「ゆるちょ・インサウスティ!」の「海の上の入道雲」

楽しいおしゃべりと、真実の追求をテーマに、楽しく歩いていきます。

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「八重の桜」第二話 感想・・・風流に行こう!(吉川さんが、これからおもしろそう!)

2013年01月19日 | ドラマについての小ネタ
えー、晩酌を開始するまでに、まだ、少し時間があるので、「八重の桜」に関する小ネタでも書いておこうか、という感じです。

まあ、今日見た感想としては、

「やはり、ストーリー的にあっさりだなあ」

というのが、定番的にありますね。


そう言えば、かのトンデモ大河ドラマ「天地人」の悪口を書いている頃に、

「このドラマは中学生向けの歴史教育再現ドラマか?それくらい一回のエピソードが薄い!」

と、書いた事を覚えていますが・・・男性と女性が大河ドラマに求めるているのは、まったく違うものなんだから、仕方ないんですよね。


男性の生きるテーマは、「競争」です。

だから、競争の仕方を見たい・・・だから、濃密な歴史ドラマを求める。


でも、女性の生きるテーマは「共存共栄」です。

だから、今回の「八重の桜」で言えば、最後、父や兄に八重の思いが理解され、鉄砲の修行に許可を出す兄のシーンが重要だったんですね。


あそこを描く為に、すべての布石がなされた・・・しかし、八重の子役の子、かわいかったなあ。


これは、女性向け大河ドラマ「龍馬伝」でも、指摘したことですが、

歴史のシーンは、あっさり・・・これもお約束ですね。


まあ、吉田松陰なんて、覚馬さんが、一回会っただけのひとですから、あれくらいのあっさりの扱いなのも納得出来ますが、

佐久間象山先生もあっさりな描かれようでしたねー。


つまり、覚馬さんが、かっこよく、素敵に描かれていれば、いいんです。

覚馬さん周りが・・・家政婦のミタさんも、さわやか好青年に描かれていれば、それでいい。

なにしろ、女性のテーマは共存共栄なのだから。


あとは、おもしろくなりそうなのが、会津候周り・・・しかし、稲森いずみさんは、相変わらず気品のある女性を演じますね。

このひとがいるだけで、雰囲気に品が出る・・・いやあ、素敵な女優さんですよ・・・僕はイケメン会津候が好きなので、

このあたり、注視してみたいですね。


しかし、今日久しぶりに「龍馬伝」について、自分で書いた分析記事を久しぶりに読みまして・・・めぃりいさんのおかげですけど、

あの頃は、たくさんの女性にコメントを頂いていたんだなあと懐かしく思い出しました。


ま、女性に炎上させられていたのも、あの頃だったし・・・懐かしいですね。


その記事では、武市さんまわりは男性大河好き向けに作られていた・・・と指摘されていましたが、今でも僕はそう思っています。

そういう意味では、「八重の桜」は、覚馬周り・・・松重さんも含めて、そのあたりが、男性向けに描かれるんでしょうか。


あの、子供の八重に、

「鉄砲は武器だ。他を殺傷する武器なんだ」

と教える辺りの松重さんは、男性好みのストーリーだったような気がしますが・・・。


あと、吉川晃司さんが西郷をやってましたが、おもしろいキャスティングですねー。


まあ、吉川晃司さんは、「天地人」で信長を演じたんですけど、

「あれは、信長じゃねー。騙されたー」

と、どこかでのたうち回っていたので・・・ま、今回は新境地を見せてくれるんだろうなーと楽しみにしていましょう。


何事にも、風流を感じて生きて行きましょう。ほんとに。


まあ、だから、毎回あっさりなストーリーは、これはお約束として、甘んじて受け入れ、楽しさを見つけながら、一年見て行きたいと思いますね。


あと、それから、歴史的事実に噛み付いてみたいと思いますが、ペリーが佐久間象山にお辞儀をしたという例のエピソード。

あれは、佐久間象山の写真を見ればわかりますが、佐久間象山のめぢからが強かったから、ペリーが思わず頭を下げた・・・ペリーのめぢからは、

それほどではなかった、というエピソードです。


めぢからというのは、動物的能力なんですよね。


僕も今人生の中では、めぢからの力がマックスです。

なので・・・めぢからを敏感に感じるのは、これは猫なんです。だから、僕の家の近くの野良猫は、僕が仕事から帰ってくると、跳ね起きて、

臨戦態勢になったりします。

あるいは、身体をデカく見せて、「めぢから」極大で、僕を牽制したりするんですが、僕はまったく怖くないので、ずんずん歩いて行くと、

向こうが恐れをなして、逃げたりします。


それくらい「めぢから」が僕は強いので・・・男性に道を譲られたり、お辞儀されたりする・・・佐久間象山状態なんですねー。


だから、「めぢから」って大切なんですよ。動物的能力ですから、自然と動物的な強さで、ヒエラルキーが出来てしまう。


それを知っていたから象山は、

「めぢからの弱い浪人共に、この象山を斬ることが出来まい」

と、勝手に、自分の「めぢから」を過大評価してしまい・・・暗殺の憂き目に会うんですね。


まあ、「めぢから」の話で言えば、西郷隆盛さんも、皆から、

「巨大目さん(うどめさー)」

と呼ばれていたんですよね。


ま、幕末の英雄だもん。「めぢから」極大にもなるわな・・・そんな話でした。


ま、そんなミニ情報などもいれつつ、風流に、女性向け大河ドラマ「八重の桜」楽しんでいきましょう!


ではでは。

「八重の桜」感想・・・自分が変わってしまったのかもしれない。

2013年01月12日 | ドラマについての小ネタ
えー、ゆるちょです。

土曜日の午後、「八重の桜」を見てから、記事をあげようと思ったんですが、

ちょっとオンエア中にネガティブなもろもろがありまして、

僕自身はどうということは、まったくないんですが、ちょっと視聴どころではなくなり・・・ちょっと軽めの記事しか書けなくなりましたー。すいませーん。


まあ、子役のがんばりとか、綾野剛さんのイケメンぶりとか・・・このひと、一昨年の「新選組血風録」に出てきて、僕はそこで激賞したんですよね。

この若いのに沈毅な風情を出せるところとか・・・大河ドラマで見たい、みたいなことを書いた記憶がありますが、会津候ですからねー。

なかなか、よかったんじゃないでしょうか。


まあ、でも、大河ドラマの一回目のお約束って、感じでしたかねー。

まあ、勝麟太郎さんか、吉田松陰先生が出てきて、ペリーがやってきて・・・みたいな、なんか幕末大河ドラマの王道を行っている感じがしましたが、

なんだろう・・・女性向け大河ドラマ特有のライト感を感じますね。


なんかね、雰囲気で説得するってーのを、女性向け大河ドラマはやるんです。

それが女性にヒットするんですよ。女性の心をアゲアゲにする。


だって、女性は見たモノに最大限説得され、感情を作り出し、行動に移るわけですから、

「ああ、素敵な雰囲気・・・」

というのを構成出来れば、女性は気持ちよくなって、高評価・・・視聴率はうなぎ登り・・・そういう世界なのが大河ドラマの脚本づくりの世界なんですね。

それが女性向け大河ドラマのお約束なんです。


どうも、この間までやっていた「平清盛」のような、粘っこい程の歴史の濃さがない・・・忘れてましたが、このライト感、ちょっと「龍馬伝」を思い出しましたね。

いや、あれより、ライトな感じがするな・・・。


そりゃ、そうだ。男性向け大河ドラマは、エピソードを出来るだけ濃く描き、濃密にえげつなく描くのがお約束。

男性は理性でモノを評価しますから、謀略とかだ~いすき。男性の世界の本質は「競争」ですからえげつない謀略とか、「競争」に勝てる方法を知るのが大好きなんですね。


片や女性の世界の本質は、「共存共栄」ですから、女性が女性と助け合って生きていくシーンなんて女性は大好物。

会津も結局、戊辰戦争では、共存共栄して、がんばったわけですから、これは見事に女性向け脚本にうってつけなわけです。

みんなで助け合う要素が、女性は大好きだから・・・だから、今回後半の佐久間象山塾が描かれたんですね。

覚馬が助けあわれながら、勉強しているシーンも、

「イケメンがイケメンと助けあってがんばっている。すばらしいわー」

と、女性を蕩かせる要素満載、ということなんですねー。

そういう女性をポーッとさせる狙いがちゃあんとあるんです。


うーむ・・・なんか「龍馬伝」の愚痴を書いていた頃を思い出してきたぞー(笑)。


女性向け大河ドラマの特徴は、基本、雰囲気、基本、やわらかさ、たおやかさ表現なんですよね。

そして、雰囲気で見せる・・・あまり、エピソードを詰め込み過ぎず、基本、イケメンがたくさん出てきて、助け合う。

まあ、「龍馬伝」も、そうでしたねー。そう言えば。

まあ、「龍馬伝」を楽しんだ頃のような、ライトな気持ちで、見ていこうかなあ、と思います。


しかし、子役が会津訛りうまいね。

僕は会津言葉が大好きで・・・福島辺りに行くと、ほんとほっこりしますよね。

西田さんの本格的な会津言葉が、やっぱりかっこいい・・・これから、毎週、それが楽しめるのは、いいですねー。


まあ、僕的には、綾野剛さんを楽しむ・・・苦しむ松平容保を見るのが、楽しみの第一になりそうですねー。


あとは、松重豊さんを楽しむのかな。どうも、このひとは、いい・・・友人に似た奴がいて、どうも、そいつを思い出して、笑顔になるので。


まあ、このドラマの背骨は、なんだったんでしょう。

やはり、「ならぬものはならぬ」という言葉なんでしょうか。

子供だからと言って容赦はなんねえ・・・あの西田さんの全力の怒り表現がよかったですね。

子役が小さくってねー。しかし、この八重役の子役、うまいですねー。惚れ惚れしちゃいますねー。


まあ、しかし、最近は、VFXが普通になりすぎて・・・ペリー艦隊見ても、あまり興奮しなくなりましたねー。

昔は、すっげーと思っていたんですけどねー。


それから、僕は書く側の人間なので、最近は偉人が出てきても、前ほど感動しなくなりました。


佐久間象山先生なんて、これまで、いろんな佐久間象山先生を見てきたので、

「ああ、佐久間象山先生なんだろうけど・・・そういう表現か・・・そういうパターンの象山で行くのかー」

って、なんか、昔ほど、騙されなくなってきたんですよね。


っていうか、

「偉人って言ったって、普通の人間じゃん。西洋の文化って言ったって、それは究極的に言えば知恵の集積でしょ?」

「だって、俺だって毎日「しあわせになる為の知恵」作ってるし、同じフィールドで戦っているって言えば、戦ってるんだよね」

「他人に期待するくらいなら、自分に期待しろ。それが自分の人生を豊かにするのだ」

という考え方が出来上がっちゃって、無闇に、他者を賞賛出来なくなってんだよね。


まあ、脱サラしてから、どんどん人間が成長しているから、意識が1年前、いや、半年前とも、違って来ちゃっているんだよね。


だから、大河に対する意識も変わってきちゃっている。

以前みたいに、無闇に価値をおけなくなっている。まあ、だからこそ、視聴して、言葉を吐くんだけれども。

ただ、自分の成長というのは、日々わかる。だから、逆に、それがわかるから、それもいいことなのかもしれない。


結局は、自分の人生をどう輝かせるか・・・人間はそれがテーマですからね。

うむ、真面目に書いてしまった・・・(笑)。


まあ、まだ、第一回目ですからね。ライト感覚で見て行きましょう。そういうドラマだと見ましたね。


うーん、イケメンの助け合いを見る・・・それが女性向け大河ドラマの王道でしょう。

佐久間象山も、生瀬さんも、覚馬も、家政婦のミタのひとも、吉田松陰大先生も、みーんな助けあってましたね。


ま、なんか、いろいろ書けそうですね。今年は。

もちろん、女性向け大河ドラマを分析していけば、さらに女性を蕩かせる方法についても学べますから。


明日が楽しみです。


つーか、これから、書き溜め中の「ラブ・クリスマス!」をガンガン書いて、明日中くらいに、完成させちゃおうと思ってるんで・・・。

これね。すっごいおもしろいよ。イブに向かってガンガンクライマックス迎えますから。

生きるって素敵なことなんだなって、イブに思えるような、そんな仕上がりになっております。

楽しいこと、間違いなし!

月曜日から、再開でーす!


ではでは。

「平清盛」も、あと2回だそうで・・・最近、見るのが辛いです。はい。(愛しちゃったから・・・)

2012年12月16日 | ドラマについての小ネタ
えー、ということで、「平清盛」も、今日をいれて、あと2回・・・なんだかんだ、ほんと、この1年楽しかったです。

僕が「サムライ通信」を書かなくなったのは、これは、もう、「平清盛」が毎回、完璧に文句なく出来上がっていたからで・・・。

記事を書いても、褒めるところしかなくて・・・読んでてイマイチおもしろく書けなかったからですねー。


だから、

「これは、1年、ずーーーっと楽しく堪能すべきだ」

という結論になって・・・「サムライ通信」を書くのを辞めたんです。


おもしろかったから、記事をあげられなかった・・・それだけなんですねー。

まあ、ひとつだけ、残念だったのは、清盛が、厳島神社のライトアップをした・・・あの信長の安土城ライトアップにつながった・・・そのイベントの映像化が、

なかったこと・・・これだけが、残念でしたかねー。


まあ、実現するには、相当お金もかかるでしょうから・・・平家納経の制作過程が映像化されたり、禿(カムロ)の映像化があったことで、

ちゃらにしますかねー。


僕は、この「平清盛」を1年通して見てきて、源氏武者というモノ、平家の武将というモノについて、180度考え方が変わりました。


僕は平家タイプの武将を、

「文化を理解し、収入をシビアに増やすことに長けた、本当の武将」

という位置づけで見るようになりました。

その後継者こそ、平信長こと、織田信長です。


僕は織田信長の後継者を自認し、生きていくつもりです。

ま、彼の生き方をたくさんパクって生きてますからね。

そして、もちろん、織田信長も、平清盛の生き方をたくさんパクってますから。いーんです。


そして、源氏武者について言えば、

「文化を理解せず、野蛮にして、力だけで国を収めるしかなく、農民から税金をとるしか、収入を確保出来ない、発展性のない武者」

と位置づけるようになりました。


確かにその正当なる後継者、徳川家康は、260年間のミラクルピースを生んだ。

それは、世界史的に見てすごいことですし、平和な世界を作るお手本にもなった。


ですが、あれは、日本という特殊な環境だったから実現出来たものです。

「和をもって尊しとなす」

が、最高正義の国だったからこそ、文化上可能だったんです。


今、日本は世界をリードし、世界平和を本気で考えなくてはならなくなった。

であれば、源氏武者的有り様は、意味をなさなくなった。

今こそ、平氏型武将が求められるのです。


収入は清濁併せ呑むの気概で、がっつり確保し、新しい統治機構を作るために、既成の統治機構と戦い抜き、権力を握り、新しい国造りに、あと一歩!

というところまでいきながら、詰めが甘く、幻となって消えた・・・。


僕は清盛のすごさを1年かけて理解しましたね。


もちろん、人間は完全ではない・・・ということも。


信長と清盛って、非常に似ています。

よく一般の歴史学者などが言うのが、

「信長は突然変異だ」「信長は天才だ」

という言葉ですが、これは、どちらも間違っています。


ま、天下人の意識にすら、登れていない、サラリーマン的学者達に何がわかろうか、というモノですが、

僕は物語の作者ですから、信長の意識にもなれるし、清盛の意識にも、なれます。


それが出来なければ、物語の作者などには、なれるはずもない。


信長も清盛も突然変異などでなく、天才でもない・・・彼らは考えに考え抜いて、行動していたに過ぎません。

彼らは普通の知恵者に過ぎない・・・でも、彼らは考えに考え抜いて、結論に達するから、考えたことのない人間には、ついていけないんですよ。


例えば、幻の都と化した、清盛の神戸遷都。

これだって、昨日も指摘しましたが、秀吉の大阪大都市構想、家康の江戸大都市構想と同じものだ。

神戸港という一大貿易港を拠点にして、後背地に巨大な都市を作り上げるという、大阪城や江戸城の350前に、同じ知恵を作り上げていたんですよ。清盛は。


僕はこの世は、知恵者こそ、偉人になれると考えています。知恵者こそが、トップに立てると考えているんです。

知恵を・・・時代をリードする知恵をたくさん作れた人間こそ、最高のステージにいけると僕は考えています。


だからこそ、信長や清盛にあこがれ・・・平家型武将のすばらしさを説き、僕自身も知恵の鏡を毎日磨いているんです。

世界のトップに上り詰める為に・・・あえて高い目標を置き・・・これは信長さんに聞いた知恵です。

彼は最初から、「日本を平和にするためには、どうしたらいいのかな?」と考え、

「その為には、この俺が、性格のいい、この俺が、日本全土を手中にしてしまえば、いいんじゃん!」

と考えついたところから、始まっていったんです。

だから、目標は、最初から高いところに置く必要がある・・・そう信長さんに教わったことになる。


まあ、それはいいとして、信長も清盛も最高の知恵者なんですよ。

だから、信長は、清盛の素晴らしさを理解し、パクれるところは、パクリまくり、自身の知恵とした・・・つまりは、自身の武器としたんです。


彼の最高の武器は、その知恵を作り出せる所です。


よく歴史学者が、

「なぜ、織田信長は、こんな存在になれたのか・・・父に愛されたからだ」

なんてとんちんかんな言葉を発していますが、彼の本質は、常に理論的に考え単純化し、結果として周りに見せてあげる・・・その知恵の力とプレゼン能力にありました。

そして、それは清盛も同じだった・・・だから、清盛は、神戸遷都という形で、本当の武家というモノを頼朝にプレゼンしようとした。「平清盛」の中では。


平家の血を継いだ天皇の誕生・・・安徳天皇が収める新しい大都市化可能な貿易都市・・・それこそが、神戸遷都の意味であり、それが清盛の意図でした。


でも、同時代の人間には到底理解不能だったんです。

その知恵までたどり着いたのは、350年後、唯一信長だけだったんです。その真意を理解したのは。


「英雄のみが、英雄を知る」


そのものですよね。


だから、僕は、この1年、「平清盛」を毎週見てきて、それこそ人生が変わったと言ってもいい。

僕は絶対に源氏系の武者にはならない・・・文化を理解せず、力しか固辞できない、ださいオヤジになど、なる気など、さらさらない。

だって、あれ・・・今で言えば、新橋あたりで愚痴を言ってる、ださいおっさんの集まりでしょう?

口がヤニ臭くて、メタボで、ダサいスーツしか持ってなくて、加齢臭が激しくて、かみさんや娘からは毛嫌いされていて、

「亭主元気で留守がいい」

って、本気で、家族皆から見られている・・・家に居場所のない、仕事もあまり出来ないダサい男性・・・それが源氏系の大半の武者。


僕はそんな人間、まっぴら、御免ですねー。


文化を理解し、文化を体現出来る、武門・・・今で言えば平家型の武士は、自分の美をしっかりプレゼン出来る、かっちょいい大人の男ですよ。

女性に愛され、女性に毎日のように言葉をかけられ、笑顔を返せば、女性たちは喜んでくれる・・・そういう大人の男性。

もちろん、仕事も、その人間でしか出来ない最高の仕事をする、素晴らしい男性・・・周りの女性もクライアントの男性も笑顔になる、出来る男性のはずだ。

僕はそういうおとこを目指していますねー。


やっぱ、男はそっちを目指さなきゃ・・・。


ただ、清盛と信長の最後を考えた時・・・清盛の抜けた平家一門、信長のいなくなった織田家・・・そのどちらも急速に消えた。

つまり、素晴らしい知恵者の家というのは、その知恵者のパワーで大きくなったから、知恵者依存の体質になっちゃうんですね。

常に決断はその知恵者が最高の形で判断するから、知恵者が判断しているうちは、ガンガン成長していく。

ということは、その知恵者以外の一門は、判断のトレーニングが出来ていないことになるんです。

だから、その知恵者がいなくなると、突然一門に判断が委ねられるから・・・慣れていないことだから、失敗に失敗を重ねることになり・・・急速に消えることになる。

・・・まあ、豊臣家も同じでしたね。


その点、徳川家は、家康だけが知恵者にあらず、徳川家及び、その徳川家を支える三河衆1セットが知恵者であったと考えるべきでしょうね。


だから、知恵者になったら、一門の判断力トレーニングも実施しなければ、ならないんだな。

なるほどねー。


まあ、昨日、「幻の都」を見て・・・小兎丸に清盛がお辞儀していましたが・・・あれしか出来ないよね・・・あれは、小兎丸を通して、兎丸に謝っていたんだろうな。

「兎丸・・・あんな大きなこと言って、神戸に遷都までしたのに・・・失敗しちゃったよ、俺・・・ごめんな、兎丸・・・」

それを心で思って・・・それで、無言で、お辞儀!という形になったんだろうね。


その後、NHKに深田恭子ちゃんが出ていたけど・・・「平清盛」の映像を見ながら、せつなそうにしてるのね。

「平家一門で一緒に作り上げてきたので・・・正直つらい」

と言ってましたけど、僕もちゃずさんにも言いましたが、ほんとに、映像を見ているのが辛いですねー。


「本物の武家の世を見せてやる!」


と、20年前、清盛が幼い頼朝に宣言しましたけど・・・神戸遷都こそ、そのプレゼンだったんですよね。

白河上皇が生み出した、もののけの血が放った矢・・・それこそが神戸遷都まで突き進んだ清盛そのものとなった。

頼朝はそれを理解した形に表現されていましたが・・・あの若い頃、神輿に矢を放った頃の清盛・・・やっぱかっちょよかったですねー。

あの頃の清盛は、ギラギラしていて、かっこよかった。

おもわず見惚れる程・・・まあ、今の老齢の清盛を見ているから、懐かしく思ったんですけど、

神戸遷都は、清盛が最終的に行き着いた最高の知恵だったんですけどねー。


でも、確かに、平家の血を引く天皇が誕生すれば・・・その瞬間こそ、平家が最高の力を持った時ですから・・・神戸遷都のタイミングとしては、最高なんですけど、

そこで無理をしちゃったんだなー。


清盛の知恵を、もう少しわかりやすい形でプレゼンし、人々が望む形を作り上げてから、神戸遷都が出来ていれば・・・もう少し違った形になったかもしれないのに・・・。


日本人は嫉妬する民族だと言うことです。

平家の成功を、清盛の合理的論理的知恵の数々を理解もせず、文化もわからず、ださいおっさんの一軍が、いくさについて考えぬいていた義経という、

いくさのプロに率いられて、文化の極みの存在であった平家一門を蹴散らしてしまった。


平家は武門でありながら、公家の文化すら引き継ぎ、文化の極みの存在として、あの時代に出現した。

清盛の考えた、平家型武士です。それが。


それに対して、いくさに特化した武門が源氏型の武者だ。


それがぶつかったのだから・・・義経は放浪し平泉に入るまで、平家とのいくさのシミュレーションを何万回もやったんでしょう。

だから、いくさに対する知恵も深かった。

人間最後は知恵対知恵です。


だから、清盛が今日死んじゃうんでしたっけ?

あんなに早く、清盛が、死去しなければ、平家と源氏の戦いもまた違う形になったと思います。

なにしろ、いくさというのは指揮官の技量・知恵の戦いですから・・・いくら戦術に長けていても、戦略で決まる・・・これは平治の乱で、

清盛自らが証明していますからね。


清盛という、有力な戦略家がいなくなった平家が、有力な知恵者にして最高の戦略家・頼朝と、最高の戦術家にしていくさに対する知恵者・義経のタッグに負けるのは、

それこそ、道理と言うもの。


それはわかっているけれど、昨日の深キョンのような辛い気分になってしまいますね。

一年間、平清盛を愛してきたから・・・光らない君の頃から、清盛を見続け、応援してきたから・・・たくさん出てきて消えていったキャラへの愛情も相まって、

辛い気分ですねー。

それだけ、「平清盛」を愛し抜いた・・・そういうことでしょう。


「見るべきモノは見つ!」


と言って、僕も終わりたいですね。今年の大河ドラマ視聴・・・。


でも、いい大河ドラマは、たくさんのことを教えてくれます。


今年一年、本当にいろいろなことを考えさせられたし、いい知恵をたくさん見せて貰いました。


良いドラマをありがとう。


あと2回・・・大事に見て行きましょうかね。

大河ドラマについて、ちゃずさんと楽しいおしゃべり!(いい大河ドラマは、人生にいい影響をくれる!)

2012年12月09日 | ドラマについての小ネタ
えー、ちゃずさん、コメントありがとうございました。

まあ、大河ドラマ関連のおしゃべりだったので、日曜日にアップしようと思っていたら、

こんなに、遅れてしまって・・・いやいや、申し訳ありませんでした。


というか、最近、大河ドラマを見るのがつらくて・・・だって、もう、いつものような源平盛衰記パターン。

清盛は、もう、あれになっちゃってるし・・・いつものだめ平家の物語になっちゃってるんで、

1年楽しみに見てきた身には、つらいモノがありますから・・・。


それだけ、清盛に身を入れて見てきた・・・そういうことだと思います。

でも、松ケン、すごいですねー。

頭の硬くなった老人の役をしっかり表現していて・・・ひとりだけ老けメイクなので・・・弟は若すぎる感じもしますけどねー。


でも、あと一ヶ月、気合をいれて、觀ていこうと思います。

しあわせな時間も、あと一ヶ月か・・・ちょっとさびしいですね。

そういえば、昨年の今頃は、「坂の上の雲」の3年目を・・・これも、終わるのを寂しく感じていたものですが・・・あれから、もう1年が経つんですね。

そういえば、僕のブログは、「坂の上の雲」と格闘するためにアップしたので・・・もう、4年めに入ったんですねー。

ちゃずさんとも・・・長くなりましたねー。


>Unknown (ちゃず)
> 2012-12-01 14:26:35
> こんにちわ。

> 土日の記事アップはないかなぁ・・・と思っていたので、いつものように(?)記事が上がっていて良かったです。

> 12月になりましたね。
> 季節の変わり目で、気持ちと身体のバランスをとるのが難しい時期でもありますが、ゆるちょさんも、ゆるりと今から年末にかけてを、お過ごし下さいね。

ちゃずさん、こんにちわ。

ありがとうございます。

まあ、僕も死病を始め、いろいろやっていますから・・・体調を崩さないように、寒さには、気をつけるようにしています。

今日もゆるりと過ごしていますからね。

いとこ夫婦は今日は忙しそうだったので、今日はのんびりと、読めずに貯めていた本を数冊・・・暖かいココアなどを飲みながら、のんびり読んでいます。

テレビなど、一度も点けずに・・・好きな音楽に囲まれて、ゆっくりと本の世界に没頭していました・・・。


>朝、チラチラ白いものが空から降ってきました。

>吐く息は白く、とても静かな12月の始まり。

そうですか・・・そちらは、もうそういう感じなんですね。

この一週間で、季節も進みました・・・12月もすぐ終わっちゃいそうですねー。


>で。

>12月といえば、(私の中でですが)来年の大河と、今年の平清盛のクライマックスで、ちょっとソワソワ気味になっています。

そうですねー。ちゃずさん押しの、来年の女性向け大河も、楽しみでしょうし、ねー。

僕もキャスト的に楽しみですね。


>清盛のほうは・・・。
>ほぼ、傍観者なんですよねぇ。。。
>ストーリーは、面白いんです。
>私は、あの時代には全く詳しくなく、教科書で習ったぐらいの知識しかありません。
>なので、どのへんか創作なのかも、過剰演出なのかもわからないので、ただ、ひたすらただ、「見てる」視聴者なんです。
>なので、正直、どのキャラにも引き込まれず・・・。

そうだろうと思います。

確実に男性向けストーリーですし・・・男性はけっこう楽しめる内容ですけど、

でも、僕的にも、平家没落街道まっしぐらなので・・・そして、壊れていく清盛・・・長く清盛を愛してきた身としては、つらいものがありますねー。

前回、僕の好きなキャラ、伊藤忠清のコメント通り、平家はもはや武門にあらず・・・頼朝にも言われていましたが、清盛は20年何をやってきたんでしょう・・・。


でも、清盛のあり方を理解出来る人間は、この時代にいなかった・・・そういうことでしょうね。

この清盛のあり方の素晴らしさを理解したのは、350年後、清盛の跡継ぎを自認した、平信長こと、織田信長のみ、なんですから・・・。

だから、僕も清盛ファンのまま、がんばるつもりですけどね。

「武士は勝ち続けなければならんのだ!」

僕も肝に銘じて、そう生きていくつもりです。

そして、もちろん、武士はがっつり、収入も確保してこそ、です。

そこは、大事なところ・・・僕は平家系武士として生きていくつもりですねー。

「武士は食わねど高楊枝」なんていう、源氏系武士には、最初からなるつもりは、ありませんから。


いい大河ドラマは、男が生きる道を応援してくれる言葉をくれるもんです。

そういう意味では、ほんと「平清盛」は、オトコマエ大河でしたねー。


>ので、1話終わると、次が楽しみで仕方ない・・・とはいかないのが残念でなりません。
>女性は、登場人物に自分を投影したり、ストーリーに引き込まれて楽しみを見出すことが多いとどこかで聞いたことがあります。
>たぶんですが、私もまさしくソノタイプなので。

>で、来年の大河に目が向いているわけでございます。


そりゃーもちろん、そうなるのが、女性は当たり前ですね。

だって、今回の大河ドラマは確実に男向け大河なので、男性が気持ちよくなるように、たくさんの仕掛けが作られているわけですから。

女性向け大河は、ます、女性の生き方を描いていくモノです。

女性の日々の生活の苦労と、素敵な男性に対する、素敵な恋物語・・・これで構成されるのが、女性向け大河ですからね。

今年の男性向け大河は、男性を主人公に、その英雄的人生を描いたものです。

いくさ、と、日々の政治・・・美しい女性との、泥臭い恋物語・・・女性向け大河とは、構図がまったく違いますからね。

男性の好きなモノばっかり、詰め込んだ・・・そういう大河ドラマですから、ちゃずさんの目が来年に向けられるのも、そりゃ、当然です。はい。


>なんだろ~。

>ゆるちょさんなら、この感覚
>絶対分かってくださるんじゃないかって思って書いてるんですけど
>「敗者の物語に惹かれる」
>ってことありませんか???
>これは、物語。。いや大河に限ってのことかもしれませんが、新選組にしろ、義経にしろ、なんとなく、そちら側の物語にいろんなものが詰まっている感じがして。

はいはい。

もちろん、わかりますとも。

新選組、そして、義経・・・この「判官贔屓」という現象は、日本文化特有のモノなんですね。

世界で唯一、敗者に惹かれるのは、日本人だけなんです。

日本以外は、勝者こそ讃えられるべき・・・そういう文化ですから。

まあ、日本以外は、正義VS悪魔の構図ですから・・・勝者が正義になる必要がある。

それに対して日本は多様性の文化ですから・・・敗者には、敗者のストーリー、美しいストーリーがあることを理解しているのが、日本です。

だって、悪魔にも悪魔のストーリーがあるとしても、絶対に評価出来ないでしょ?欧米では・・・。

だけど、日本は、敗者=悪じゃない。

敗者にも、敗者の美意識があり・・・この美意識が、人々の共感を得るわけですよ。

新選組の、土方歳三にも、彼なりの美意識があり、それが皆を惹きつける。

義経は、あれだけ素晴らしい活躍をしたにもかかわらず、最後まで政治的に利用され、あげく、奥州藤原家撲滅の為のツールとして、最後の最後まで使われてしまう

義経の美学、土方歳三の美学のある、ストーリーに、日本人はやられるんです。その美学に・・・悲しい物語に・・・。


と、真面目に書いてしまいましたが・・・そうか、来年は、会津士魂物語か・・・僕の好きな、土方歳三さん出てくるんだろうなあ。それってやっぱり、楽しみ。


>いえ、私には、そんな理屈なんてなく、敗者の方から見た物語が見たいだけなのかもしれませんが。
>と、いうわけで、見てみたかったんです。会津の悲劇と、その後の姿を。

わかります・・・会津の悲劇・・・僕も小学6年生の時、鶴ヶ城に行きました・・・白虎隊の悲劇も、その時知りましたけど・・・。そうか、来年か・・・。

>八重の生涯をという話だそうなので、物語が会津から京へ移っていくじゃないですか。
>で、八重だけではなく、前半は、幕末のあの動乱も描かれるとか。
>う~ん。何度も見たはずの展開になるとは思いますが、それでも、やっぱり幕末は面白いなぁと。

そうですねー。もう、何回も見た・・・あの「龍馬伝」・・・もう、2年前になっちゃうんですねー。昨日のことのように、覚えていますけどね。

会津藩がどこまで描かれるか・・・楽しみですね。やっぱり、一旦は、京都守護職の固辞とか、そんなあたりもやるのかなー・・・そのあたり、楽しみですね。


>あ。吉田松陰を小栗旬さんがやるそうです。
>これは、すごく意外でした。
>でも、うん。似合うなぁ。

ほう・・・大河ドラマで小栗旬くんと言えば・・・トンデモ大河「天地人」の石田三成役が懐かしいですが・・・あのアホ大河があったから、

僕は今の道に進んだ・・・そうとも言える、あのトンデモ大河・・・懐かしいです。そうですか、小栗旬くんが、吉田松陰先生を・・・。


>そして、龍馬伝のように、あの時代を感じるようなその土地土地のコトバも、ドラマに厚みをもたらしてくれると、期待しております。

いいですね・・・僕は「会津言葉」って、大好きなんですね。

昨年のBS時代劇「新選組血風録」で、会津藩家老の広沢さんが、味のある会津言葉を使っていて・・・これが暖かくてすごい好きだったんですよね・・・。

ま、僕自身、リアルライフで、東北大好き人間ですから・・・。

ぜひ、あの再現をしてもらいたい、もんです。はい。


>女の道は~なんて、お姫様物語が昨年にありましたが、あーゆーのは・・・。

うっ・・・でも、同じ女性向け大河ですからねー・・・ちょっと心配ですが、そうなったら、辛辣に毎回批評をしちゃうことになりそうですけど・・・。

それも楽しみだったりして(笑)。

つーか、あそこまでひどいと、視聴しなくなっちゃうから・・・味の加減をうまくやってもらいたいもんです。


>と、いうことで、ゆるちょさんと、こんな話をしてみたかったので、コメントに書いてしまいました。

>寒いので、心身ともにお大事になさってくださいね。


ありがとうございます。

最近は週末のんびりしているし・・・体調管理が一番ですね。健康の為には。

ちゃずさん、コメントありがとうございました。


確かに敗者の物語には、日本人として、おもっそ惹かれます。

でも・・・今の「平清盛」は、心が痛い・・・あのさわやか頼朝くんが、義経を切るのか・・・それもまた、見たいけれども。


さて、「平清盛」も、あと一ヶ月・・・随分楽しんできましたが・・・夢や希望が消えていく・・・若い時代に夢見た夢が・・・。

こういうのを見ると、僕はそうならないぞって、逆に勇気を貰ったりもしますね。

男は責任を持って、自分の人生、かみさんの人生、子供達の人生を作らねばなりませんから。

男は人生のストーリーメーカーですから。

「人の振り見て我が振り直せ」・・・これに、平清盛の人生を使え・・・そうこの大河ドラマは、言ってくれてるんでしょうねー。

やっぱり、いい大河ドラマは、自分の人生に、いい影響をくれます。

そのつもりで、残り一ヶ月、大河ドラマを堪能しましょう。


今年の大河ドラマは、本当に、為になった。自分の人生の為に・・・。


さ、今日も気合いれて、大河ドラマを堪能しましょう!


ではでは。

時代遅れの大人たち!維新の会は、単に大阪人が権力握りたいだけー!(「平清盛」雑感!)

2012年09月09日 | ドラマについての小ネタ
まあ、「平清盛」については、通信記事は諦めました。

っていうか、おもしろすぎて、毎回、満足してしまうので、記事を書く気になれない・・・そういう素晴らしい誤算なんですねー。

だから、

「あれも、素晴らしい、これも素晴らしい」

じゃあ、提灯記事と同じですからねー。


まあ、だから、通信記事は、お休みしているわけですけどね。


まあ、前回だって、おもしろかったじゃないですか!

まあ、第一回から見ている人間にとって、サービス回ですよ。

なんと言ったって、太政大臣に上り詰めた清盛に、あの白河院の伊東さんが、話しかけるんですからねー。

まあ、そういう荒唐無稽な夢物語ってのは、もう視聴者サービス以外の何ものでもありませんからねー。


いやあ、楽しかったです。


夢ってのは、素材としては、非常に使い勝手がいいんですよね。

だから、楽しかったですね、前回は。

まあ、後白河上皇が泣いちゃう・・・なーんてのもあって、ねー、おもしろかった。

「おまえ死ぬなよ。俺がつまんないだろ!」

的な非常に子供っぽい上皇様で・・・ま、上皇様の人間性が描かれていておもしろいですねー。


まあ、でも、毎回満足ですね。僕は。

この「平清盛」には。


まあ、前回は、とりあえず、第一回目から歩んできた・・・まあ、太政大臣に上り詰めるまでの清盛物語に終止符をうち、

今回から、相国入道の、よく源氏モノで、描かれる清盛VS源氏軍の物語になるわけですね。


まあ、祇園の女御様も出てきて・・・この脚本家さんは、その物語にプロの歌手をフューチャーするのが美味くて、

「ちりとてちん」では、五木ひろしさんでしたが・・・この「平清盛」では、松田聖子さんだった・・・というわけなんですねー。

まあ、その祇園の女御さんも、前回で、ラストだったんでしょうかね。そのための回でもあったんでしょうかねー。


僕は、清盛が、頼朝を蛭ヶ小島に流したのは、源氏=もう一方の武家=将来的には、仲間にする気満々・・・まあ、手下かもしれないけれど・・・。

という意識だったと見ますねー。まあ、源三位頼政のように、配下として使いながら・・・だって、頼政ごときで、三位になれたのよ?

明らかに時代が武家のものになってきた・・・つまり、清盛の意識の中では、公家VS武家であって、武家は公家にとって変わっていく未来を考えていたんだと思います。

だから、頼朝は、将来、そういう武家としての味方と見ていた・・・だから、義朝が地盤にしていた東国に彼を流した・・・そう見るべきでしょう。


清盛が敵として見ていて、頼朝を危険視していたなら、自分の影響力が大な、広島あたり、少なくとも瀬戸内に起き、落ち度が少しでもあれば、即刻首をはねたに違いありません。


清盛は甘い人間だったと指摘する向きもありますが、

清盛は、むしろ、公家VS武家の有力な跡取り息子として頼朝を見ていたし、それをコントロール出来る重盛・・・そう見ていたんでしょう。

しかし、重盛が先に死ぬという・・・清盛にとってアンラッキーな事象が起こり・・・そこから、時代のうねりに翻弄されたのが、清盛だった・・・そう見るべきだと思いますね。

つまり、そういう大きな清盛の気概を思う時、東国の人間達のけつの穴の小ささ具合というのは、これは笑うに値しますよね。


結局、彼らも権力を握りたかっただけなんだよな。

清盛は、武家という階層をひとり背負っていた・・・そして、そこにたどり着くために泥の中を這いずりまわった。

全部自分の頭で考えて、やりきった。


だから、信長は、その清盛を知っていたからこそ、平氏を名乗ったんです。

戦に勝ちたかったら、貿易して金をガンガン増やし、その財力で、戦に勝つ・・・公家に対する戦にもね・・・清盛はそれを知っていたからこそ、平家はあれほど栄えた。

信長はそれを知っていたんです。


頼朝以降の武家を見てください。

金がない・・・絢爛豪華な平家納経や、厳島神社などの平家文化に比べて、源氏の文化のお金の無さは・・・ちょっとねえ。

「武士は食わねど高楊枝」

こういうことになるのは、東国の武士達が、いかに財力というのを、軽く考えていたか・・・その慣れの果てが、貧乏武士のあり方につながるんだな。


貧乏武士的源氏と、豪壮華麗な財力を誇る平氏・・・徳川家と織田信長があとを継ぎ・・・今はどうなってます?


僕は織田信長のあとを継ぐつもりです。

貧乏武士なんていうしみったれた世界はいやだ。

お金はがっつり稼いでなんぼです。

だから、権力を江戸幕府から剥がし取り、自分たちの元に権力を奪取しようとしている堺屋太一以下の維新の会も、あまり信用できねーな、って感じです。

清盛程の大きな構想力がない。

節約節約でしょ、みみっちい。


もっと、若い人間たちに大きな夢を見せろっての。

ほんと、今の大人達って、みみっちいよね。

貧乏武士的発想そのものでしょ?


清盛や信長のように、世界的に日本人ががっつり儲ける仕組みぐらい考えて、国民に訴えてみろよ。


そしたら、清盛も信長も喜ぶでしょ。

ま、僕は世界的にガンガン儲けてガンガンお金持ちになろうと、本気で考えていますけどね。

世界基準で戦えるように考えていかなければ、置いてきぼりをくらうと思います。


この時代、日本の中だけを相手に戦っていたら、時代遅れも甚だしいと思いますけどね。

少なくとも、東京から権力を奪いたいだけの、

「地方から日本を変える」

なんて、セールストーク、

「これ、健康にいいのよ」

というセールストークとレベルは一緒だよ。


要は

「権力よこせ、金を俺の使いたいように使わせろ」

大阪維新の会の言いたいことは、これだけ。

「江戸城から権力を引き剥がし、大阪人のモノにしろ!」

これだけですよ。彼らの考えは。

日本人のことを考えているように見せかけて、要は大阪人が権力握りたい、それだけ・・・あの頃の源氏と同じでしょ?

けつの穴の小ささが酷似しているじゃん。


ま、えせ民主党でしょ。

要は権力握りたいだけー・・・実現可能性のわからない政策を並べて、いかにも、素晴らしい政党のように見せてるだけー。

まあた、馬鹿な能なし馬鹿が、ダマされるんだろうね。壮絶に。


と、あれ・・・清盛について書いていたんだけどな・・・。


ま、清盛程の構想力を見せて欲しいもんです。


「平清盛」の視聴率が上がらないのは、ものを見る目がないひとが、多いってことでしょう。

そして、そういう人間こそが、維新の会に騙されて票を入れる・・・民主に騙されても、懲りない人たち・・・それがこの日本の今の大人達ってことでしょう。


ま、そんなのは相手にせず、静かに世界に行っちゃいましょう。

そして、世界的に価値を持ち、がっつり稼いでいく。

わかっているひとは、もうやり始めているよ。


これからは、政治に期待せず、自分に期待する時代だ。

もう、政治なんて、二の次、三の次。

期待する先は、自分・・・そういう時代になって来ているんだよ。


以上

結局は、目標を高く持ったもんの勝ち!(義朝が結局、馬鹿だった!)

2012年07月08日 | ドラマについての小ネタ
さて、大河ドラマ「平清盛」も、今日、大事な対決を迎えますね。

「平治の乱」

なわけですけど、信西さんは、死んでしまいました。


まあ、信西さんは、

「成り上がりの坊主」

などと言われていましたが、まあ、新興の貴族と位置づけられていましたね。


つまり、貴族間の権力闘争・・・あいも変わらず、なわけです。

じゃあ、清盛は、なぜ、「信西」に自らを賭けるような行為をしているのでしょう?

もちろん、この大河ドラマにおいて・・・ですけどね。


実際の清盛は、信西一本槍ではなく、それぞれの勢力と対等の距離を置いていた・・・それぞれの勢力に娘を嫁がせていたようですから、

一方に肩入れすれば、勢力の均衡が崩れると見ていたんでしょうね。

平家の力の価値を知っていた清盛・・・そういうことになります。


ま、それは置いておいて、ドラマの話に戻りますと、信西は清盛をビジネスパートナーに選び、清盛を引き立てることによって、

自らの権勢の担保にしていた、という側面がまず、挙げられるでしょうね。

信西と清盛のビジネスパートナーとしての危機・・・叔父忠政を斬らせた時でさえ、

「新たな存在になれ」

的なメッセージを出して、清盛の意識を変えていますから、信西にとって、清盛は、無くてはならないビジネスパートナーだったんですね。

その引き立てに呼応する清盛・・・。


おもしろいことに、清盛の子、重盛が前回、

「信西入道がいる間は、平家は天下をとれない。信西を見殺しにして後、源氏を皆殺しにすれば、天下がとれる」

的なセリフを吐くんですね。

でも、それは間違い。

この段階での武士は、受領(今の県知事)としては、認められていても、国政に関わることは出来ない。


だから、国政を担当出来る貴族をビジネスパートナーにする必要があるわけです。


清盛にとっては、平氏自身が、国政を司れるように中央に認められるまでの、ある意味、パスポートだったのが、信西なんですね。


まだ、平氏自身、国政を司れるまで育っていない・・・清盛にはそういう意識があったでしょう。

そこを安易に勘違いしているのが、重盛であって・・・貴族間の権力闘争の双牙に成り果てたのが、義朝だ、という意識になっているのが、清盛だと思います。


つまり、義朝の今回のやりようは、武家的存在から国政を司る貴族的存在へ脱皮しようとしている平家にとっては、信西というパスポートを失ったばかりか、

武家のあり方を、貴族の権力闘争の為の犬に、固定してしまう、最悪のやり方なんですね。


貴族の「武家に対する意識」を変えさせようとしている清盛に逆行するやりかたなんですよ。


甚だ頭の悪いやり方と言ってもいいでしょうね。


だから、清盛は、

「力を誇示するだけでは、武家はうまくいかない。俺のようにうまくやれ」

と何度も義朝に対して、メッセージを出していた。


清盛は、武家でありながら、国政を担当する力を持とうとし、武家の価値を高めようとしていた、

それに対して、義朝は、武家の地位を、ただの戦闘力に過ぎない、という価値に固定しようとしていた・・・だから、清盛はブチ切れるわけです。


「おまえは、アホか!」


そういう意識だったでしょうね。清盛は。


しかし、思い出しますね。

最初の頃、清盛に会うと義朝は、いつも、

「おまえは、どうして、そんなに馬鹿なのだ!」

と、言っていました・・・あそこから、つながってきているのか・・・すげえや、この脚本。


「平家と源氏のどちらが上か・・・それを決するのは、武家がもう少し力を得てから・・・それまで先送りしても、いいんじゃね?」

と、闇討ちの回で、忠盛さんが為義さんに言っていた言葉でしたけど、とうとう、今回、それを決する日が来ちゃったんですね。


あの忠盛さんの言葉から、今回がつながってきているんです。


武家が力を得ようとしているのに、それをダメにしようとしている義朝・・・だから、清盛は、源氏排除!を決めたんです。


馬鹿だったのは、結局、義朝・・・まあ、それが結果に出ちゃうんですけどね。


義朝さんの長男、悪源太義平さん・・・このひと、早稲田の政経卒だったりするんですけど、

このひとも「ちりとてちん」組でした。確か孫権役・・・草々(そうそう)さんが鬼若さんでした。まあ、いいか、それは。


目指しているモノが違うと、こういう結果になるといういい例ですね、この話。

大河ドラマは、そういう生きた教訓を僕らに提示してくれます。

僕らはそれを受け取り、自分の人生に生かしながら、しあわせになる為に生きていけば、いいんです。


目の前にある安易な目標を持たず、自身の価値を高める為の高い高い目標を持ちましょう。

そして、、それを達成すべく、毎日、努力すれば、いいんです。

その目標に向かって歩いていけば、いいんです。


それが結論ですね。

大河ドラマ「平清盛」速感!(ショートな感情!)

2012年06月17日 | ドラマについての小ネタ
いやー、おもしろかったですねー。

というか、この脚本家さん、先輩脚本家さん・・・向田邦子さん、オマージュのシーンですよね。

「時間ですよ」で、西城秀樹さんを殴って落としたように、

重盛を、殴って落とした・・・これは、向田邦子さん、オマージュですよ。


そして、相撲の節会・・・これ、信長と同じじゃないですか!

まーた、信長と、清盛の類似部分を見つけましたねー。


まあ、それはいいとして・・・この回は、何を目指したんですかねー。

脚本家さんは・・・重盛の結婚と、否定・・・でも、これは、清盛の投げ落とし、を見せるためでしょう。

自分に自信が出来て・・・過去のお殿様とは、違う・・・そう言う清盛のやり方。

それを見せつけるために、そういうシーンがあったんでしょうねー。


信西と清盛・・・やり方は違うけれど、

天下をとろうとしている。

方法論が違うんですよね。

でも、やる気だ・・・清盛は。

それを見ていくのが、これからの、大河ドラマファン、ということになるんでしょうね。

その信西も・・・。


年齢を重ねたら、ビジネスパートナーを見つけなきゃいけない・・・そういうことでしょうね。

ビジネスパートナーを見つけたら、一蓮托生、そういうことでしょうねー。

ま、見つけましょう、ビジネスパートナー。

そして、一蓮托生で、行きますか!


清盛の生き方、参考になりますねー。

参考にして、幸せになりましょう!


ではでは。

「平清盛」は、やっぱりおもしろい!(脚本家は、何を言いたいか?)

2012年06月09日 | ドラマについての小ネタ
しかし、「平清盛」は、いつ見てもおもしろいねー。

ま、雨ということもあって、再放送を見ちゃいましたが、

まあ、おもしろい。

まあ、最近、「サムライ通信」が書けていませんでしたが、そろそろ身体も治ってきたので、

再開していきたいと思いますね。

まあ、僕のカラーである、辛辣・・・出来るだけ、辛辣に書いて行きたいですねー。

どうも、最近、やさしすぎていけません。

「辛辣」にモノを語ることこそ、大事だと思いますからねー。

やさしさに逃げたりしちゃいけない・・・そう改めて思ったりしています。



で、その「サムライ通信」のリハビリの為に、「平清盛」について書いてみたいと思いますねー。

まあ、この時代が時代の変革期であることは確かなんですけど、

何故死刑が復活したか・・・を考えると、

やっぱり、

「崇徳上皇をお流しする」

ということがあったから、

「んじゃあ、武士は死刑にせねば、なんね」

ってなる、そういうロジックですよね。これ。


まあ、この時、信西は、権力の絶頂にいるわけです。

そうなろうとずーーーーーっと布石を打ってきて、その布石である雅仁親王が、天皇になったおかげで、

縦横無尽に賽を振れるわけです。

まあ、彼は若い頃から、政治を変えるんだと、事々に口にしてきましたから、

今やっと、自分のやりたい政治をしている、ということなんですね。

だから、果断に政治を進めているのが、信西なんですね。


信西には、信西なりの正義があるんですね。


片や、平清盛にも、清盛なりの正義がある・・・だが、為政者の見える世界は、平家のことのみを考えている、平家の棟梁である清盛の見える世界とは、

自ずから違うわけです。


だから、清盛からすれば、信西の行動というのは、受け入れがたいし、

というか、清盛がまだ、青いということですね。


もちろん、この時代には、

「お咎めがあっても、遠島くらいであろう」

という意識があって当然だと思います。

むしろ、それが常識だった・・・血をみるのを穢れるとして、忌み嫌った公家たちであるからこそ、

「死一等を減じて遠島」

ということになるはずだった。

しかし、今回、公家達は、武家を使って、その政治を達成させるために、血を流したんです。

すでに公家達は血で穢れた・・・だから、もはや、そういう事態は二度と繰り返したくない・・・そう思いがベースにあって、

崇徳上皇の配流が決まった・・・そう見るべきでしょうね。

崇徳上皇がいると、そりゃ、将来戦争になるのは、見えてますからねー。


「もう、血は流したくない。その戦いに連なりたくない」


それが公家たちの意識でしょう。

血を忌み嫌う公家たちだからこそ、安全保障の最善の手として、将来的に敵となる可能性が高い崇徳上皇を配流した、そう見るべきです。

だから、上皇様を配流するんだから、その双牙となった武家達は、それは、それ以上の刑になるしかないんです。

そうしないと上皇様への不敬にも、なりますからね。

だから、死刑が復活した・・・非常に合理的なロジックです。

信西だからこその合理的なロジックなんですね。


ま、清盛はショックを受けるわけですが・・・。


まあ、この「平清盛」という作品は、全50回です。

その23回で、清盛は、叔父忠正を斬るわけですね。

もちろん、これが清盛の転換点になるわけです。

それをほぼ全話数の真ん中に置いた、というところに脚本家の意図があると見ることが出来ます。

まあ、平清盛ってのは、秀吉チックなところがあって、

「叩き上げだからとってもやさしい・・・下層の人間の気持ちがわかる、やさしい人物だった」

という言い伝えがあるんですね。

もちろん、この忠正ショックの以前は、この、

「やさしい人物だった」

という話をベースに清盛の人間像が作られている。


まあ、保元の乱に入る直前、崇徳上皇様に、

「鳥羽上皇と仲直りしてください」

と、けっこう甘ちゃんなことを言っていました。


甘ちゃん極まれり・・・となりましたが、保元の乱勃発と共に、黒清盛に変化しました。


つまり、ただの甘ちゃんから、少しずつ成長しているわけです。

そして、大きな殻を破るのが、この忠正斬りと、

年来の友人である義朝との確執・・・源氏VS平家の戦いである平治の乱になるんですね。


忠正というキャラクターを、ストーリーを書く側に立って考えると、

これは、主人公に対して、ネガティブなことを言い続けるキャラとして、非常に使い勝手がいいんですね。


成長ストーリーのお約束は何かといえば、主人公は、最初、とにかくアンポンタンに設定しておく、


ということがあります。

そして、主人公を成長させる為には、この主人公を励ますキャラと、主人公の非を指摘するキャラが必要なんですね。

この二人をうまく動かすことによって、主人公は成長していくわけです。


もちろん、主人公を励ますキャラこそ、忠盛さんで、非を指摘するキャラが、この忠正さんなんですねー。


忠正さんは史実としては、保元の乱で清盛の敵側につき、斬首されて死んだ。

だからこそ、脚本家は、このエピを、清盛が大きく成長するきっかけに選んだんですね。

清盛を否定し続けた忠正が、その死を前に、清盛を受け入れ、肯定する・・・その忠正を自らの手で殺さなければならない・・・だからこそ、清盛は成長する。

自己の甘さを反省し、自分の周りの世界の見方を辛くする・・・こういうストーリーにしたいから、

忠正が捕まった時に、

「いや、俺が信西の奴に話せば、一発ですから・・・大船に乗ったつもりでいてください、忠正叔父さん!」

っちゅー言い方をしたわけですね。清盛はんは。


成長するキャラは、まず、アンポンタンに描け・・・この成長物語の基本通りですよー。


その主人公の最大の成長を、物語の真ん中に置く・・・それを真ん中に置くからこそ、後半戦がさらにおもしろくなっていく・・・こういう寸法です。

やさしくって、甘ちゃんのホワイト清盛から、世の中を見る目の辛くなるブラック清盛へ・・・。

実際、清盛の周りにいる公家さんも・・・家成さんのように、平家にやさしいだけの公家は退場して、

藤原成親や、藤原師光も、一筋縄ではいかない人物に変わってきている。

彼らも、世の中を見る目が辛い人間達だ・・・つーか、師光は、加藤虎ノ介さんという「ちりとてちん」ファミリーのひとりですからねー。

ま、かつて「ちりとてちん」を楽しんだ人間としては、楽しく感じます。


ま、それはいいとして・・・清盛は、そういう、一筋縄ではいかない人間達をこれから相手にしていくわけですから、

そりゃー、成長するわけです。自らも、一筋縄ではいかない人物にね。


だから、前半戦とは、ガラリと変わって来ると思いますね。

清盛は。

まあ、そのガラリと変わる清盛を描く為の、忠正だったわけですから、これまで丁寧に描いてきたんです。


そして、義朝も・・・義朝も変わるでしょうね。

父親を斬るわけですからね。

今回、義朝の昇殿を喜んでいた・・・そんな父親の姿を見せた為義さんですから・・・その父親を斬ることになる義朝は、清盛以上に・・・何かを感じるでしょうね。

もちろん、信西への反発と、清盛への反発・・・それが大きくなっていって・・・あの駄目公家、信頼と組んじゃうんですから、

人を見る目がないにも程がある・・・まあ、そこへ追い込まれちゃうんでしょうけどね。


まあ、信西への反発を利用して、一時は勝ちを得るわけですけど・・・ま、この話は平治の乱の時にとっておきますか。


さて、もう一方の主人公とも言える、後白河天皇は、どうでしょう。

今回、

「ゾクゾクするー」

と言って喜んでましたねー。

塚地武雅くんとの双六はつまらなくて、得子さんとの双六・・・というより権力争いがゾクゾクする。

そりゃあ、自分の存在を賭けて全力で戦うんだから、そりゃあ、おもしろいっすよ。


人生を賭けて戦っていくのが、この世で、一番おもしろいわけですからね。


そして、先が見えないからこそ、おもしろい。

人生なんて、そんなもんです。

先の見えた人生なんて、つまらないじゃないですか。

先が見えない人生だからこそ、ゾクゾクするんですよ。


それを後白河天皇は、表現しているんですねー。


だから、自らの手で、崇徳上皇をお流しすることが、たまらなくうれしいんです。

ゾクゾクするんですよ。


だから、

「俺は生きている!」

そういう実感につながるんです。


脚本家は、これこそ、言いたかったんじゃないでしょうか。

今回、強く言いたかったメッセージ・・・先が見えない状況だからこそ、生きている実感があるんだ。

今、先の見えない状況かもしれないけれど、だからこそ、生きることが楽しく感じられるはず・・・要は生き方だ。

そう、この脚本家は、言いたかったんじゃ、ないでしょうかね。


震災後のこの日本に対して。



大河ドラマを通して、何を表現するか。


これを見る側は、理解しないといけないと思いますね。

脚本家さんを始めとした大河ドラマのスタッフが全力で戦っているんですからね。

僕らは、放たれたメッセージを、理解していかなくては。

自分なりに全力で。


視聴率が低いと、いろいろなマスコミが叩いていますが、

そんなの気にする必要なんてありません。

素晴らしい作品なら、絶対に評価される。

歴史的に評価されるんです。


視聴率が低いのは、評価出来ない人間が見ていない、それだけの話です。


視聴率が欲しいなら、3英傑の話を永遠やっていればいいだけの話ですからね。


今、この時代に、平清盛を描くことに、僕は大きな意味があると思います。

悪者に描かれがちな清盛に別の場所から光を当て、

歴史とは、善悪二元論で語れない、奥行きのあるストーリーなのだ、ということを、

視聴者に示すことにすら、意味がある。


そして、ネガティブな状況にもくさらず、屈せず、自分の信じた道を行き、文化すら築き上げた巨人。


ひとと違っても、駄目なことではないんだよ。むしろ、自分なりの考えのある人間こそ、尊いんだ、そういうストーリーです。

僕らは、そういうストーリーを楽しみ、自分の人生のプラスにしていけば、それでいい。


自分を怒ってくれる人間こそ、財産だ。


そんな話です。


さ、明日は、忠正の最後、そして、清盛のさらなる成長を楽しみにしましょう。

明日で成長することはないか・・・ま、そのきっかけを楽しみにしましょう。



ではでは。

「保元の乱」この時代の正義とは?最大の価値とは?(現代に通じちゃうじゃん!(笑))

2012年05月26日 | ドラマについての小ネタ
というわけで、次回、「平清盛」で、「保元の乱」が放送される記念として、

このところ、

「保元の乱とは、何か?」

ということについて、考えているわけです。

で、前回、

「保元の乱で、何が変わったのか」

ということについて考えましたが、結論的に言えば、あの記事で記した通り、

「公家の価値の低下。武家の価値の沸騰」

「藤原摂関家の排除」

であり、

「公家の意識が、「自分だけよければあとはどうでもよい」というモノだと露呈した」

「武家の意識は「仕えるモノの為に全力を尽くし、命すら厭わない」というモノであり、公家とは比較にはならないほど、の高い精神性を発揮していた」

「この為、武家は公家を侮る結果となり、その意識が、「この国の為には、公家に権力を任せてはおけない」という武家の意識につながり、権力が武家に移行する契機となった」

ということなんですよね。


つまり、それまで、公家には、血脈という価値を持っていて、それが権力を担保していた。

しかし、この時代、血脈による政治が行われていたが、結局、権力闘争で、決め手になるのは、武家の戦闘力だということが露呈し、

そのことに価値があることを、武家自身が理解した、ということが、この後の大きな政治の流れを生むんですね。


血脈には、価値がある。

まあ、血脈と言ったって、要は、これ、DNAなんですよ。

僕は10年程前に、DNAの塩基配列が全て解析されるような世の中になったら、個人的なDNA差別が始まる、ということを指摘しました。

でも、なんのことはない、日本においては、遠い昔から、DNA差別は行われていたんですよ。

血脈による差別こそ、DNA差別そのものじゃないですか!


父親の持っている資質は、その子に受け継がれる。

もちろん、母親の資質もその子に受け継がれますが、長らく父系の血の流れを重視してきた日本においては、父の形質をどれだけ受け継ぐかが大事だったわけです。

これは、日本人の、

「人間としての価値感」

に根ざしているモノであり、日本人においては、人間の価値とは、

「どういう仕事が出来るか?」

に掛かっているわけです。

だから、今でも、テレビのニュースショーでは、人名が紹介されると、必ず、その横に職業が明示されます。

「無職、誰々」「会社員、誰々」「県庁職員、誰々」・・・のようにね。

つまり、日本人が人を見る時は、

「ああ、このひとは、会社員なのか・・・」

「あー、やっぱり、無職なのねー」

などと、職業で、評価するんです。


そして、もうひとつの日本人の共通した職業観、

「餅は餅屋」

つまり、

「仕事は、そのプロに任せろ」

が大事になってくるわけです。それだけ、仕事というのは、厳しいモノだし、

「仕事は、プロに任せて、素人は口を出さない」

という仕事観を、当たり前に持っているのが、日本人なんですね。


それが、

「仕事の出来た父親のDNAを受け継いでいる子息は、父の仕事を継ぐべき」

という、ごく普通の価値観に直結しているわけですね。


だって、

「餅は餅屋」

ですもん。

DNAレベルで、その仕事をうまく出来る環境を備えているわけですから、一からその仕事に付く人間より、何倍もその仕事をうまくこなせる確率は高い。

それをごく普通の感覚として、遠い過去から、持ってきたのが、日本人なんです。


だから、一子相伝やら、万世一系に価値を見るのが、日本人なんですよ。


だって、その仕事に対して、何百年、何千年に渡って修行しているようなもんですからね。

だから、長く続く血脈というモノに尊敬を感じるのが、日本人なんです。


もちろん、公家の血脈を語る時に、

「天皇に近い血脈を持っている人間は、尊い」

という価値観が存在していたのは、確かです。


むしろ、公家と接していない一般庶民は、そういう価値観だったでしょう。

この平安末期においても。

昭和初期においても、公家の血をひくひとが入ったお風呂の水は、薬になると考えられていた、くらいですからね。


でも、天皇家の人間や公家の人間と普通に接してきた、忠盛や清盛にしてみれば、同じ人間だという思いも、あるわけです。


血脈の高貴さに、惑わされず、むしろ、精神的高貴さであれば、公家より武家の方が高貴・・・それを見ぬいたのが、清盛だと、僕は思いますね。


まあ、これ、自分の卑近な例をあげて説明してみますが、

僕は10代の頃、テレビの向こうにいるアイドルの女性は、別格な人間だと思っていました。

まあ、今の10代や20代が、AKB48を始めとしたアイドル達に夢を見るのと、同じ意識でしょうね。


でも、社会に出て、いろいろな場で、いろいろな女性と接するうち、

「女性も男性も、あんまり変わらないじゃん。普通の人間、そのものじゃん」

という意識に変わっていきました。

以前はアイドルと呼ばれていた女性が、年齢を重ね、ごく普通の主婦をやっていたりするのを見ると、

「あの思いは、何だったんだろう・・・」

と思ったりするし、実際、自分が、ごく普通に会話を交わしたりしてみると、何のことはない、自分の友人の女性と何ら変わらない・・・そういう当たり前の現実を、

自分自身で知る経験が増えていくわけです。

そして、今では、

「男性も女性も、まあ、普通の人間だわ・・・」

と、思えるようになった・・・。


これは、公家に対して、武家の人間の意識が変わっていったのと同じ過程だと思うわけです。

天皇家は別格ですよ。古くから日本人の神様として君臨され、日本を思う意識としては、別格ですからね。

それは、別格として、公家に対する武家の意識は、若い子達がアイドルに持つ神聖視と同じようなモノではないかと僕は思うんです。


その神聖視から、その魔法が、解けた・・・それが保元の乱後の武家・・・特に清盛は、そういう状況だったんだと思いますね。


僕は、時代というモノを評価する時に、

「その時代に最も価値のあるモノは、何か?」

「その時代の正義は、何か?」

ということを考えます。


であれば、ですよ。

武家にとって、公家は、その血の価値から、それまで、神聖視するべきモノであったけれど、保元の乱を境にして、武家と比較した場合に、

「その精神性の低さ、判断力の低さ、及び、実質的力の無さ、から、もはや権力を司る位置にいてはならない」

と、武家に判断されてしまったんだと思うわけです。


この時代、時代に最も価値のあるモノは、血脈から、実質的な戦闘力及び、精神的高貴性に移行したんですね。

そして、それを理解した清盛は、その最も価値のあるモノは、もう獲得しているわけだから、

さらに、公家が得意とした、政治的判断力を、身に付けるよう努力した、ということになるわけです。


つまり、公家の持つ能力と同じ能力を保持し、さらに公家の持たない能力すら、持とうとしたのが、清盛だったんですよ。

なにしろ、清盛は、血脈すら、白河院の血脈ということになっているわけですから、そんじょそこらの公家より、血脈的価値は高いわけですからね。


だから、結果的に、オールマイティーになっちゃったのが、清盛なんですね。


それに対し、義朝は、武家として戦闘力は保持しているものの、血筋敵には、清盛程の血脈の高貴さは、ない。

それが、平治の乱の遠因になっていくわけですね。


つまり、人間的価値の戦いになっているのが、保元の乱、平治の乱なんですね。


そして、藤原摂関家が負け、公家が負け、源氏が負け、オールマイティーである、清盛が勝った・・・こういう過程になるわけです。

その時代に最も価値のあった人間・・・それが結局、清盛となった、そういうことなんですね。


さて、では、もうひとつの価値観・・・その時代の正義とは、何なのでしょう?


人々は、何を望んでいたか?


天皇家は?・・・公家や武家をうまく使って、自分に有利な時代を作ること・・・それだけでした。

まあ、今の天皇、後白河天皇にすれば、自分に歯向かう、頼長・崇徳上皇をまず、失脚させることであり、その後も、自分の政治の邪魔になる人間、

つまりは、敵となる人間を失脚させることこそ、本意なんですね。


そこには、民のため、という感覚は、もちろん、ありません。


では、公家は、何を望んでいたか?

公家は、自分の家が、自分の一門が、おいしければ、それでいいんです。

究極には、自分の身さえ、おいしければ、それでいい・・・なんという精神性の低さでしょう。、

結局、その精神性の低さが、周囲にバレてしまった。

それが権力的には、没落を生むんです。

価値的に、低い、と判断されてしまったんです。時代から。



じゃあ、武家は、どうなのか?

これだって、実は、公家と五十歩百歩で、清盛は、平家さえ、おいしければ、それでいい、と当初考えていた。

それが、忠盛の思いである、武家が三位以上に上がり、力を持つこと・・・この思いが、清盛による、

「武家の時代を作る」

という意識に発展するんですね。

今までのように、公家にコントロールされる武家という構図ではなく、武家がすべてをコントロールする、という構図。


そして、この天皇家、公家、武家の求めるモノを比較した時、時代の要請が、武家の求めるモノであったことは、明確ですね。


保元の乱において、それまでコントロール側だった公家のいくつもの問題点が露呈した。

何より、権力闘争に発展した時に、力そのものを保持していないばかりか、戦いの判断すら、まともに出来ないことが露呈している。

つまり、政治の延長上にある行為としての、合戦の能力がからきしないことがわかった。というか、邪魔しちゃったりもするしね。公家は。


ここで、公家の政治的能力の限界が露呈し、武家の可能性が見えてきてしまった。

なぜなら、戦力を保持し戦いにも慣れている武家が、公家並の政治能力を獲得したら・・・公家を圧倒できるからです。


清盛は、ここに気づいたんですね。

だから、平家のああいうあり方になったわけですよ。

武家でありながら、公家的な政治能力も獲得し、朝廷内で力を持つ・・・非常にわかりやすいでしょ?


この時期、政治的な権力闘争が、短期間に二度も合戦が起こったことを考えると、これは公家側の政治的未熟から来た、不手際と考える他ありません。

確かに信西は藤原摂関家を排除し、政治的目的を果たしましたが、その信西も敵として、排除されてしまう。

その信西を排除した、公家側のボス、藤原信頼は、その陣営から、政治上最も大切な珠である、後白河上皇、二条天皇に脱出されちゃうわけです。

この珠を持っていれば、の官軍だったわけですから、死んでも離しちゃいけない珠だったわけですけれど、

これを簡単に逃がしてしまったわけで、まあ、政治家としても愚の骨頂、武家としてパートナーを組んでいた義朝から、

「日本一の不覚人」

と呼ばれたのも、当たり前です。


結局、政治家としても、能力が高くなかったわけです。この頃の公家達は。

確かに信西は、藤原摂関家の没落を策し、実現させましたが、結局は権力闘争に過ぎなかった。

改革は初めてみても、政治的安定なぞ、望めず、嫉妬を買い、滅亡してしまうわけです。

信頼に至っては、もはや政治の要諦すら、わかっていない始末ですからねー。


つまり、時代の正義は、戦乱のない安定的な政権を作ること、ということになってくるわけです。

その上で、国の体制を改革していくこと・・・天皇家、公家の為の政治だけでなく、全体が良くなるような政治が求められた、ということでしょう。


悪左府頼長も、信西も失敗した。

彼らの方法論は、

「最新の宋学をベースにした改革であれば、うまくいくのではないか」

という思想の元、行われたモノであったし、

頼長は、

「公家の綱紀粛正」

というアプローチをしました。

信西は、

「藤原摂関家排除、天皇親政(治天の君システムの排除)、大内裏の再建、荘園の整理」

という言わば、乱れた天皇システムを、天皇親政という元の姿に戻し、天皇の権威を取り戻すために、大内裏の再建、公家の荘園の整理にまで踏み込んだ、

具体的な天皇システム改革、なんですね。これ。

これは、頼長に比べれば、本質的だし、最大の権威・権力を天皇に一元化する、という意味では、非常にわかりやすく、本質的で大きな改革です。

ただ、問題は、公家たちの意識は、嫉妬心の固まりであり、

「自分さえいい目を見れば、いいや」

の意識なんですよ。

だから、信西が、この改革を行う為に、自身の一門を要職につけたことが、結果、嫉妬を買い、平治の乱で敗れていくことになる。


まあ、だから、信西は、時代が違えば、天皇家の為の大改革者として、功成り名遂げるはずだったんでしょうね。

天皇家の為にこれだけ本質な改革を目指したんだから、建武の新政を支えた大楠公に比されても、

いいんじゃないかなーと思ったりもしますねー。


しかし、信西の問題点は、自身を応援してくれる味方を大量に作る、ということをやらなかったことです。

「正しいことをしていれば、周りはわかってくれるはず・・・」

これが、学者政治家の現実無視のくだらない思い込みであって、陥りやすい落とし穴なんですよ。

ある意味、妄想なんですよ、それはね。


頼長も、信西も、この落とし穴に落ちただけなんです。要は。


小泉純一郎氏の政治を思い出してください。

彼は、あれだけ人気を得て、共感を作り上げ、自身の味方を最大数作り上げたからこそ、改革に着手することが出来たんです。

ポピュリズムだなんだと、5流6流政治家がアホなことを言っていますが、政治というのは、共感を持たれてなんぼですし、

味方を多数作り上げるからこそ、政治は、動かせるんです。

改革をしようと思ったら、それこそ、最大多数の支持を得なければ、味方を大量に持たなければ、実施なんか、出来ません。


これが、政治の大原則です。


それは、この悪左府頼長や信西が、敗れ去った、この政治状況を見れば、誰だってわかるんじゃないですか?

「私は正しいことをやっているんだ。だから、民衆は、味方して、当然なんだ」

この思い上がりが、この2人の学者宰相を敗北に追い込んだんです。


そういえば、同じようなことを言って、消費税増税を叫んでいる、8流9流の政治家達が、現代にいるようですね。

「私は正しいことをやっているんだ。だから、民衆は、味方して、当然なんだ」

この意識、現代の与党の首相や執行部の面々の考えていること、そのまんまじゃありませんか?


それに対して、支持率は、どうですか?


ほら、おのずと今後の答えがわかるじゃないですか。

彼らは、悪左府頼長と信西のいった道を歩いているに過ぎないと、だだわかりじゃないですか。


政治の大原則は、無視できない、絶対の法則なんです。日本においては。

多数の味方がいなければ、改革なんて、出来やしないんです。


さて、話を保元の乱、平治の乱の時代に戻しましょう。


時代の正義は、戦乱のない安定的な政権を作ること、となりました。

その上で、国の体制を改革していくこと・・・天皇家、公家の為の政治だけでなく、全体が良くなるような政治が求められる。


これを出来るのは、誰ですか?この時代。

公家とは違い、権力闘争を解決出来る戦闘力を保持し、さらに公家よりも高い政治力を持ち、さらに公家より尊い血筋を持つ人間・・・。

平清盛しか、いないじゃありませんか。

そして、そういう清盛を、多くの人間が支持した、ということでしょう。

それを背景に、清盛はさらに力を得ていく。


だから、時代は、清盛を選んだんです。


時代の正義は、清盛のあり方を理解し、清盛を選んだんですよ。

「国の改革を成し遂げてくれい」

敗れさっていった、悪左府頼長や信西の思いに、清盛は気づいていたでしょう。


だから、結果として、福原遷都などにも行き着いていくことになるんでしょうね。


なにしろ、清盛は、オールマイティーですからね。

力だけでなく、高貴な血筋さえ、持っている。

時代の正義が、そこに微笑んだ、ということになるんでしょうね。


そんな風に成長していく清盛の過程の物語「保元の乱」。

どんな風に描かれるか、今から楽しみですね。


時代は常に進化していくのです。

それを僕らは感じながら、歩いて行きましょう。


ではでは。


しかし、公家がその価値を無くして、政治が成功しないこの状況・・・そして、新たに価値を持った人間達が台頭してくるこの状況。

どっかの国の政治状況にやたら似ていると思いませんか?(笑)。

「正しいことをやっているんだから、必ずうまくいく・・・」

こう考えたのは悪左府頼長も信西も同じ。

国民からの支持も低く、与党内さえ、まとめられない政治家が、改革をやろうとしても、うまくいかないのは、頼長と信西の結末が多くを教えてくれてるんじゃ、ありませんかねー。


ではでは。

激動の時代、保元の乱で何が変わったのか!

2012年05月25日 | ドラマについての小ネタ
さて、前回、悪左府頼長と信西入道が政治のトップに立った理由について、考えましたが、

結局は、それまで権力を握ってきた公家が、権力を手放していく過程に入ってしまい、そのアラートとして登場してきた、という話をしました。

でも、そのアラートすら効かなかった・・・だから、権力は、保元の乱を契機に、新たな可能性に気づいた武家側に移っていく、ということなんですね。


じゃあ、実際、権力が移っていく過程の公家、武家の意識とは、どういうもんだったんでしょう。

保元の乱が起こり、それが収束する過程において、お互いの意識が、どうなっていくかについて、さらに詳しく考えてみたいと思います。


まず、保元の乱そのものについて考えてみたいのですが、

保元の乱というのは、天皇家、公家の権力闘争の手段に、初めて積極的に武家が使われた大きな戦だったんですよね。

もちろん、天皇家、公家を守るための警察機構としての武家使いというのは、これまで、普通にあったわけですが、

「平清盛」のドラマの中で言えば、藤原忠実が、関白忠通から、氏の長者アイテムを獲得するために、源為義を長とする源氏軍団を使っています。

まあ、氏の長者アイテムを獲得するのだって、ある意味、権力闘争ですからね。

それに初めて、武家の軍事力が使われた、という話になるわけです。

あのあたりから、

「権力闘争に、武家の力は使える・・・」

という意識が見え始めているわけです。大河ドラマ「平清盛」的にはね。

まあ、もちろん、史実的には、そういう公家間の権力闘争の為の武家使いというは、同時期に、いく例もあったとは、思いますが、

「平清盛」では、あの忠実の武家使いが、その象徴として語られているというわけです。


ただ、考えてみれば、比叡山延暦寺による強訴に対する武家による鎮圧、というのも、寺社VS天皇家の権力闘争とも言えるわけです。


つまり、この頃から、時代の要請として、武家の力というのは、権力闘争には、必須なアイテムとなりつつあった、そういうことでしょうね。

一度、ドラゴン退治の為に、ドラゴンスレイヤーを使ったら、その威力のすごさに、もう必須のアイテムになってしまった・・・言わば、そういうことです。

使えるアイテムを一度使ってしまったら、もう、そのアイテムは必須になる・・・戦う系のゲームをやったことのある人間だったら、それはお分かり頂けるはずです。


そういう時代の要請の中で、力を養成してきた武家。

武家の力の価値に気づき、天皇家・公家間の権力闘争に使える!と狂喜した天皇家と公家。


こういう関係性が見えてくるわけです。

でも、武家の力に頼るということは、権力というモノの本質を問うことになるわけです。


そもそも、あの時代、なぜ、公家に権力があったか?と言えば、それは、天皇を頂点にした、朝廷という名の中央集権政府の上級官僚だったからこそ、

国民の税金を給与として貰う権利を有していた・・・公家はそれ以外にも、収入として、多数の荘園も握っていた。

もちろん、天皇家及び公家は、血脈主義であって、位階が高ければ、高い程、人間としての価値がある・・・とされていた時代だったからこそ、

位階が権力に直結していたわけです。

つまり、公家の権力の源は、位階と収入・・・官僚としての給料と荘園からもたらされる莫大な収入に担保されるモノだったんです。


悪左府頼長さんで言えば、左大臣は、通常であれば、極官です。

人間として、位人臣を極める状態ですよね。だから、実入りだって言い訳です。さらに、代々の摂関家が誇ってきた莫大な荘園収入がある。

位とそれを裏打ちする莫大な収入こそが、公家の権力の源だったんですね。


さて、それまでの天皇家の権力闘争を見れば、白河院、鳥羽院のあり方を見れば、わかるわけですが、

院は、

「俺、辞めないよ」

と言ったら、誰も、辞めさせることが出来ないんです。

だから、白河院と鳥羽院の時代に、政治がめちゃくちゃになった・・・これが背景にあるんですね。


だから、公家の力・・・位と莫大な収入がいくらあっても、権力闘争には、使えないということが、明らかになったわけです。

だって、公家の権力は、位であり、収入に過ぎないから。

天皇は、位で言えば、公家の上に君臨するわけですから、そりゃあ、公家の言うことなんで聞かなくもいいし、治天の君が現天皇の言うことを聞かなくてもいい。

治天の君に勝てる人間など、いないんです。位で言えばね。


だからこそ、武家の戦闘力がクローズアップされることになったわけです。


つまり、この瞬間、権力の本質が変わったんだな。

位や収入で担保された権力より、戦闘力で担保された権力の方が上だ、ということが明らかになっちゃうわけです。


「武家の戦闘力に担保された権力こそ、これかの時代の真の権力だ」


そう結論づけられたわけです。この時代に。


だいたい、そこまでの結論に行き着かなくても、度々の延暦寺の強訴をうまくしのいできた・・・その実績が天皇家や公家達の頭にあるわけです。

「これは、権力闘争に使えるぞ・・・」

と。


そして、藤原忠実あたりが、権力闘争に源氏、という武家を使い始めた・・・それを見ていた他の公家も、

「あのやり方は、使える・・・」

と納得するから、その後、初めて大きな権力闘争となった、

「後白河天皇・信西軍VS崇徳上皇・頼長軍」

に、中央政権の権力闘争としては、初めて、武家の戦闘力が使われた、ということなるわけです。


もちろん、地方の権力闘争を武家が繰り返しているのは、中央の公家達は、もちろん、知っていた。

東北で戦った八幡太郎義家の例を引くでもなく、武家はそういうあり方だということは、重々承知していたはずです。

実際、源義朝は、地方のそういう権力闘争に関わることで、力を養成してきたわけですからね。

それに対して、平家は、天皇家を守る軍隊として、海賊討伐や強訴軍撃退など、警察機構としての働きが多い。


ここに源氏と平家の現実を見る辛さの違いが現れているように思えますが、それは、また、別途やりましょう。


そういう闘争の為の兵器である、武家を、天皇家や公家達が積極的に使うことに、ためらっていたのが、これまでだった、ということでしょう。

しかも、自分たちの権力闘争の為に・・・強訴撃退は、天皇家及び京を守るためのモノであって、ある意味、公的な仕事です。

でも、権力闘争は、私的な戦い・・・不浄を最も嫌い、血を扱う武家を蔑視する公家にすれば、やはりためらうのは、当たり前だったんですね。


禊という言葉は今でもありますが、天皇家や公家の世界というのは、清浄な世界であらねば、ならないというのが、基本的な考えですからね。


そこに、血を扱う人間を・・・忠盛が昇殿する時にも問題になったじゃないですか。

血を扱う人間の昇殿を許すな・・・殿中は、清浄であらねばならない・・・これは、遙か後年、天皇の勅使を迎えていた江戸城松の廊下で刃傷騒ぎがあった時に、

時の将軍を激怒させ、浅野内匠頭をその日のうちに切腹させてしまった意識と同じです。

殿中を血で汚すことは、何人にも許されん・・・保元の乱の時代の公家の意識は、遙か後年の徳川綱吉の意識と同じだったんですね。


まあ、少し脱線しましたが、そういう意識を持つ公家が、権力闘争に武家の戦闘力に頼るなど、余程の差し迫った事情があったと考えていいわけです。

まあ、実際は、鳥羽院が死去した後、方々から恨みを買っていた頼長打倒の機運が高まって、

「失脚した頼長が、崇徳上皇を担いでやばいことやるらしいぜー」

という風聞が流れて、その風聞に対処するという形で、天皇側がバンバン手を打っちゃうもんだから、

追い詰められた頼長側が、実際に崇徳上皇を担いで、兵を集める、といういわゆる追い詰められたからこその、後手後手な対応になっちゃう。


ここでも、風聞を流して、それをいいコトに、敵を追い詰める、公家独特の手法が繰り返されているわけで、頼長もいい加減その手法に気づけよ!って感じがしますけどね。


頼長・崇徳側が兵を集めれば、信西・後白河側も兵を集めなければいけないわけで、結局、流れで、武家が力として、使われていくことになるんですね。

要は、背に腹は代えられない・・・勝たなければいけないわけだから、不浄とか、言っている場合じゃない・・・というのが、当時の公家の本音だったんでしょうね。


つまり、その瞬間に、権力闘争には、武家の力が必要不可欠!ということが、天皇家・公家だけでなく、武家本人達にも、明らかになったということなんですね。


「武家の人間を不浄呼ばわりし、馬鹿にしてきた公家も、権力闘争ということになれば、我々武家の力を借りなければ、何も出来ないのだ!」


この意識に至った時、武家は、変わるんです。

「今までは公家にいいように使われて来た。しかし、俺達がいなければ、公家は、戦の際に何も出来ないということがわかれば・・・俺達に物事を判断する権利があるということだ」

こういう意識に進むんですね。


もちろん、保元の乱は、頼長・崇徳側が敗北するわけですけれど、

ここで、大きいのは、頼長と同様にその父、藤原忠実も、乱の首謀者として、扱われるんですね。

もちろん、勝ち側にいた、関白忠通が、東奔西走して、忠実の罪は許されるわけですが、代わりに藤原摂関家が代々築いてきた莫大な荘園を手放すことになってしまうんですね。

これは、もちろん、藤原摂関家の没落を策していた信西による政策と言われていますが、藤原摂関家は完全に信西の策に落ち、やがて藤原摂関家の影響力は政治の世界から、

排除されてしまうわけです。


つまり、信西は、最初から、頼長を公家全体の敵に祭りあげ、そこを突破口に、藤原摂関家の影響力を政治の場から排除するという、大戦略を実行していたんですよ。

策士信西、ここにあり、という感じですね。

雅仁親王の乳母になり、その雅仁を後白河天皇として即位させ、その駒を使って、藤原摂関家を排除する・・・すごい策士ですよ。あんなにかわいい顔して(笑)。

そういう意味では、頼長なんかより、一枚も二枚も上だったのが、信西なんですよね。

だから、頼長は、ただの真面目で一本気な学者宰相に過ぎなかったのかもしれない。

それより、大悪人は、信西・・・そう思いますね。


まあ、そのあたりも考えて、まとめると、保元の乱では、

「公家の価値の低下。武家の価値の沸騰」

「藤原摂関家の排除」

という結果を導いた、ということになるんです。

さらに言えば、

「清浄やら不浄など関係ない、権力闘争に勝てるならば、武家は積極的に使うべき」

という意識が、天皇家、公家に起こった、ということが重要だと思います。


その公家のあり方を見れば、今まで、不浄として、馬鹿にされてきた武家にすれば、

「あいつら・・・要は自分がかわいいだけじゃん」

と見切ってしまうわけで、武家の意識は、ドンドン変わって行っているのが、この頃の武家なんですね。


公家にすれば、それまで、公家の中でも、最も古く力のある家系として、力を振るってきた藤原摂関家が没落したわけですから、

何が起こるかわからない、戦々恐々な時代に突入したと言えるでしょう。

つまり、先例主義は、もう、有効ではないということが、公家たちに伝わった時代なんです。

公家としての価値が、なくなったと言ってもいい、そういう厳しい時代に突入したんですね。


時代の過渡期、そのものですよね。


それが、保元の乱のあとさきの時代・・・そういう時代なんです。


そのことを踏まえて、次の「平清盛」・・・「保元の乱」を楽しみたいと思います。

大きな激動の時代・・・それをどう表現してくれるか!

それを楽しみにしながら、漢たちの熱い時代を楽しみましょう。


ではでは。