「ゆるちょ・インサウスティ!」の「海の上の入道雲」

楽しいおしゃべりと、真実の追求をテーマに、楽しく歩いていきます。

この記事一応いいんじゃね?ボタン(作ってみました!) ちょっとさ、押してくれると、うれしいんです!(笑)

blogram投票ボタン

クリスマスの思い出

2009年12月22日 | 過去の物語
もうすぐクリスマスですねぇ。

いやぁ、「クリスマスまでの期間が、本当のクリスマス」みたいなCMが流れていますが、
まあ、確かにそうですねぇ。クリスマスの1ヶ月くらい前から、「もう1ヶ月するとクリスマスか」
なんて思い始めて、「今年はどんなプレゼントを贈ろうか」とか、「どんなディナーにしようか」とか、
「ワインは何にしようか」とかもう考えるだけで、楽しいことばかり(笑)。

そんな季節に、今まで買い込んできた、いくつものクリスマスアルバムをかけて、雰囲気を盛り上げて
いくわけです。まあ、クリスマスアルバムはことあるごとに手にいれてきましたし、
「そういえば、このCDはあのとき、あの場所で誰かといっしょのとき、買ったんだっけ」なんて過去を思い出しながら、
味わうのも、なかなか味わいがあるというものです。今もクリスマスアルバムで「ナット・キング・コール」の
「スターダスト」を聴きながら書いています。確か映画「めぐりあえたら」の年越しのシーンでかかる
「味わいのある美しい調べ」ですよねぇ。

最近のクリスマスは、「地味クリ」なんですってね。「家族」で団欒して、ケーキ食べて終わり、みたいな。
まあ、我が家でもそうなる予定ですが、自分たちが学生だったころとは、大違いですねぇ。
いやぁ、時代は変わるもんですね(笑)。

自分らが学生時代だったときは、世はバブル華やかし頃。バブル真っ最中でしたねぇ。
もっとも貧乏学生だった自分らは、その恩恵にほとんど浴しない世代です。
会社に入って「さあ稼ぐぞ」と思ったら、バブルがはじけていた、という感じですからねぇ(笑)。

当時は、クリスマスと言えば、ユーミンの「恋人はサンタクロース」が鳴り響き、山下達郎の「クリスマスイブ」
はJR東海のテーマソングとして響き渡り、多くの恋人たちに愛されたものです。
世の男達は、イブの夜のために、「高いレストランでの高級ディナー」「その後を過ごすための一流ホテル」
そして「恋人のために、ティファニーの3連リング(だったかな?(笑))」を用意していたものでした。
なんか、こうやって書くとすごいね(笑)。それだけ女性にお金をかけられた時代だったんだねぇ(笑)。
いやいや、今のひどいこと(笑)。まあ、それでも、そういう見た目ばかりじゃなく、
「本当に大切なもの」は、中身だということに、気づいたということなんでしょうかね(笑)。

当時学生だった自分は、お金もなければ、あまり時間もなかったのを覚えています。やたら忙しい大学に入ってしまった
おかげで、「ひーこら」しながら勉強ばかりしていたイメージがあります。レポートが週5本なんてあたりまえ、
時に10本なんてこともありました。しかも授業はたくさん受けなきゃいけないし。もう彼女なんて、つくってる暇
自体がありませんでした。それでも、休みの前になると、友人達と夜12時頃飲みに出て(それまでお勉強)、
朝まで飲んで、昼近くまで寝てるなんて生活をやってましたからねぇ(笑)。
それから起き出して、近くの肉屋さんやコンビニに行って、おいしいお惣菜と「ジャンプ」と「スピリッツ」を
買ってくるのが楽しみという非常にあっさりとした学生さんでした。
今から考えれば多少牧歌的な学生時代でしたねぇ(笑)。

その女性と友人になったのは、自分の大学とは別の某有名国立大学のとあるサークルの飲み会に招待された場でした。
自分はその女性と話した記憶はなかったのですが、大層気にいられ、次のとある飲み会に出席したとき、
「今日は、○○さんに会いにきたんです」とかなんとか言われ、ちょっとドキマギした記憶があります。
一緒にいた友人の女性がなぜかキレ、「よかったわね、ふん」みたいな感じになったのも、よく覚えていますねぇ(苦笑)。

その女性は、容姿端麗で、大学でも一、二を争う外見を持っていました。なんでそんな女性がなんのモテ要素もない
自分に興味をもったのかは、全く謎ですが、男子学生諸君には、「ほんと、お前はおもしろい」と飲みの席でよくいわれていたので、
そんなところが、気にいられたのかもしれません。まあ、彼女にとっては毛並みの違うあたらしいおもちゃ、という
ものだったのかもしれません。

さらに彼女の家は、古い家系であることも知らされました。いわゆる名門の血というやつです。そして、当然のように、
むちゃくちゃなお金持ち(笑)。なにしろ、東京の大学に入学が決まった時、母親が、「じゃあ、東京に家買わなきゃね」
などというビックリ発言をさも当然そうに出したそうで、その女性本人も「ちょっとびっくり」したらしいことを、
その聡明そうな大きな目をくりくりさせながら、話していたのを覚えています。

その後、彼女とよく遊ぶようになり、彼女のまわりにいる男性達とも仲良くなっていきました。彼女のまわりにいる男性達は、
いわゆる良家の子女というやつで、毛並みのいい血統書つきの高級犬みたいで、雑種の俺がこんなところにいていいのか?
と疑問をもつくらいでした。もっとも、良家の子女というのは、性格がよくて、容姿端麗という人間が多く、
どうも自分のテリトリーにあまりいない、雑種の自分をおもしろく思っているような感じで、
楽しく友人づきあいをしてくれました。

ただ、冷静に考えれば彼ら達も皆、彼女を狙っていたわけです。「ある男性が彼女に告白した」、とか、
「それを彼女がやさしく拒絶したらしい」とか、そんな噂がいつも出ていましたし、ある意味、そんな状態を
皆で楽しんでいたのかもしれません。ある高級ホテルの一室で、パーティーを開き、皆で朝まで楽しく飲んだり
話したりしていたこともありました。そのとき、二人で、避難用の階段に陣取って、星を眺めながら、
いろいろな話しをしたりしていたこともありました。


そのときの彼女の楽しそうな横顔を、今でもなつかしく覚えています。

長い髪が風になびく。ほほえむと目がなくなってしまう。透き通るような白い肌。きれいなラインの頬。

楽しい時間。気持ちのいい空間。どきどきする胸。「寒いね」と言ってお互いの手をこすりあって笑いあった。

「また、パーティーやろうよ」「そうね、絶対」「約束だな」「約束」

朝を迎えて、太陽がしらじらと登っていくのを、あまりの美しさに「ため息」をつきながら見ていた二人。

ずっと手を握りあっていた、二人。

僕は、そのとき、「このひとは、なんでこんなにうれしそうな笑顔を、僕にくれるんだろう?」

と思っていたことを覚えています。

「なんで、こんなに美しいひとが、こんなにうれしそうな表情をしているんだろう?」


その時の自分は、そんな人間でした。


彼女は溶けるような笑顔で、僕の指を強く握り返しました。

「パーティー、約束だからね」

「ああ」

僕も彼女の手を強く握り返しました。

彼女の瞳が笑っています。

熱いぬくもりが、手を通して伝わってきたのを覚えています。


それでも、なにも起こらなかった。


夜遅くまで電話をしあった。それでもなにも起こりませんでした。

いや、起こさなかったんです。

多分当時の自分は、彼女のまわりを取り巻く、絢爛豪華な男性達に、萎縮していたのかもしれません。
「彼女を愛する権利は、自分にはない」
そんなようなことを勝手に考えていたのかもしれません。だから、もう一歩前に踏み出すことができなかった。
彼女の考えていることなんて、想像だにできなかったのです。
彼女は、そんな自分を、まどろこしく見ていたのかもしれません。
あれほど、電話をくれたわけは、そんなところにあるのかもしれません。

楽しかった時期は、終わり、自分と同年の彼女は、浪人した自分より一年先に卒業していきました。

卒業してからも、なんやかやと一緒に会ったり、飲んだりしていました。

そんな彼女の就職した年のクリスマス、彼女の話してくれた内容は想像を絶するものでした。
某有名企業に入社した彼女は、最初のクリスマスで、150人を越す人間から、「イブを一緒に過ごそう」と
誘われ、50人以上の人間から、プレゼントを渡されそうになり、そのうち、「ティファニーの三連」は、
30個を超えていたそうです。結局、プレゼントは全て断り、イブは一緒に住むようになっていた兄と
静かに「地味クリ」だったそうですが。

その後、二人とも、忙しくなり、いつのまにか、会わなくなってしまいました。何年かして、彼女が某大手広告代理店の方と
結婚した話を聞きました。

それは、寒い日で、自分は久方ぶりに新しくできた恋人とクリスマスイブを過ごそうといろいろと準備に飛び回っている時でした。
近くのKFCに並んでいると、いつも耳の早い友人に見つかり、声をかけられたのです。
「○○さん、結婚したって聞いてた?」
その彼は当然自分が知っているモノと踏んだようでした。
「え、初耳だよ。そうなんだ?」
彼は僕の表情を慎重に見ながら、
「そうか。言わなきゃよかったかな。いや、てっきりおまえ、○○さんと仲良かったろ?。だから」
少しすまなそうに言います。
「いや、いいんだ。もう、連絡とらなくなっちゃったんだよ。二人の時間は終わってたのさ」
なにかが、カチリと音をたてたような気がしました。
「彼女、おまえにふられたって言ってたぜ。好きだったのにって」
そいつは、それだけ言うと、クリスマスセットを買って帰っていきました。自分の大切な彼女のもとに。

なんか書いてたら、いつのまにか、小説みたいになってしまいましたね(笑)。
クリスマスが近づくと、いつもこの思い出を思い出します。
なんか、ひたすらバブリーな話としても、ね(笑)。

それから、彼女とは、一度も出会っていなし、これからも会うことはないでしょう。
あのとき、自分が違う行動に出ていたら、二人の未来は、違った形になっていたかもしれません。
なんだか、ほんとうに、小説みたいな体験でした。
今は、彼女がしあわせであることを祈るばかりです。

あの頃出会った紳士淑女達はどうなったかなぁ(笑)。
日本の中枢にいるのかなぁ(笑)。
あの頃は、毎日がキラキラしていたような感じがしますね。
なによりも希望に満ち溢れていた。
彼女も美しかった。

まあ、自分としては、「美しいほんのり甘い思い出」が持てて、良かった、というところですかねぇ(笑)。

しかし、こうやって、振り返ってみると、自分は本当に馬鹿だったなあ、と
思いますね。女性がわかりやすいサインだしてるのに、自分勝手に
リアルお姫様逃してるんですからね(笑)。

ほんと、大馬鹿だねぇ(笑)。ははははは。

ま、こうやって笑えるのも、「思い出」があるからですね(笑)

年をとるのも、悪くはありません(笑)。
こんな風にして、「思い出」をまるで、骨董品のように取り出してきて、磨いて、そして、そっとしまう。
そんなことができるのも、年を重ねたおかげだから、です(笑)。

今年もクリスマスが来ますねぇ(笑)。



片山右京さんについて

2009年12月22日 | アホな自分
この話については、触れるべきなのか、どうかと考えました。

非常にデリケートな内容ですし、一ブロガーとして、扱うには内容が

繊細過ぎ、大きすぎの感じもあります。


でも、同じサイクリストとして、日頃から好感を感じていた片山さんでしたから、

ここは、亡くなった方への追悼の意味もこめて、記事を投稿したいと思います。


片山右京さんのニュースについては、既報通り、非常に悲劇的な結果を迎えて

しまいました。


片山さんは、何事にも前向きで、それこそ、F1レーサー時代の異名「カミカゼ右京」

の名の如く、山登りにも、自転車にも熱く対応してきた姿が印象的な方です。

何事に対しても、紳士的で前向きな印象でした。登山に対しての想いも深く、

それに対する知識や経験もシビアに身につけている印象でした。


彼を映像で見るようになったのは、F1参戦以来です。当時は、なかなか成績を

あげられない、一匹狼のようなイメージがありました。カーブになると、筋力不足で、

首が上下に動いてしまうことが多くて、「首振り右京」等とあだなをつけられて

いましたが、それでも一定の成績を残したことで、「UKYO」の名は、欧州にも

確実に残されていきました。今年のイタリア一周自転車レース「ジロ・デ・イタリア」を

氏が観戦に行った際、レース主催者から大歓迎を受け、選手同様にレース前のサイン・ショーに

引張りだされ、多くの観客から喝采を受けていたシーンを思い出します。


自転車に打ち込むあまり、一日に何百キロも走る超人的なトレーニングもこなし、

他のサイクリストから、あきれられる一面も持っていました。

それでも、物事に控えめな性格と好きな物事にはどん慾な姿勢は、ある種、天真爛漫な性格とも

あいまって、魅力的な人格として、周囲から愛されていることが、映像から察せられたものです。

同じ趣味を愛する人間として、「非常に魅力的なひとだなあ」、と感心しながら、映像を眺めて

いたものです。非常に前向きで、自転車を趣味にするひとは、「自動車並に、

信号を守りましょう」、というTシャツをつくり、そういう運動を自ら推進している方

でもありました。自転車を気軽な乗り物ととらえ、ちょっとした歩行者感覚で、

走ることをやめようとするものでした。初心者や意識の低いライダーが陥りやすい現象で、

今、自転車界でも問題になっている話で、それに正面から取り組んでいるところを見て、

非常に繊細で、真面目な方だな、という印象を持っています。何事に対してもポジティブな方で、

彼になら、「安心して、ついていける」、という印象もありました。


自分がサイクリストだからか、自転車レース関連の映像で御目に掛かることが多かったので、

あまり登山の面から見たことはなかったのですが、何かの番組で、

「登山を始めたことで、人生が変わった」というコメントを見たことがあります。

それだけ、氏にとっては、「登山」に対する想いが強かったのでしょう。

そういう意味では、今回の件は、あまりに氏の気持ちが伝わり過ぎて、

正直、心が痛いです。


普段、ニュースを見るとき、「もし、自分がそうなったら」という視点でモノを考えるように

していますが、今回程、その状況を想像することが、つらい話もありませんでした。


自分の計画のために、自分を慕い、自分の会社に入社してくれた登山のスペシャリスト達。

普段から目的を共にし、何度もつらい状況を耐えぬいてきた戦友とも言える友を、

その戦場で亡くしてしまった状況は、男にとって、悲痛以外なにものでもありません。

自分を「ある高み」へ導こうとしてくれた戦友を己の判断ミスで亡くしたことは、

彼の人生にとって、どれほどの痛みになるのか。どれほどつらいことか。


いや、一生をかけても、償えるものでは、ないように思えます。

氏が、それをすでに理解していることが、映像から垣間見え、

それほどの傷を負った、氏の姿を見るにつけ、感情的につらいです。



自分ら、サイクリストは、楽しくて気持ちのいい時間を過ごす一方で、

非常に怖い瞬間に出会うことも多々あります。

自動者運転者のちょっとしたミスで、簡単に命を奪われるからです。

自動車を運転する人間には、いろいろなひとがいます。

しっかり規則を守るひと、守らないひと。周りをしっかり確認できているひと、

確認できていないひと。車に乗ると急に自分がつよくなったと錯覚し、

ひどい運転態度になるひと。これは、日頃、気がちいさくて、きょろきょろしている

ひとに多いような気がします。そして、年齢的に、周りも見えないし、

ルールも守れないひと、という存在もあります。


そういう人たちは、自分の存在をおびやかす、我々のようなサイクリストを

目の敵にし、「ちゃらちゃら走ってんじゃねーよ」と悪態をつきながら、

車で威嚇したり、妨害行為をしたり、します。そう、車道は戦場なのです。


自分の存在をおびやかす人間を敵としてとらえ、攻撃を加える、無思慮な

人間達。車道はそういう場所です。自分が生きることに精一杯で、

他人は敵と考える意識の低いひと達。それらによって、サイクリスト達は、

脅され、辱められ、屈辱的な想いをもつことも多々あります。


もちろん、自分も自動車を運転する立場でもあります。

ですから、自動車を運転する立場から見たサイクリストについても、

批判的な気持ちを持っています。信号を守らず、赤信号での歩行者の意識で、

ふらふらと渡ってしまう意識の低いサイクリスト達。仲がよくて、

楽しいのか、2台で横並びになり、自動車の走行をさまたげる、

自分本位だけのサイクリスト達。そんなサイクリストを見れば、

誰だって頭にきます。だから、自動車運転者ばかり、責められないのです。


我々、サイクリストは、そういう戦場では、弱者です。

ほんの一瞬の自動車運転者の「ついうっかり」で命を落とします。

自分ももう何回もそんな「ついうっかり」で命を落としかけています。


後ろの安全も確認せずに、突然開けられた左ドア。目の前で開けられたので、

スピードも落とせず、そこに突っ込み全治3週間の重症。

左後を確認せず左折した車に巻き込まれ、全治1ヶ月の重症。そのときは、

頭部から血を吹き出し、救急車が来るまで意識がありませんでした。

あと、小さいものは数限りなくあります。


そういう事故を起こしておきながら、多くの人間は、その自分の起こした

結果というものについて、理解しない人間がいかに多いか、ということにも、

改めて驚いています。自己責任から逃れるための必死のいいわけ、

ミスを相手におしつけ、自らは何の反省もしない、大人たち。

そういうだめな大人達や、理解力のない、理解しようともしないお年寄り達、

そういうひどいひと達をたくさん見てきました。


それらの傷を受けているうちに悟ったのは、「人間は信用してはいけない、

たやすく、過ちをおかす存在なのだ」、ということでした。


それこそ、ある意味運命みたいなモノを感じるんです。

運命に支配され、目の前にいる、この人間は、自分の前に現れ、

自分を殺しかけたのだと。


そして、それは、ある意味自然現象なのだ、とさえ、感じています。

当然なのだ。運命だから、当然の帰結なのだ、と。


人間は、自然の一部です。自然が我々サイクリストに恐怖を与えて

いるんです。だから、我々は怖い思いをし、怪我をするのだ、と。

そうでも思わなきゃ、「やってられん」という想いがあるのです。

そういう想いが、我が身についた、数々の傷から、

連想させられるのです。


だから、戦々恐々としながらも、六感を研ぎ澄まし、戦場で、自転車に

乗っているのです。「あ、こいつの運転やばい」と気づけば、先にいかせます。

「なんか、変な車がくるな?」、と六感がささやけば、あえて止まってやり過ごします。


自然現象ですから、自己責任において、とにかく、危険は回避する。


ある意味、戦場に出れば出るほど、六感は研ぎ澄まされ、危険回避能力は

シビアにしごかれていきます。楽しいだけの自転車ではないのです。

楽しさと恐怖は、「紙一重」、なのです。


そういうサイクリストの立場からいえば、

右京さんの危険回避のセンサーが働かなかったことが、悔やんでなりません。

いや、そうではない。それは見方を間違っている。

そんな簡単なものではない、それを超える状況だった、と見ることこそ、正解でしょう。

優秀なサイクリストである、右京さんは、そういう危険回避センサーを

シビアに身につけているはずですから。


「自然は、こわい」と月並みなコメントに終始する以外ありません。


そして、右京さんのその、哀しみがいかばかりか・・・。

同じサイクリストとして、亡くなった御友人お二人の冥福を祈るしか、

今、自分にできることはありません。


そのために、この文章を書きました。