますね(笑)。

次は小村寿太郎さんについて、言及していますね。

小国日本の外交官(しかも代理公使)でねずみ大使と言われながら、臆することなく、堂々と丁々発止。
どこか、日本のサムライの果たしあいを感じさせました。やはり、気分においては、この時代の彼らは
サムライだったと言うことができるでしょうね(笑)。

と書いていますが、ここで、興味深いことに、サムライ発言がすでに出ているんですが、後に東郷が薩摩のサムライ的美意識を
持っていることと合わせて、やはりサムライであること、が日本人の美意識のひとつの底流になっているんですね。

次は、東郷さんが山本権兵衛に査問を受けるシーンで、言及があります。

日本人的美徳の説明という観点からは、東郷さんの薩摩武士的美意識が語られておりますね。あと、「用意周到な上にしぶとか」という言葉も。
ということは、明治人にあれだけ見られる美徳というのは、サムライ的美意識から現れていると考えていいんですね。
日本人の美徳の源泉は、薩摩武士的美意識にあったのか・・・というよりサムライにあったんですね、やっぱり。
「ことに及んで、死をおそれず」とか、東郷さんの「決めたことには責任をもつ。必要ならば、腹を切る」といった、物事に対する
シンプルな考えが、そのひとを美しく見せていたんですね。

これも、サムライ的思考について、言及していましたね(笑)。

冒頭においた、「いつ死を迎えてもよいように、生きる」という死生観がすべての源泉になっているような気がしますね。

そういうところから、日本人がものごとに執着することをいやしんだりする態度や、悪いことをしても、禊をすれば、これまでのことは、
あっさりと流し、無かったことにするなどの、日本人的な特徴(世界的に不思議な(笑))も説明できるような気がしますね。
ものごとに執着すれば、いざ死を迎えるときにうろたえる元になる。だから、現世での執着は最低限家族くらいにしておく、
それすら、死に旅立ちやすいようにしつけがしてある、ということです。
さらに禊をすれば、あっさり流し、なかったことにする、という点については、日本の土俗的宗教である「神教」の影響が多いですが、
「過ちを犯した」とその人間が表明すれば、あとは当人が「それが死にあたるか、あたらないか」を検討するだけのことなので、
他者としては、見守るだけ、という考え方なのでしょう。実際、薩摩地方では、古来より、過ちを犯したものが、いた場合、
他人が「それは過ちだ」と指摘するだけで、良かったという話がよく語られますね。当人が、その罪がどれくらいにあたるか、
判断し、死んでいることが多かったといわれていますし。

さて、次は、軍神(笑)、好古さんのシーンで、言及があります。

日本人的な美徳表現という面については、「相手の立場にたって、モノを考え、理解することができる」、
という好古さんの「じいさんにしてみりゃ、迷惑千万じゃ」というセリフに表されていますね。
それと、うらみがましいことを清国じいさんに言われても、怒りもせず、
「酒あんがと」、の礼までおくる好古の態度にも表されています。

この態度というのは、子供の頃から何度も教育された記憶がありますが、日本人の基本的態度と言ってもいいでしょう。
では、なぜ、こんな態度ができあがったか、と言えば、他国の人間とは、全く異なる文化をつくりあげてきた、
非常にオリジナリティ性が高い文化の持ち主であったから、でしょうね。自然、他人と違うことが普通であり、
相手とコミュニケーションをとろうとしたら、「相手の立場にまず、立ってみて考える」ことが必要だったからでしょう。

そうやって、こういう日本人的態度がうまれたと考えています。自分的な考え、ですけどね(笑)。

この日本人的態度は、他国との交渉時にマイナス効果があることが、よく指摘されますね。
自分の態度を押しきれず、相手に譲る場合がしばしばあると。
だったら、こちらの言い分を押し付ければいいか、となるとそうではなく、妥協点を探るのが基本ですが、
それが下手らしいですね。小村寿太郎のように、サムライ的意識をもって、外交を図っていってもらいたいものですね。

もっとも、一端こういう考えを美徳としてもってしまうと、多くの外国の要人の「日本文化」への対応により、

その国の文化のレベルの高さ、低さが露呈しますね。シー・シェパードなんて、単なる動物愛護をたてまえとした、人種差別主義者集団ですからね。
彼らは、そのレベルの低さをすっかり露呈している。

他者には他者のとりまかれた立場があり、それは一端尊重すべきでしょう。そして、基本的人権があることも慮り、そして、
立場が違えばそれについて、議論しあうのが、正当なあり方だと考えます。それもせずに、一方的に暴力をふるうのは、バーバリアンです。
自分の考えを一方的に押し付けようとする、思考停止者です。思考停止者は、ひとですらない。
そういう立場に自分は立っています。

と、まあ、まあ、冷静に、冷静に(笑)。あんなもん、思い出しても単なる時間の浪費だから(笑)。

次は、ムリめに大山さんについて、記述がありますね(笑)。

日本人の美徳表現については、大山さんの「その意気やよし!」という、相手のいい部分を積極的にほめる態度でしょうか。
まあ、だんだん自分でも、無理にこじつけてるような気もしますがね(笑)。

まあ、でも、こういう褒め方をもっている日本人ってのは、いいと思いますがね、素直に。まあ、自分も「レオ様曹長」に、連発しました(笑)。

さて、次は好古の酒飲み軍神化について、こんなことを書いています。

日本人的美徳という観点からはいかがでしょうか。軍神化については、日本人の美徳とはまた違うものですからね。酒飲んでいくさやっちゃうあたり、
豪傑のイメージですが、古来いくさと酒というのは、日本においてはつきものでしたし、そういう日本的な一風景としてみたほうがよいかも
しれませんね(笑)。

まあ、その通りなんですが、美的な一シーンとして、楽しめたことは確かですね。

次は乃木と伊地知のシーンからです。

日本人の美徳的表現ということに関しては、実は、あの遺体に対する礼というものが、日本人の特徴的な部分でもあるようですね。
中国で大地震がおき、日本の救援隊が応援にいきましたが、同様のことをすると、向こうではめずらしがり、多くの現地のひとがその行為に対して、
非常に感謝した、という記事をみたことがあるので、まあ、欧米では普通だったりしますが、ちょっとだけ言及しておきましょう(笑)。

ということですね。日本人の死生観は、やはり特別なものがありますね。

さて、次は、のぼさんです。

日本人の美徳という観点からみると、それこそ、明治人の国家に対する素朴な恋心といったモノが表現されていると見るべきでしょうか。

これは日本人というより明治人の美徳と言うべきでしょうね。今の時代、国家への恋心をどれだけもっているひとがいるか・・・。
それを考えると明治と言う時代は、国家が愛される時代だったんですね。

続いて、のぼさんとりーさんの「紅葉打ち」のシーンです。

日本人的美徳という観点から見ると、やはり、りーさんとのぼさんのみせる
細やかな情愛でしょう。相手のことを思いやり、感情まで抑える。だけど、抑えられない感情もそこにはあるんだよ、それだけ深い関係性なんだよ、と
そういう感性をもっていた明治人達だった、ということを表現しているんでしょうね。

このシーンは自分的には、今回でベストなシーンになりました。まあ、ほんのちょっとしたシーンなんだけど、のぼさんの想いとそれを思いやる
リーさんの想いが交錯して、しかもそれぞれむちゃくちゃ演技派で・・・すっかり涙腺決壊。
視聴者の感情を動かすって、やっぱり難しいと思うしねえ。

こういう細やかな情愛というのは、日本人だけでなく、どの国にもあるとは思いますけどね。ただ、こういう相手のために、表情にさえださないようにする、
というところまで、っていうのが、日本人特有だし、昔はよく見た風景だったような気がします。相手のことを全力で愛するからこそ、
そういう情愛がうまれるんでしょうね。素直に全力でモノに当たれた時代でもあるんですね、明治って。
いや、時代のせいにしては、いけないのかもしれませんね。考えさせられます。

このあたりから、日本人的美徳の表現のないシーンが続きます。そこは割愛しましょう。

さて、つぎにそういうシーンがあるのは、ラストシーン、「東郷と真之の再会」のシーンです。

日本人的美徳の表現というのは、東郷さんのサムライ的考え方くらいかな。それでも十分ですけどね。

ということで、最後もサムライに触れられました。

ここまで、見てくるとわかるとおり、日本人の美意識というのは、サムライの死生観から発生したものが、多いんですね。

そして、サムライであることが、日本人の美的感覚にあうということが、この物語を追ったことによって、わかりましたねぇ。

いやあ、ちょっとまとめただけだけど、この文章だけで、日本人の美徳論になっているねぇ・・・(笑)。

ということは、日本人の美徳の表現という観点をもうけたのは、成功だったといえるでしょうか。

いやぁ、勉強になる。それだけ、中身のある、ドラマだ、ということが言えるでしょうね(笑)。


と、ここまで読んで頂いたみなさん、ありがとうございました。

また、次の投稿でお会いしましょう。お疲れ様でした。








求めているもの

2009年12月27日 | ドラマについての小ネタ
このところ、「日清開戦」についての記事が続いたので、ちょっと気分転換でも(笑)。

まあ、とにかく、続けて読んで頂いている方には、わかると思いますが、

第一回のレベゅ-から、毎回毎回ドンドンレビュースタイルが変わってきています。

それは、最初は「まあ、とにかく書いてみよう」という感じだったのが、毎回毎回

求めているものが増えているからなんですよね、当然の如くなんだけどさ(笑)。

あーこれができたんなら、こうもしたいな、という考えが湧いてきて、

まあ、毎回いろいろ変わっていると。で、今回目指していたのは、各シーン毎の評価をつける、

ということでした。そして、脚本の意図とアゲたもの、サゲたもの、そして日本人的美徳という観点

から眺めてみるという、三つの観点からの評価でした。とりあえず、それはなんとかなったかなー、という気分です。


まず、何を描こうとしているのかを考える契機として脚本意図は?という観点を設定しました。これは普通だよね。

そして、「天地人」について、批判を続けたときに、この「アゲとサゲ」という観点から見ると

だいぶその構造が読めたので、その観点も取り入れた、ということです。

そして、このちょっと変わった観点、「日本人的な美徳」という観点は、

まあ、直感的に、このドラマは、「明治時代人が持っていた、日本人の美徳」を表現しているな、と思ったので、

じゃあ、そういう観点で見てみれば、それが浮き彫りになるかな?と思って設定した観点です。

まあ、それらの観点から、各シーンを眺めることによって、よりこの「坂の上の雲」ってのが、何なのかわかるかなあ、

とぼんやり(笑)考えて、このような形になったわけですね(笑)。


まあ、元来、ドラマウォッチャーでもなんでもない素人ですから、ドラマの評価の仕方も自得しなければできませんから、

自分なりに考えてよかれと思ってやる、というのが、自分に合ってるように思えるのですよね。

まあ、ドラマ視聴について書いてある文献等を調べればあまたの方法が得られるとは思いますが、

そこはそれ、自分なりに考えた方法には愛着もわきますからね。調べて得た方法を使ってなにかの結論を得ても、

なんとなく他人のふんどしで・・・的な感じになりそうで、それでこういう感じになっております。

できれば、観点は増やしたいんですよね。増えれば増えるほど多面的な見方ができるはずです。

そうやって、切り刻む価値がこのドラマにはある。まあ、今回臭みや、罠などが露呈しましたが、

あたりまえです(笑)。そういうのを露呈させるためにやっているんですから。

というより、このドラマを存分に咀嚼し、消化し、楽しむことが目的でやってるわけですからね。

多少の臭みも、趣向のひとつとして、楽しむ気ですから。もちろん評価はシビアにつけますが、

だからといって、短慮に全否定などは、しません。というか、そんな結論、まだ、全然だせませんよぉー(笑)。

まあ、作品としての評価は、例えば今クールが終わったときに(今日だけど(笑))、考えるくらいのものですかね。


「天地人」なんて、ちょっと切り刻んだだけで、簡単に中身が露呈して、それ以来怨嗟の日々が続いた

わけですから、それに比べて(比べるな!(笑))、刻みがいがありますねぇ(笑)。


あと何で、こんなに膨大にセリフの抜き書きをするのか、と言ったら、それは自分が単に能力のない、アホだからです。

例えば、多くのブロガーさんが、本作品一回について、さらりと読みやすく笑える記事を書いていますが、しかもタイムリーに日曜日の夜などに。

はっきり言って自分にはそれはできません。庵主殿のもつ能力など、天才的でうらやましい(笑)。

だから、自分にできる方法を選択すると、こうなっちゃったわけです。セリフを抜き書きし、そのセリフひとつひとつから、

何がしかをとらえ、考えてみる。文脈の前後や、シチュエーション、表現、それらを1つのセリフから考えることで、

見えてくるものがあるはず・・・というより、そこからしか考える能力が自分にないわけです。


というわけで、能力のなさが、こういう方法をとらせているだけなんですねぇ(笑)。


それともうひとつは、この作品を文章化して、それを読んで楽しんでみるのも、違った感慨があるのではないかなあ?

と思ったからです。自分で書いていてなんですが、自分の描いた「高陞号」撃沈シーンあたりを読んでいますと、

映像等も思い出す効果もあり、なかなか盛り上がるんですよね。

違う媒体で、この「坂の上の雲」を感じてみたかった、というのも理由のひとつだったりします。

自分がつけた突っ込み文章等を無視して、純粋に脚本を読む楽しみも味わえることになりますからね。

そういう意味で、こんな感じになってるわけです。


そして、ここで開発した、観点やら、見せ方をさらに発展させながら、大河ドラマ(スペシャルドラマ)と遊んでいきたい、

そんなことを考えてるわけです。つまりは、「遊びたい!」という非常にシンプルな思いなんですね。

だから、モチベーション高いんだな。すぐ、へろへろになるけれどね(笑)。


まあ、今日の自分より明日の自分!(は、進化している)というのは、リアルに感じられますね。まあ、観点が増えていったり、やり方が進化してますから。
あと記事まとめるのも随分速くなりました。もしかしたら、
普通に話しているスピードに近いんじゃないか、という感じだし(笑)。
なんか普通に毎日進化しとるような気がするねー(笑)。

そういうのを自分で楽しめるのもいいですよね。いやあ、ほんと、ブログ初めて良かった(笑)、というのが本音ですな。


しかし、今のところ、存分にこのスペシャルドラマを楽しんでいるなあ(笑)。あとは、もう少しコメントが増えるといいんだけど(笑)。

相変わらずの地味で静かな場所です。まあ、普通、タイムリーで、短く簡潔な記事で、たくさん投稿というのが、ブログ発展の要素らしいんですけど、

ほとんど逆ベクトルだからなー。ま、多くは求めず、これからも質素に地味に行きましょう(笑)。


では、ここまで読んで頂いたみなさん、ありがとうございました。

また、次の投稿で。お疲れ様でした。

「日清開戦」の構造とまとめ

2009年12月27日 | ドラマについての小ネタ
本作品の構造的特徴について、述べたいと思います。

まず、冒頭におかれるのが、東郷提督を主人公とした、
「高陞号」撃破のシーンであります。

このシーンにて、まず、本作は、日清戦争開戦は、日本としては公正な態度であり、
国際法的にも、理にかなった開戦であったことを主張しております。
それに対して、清国側は、イギリス人を人質にとるような、悪辣なあり方があったと、
非難する立場をとっています。
さらに、いくさの勝利者としての、東郷及び日本を描くことにより、視聴者の気分を
まず、盛り上げています。

本シーンと対になるのが、真之が航海士として、乗り込み砲台に対して、艦砲射撃を実施した
シーンを描いた、「艦砲射撃のシーン」です。
真之らは敵砲台に対して、艦砲射撃を実施するが、艦側も相当な被害を受け、
真之も信頼していた原田水兵以下を亡くします。それは、敗者の風景であり、戦争の実際の悲劇が
描かれています。このシーンに対して、真之と部下との団欒及び信頼関係を描いたシーンが、
その直前にあり、この2つのシーンと、冒頭の「高陞号」撃破のシーンが、いくさの勝者、
敗者という描かれ方で、対となり、本作の強い背骨となっています。

冒頭の「高陞号」撃破のシーンに連なるのが、問題の処理のその後の有様を描く、
「日本首脳の困惑」、「ねずみ公使」、「権兵衛による査問」シーン
となります。この一連のシーンにより、列強に対して侮られない外交の実施、清国をリードする外交の実施、
東郷の正当性の確認、が語られていきます。この流れは、日本と東郷が主人公となって、語られています。

その後、今度は日本陸軍、秋山好古率いる歩兵隊と、騎兵隊の活躍が語られます。
まず、好古と部下たちの風景が描かれ、好古がその戦略的能力が高いことが語られます。それは、大将である
大山も認めるところであります。さらに、好古が部下より慕われている風景が描かれ、その人望の厚さが描かれています。

風景は、まず、好古の幕下の部隊が、前進するところから描かれています。突然巨大な敵部隊と遭遇、
最初からまず、不利で、さらに、ひどくなるが、好古は戦場酒に酔い、そして、潰走した部隊を
立て直すために、たった一騎にて、前線に出て、部下たちを叱咤激励し、酒まで飲み干すパフォーマンスにて、
その立て直しを図ります。部隊の士気は復活し、攻撃力も復活しますが、敵軍主力が押し出してきたため、撤退します。

未だ、整備途中の中途半端な陸軍と騎兵という印象を残します。

しかし、一方で、当初の敵であった、旅順要塞は、日本陸軍の手により、たった一日で陥落させられたことが語られます。

もう一方の主人公である、文学者のぼさんは、俳句革新の旗頭として、主に蕪村の再評価の仕事を実施しています。
しかし、国家への恋心やまず、従軍することを、その師、陸羯南に申しでます。陸は、子規の体調を心配し、
これを認めませんでしたが(「新聞日本での日々」シーン)、ついに従軍を許可します(「従軍許可」シーン)。
清国に渡ったのぼは、その眼で、清国の悲惨さを見ると同時に、日本兵の不遜さにも出会い(「従軍により見たもの」シーン)、
戦場で出会った森鴎外と親しく話します。鴎外は、日清戦争の結果について、解説し、
いくさより、病気にて失った兵が多いことを嘆きます(「鴎外との会話」シーン)。
のぼは、帰国しますが、その帰国途上の船で、再度、重度な喀血を起こしてしまいます(「帰国途上の喀血」シーン)。

「艦砲射撃のシーン」に続き、真之の心情を語る「軍人であることへの懐疑」シーンがあり、これにより、自信を喪失し、自身が軍人に向いていないのではないか、
とする懐疑をもつシーンが語られます。真之は部下を失ったことで、傷つき、深い懐疑の闇に落ち込みます。

その「軍人であることへの懐疑」シーンにに続き、連なるのが、最終シーンとなる、「東郷との再開」シーンであります。
自信を失った真之は、「高陞号」を打ち破り、「権兵衛による査問」でその将たる能力を絶賛された東郷により、癒され、
新たな道を見出し、自信を取り戻します。そして、この二人の再開シーンは、未来への予兆を提示し、
終了となります。物語の本筋は、「高陞号」撃破のシーン、「艦砲射撃のシーン」、「軍人であることへの懐疑」、「東郷との再開」シーンであり、
別の流れとして、「のぼさんの流れ」「好古の流れ」が並列に流れています。

今回は、「のぼさんの流れ」で、若干違和感のある、シーンが続いたものの、構造的には問題ないと考えています。

「のぼさんの流れ」は、「新聞日本での日々」「紅葉うち」「従軍許可」「従軍により見たもの」「鴎外との会話」のシーンで表現されています。
「従軍許可」のシーンでの、母親の指摘シーンに問題があった他、「従軍により見たもの」に登場する日本兵が、なぜか、昭和の兵であった、
問題がありますが、それ以外は、問題はなかったと考えています。

「好古の流れ」については、「好古と部下」のシーンと、「好古前進」のシーンのみの構成であり、今回はシンプルな構成となった感があります。

その構造について、まとめると、

まず、全ての前提として、日本の日清戦争開戦の正当性を主張した「「高陞号」撃破のシーン」が存在します。
そして、日本を主人公とする、「日本首脳の困惑」「ねずみ公使」があります。
次に、東郷を主人公にする「権兵衛による査問」が続きます。

真之については、「部下との団欒」「艦砲射撃」「軍人であることへの懐疑」「東郷との再会」(ラストシーン)という流れであり、

のぼさんについては、「新聞日本での日々」「紅葉うち」「従軍許可」「従軍により見たもの」「鴎外との会話」「帰国途上の喀血」という流れ、

好古については、「好古と部下」「好古前進」

となっており、のぼさんについて、比較的多く語られたことが、わかります。

一連の流れをみて、まとめると、

日本が、日清戦争を起こした理由は正当であり、国際的にも問題はなかった。清国側は事態を甘くみており、兵の士気も低く、結局敗残した。
東郷は、「高陞号」を国際法的に適性な手順を踏み、撃破した。その将としての資質についても激賞された。
真之は、今回、いくさに従軍し、部下を失い、自信を失うものの、東郷との会話により、自信を回復した。
のぼさんは、俳句革新運動を進めながら、日本国家に恋し、従軍し、いろいろな現実をその眼で見て、帰国途上で喀血した。
好古は、部下から信頼される、戦略眼もある将であるが、未だ、陸軍及び騎兵の発展は、中途半端だった。

となりますね。

のぼさんは、その死が近いから、真之や好古より、分量が多めなのでしょう。少し寂しい気もしますが(笑)。






坂の上の雲 第四話 「日清開戦」(8)

2009年12月26日 | ゆるちょ!のドラマ・レビュー!
日清戦争は、日本の勝利で終わった。連合艦隊は佐世保に凱旋し、戦勝を祝した。

と広瀬さんです。皆から慕われてます。ひろせひろせ、言われますが、
おう、ってな感じで彼は誰かを探しています。と、見つけてちょっと眉をひそめます。
池をみている真之です。なんとなく、鬱々としています。

「秋山、俺はロシアに行こうと思うちゅう」と真之をみてさきの話をします。
「ロシアに」と真之です。
「まずロシア語を勉強し、武官となっち、ロシアの懐へ飛び込む。奴らの本当の姿を見ちゃる」とまっすぐ真之をみて話します。
「偵察ですか」真之も少し静かに話します。
「シベリア鉄道の工事も着々と進んじょると聞く。シベリア鉄道の終点、ウラジオストックの意味を知っちょるか」と真之はちょっとわからない感じ。
「ウラジバストーク、東を征服せよっちゅう意味じゃ」とちょっとうれしそうに広瀬さんが話します。
「ロシアが今狙っちゅうのは満州、朝鮮、それから日本じゃ。日本海をロシアの湖にするわけにはいかんち」と少し雄大な気分です。
「わが海軍もこれからが正念場じゃけん」とそこまで言ってから、真之の方を見ると、
「秋山。わしゃ絶対におまえが海軍をやめるのを許さん。許さんぞ」と説得します。真之は、なんとなく鎮痛な面持ちです。
「広瀬大尉、司令がお呼びです」と広瀬さんは呼ばれ、
「わかった」と声を返し、眼だけで何事かを言って、その場を離れる広瀬さんでした。
真之は、宴席を離れ、なにかの建物の中に入っていきます。ひとりになりたいんでしょう。なにか、やりきれない感じです。
近くにあった椅子に座っていると、ビリヤードの音が鳴り、奥に高級士官がいることが知られます。椅子から飛び出す真之です。
姿勢を正すと、真之は、
「失礼しました」とお辞儀をします。と、中にいたのは東郷平八郎そのひとでした。
「宴席は好まんか」と少しにこやかに聞くと、
「いえ」と答える真之です。
「おいも今日は気が進まん。お、飲もうかえ」と提督自らウィスキーを用意します。真之も
「はい」と言って近づきます。軽く杯を上げ、提督が飲むのを待ってから、
「いただきます」と言って軽く飲みます。
「どっかで会うたな」と気づいた提督です。
「4年程前に、呉で」とあのときは、原田水兵も一緒でした。
「おーう、あん時の」と回想シーンです。
「こちらへきなさい。無断侵入者です」と清国の船の中のシーンが思い出されます。原田水兵と一緒に敬礼していました。
「清国北洋艦隊提督 丁汝昌です」と丁汝昌の面影を思い出します。
「惜しか、名将を亡くしもした」と、東郷さんもさみしそうです。
「はい」と真之もどこかさみしそうです。
「おはんはどこの乗り組みじゃ」と東郷さんが静かに聞きます。
「筑紫です。3人の兵を失いました。ひとりは私の命令で死んだようなもんです」と悲痛な真之です。と、真之は、一歩東郷さんに近づき、
「少将、ひとつ伺ってもよろしいでしょうか」と質問します。
「うーん?」と鷹揚にうなづく東郷さんです。
「よき指揮官とは何でしょうか?」と必死な真之です。
「あしにはそれがようわからんのです。少将は、ご自分の出した命令を後悔したことはありませんか?」と突然の難問に少々考え気味の東郷さんです。
「失礼しました。不躾な質問、お許しください」と、真之は、ちょっと自分を後悔しています。
「おいは、自分の命令で、千百人の清国兵を一遍に殺しもした」と東郷さん。高陞号の話です。
「指揮官は決断し、命令を下すのが仕事じゃ。一端刀を抜く覚悟をしたら、後は戦うだけでごわす」うーん、サムライだね、やっぱりこのひとは。
「じゃっどん、決断に至るまで、あらゆることを考えぬきゃんにゃならん。そいが指揮官たるものの、責務でごはす」指揮官とは大変な仕事ですな。
「しかし、考えに考えてどんな決断をしても、結局あしは、悔やむ苦しみから逃れらそうもありません」と少し弱り気味の真之です。それを聞くと東郷さんは振り向いて、
「おいも人間じゃ。そいはおはんと同じじゃ。悩みや苦しみと無縁ではなか」これを聞く、真之はなんとなく思いつめた表情です。
「じゃっどん、将たるもの、自分が下した決断を神のごとく信じらんにゃあ、兵は動かせん」それを聞く、真之の表情は、少し繊細な思いつめた表情です。。
「決断は一瞬じゃが、正しい決断を求めるなら、その準備には、何年、何十年とかかろう」と東郷さんです。
「よか指揮官とはなんか。犠牲になった兵のためにも、よー考えてほしか」と真之に問いかけています。
「急がば回れ、短気は損気」真之は、何かを静かに思いついたように、話します。
「何じゃ?」と東郷さん。
「亡き父の言葉です」そうでしたね。少しなつかしい。
「少将の言葉を聞いているうちに、この言葉が浮かびました」と下から見上げます。
「なかなかよか」と笑顔の東郷さんです。
「はい」やっと真之の顔に笑顔が戻ります。
「やらんか」とキューを渡します。
「はい」と真之がそのキューを受け取ります。この受け渡しのシーンが、将来の暗示になっています。キューをつく真之はいつもの表情に戻っています。

のちに、智謀湧くがごとし、と言われたこの人物は、九年後、少佐で日露戦争を迎えた。
その時、日本海軍は、彼の能力を信頼し、東郷平八郎が率いる連合艦隊の参謀にし、三笠に乗り組ませた。
東郷の作戦は、ことごとく、彼が立てることになる。

さて、このシーンでは何を表現していたのでしょう。
真之は、部下を失って自信を失っていたんですね。東郷と話すうち、その死んだ兵のためにも、何年何十年と準備してみろ、と言われます。
そして、「急がば回れ。短気は損気」と父から言われたことを思い出し、指揮官になる長い準備を始めることにした、というところでしょうか。
真之の回復を、東郷が担ったというシーンを見せ、また、将来への暗示というシーンにしたのだと思いますね。
冒頭で高陞号を倒し、途中サムライであることを紹介された東郷を、真之の回復の契機にさせ、かつ真之と東郷の結びつきを見せるシーンで、
結果的に視聴者も東郷に元気づけられる効果を狙っています。冒頭で高陞号を倒した意味がここにつながってきているんですね。その一番かっこいい提督に
主人公が元気づけられるのですから、これくらいいいシーンはないですね。そして、それが未来への暗示になり、エンディングとなる。
いい構成です。アゲは東郷さん、サゲはなし。日本人的美徳の表現というのは、東郷さんのサムライ的考え方くらいかな。それでも十分ですけどね。

いやあ、長くなったなあ・・・。ある程度書き方の型みたいのが、できたけれど、いやはや長くなりすぎだねぇ(笑)。
にしても、今は終わったことだけでも、祝いたいくらいだ(笑)。

あとで、とにかくまとめ的な記事を投稿したいと思います。とりあえず、書ききったということで。

そして、ここまで読んでくださった、みなさん、ほんとうにありがとうございました。

ここまで、一番大変だったのは、あなたです。








坂の上の雲 第四話 「日清開戦」(7)

2009年12月26日 | ゆるちょ!のドラマ・レビュー!
清国柳樹屯

子規の従軍は、結局は子供の遊びのようなもので終わった。
彼が日本を出発したときには、既に下関に李鴻章が来ており、講和談判が始まっていた。

いやいや、出てきましたよ。日本軍人。笑っちゃうほど、ステレオタイプ(笑)。
ある年齢以上のひとなら、もう、見慣れちゃって見慣れちゃって、なつかしささえ感じるキャラです。
昔TVとかでやってた「兵隊やくざ」とか第二次世界大戦ものには、絶対出てきてたキャラですよねぇ(笑)。
あえてここで出してきたNHKさん、その意気やよし!(by大山)です。
このキャラ登場には、ちょっとしたカラクリがあるのですが、それは評価のところで話しましょう。
もう、その存在だけで笑える。しかもレオ様(笑)。このキャラをレオ様がやってるってとこに、
また大きな意味があるんですね。それも評価のところで話しましょう(笑)。

いやあ、のぼさん、満面の笑み。もう楽しくって仕方ないって感じですが、これは、のちのちに起こるシーンでの
のぼさんの表情を際だたせるための笑みですね。そのできごとによって、大きく感情が振幅したという
表現をしたいがための笑みですね。


「日本人だ!」
と地元の清国人たちは、鬼でもきたかのように、散り散りになるわけです。まあ、事実鬼ですからね(笑)。
まあ、蜂の子を散らすというか、すごい反応です。軍人さん達は慣れてるから、どうってことないわけですが、
初めてそれを体験する新聞記者達は当然驚いたりするわけです。のぼさんもなんか不審顔(笑)。
まあ、軍人と新聞記者の一団は、そこに止まります。と、レオ様演ずる曹長さんが、ひとり前に出て、
これまたわかりやすい言説を述べます。

「この瓦礫とどぶの道がまさに」と言いながら振り返り、一番言いたいことを言います。
「征服者の道や!。今、清国の民草が、我ら日本人のために、最高の礼をもって、迎えてくれとる」

その通り!。素晴らしい。けだし名言ですねぇ(笑)。戦争とは政治の一手段であり、
征服を選んだのであれば、この状況がもっとも望んだ状況と言えますからね(笑)。

と、それを見つめている清国人達は不安そうにしております。

「まさに、はははは、快哉や、ははははは」

と曹長さんです。いやあ、素晴らしいね。よくできたキャラです(笑)。
とその言説に触れた我らがのぼさんは、違和感を感じます。非常な不審顔。当初とは
大違いですねぇ。この不審顔をより強調するために、最初笑ってたんですねえ。
と、のぼさん、新ためて気がついて、まわりにいる清国人たちをながめながら、ゆっくりと歩きます。
不安そうな清国人たち、それを見ながら、なんとなく別の思いが浮かんでいるようです。

「やめてくれ、もっていかないでくれ」
という声が聞こえます。まあ、支那語ですから、のぼさんわからないんですけど。
とにかく、好奇心旺盛なのぼさんは、その声の方に向かいます。

「それをもっていかれたら」と清国のおじさんです。
「うるさい」とどうも軍人が略奪を働いているみたいですね。戦利品を確保している、といった
あたりでしょうか。この頃の軍隊って、そこらへんの意識が普通にあって、
いくさに勝ったんだから、戦利品とるのはあたりまえ、だろ、という風に思っていたんでしょうね。

だから、今現在の感覚で、「そりゃ、普通にどろぼうだろ」という感じで見てはいけないんですね。
まあ、「普通にどろぼうだろ」、と思ってますけどね、そりゃ(笑)。

「もう、この村にはなにもない。すべてあんたらがもっていった」と清国おじさんが訴えるわけです。
「わしらは、一体何を食って飢えをしのげと言うんじゃ」とレオ様曹長にくってかかります。
もちろんここは、横暴にしなくっちゃいけませんから、横暴に「手を離せ」みたいな対応を
しております。
そうすると、副官みたいなのが、出てきて、清国おじさんの胸を銃床で思い切り突きます。
痛がる清国おじさんです。それを見ると、たまらなくなったのぼさんが登場。

「あーっ、兵隊さん、むごいことはやめんかね」といつものひとのよいのぼさんです。
と、近くにいた、小さい子供の頭をなで、
「にーらいにーらい」と言います。どういう意味?。と、今度は、汚い日本人の手に触らせられるか!
とばかりにのぼさんは清国おじさんに突き飛ばされます。まあ、そりゃ、普通の対応だわな(笑)。
「この子の親はお前らに殺された」と清国おじさんがまくしたてますが、のぼさんわかりません。
だけど、その表情で、わかるんですね。「うるせー、てめー、いいかげんにしろ!。しまいにゃ、泣くぞ!」
とか、言ってるように(笑)のぼさんには見える。人間の表情というのは、万国共通。そして、
誰でもわかるんです。

「いつかきっと、この子が親の仇を討つ」いやあ、この清国おじさんもすごい役者だね。ちゃんと怒っている感じが
伝わってきます。
と、それを見たのぼさんはショックを受け、
「何というたんぞね。今」とレオ様曹長に聞きます。で、このステレオタイプ軍人は、ちょっとだまったりしながら、
最終的には、わかりやすーい演技で(笑)
「日本の兵隊さん、ありがとう、と言うちょる」と、明らかな嘘を言うわけです(笑)。
「うそじゃあ。あのじいさん、かなり怒っとったぞな」とこれは、素直な反応ののぼさんです。
で、曹長さんは、新聞記者風情は、ガン無視で、歩いていってしまうわけです。
「ほんとは何と言うとったんじゃ?」と素直に聞くのぼさんですが、このセリフは、「あんた嘘ついたじゃろ」という意味でもあるんですね。
というか、曹長さんには、そう聞こえるわけです。
「嘘ついた」と言われて怒っている曹長さんは、振り向いてのぼさんに何か言おうとします。
しかし、何かそれについて言うと、自分が嘘をついた、ということを認めることになるので、何も言えず、また歩いていってしまうわけです。
その対応に不審を覚える素直なのぼさんは、「曹長さん、曹長さん」と続けるわけですが、
もちろん怒った曹長さんは止まるわけもなく、部隊をひきいて、歩いていってしまうわけです。あーわかりやすい(笑)。

のぼさんは、さっきの子も気になるし、清国おじさんも気になるしで、立ち止まってしまうわけですが、
軍人さんに、
「記者さん、私らから離れたらいかん。いつ何時襲われるかわからん。さ、行くで」
とたしなめられます。と、言われてもあまり事態を飲み込んでない、のぼさんは、さっきの子も気になるし・・・、
なんてやってると、周囲の視線にやっと気づきます。日本人をとりまく、清国人の目。
そして、はじめて事態がどういうものなのか、気づくのぼさんなのでした。って、遅いよ!(笑)。

夜、なんか食堂みたいなところで、夕飯の配分を受けていると、さっきの曹長さんがからんできます。昼間の仕返しというやつですね。ものっそわかりやすい(笑)。
「あんた。どこの記者や、まさか、日本ちゅう新聞社や、ないやろな?」って、知ってていやみいってんのかな?(笑)。
「ほうぞな、それがどうかしましたじゃろか?」と、悪怯れる風でもなく言い返すのぼさんです。
「仮にも日本新聞の記者やったら、もうちと、おのれのほへたにきぃつけんかい」「ほへた」って何?って感じですが、まあ、「しゃべり」ということでしょうか。
「日の丸背負ってる兵隊さんに対して、嘘つきとはなにごとや、あほんだら!」とさっき思ってたことを思わず口にしてしまうんですね。ま、この時点で、
嘘ついてたことを自分で認めたようなもんですが(笑)。
「あほとは、何ですか!。いくら曹長でも暴言は許さんぞな」といつもののぼさんです。かっこいーね(笑)。
「お前ら御用記者風情がなあ、黙ってわしの言う事書いとったらええんじゃい。えーか」いやいや、ここらへんレオ様ちゃんと迫力だしてますな(笑)。
「日本の兵隊さん、ありがとう、これでいいんじゃ」と一瞬メガネの存在のおかげで、つるべーさんに見えましたが、いやなかなかおもしろい。大笑いです。
「でたらめも大概にせんかい。あしは、あしは支那語はわからん」とまわりの新聞記者にとめられてますけど、動じないのぼさんです。
「じゃがの、あのじいさんがひとつもありがたいとおもうておらんのはわかるぞな」言うべきことはきちんという、すばらしいね。
「じゃかしい。あーもーいー(ここらへんわからん)、叩っ斬るぞ」と激昂した曹長さん、背中の刀に手をかけます。どうでもいいけど、ジムみたいだな、あれ(笑)。
「まあまあ、大人気ないですよ。日本からのお客さまを相手に」とここで、「トリビアの泉」で愛の武将に扮したこともある、榎木さんの森鴎外登場!。いやいや、
このひとは朝のテレビ小説「ロマンス」以来だから長いよねぇ。若いときから美男子でしたからねぇ。ダンディです鴎外さん。って、漱石さんとこんなに年齢違ってた?
って、調べてみると、5歳しかちがわないんだけど?今明治28年だから、1896年とすると、鴎外36歳、漱石31歳か。これで36歳かあ、まあ、
なんとか、ギリギリセーフか。子規が鴎外訪れてるのは史実みたいだね。実際は子規が訪ねてあいさつしたそうだけど(笑)。

「君も持つものが違う。脇差しじゃなく、ペンでしょ」ってのぼさん、脇差しなんて持ってたんだ。まあ、元武士だしね(笑)。
「君はひょっとして、日本新聞の正岡くんか?」と、まあ、ここはご都合主義で(笑)。
「はい。ひょっとして、あなたは」と驚きながらののぼさんです。
「兵站軍医部長の森林太郎です」いや、この若さですごいね。まだ、36歳ですよ(笑)。まあ、それだけ鴎外さんがすごかったっていうことだね。

というあたりで、解説書いちゃいましょう。
話題になった、このレオ様曹長。
まあ、この人物は創作ですから、制作陣になんらかの意図があるわけです。丸メガネで、刀を背中に背負い、軽く小太り。
この人物を見れば分かる通り、典型的な第二次世界大戦時の悪者日本軍人的風貌と行動を示しました。おかしい?と思いませんか。
だって、まだ、明治なんですから。軍人はいつでも同じだ?。鴎外全然違うでしょ。好古の周りにも、大山さあの周りにも、淳さんの周りにも、全然いない。突然ここだけに、出てきた。それは、どういうこと?。
つまり、この人物は、表向き、日本軍人の横暴と、清国人の出会った哀しみを描いているように見せかけて、実は、
こういうキャラをつかって、反日の思想や、単純な戦争絶対反対主義的風潮を広めたり、押し付けてきたひとたち、そして、「坂の上の雲」の制作の
邪魔をしてきたひとたちを笑ってやろう、という意思の元につくられたキャラなのです。
今や日本人全員が何かを批評する場を得ていると言っても過言ではありません。ネットとパソコン環境さえそろえば、
作品に対する批評の場をブログとしてもてます。そういう時代にあえて、彼らのやってきたことと同じことをやってみたら、
どうなるか、という壮大な実験を「坂の上の雲」の制作陣は、あえてしたのです。こんなリアルさのかけらもない批判のためだけにつくられた、あいつらの考えた、ダサイだけのキャラクター。それが今これだけ発達した批判の場に耐えられるのか。はっきり言って陳腐です。おお笑いです。ネットで散々叩かれているようです。
それは、とりもなおさず、こういうキャラを使い、反日の思想や、単純な戦争絶対反対思想を広めてきた人間達が、叩かれているのと同じなんです。
「こんなキャラ使ってたんだよ、陳腐だよねー、やることが。こいつら、アホだよねー、ほんと笑っちゃうよねー」と言って笑ってるのが、制作陣のわけですよ。
だから、このキャラは単なるピエロなんです。彼らを笑うためのツールに過ぎないんですよ(笑)。

戦争はおこしてはならない、と艦砲射撃のシーンのレビューで書きました。その思いは同じですし、戦争反対は皆普通に思うことです。
ですが、だからといって、戦争を連想させる映像を放映できないようにする、というのとは、全然別の立場です。

戦争絶対反対だから、特定の映像を放映させないという他人の見る権利知る権利を犯してまで、
自分たちの意見を押し付ける態度というのは、普通におかしいと思うんですけどねぇ。それは、特定の映像をみると、戦争賛成の人間が
できてしまうから、という考えからでしょうが、視聴者を馬鹿にするにも程がある、というものです。

はっきり言って、そういうひとたちは、思考停止者です。考えることをやめている。自分の信じているモノこそ絶対として、
それを他人に押し付けるだけ、それがいかに問題かなど、考えることをやめているんです。

「ひとは、考えるあし、である」という有名な言葉がありますが、逆にいうと、「考えないひとは、ひとではない」とも言えます。
そうです、考えないひとは、ひとですらないんです。

そういう思考停止者は、もう、ひとですらない。だから、せめて、笑ってやろう、というんです。

これは、「坂の上の雲」制作陣が、しかけた罠です。そう、ねずみ公使のごとく、果し合いの気分で、反日思想家や、戦争絶対反対主義者に
放った刺客なんです。このキャラについて、どういうコメントをするかで、そのひとの程度が知れてしまう。
彼らは、このキャラを描いたことについて、一定の評価をするでしょう。しかし、それは自分たちが笑いモノになっているのに、気づいていないか、
気付いていないふりしかできないことに地団駄を踏んでいるかのどちらか、ですね。そして、そういう一定の評価を彼らがコメントすれば、
「あいつら、笑われていることに気づいてないよ。やっぱり思考停止者だよ。笑えるー」と制作陣から笑われてしまう、ということになるんです。

そういう思惑のもとに、このキャラが創作され、演じられたのです。非常によくできた、「お笑い」システムです。

演じたのが、レオ様ですよ。まあ、いろいろあれなひとですが、記号的なモノでかんがえれば、その声から察せられるのは、ソフトな感じとか、
やわらかなイメージです。つまりこのキャラを本気で当時の軍人を批判するつもりで描くなら、本来、六平直政さんとか、ガッツさんとか、
割とそっち系なイメージの役者を使うはずです。そこにレオ様ですよ。ソフトイメージで、「これはポーズだからね。本気にしないでね(笑)」と
制作陣は言っているんですよ。レオ様も制作意図を知っているから、全力で嫌われる昭和軍人を演じたんですよ(笑)。きっと(笑)(知らないけど(笑))。

だから、こんなキャラで運動してきた思考停止者を素直に笑えばいいんですよ。「なんでこの役をレオが?」と誰だって思ったはずです。
理由はそこにあるんです。

NHK、なかなかやるな!(笑)。その意気やよし!(by大山さー)。

今や、肩書など、すでにこの世の中では何の意味もない。思考停止者か、そうでないか、だけが評価の対象です。
東大の教授だろうが、高名な研究者だろうが、何の意味もない。評価点は、唯一、「思考しているか、していないか」だけなのだ。

時代は急速に動いている。

思考停止したら、いけんよ(笑)。

さて、このシーンでは、何を表現したのでしょう。
というわけで、表向き、日本軍人の横暴。清国人の悲惨さ。それをのぼさんをうまく使って描いているという感じですか。
でもまあ、裏の意味は、そういう意味ですから。だって、このキャラおもいきり、浮いている。
それまで、日本人としての美徳的には、・・・と書けていたのに、ここではまったく逆ですから。
それだけ、制作陣の意図的なシーンだったということですよ(笑)。罠です(笑)。

第二軍軍医部長 森林太郎

明治の文豪森鴎外である。

「亡きひとの骸を隠せ春の草。正岡くんらしい写実の句だね。簡潔だ。だからこそ胸をうつ」しかし、あの本はそれっぽくつくってあるね。なんか微妙な感じがいい(笑)。
「あしは俳句復活のたいまつになろうとしております」ここらへん、いつもののぼさん節だね。ちょっとうれしいね(笑)。
「君が新聞に連載していた、「芭風紀行」も「後知らずの句」もよく読ませて頂いた」ほうそうなんですか。
「あしも先生の翻訳された「クラウゼヴィッツの戦争論」を読ませて頂きました」おう、俺も読んだぞ、昔(笑)。いいねえ、こうやって言い合えるのって。
「君はこの戦争の現実をどう見ました?」文学者同士ですからね。素直に聞きたいでしょうねえ。
「日本が勝ててよかったと思うております」いろいろな思いがありながら、結局そうなりますねえ。あの、清国の惨状を見れば。
「勝つには勝ったが犠牲も多くでた」日本側も同じということですね。
「現実はこうだ。今回の戦死者およそ8千。そのうち3分の2は病死じゃ」いくさで死んだわけじゃないんですよね。
「脚気、赤痢、コレラ、凍傷。我が軍は戦わずして悲惨な病に倒れた」戦わずして病というのが、つらいですね。あれ?確か鴎外って脚気の原因を誤って主張して、それで脚気患者たくさん殺したんじゃなかったっけ?。
「残念ながら、我が軍の医療体制の不備をさらけ出すことになってしまった」問題点が指摘されたということでもありますね。
「自分の医者としての無力さを思い知らされました」結局自分の反省になってしまいました。
「森先生は、この戦争をなんじゃったとお思いですか?」と、逆に聞いてしまう、のぼさんです。
「主題ですか?」さすが文学者。
「あ、はい」とのぼさん。
「我が連合艦隊の伊東司令長官は、敵の提督丁汝昌に、君たちは戦後、日本の維新を手本にして」とのぼさんにお茶をいれながら、
「国を作り直すべきだ、という降伏勧告文を送ったらしい」と感慨深げな鴎外さんです。
「じゃが、丁汝昌は毒をあおって、自決したらしいと聞きました」とさすが従軍記者です。
「維新と文明開化の輸出と売り込みってところですかね」とここらへんは、司馬さんの書いているとおりです。
「維新と文明開化の」とのぼさん、よくわかりません(笑)。
「不思議な親切。その不思議な親切さは、朝鮮にも向けられておる。彼らにしてみれば、余計なお世話じゃあ」なるほど、余計なお世話程度の話だったんですね。
「そういう戦争の本質から目を離して、やたらと戦意を煽る新聞は罪深い」とそれは確かです。
「正岡くんの書く従軍記事なら、写実じゃないと、困るよ」ちゃあんと写実を指摘する。さすが文学者ですな。
「はい」ちゃんと自分が思っている一番大切なことを指摘されて、のぼさん、ちょっとうれしいです。そして、鴎外さんもにっこりです。
「亜細亜の国同士の小競り合いは、ひとまず終わりました。じゃが、大清帝国が眠れる獅子ではないということが」と解説口調の鴎外さんです。
「知れ渡ってしまった以上、あとはロシアや、イギリス、フランス等の西洋列強の餌食になって、滅びていくしかありませんね」と現実を聞き、ちょっとよくわからない
のぼさんです。というか、この事実を解説する口調が榎本さんが昔演じていた「浅見光彦」を彷彿とさせてちょっとおもしろいですな(笑)。なつかしす(笑)。
「急患です」という言葉が、まるで清国を指しているようです。
「おう」と鴎外さん、医者でした(笑)。

帝国主義の時代である。列強は、常に牙から血をしたたらせている食肉獣であった。

さて、このシーンでは何を表現していたのでしょう。

のぼさんと、森鴎外という二人の文学者の見た、日清戦争というところでしょうか。
もっとも鴎外ばかりが話してますが。戦争で死んだ人間の3分の2が病気だったこと、という事実。そして、維新と文明開化の輸出という司馬さんの話を
出し、日清戦争の意味を提示している、ということでしょうか。そして、清国の行き先を鴎外に言わせている。
ある意味、解説ですね。アゲもサゲもない。日本人の美徳もない。ただの解説シーンとして、とらえておきましょう。

子規の従軍はほんのひと月余りだったに過ぎない。
5月14日、他の新聞記者達と共に、大連港で、佐渡国丸という船に乗って帰国の途に登った。

「正岡、甲板にあがってみろ、鱶がいるぞ」
「鱶?」とあれはイルカにもみえるが、よくわからない。
というより、のぼさん、急に喀血です。まわりの新聞記者にもひっかかります。
以前の喀血に比べ、量が多い。海を見つめるのぼさんの表情が暗い。そして、泣きそうです。なにか、暗い未来を暗示させるのぼさんなのでした。

と、とりあえず、今回はここまで。

いやあ、いろいろと問題のシーンがありましたが、やっとここまできました。
しかし、レオがピエロだったとは(笑)。
その意気や、よし(笑)。

ここまで読んで頂いたみなさん、ありがとうございました。

それでは、次の投稿で、お疲れ様でした。